綱手の兄貴は転生者   作:ポルポル

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作者もみんなも頑張った


その”名”

 戦争が膠着状態となり、大規模な激突が小国での代理戦争へと移行して2年と少し。各里の戦死者は依然として無くならないものの、三代目火影や、畳間の盟友たるマイト・ダイが亡くなった戦争中期と比べると、その数は減少傾向にあった。カカシたちの世代も皆上忍へと昇格し、当時と比べて里にいる時間も長くとれるようになり、冷戦の中にあって、彼らも青春を謳歌していた。

 四代目火影ミナトも現場を信頼できる部下に任せ、里での業務に従事する時間が増えた。忙しない日々の中でも、妻であるクシナとの日常を大切にする時間も設けられるようになり―――待望の第一子の誕生が、数日後に控えていた。

 そして、アカリと結婚した畳間もまた―――。

 

シスイ(・・・)は可愛いなぁ!!」

 

 よたよたと歩く小さな男の子を、鷹が得物を狩るが如き動きで掻っ攫い、その豊満な胸に埋めるよう抱き上げて、でれでれと緩んだ頬で頬ずりをする綱手。そんな我が子(・・・)と妹を愛おしむように見る畳間とは対照的に、何かを察したように表情を消し、畳間の影にさっと隠れる黒髪の少女。

 直後―――きゃっきゃと喜ぶ息子の声を聴いたアカリが、剣呑な雰囲気を醸し出しながら、台所からのっそりと姿を現した。ちょうど洗っていたらしい濡れた包丁を片手に握り、見えないはずの眼を見開いて、綱手を凝視している。その額には猿魔が変化した緊箍児が嵌められている。

 

「私の息子だぞ」

 

「私の甥だぞ」

 

 シスイをその豊満な母性に収めたまま、綱手とアカリが視線で火花を散らす。ゆらりとアカリの周囲でチャクラの揺らめきが起こり、綱手の額の白毫がその封印から解き放たれる。

 またかと、畳間は読んでいた新聞で顔を隠し、畳間の影に隠れた少女は、畳間の新聞で自身の姿が隠れるように身を竦めた。関わりたくなかったのだ。

 

 ある日の昼下がりのこと。畳間の非番で、昼食後の家族団欒を楽しんでいた千手邸に現れた突然の来訪者が、黒髪の少女―――シズネを付き人として従えた、畳間の妹・綱手だった。

 

「アカリ義姉さんは毎日シスイと触れ合っているだろうが、私は任務の無い日しか会えない。これは不公平だ」

 

 アカリと畳間の結婚を機に、綱手は一人暮らしを始めた。兄夫婦への気遣いである。良い妹だと畳間は思った。 そこまでは良かったのだが―――戦争がある程度の落ち着きを見せ、また後進がよく育ったことで前線の医療忍者としての激務から解放された綱手は、自身を慕うシズネという少女を付き人にし、まるで戦争でのストレスを発散するかの如く、昼間から賭場に入り浸るようになってしまった。

 

 綱手が祖父の影響を受け、重度の賭け狂いとなってしまったことは畳間も認識していたのだが、その規模が幼少期と比べてけた違いに酷くなっていたことはさすがに予想外だった。

 綱手の賭博好きは、戦時中使い道もなく溜まっていく一方だった給料のほぼ全額を捧げてしまうほどのものであり、心配になった畳間は、監視する思惑も込めて、実家に帰って来いと声を掛けたほどである。しかし綱手はその呼びかけに応えることはなく―――元来、祖父や兄に比べて賭け事の才能を悲しくなるほどに持たなかった綱手が、戦争を経て広まった『伝説の三忍』という通り名をもじられ、『伝説の鴨』と揶揄されるようになるまで、そう時間はかからなかった。

 畳間の、そして綱手の現在の木の葉での立場的にも、「いや、それはさすがに不味いだろう」と綱手を諫めたこともあったが、綱手は畳間の諫言など聞く耳を持たず、賭場に入り浸ることを止めようとはしなった。

 

 どうしたものかと悩み、胃の不快感を覚え始めたころ、畳間は綱手をとんでもなく甘やかし賭け事なんてものを教え込んだ敬愛する祖父へ、30年の時を経て恨み言を零した。畳間は頭を抱えていたものの、シズネの協力があってこそだが何とか日常生活自体は送れていることと、畳間に金の無心に来るという最後の一線は越えて来なかったので、まだ趣味の範囲だろうと見守る方針を取ったのだが―――。

 しかし綱手の鴨られ具合―――その実態は凄惨たるもので、シズネが対応し事なきを得たが、あわや身ぐるみを剥がされる、などということもあったようだ。里が運営している賭場でのことならまだ良いが、非公式の賭場にすら出入りするようになった綱手は、本人は無自覚だがすけべな意味でもその身を危険に晒したことが何度もあるらしく、シズネがその危機をその都度救っていたということを、シズネ本人が泣きついてきたときに知った。

 泣きべそを掻き『助けてください』と泣きついてきたシズネを哀れみ、また妹の将来を憂いた畳間は、それこそ生まれて初めてと言えるほどの巨大な雷を綱手に落とした。綱手は、畳間からかつての扉間をすら彷彿とさせるほどの叱咤を受け、年甲斐もなく泣いた。

 

 しかし、そんな綱手の生活も、シスイの誕生とともに一変することとなる。

 今から一年前のこと。畳間とアカリの息子―――すなわち綱手の甥っ子の誕生は、縄樹やダンの死で傷ついていた綱手の心を温もりで包み込んだ。端的に言えば、溺愛した。愛に溺れた。その様子は、初孫息子と初孫娘の誕生に浮かれ、扉間や普段は温和だった妻・ミトからすらも諫められた、当時の柱間を彷彿とさせるほど。

 綱手は仕事の無い日は千手邸に入り浸った。顔を見せるたびに、両手に抱えられないほど―――シズネにすら持たせて、まだ食べられもしないお菓子やジュース、衣服やおもちゃ、絵本や赤子用の日用品を山ほど持ち込んでシスイに構い倒し、隙あらば抱えて連れ出そうとするのである。

 もともとうちは一族としての愛情深さも併せ持つアカリが、息子を取られてしまうのではないかと危機感を抱くのも、無理のない話だった。畳間は女の戦いに関わると碌なことにならないことはかねてより身をもって知っているので、その都度息子を犠牲にして我関せずを貫いた。シスイもシスイで、訳の分からないなりに、母親と叔母にたくさん構ってもらえて喜んでいるようなので是非もない。

 

「シズネ……」

 

「は、はひ!?」

 

「最近はどうだ? 綱の様子は……」

 

「シスイ君へのプレゼントが買えなくなるからと、賭け事は控えていらっしゃいます。……少しは」

 

「……まあ、息抜きの娯楽はオレも賛成してる」

 

 シスイを賭場に連れていくなら止めるがな……と胸中で呟き、新聞を畳んで立ち上がる。

 

「アカリ、例のことで、ミナトのところへ行ってくる。あと、包丁はさっさとしまえ。危ないから」

 

「えぇ!?」

 

 シズネが悲嘆の声を上げる。この場において自分側である畳間の離脱に、絶望感が膨らんだようである。

 その悲鳴を聞き終わる前に、畳間は顔岩の上に飛んだ。そこから壁伝いに跳躍し、火影邸の上に降り立った畳間は、勝手知ったるとばかりに中へ入り、火影室へ向かった。

 火影室の扉をノックしミナトの名を呼ぶと、中から「どうぞ」と声がかかり、畳間は扉を開けた。

 

「よう、ミナト。クシナの調子はどうだ?」

 

「いやぁ、すごく不安そうです」

 

 ミナトの子を身籠り、出産を数日後に控えているクシナは、初めての出産ということもあり、不安でたまらないと言った言動をしている。もともと肝が据わっているくノ一なので、言動以上に恐怖や緊張を感じていることは無いだろうと畳間は思っているが、とはいえ男には分からないことであるので、見守るより他はない。それに―――。

 

「すまん。アカリが、なんかいろいろ吹き込んだらしいな」

 

「はは……」

 

 愛想笑いを返すミナトへ、畳間が申し訳なさげに額を押さえる。

 

「あいつ、出産なんて屁でもない……なんて嘯いてた割に、いざとなって不安と痛みで泣き叫んでたからなぁ……」

 

 アカリはシスイ出産の折、最初こそ「凄腕のくノ一である私が出産ごときに」と息巻いていたが、いざ陣痛が始まると「たすけてたたみま!!」と慌てふためいて泣き叫んだ。畳間も何をどうすればいいか分からずアカリを抱え、何故か病院ではなく火影室で業務をしていたミナトのところへ飛び込み、ミナトもどうすればいいか分からず畳間たちとともにクシナのところに飛び込み、クシナが「早く病院に連れていくってばね!」と怒鳴ったことで事なきを得た。

 そして一年の時を経てクシナが妊娠・出産することとなったのだが、クシナは九尾の人柱力であり、その妊娠と出産は里の最重要機密である。その相談を出来る人間は限られており、身近な先輩であるアカリにその白羽の矢が立ったのだが―――。

 

 ―――痛かった。死にそうだった。とんでもなく痛かった。死ぬかと思った。ほんと痛かった。

 

 などと、不安な胸の内を相談するクシナに対して、アカリはより巨大な不安を煽るようなことしか言わず、以後クシナは怯える日々を過ごしているということである。

 

「ほんとうに……うちのポンコツが……。すまん」 

 

「いやぁ……アカリさんが言うなら、そうだったんでしょうし……」

 

 もともと根が優しいミナトも、さすがにアカリを擁護しきれないようで、言葉尻がすぼんでいる。

 

「クシナの出産……。九尾のことを考えるなら、オレが居た方がいいんだろうが……。さすがに出産の場にオレがいるのもな。立ち合いは、前に言ってた通り、お前と暗部のくノ一、あとビワコさんに頼むのが良いんじゃないか? 封印術は婆さんの死後、オレも重ね掛けしておいたから、出産のときに封印術が緩むらしいとはいえ、暴走まではしないと思う。封印が破られそうになればオレも分かるし、そのときは瞬身ですぐに合流できるしさ」

 

「そうですね。それに……」

 

「……また、雲と岩の動きが怪しいらしいな」

 

「はい。土影の塵遁に対抗できるのは、オレと畳間様の二人だけ。どちらかは―――」

 

「―――里を離れざるを得ない。大蛇丸も砂の偵察で不在のこの時期……。偶然とは思えない」

 

「オレも、陰謀を感じています。やはり……」

 

「うちはマダラ、か?」

 

「おそらくは……」

 

「……情報が洩れていると考えて動いた方がいいな。オレは前線に向かわざるを得ないが、有事の際はすぐに里に戻れるように準備をしておく」

 

「お願いします」

 

「アカリは、どうする? あいつは傍にいるとかえって不安を煽りかねないが……」

 

「そうですね……クシナに聞いてみますよ。遠慮しそうな気はしますけど」

 

「はは、違いない。―――何事も無ければいいが……」

 

 

 二人は互いの胸中に抱く不安が、実現しないことを祈った。

 

 

 ★

 

「あああああああ!!」

 

 畳間が戦線へ出てしばらく。木の葉隠れの里から少し離れた洞窟の中で、クシナの出産が始まった。洞窟の中はクシナの叫び声がこだまし、ミナトはクシナの腕に手を添えながら、落ち着かない様子で叫ぶクシナを見守っている。

 うろたえるでない、と直前にビワコより叱責されたがゆえのことである。そしてクシナとミナトにとって無限とも思える時間が流れ―――産声を上げて、遂に、波風夫妻の長子がこの世に生まれ落ちた。取り上げられた嫡男―――ナルトの顔を見ようとビワコに抱えられるナルトに近づこうとしたミナトだが、「母親への顔見せが先じゃ」と、ビワコからけんもほろろに叱られる。

 

「はあ……はあ……」

 

 母としての責務を一つやり遂げ、荒い息を吐くクシナが嫡男―――ナルトとの顔見せを終え、ナルトを連れて産婆であるビワコが離れてから、ミナトがクシナに近づいて、いたわりの言葉を掛ける。

 

「クシナ……体は大丈夫? ありがとう」

 

「ミナト……」

 

 長男の誕生という幸福を噛みしめ、二人は互いに見つめ合った。

 

「よし! 出産したばかりで大変だけど、九尾を完全に抑え込むよ!」

 

 ミナトはそう言って、クシナの腹部に浮き上がる封印術の術式に手を翳し―――ビワコの呻き声を聞き、その方向へ弾かれたように顔を向ける。

 

「ビワコ様!?」

 

「―――四代目火影ミナト。人柱力から離れろ。でなければ―――この子の寿命は一分で終わる」

 

 突如として現れた奇妙な仮面をつけ、黒いフードを被った男。その手には生まれたばかりのナルトが抱えられ、鳴き声を上げている。足元には倒れたビワコと信頼のおける暗部のくノ一。

 仮面の男はナルトをいつでも殺せると言わんばかりに、ナルトの顔に苦無を向けている。

 そんな男を見るミナトは、あまりに規格外な敵の侵入に、戸惑いを隠せなかった。

 

(この結界をどうやってすり抜けた……)

 

 この洞窟は、畳間とクシナ、ミナトの封印術・結界術に長けた者達で作り上げた強固な感知・侵入防止の結界だ。感知されずに侵入するなど、普通では考えられない。

 とはいえ、侵入された、というのは事実。

 ミナトは瞬時に思考を切り替え、いつでも駆けだせるように足を少し動かすが―――。

 

「あああ!!」

 

 封印を破り解放されようと、クシナの中で九尾が暴れ出す。畳間が強化した封印も、九尾の膨大なチャクラを前には、時間稼ぎにしかならないようである。器であるクシナが出産により衰弱し、チャクラの封印を構成するクシナ自身のチャクラが不足しているということもあるのかもしれない。

 どちらにせよ、非常に切羽詰まった状況であることは、明白だった。

 

(まずい……九尾の封印が……。畳間様……っ!!)

 

 九尾の封印が解かれそうになれば、その術式に関与してる畳間の下にその情報が送られる。その際は、畳間が戦線より飛雷神の術で飛び戻る手筈になっていた。しかし、今にもその封印が解かれそうになってなお、畳間は姿を現さない。

 冷静さを保たんとするミナトの意識を、クシナの呻きが、ナルトの鳴き声が、侵入者の禍々しいチャクラが乱す。

 

(くッ……、何が起きているんだ……ッ)

 

「さっさと人柱力から離れろ。ガキがどうなってもいいのか?」

 

 なんとか思考を巡らせ、突破策を考えようとするミナトを、侵入者が急かすように言う。

 

「待て! 落ち着くんだ!!」

 

「それはお前だ、ミナト。オレは最高に……冷静だ」

 

「まっ―――」

 

 ミナトが時間を稼ぐために声を荒げるが、仮面の男は意にも返さない。

 仮面の男はミナトを嘲る様に言いながら、ミナトの第一子である生まれたての赤子を、無造作に宙へと放り投げた。

 ミナトは信じられないものを見た様に、目を見開いて―――。

 

「ナルト!!」

 

 クシナが叫ぶ。同時に、仮面の男が地を蹴り宙へ飛び、ナルトの息の根を止めんと、襲い掛かる。赤ん坊に対する無慈悲な攻撃行動。あまりに非道である。

 

 ―――瞬身。

 

 しかし、ミナトもまた、四代目火影を背負う忍者。

 瞬時に思考は切り替わった。先ほどまでの戸惑いや逡巡を捨て、瞬時に地を蹴った。その俊足は空中に浮くナルトを攫うように、一瞬でその胸の中へと回収し、仮面の男は何もない空間にクナイを揮ったのち、再び着地する。

 背中合わせに互いの気配を感じ合う一瞬の間の、あと、仮面の男が言った。

 

「―――次はどうかな?」

 

 はっ、とミナトは自身が抱えるナルトへと視線を向ける。ナルトを包む布の背中側に仕掛けられていたのは、起動寸前の起爆札。

 

 ミナトは一瞬で思考を巡らせる。

 この場で爆発すれば、その余波を受け、クシナとナルトの命はない。起爆札を残し、飛雷神の術で飛べば、ナルトは助かるが、クシナは死ぬ。

 であれば、残された選択肢は一つ。

 ミナトは爆発の寸前で飛雷神の術を使わされ(・・・・)、マーキングをしたクナイを置いた小屋へと飛んだ。

 

 小さな小屋の中に足を付けた瞬間―――あるいは時空間を越えるほんの一瞬の時、その最中に、ミナトは起爆札が仕掛けられたナルトを覆う布をはぎ取った。

 そして後方へ捨て去りながら、その忍界最速を謳われる俊脚を以て、小屋の扉を突き破りながら、小屋から瞬時に退避する。

 ナルトを胸に庇い、転がりながら退避したミナトの後方で爆発が起き、小屋が吹き飛ぶ。

 

「ナルト……。良かった」

 

 瞬時に起き上がったミナトは、胸に抱くナルトを見下ろした。傷一つないその体に安堵を抱くと同時に、別の拠点へと跳躍する。

 

 飛んだ先は、小さな部屋。

 その部屋に置かれている柔らかいベッドの上にナルトを寝かせたミナトは、置き去りにしてしまったクシナを救出するため、九尾の封印術に組み込んだ飛雷神のマーキングを頼りに、再びクシナの下へと跳躍した。

 

 ミナトは思う。

 男の目的は、自身と畳間をクシナから引き離すこと。クシナの体に刻まれた封印術には、ミナトと畳間の飛雷神のマーキングが施されていた。

 常に付かず離れずクシナを守り、また離れざるを得ない状況であっても、二人はすぐにクシナの下へ駆け付けられるように対策を取っていた。

 ―――だからこそ、このタイミング。ミナトを息子であるナルトの庇護に回させ、畳間を戦地にて釘付けにする。そうして無防備になったクシナを攫い、その身に封じられた九尾を解き放つ。恐らくは畳間の下にも、何かが起きているはずだ。ミナトと畳間の立ち位置が逆だったとしても、同じ行動を取らざるを得ない。周到に準備された、策略だった。

 

 飛んだミナトの眼前―――先ほどの洞窟とは別の場所―――では、クシナの体から解き放たれた九尾が、今まさに、クシナの息の根を止めんとその腕を振りかぶっていた。

 ミナトは寸前でクシナを攫い、また飛雷神で飛ぶ。飛んだ先は、ナルトが眠る場所。ミナトはクシナを優しくナルトの隣に、横たえた。

 クシナは苦しみに表情を歪めながら、抱いた疑問を口にする。

 

「どうして……?」

 

 なぜ、里へ飛ばないのか。なぜ、あの男を止めないのか。死が決定的となった自分など捨て置いて、すべきことはあるのではないか。

 クシナの疑問は、しかしミナトの甘さであり優しさであった。

 尾獣を抜かれた人柱力は、例外なく命を落とす。うずまきクシナは、今日―――命を落とす。だからミナトはその運命がすでに覆せぬものだったとしても、せめて―――せめて、たった数十分の時間であったとしても。息子の傍にいて欲しかったのだ。

 しかし、それだけでもない。

 忍びの世の未来を見据えた、命を賭けた策を為すためには、クシナの確保が、必要だった。

 ミナトは優しく穏やかな男だが―――同時に、木ノ葉隠れの里を背負う者。歴代の火影や、名も無き英雄たちの想いを受け継ぐ、四代目火影である。歴戦を越えて大成しつつある千手畳間に、『オレ以上の忍者』と推されたミナトの精神性は、四代目火影にふさわしく、既に今の木ノ葉には、ミナトを越えるほどに燃え上がる火の意志を抱く者は、いなかった。

 ミナトはクシナの頬を優しく撫でて、視線をナルトの方へと向ける。

 

「クシナ。ナルトの傍に……」

 

ミナトに促され、クシナは顔をナルトの方へと向けた

 

「ナルト……」

 

 今、ようやく、クシナは生まれたばかりの自分の子供の顔を、見つめることができた。

 待ち望んだ長男と出会えたことへの喜び。時を置かず永遠の別れを迎えることへの悲哀。

 入り混じる感情を滲ませて、クシナは表情をくしゃりと歪ませて、隣で穏やかに眠るナルトの体に、自分の顔を摺り寄せた。

 

「……ッ」

 

 そんな妻の姿を見て、ミナトは耐えきれず、表情を歪めた。クシナに見えないように、拳を握りしめた。

 しかし、二度と無い家族の団欒を惜しむ時間すら、ミナトには許されない。

 ミナトはクシナに背を向けて、歩き出す。

 

「ミナト」

 

 その気配を感じ、クシナはナルトからミナトの方へと顔の向きを変え、その背に向けて言った。

 

「ありがとう。……いってらっしゃい」

 

「すぐに……戻ってくるよ」

 

 ミナトはクローゼットを開くと、中から一枚の外套を取り出し、羽織る。はためく外套―――裾に炎の文様があしらわれた、その背に記されるは『四代目火影』。

 

 ―――飛雷神。

 景色が変わる。ミナトは自身の顔岩の上に立っていた。

 

「四代目火影の名において、里の家族を守る。それが今、オレがやるべきこと。これ以上の好き勝手は許さない」

 

 顔岩の上から、眺める木ノ葉隠れの惨状は、凄まじかった。

 倒壊した建物。闇夜を暴く業火が家々を焼き、黒煙が立ち上っていた。その中心地に座すは―――九尾の化け狐。

 

 ミナトは鋭く、視線を向ける。

 九尾がミナトから放たれる殺気に気づき、禍々しい咆哮を上げるとともに、ミナトへと顔先を向ける。

 そして九尾はその鼻先に、巨大なチャクラ球を生成し始めた。

 尾獣玉。その威力は周囲一帯を吹き飛ばして余りある。

 ミナトは印を結び、同時に、尾獣玉が放たれる。直撃すればミナトは死に、火影岩は崩壊する。だが、ミナトに避けるという選択肢はない。

 

 火影岩は、里の象徴―――。

 

「ここはやらせない」

 

 手に持った苦無を前へ向ける。顔岩の手前に時空間結界の術式が出現した。ミナトの手前の時空間結界に、尾獣玉が直撃する。しかし尾獣玉は爆発することなく時空間結界に吸収されていき―――里から遠く離れた場所で爆発が起きた。

 

(これほどの規模……飛ばすところも慎重に……)

 

 思考が終わらぬうちに、ミナトが振り向きざまに苦無を振りかぶった。仮面の男が、そこにいた。

 ミナトの苦無は仮面の男の頭を直撃する軌道を進み、しかし手応えはなく、男の体をすり抜けた。ミナトの苦無が仮面の男の体をすり抜けると同時に、男はミナトの腕を掴み―――時空間忍術を発動する。

 ミナトは自分の体がどこかへ吸い込まれていくような感覚を抱き、その前に飛雷神の術で飛んだ。飛んだのは、先ほど爆発で吹き飛んだ、木の葉の外れにある小屋だった。

 

 膝をついて立ち上がろうとするミナトの前に、仮面の男が突如として現れる。ミナトが驚愕に目を見開いた。

 

(追って来た……? やはり、こいつも時空間忍術を……。 クシナを連れてすぐに移動できたのはこの能力……。しかしマーキングのようなものを付けられたような痕跡はない。であれば、飛雷神の術とは異なる原理で起動する時空間忍術……。今、この男が現れた時、空間が捻じれのようなものが見えた。さっき、オレの体が引きずり込まれそうな感覚を感じたことを考えるに、空間と空間を繋ぐ穴を開く力か……? だがそれでは九尾ほどの巨大な物体を移動させるには不足する……。一体、何者だ……)

 

 ―――時空間忍術を操り、尾獣にとって天敵とも言える木遁を使用する畳間が不在の時を作り出し、木の葉を襲わせる敵。

 

「やはり、うちはマダラ、か? 畳間様から聞いている。マダラは、生きていると。今になって現れたのは、『その術』が完成したから、といったところか?」

 

「さあ、どうだろうなぁ……」

 

 楽し気に、そして不気味に、嘲るようにして、仮面の男が嘯いた。

 答える気が無いことを悟り、ミナトは男を鋭く見据える。

 

「この際、何者なのかは良い。だがなぜ木の葉を狙う?」

 

「言うなら……そうだな……。気まぐれであり、計画でもあり……。戦争のためでもあり、平和のためでもある」

 

「……」

 

 容量を得ない返答。

 会話で情報を引き出すことは難しいと、ミナトは悟る。

 そして思考を切り替える。

 この場で戦うか、里へ救援へ向かうか。

 

(もしオレが里へ飛べば……こいつもついてきて戦場が余計に混乱する。里のことは……畳間様が戻るのを信じる他無い。九尾をコントロールするだけの強大な力と、畳間様やオレ以上の時空間忍術……。そして危険な思想を併せ持つ。こいつを野放しにすれば、この先九尾以上にやっかいなことになる……。ここで仕留めなければ……!!)

 

 思考を終えると同時、互いに、同時に駆けだした。ミナトの体が男の体をすり抜ける。男が手に装着した鎖が、すり抜けたミナトの体を縛り付け、ミナトが飛ぶ。

 

(奴の肉体……すり抜けるが……攻撃時は実体化する。狙うは相打ちのタイミング。どちらの攻撃が相手より一瞬速いかで決まる)

 

 再び、相対する二人が駆けだした。ミナトは苦無を前方に投げる。仮面の男は避けようともせず、苦無はその体をすり抜けた。互いに避けることも引くこともなく、突進を続ける。

 ミナトの右腕が光った。その掌の上に浮かぶのは、乱回転するチャクラの球体。名を、螺旋丸。

 

 男の手が、ミナトの肩に触れる。ミナトの螺旋丸は、一手、男に届いていない。仮面の男が、勝利を確信する。

 

「オレの勝―――」

 

 瞬間、ミナトの姿が消え、男が地面に叩きつけられた。先に投擲した苦無に飛び、背後から螺旋丸を叩きつけたのである。

 

「っ……」

 

 仮面の男が飛び跳ねるようにミナトから距離を取る。折れたのかぶらりと力なく垂れる左腕を、血が伝う。

 

「!?」

 

 直後、仮面の男の腹を、ミナトが苦無で突き刺した。

 

「飛雷神の術……!? オレの体にマーキングを……っ!」

 

 ミナトの手は終わらない。男の腹に触れた手から、封印術の術式が展開される。

 

「契約封印!? オレから九尾を……!!」

 

「これで九尾はお前のものではなくなった!!」

 

 クシナから引きずり出し、写輪眼を媒介に口寄せ契約を以て従えられていた九尾の縛りを、ミナトは男に封印術を仕掛けることで解き放ったのである。

 

 仮面の男は時空間忍術を使い、ミナトごと、自身の体を消しにかかった。

 何処に飛ばされるか分からない。

 距離を取ったミナトに、仮面の男が語り掛ける。

 

「さすが四代目火影。この俺に手傷をくれ、九尾を引きはがすとはな……。今は退こう。だが……やりようはいくらでもある。オレは、この世を統べる者……」

 

 そう言いながら、仮面の男が姿を消した。

 

「追うか……? いや……」

 

 追って跳躍した先に、即死の罠が仕掛けられていないとも限らない。例えば溶岩などの中、体を透過させて潜んでいたとすれば、飛雷神の術で跳躍した瞬間、ミナトは死ぬ。

 ミナトは里に戻る決断を下した。

 連戦の疲れも、気にしてはいられない。

 ミナトは再び、里へ飛んだ。

 

「これは……」

 

 戻った里は、見るも無残に壊滅状態であった。

 そして―――木遁の形跡も、チャクラも感じない。

 千手畳間は未だ、木の葉に帰還していない。

 

 ―――だが。

 

 九尾の化け狐は、木ノ葉の城壁を突き破りながら、里の外に追いやられていた。

 三代目火影は既に亡く、千手畳間が戻らず、波風ミナトが動けなかったこの数十分の間隙。指揮系統を得ず、忍びたちが混乱する中、誰がここまで九尾を抑え込んだのか―――それは、十数分前に遡る。

 

 

 

 

「おおおおおおおおおおおおおおおお!!!」

 

 

 突如として里の中央に現れた災厄の化身たる化け物・九尾。それは咆哮だけで周囲の建物を破壊し、空間を震えさせた。少し身じろぎすれば、周辺の建物は粉砕され、哀れな命が肉塊へと変貌する。

 九尾が現れ、雄たけびを上げた。それだけで、百に上る木の葉の民が命を落とした。

 

 突如として訪れた里の危機。寝ていた者たちは飛び起き、起きていた者たちは家を飛び出して災厄を見上げた。恐怖で身が竦む者も多かったが、顔岩へ向けて放たれたチャクラの塊が時空間結界に吸い込まれるのを見て、四代目火影が動いていることを確信した木の葉の忍びたちは、一斉に行動を開始する。

 だが、その後、ミナトが姿を現さない。上忍クラスや部隊長に指示を出さない。指揮系統を得られず、忍びたちは混乱した。戦うべきか、非戦闘員を逃がすべきか――――。その混乱が、犠牲者を増やす。

 ミナトが仮面の男と里から消え、九尾が暴れ出そうとしたとき―――。犠牲者が無為に増えようとしたとき―――その男は現れた。

 

「―――屋台崩しの術!!!」

 

 突如、九尾の頭上に巨大な蝦蟇が現れ、その体を下敷きにする。

 

「奇数班は非戦闘員の保護!! 偶数班は九尾との戦闘に当たれ!! 中忍以下は戦闘員の支援!!」

 

 里全体に響き渡るかのような怒声を飛ばし、その長い白髪を振り乱しながら、赤い歌舞伎装束に身を包んだ男が、蝦蟇の頭の上にいた。

 

「自来也様!!!」

 

 誰かが、その男の名を―――自来也の名を呼んだ。

 自来也の弟子であり、ともすれば予言の子ではないかと考えていたミナトに、子供が出来た。少し前に里へ戻り畳間やミナトに戦争に参加できなかったことの謝罪を含めた挨拶参りをしてきた際にそんな話を耳にして、またふらりと旅に出た後、そろそろかと再び里へ戻り、夜の木の葉で女湯を覗いていた自来也が目にしたのは、突如として現れた九尾という災厄だった。

 自来也はすぐさま行動を起こし、現れないミナトや畳間の代わりに、臨時で指揮を取る決断をしたのである。

 

 巨大な泥沼を作り出す、土遁・黄泉沼。巨大な蛙たちを呼び出す口寄せの術。蛙たちとの合わせ技である蝦蟇油炎弾。

 

 自来也はその多彩な術を駆使して九尾を翻弄し、非戦闘員が避難する時間を稼ぐ。しかし相手は九尾。尾獣最強にして、最悪の化け物。いかな自来也といえども、単身でこれを撃退できるほどの力は無い。単身であれば。

 

「頭ァ!! 姐さん!!」

 

「自来也ちゃんいくどォ!!」

 

「仙法―――毛針千本!!」

 

 自来也の両肩乗った二匹の蛙が両手を合わせ、同時に自来也の顔に変化が起きる。鼻は大きくなり、疣が出て、まるで蛙のような顔つきへと変化した。

 長い白髪を針のように尖らし、九尾へ向かって千本のように飛ばす。しかし九尾の体は巨大で、人の身など指先一本程度の大きさである。その人間の髪をいくら尖らせ突き立てたところで、その強靭な肉体には、蚊に刺されたような不快さしか残せない。戦闘中たった一度しか使えない秘術中の秘術である合唱幻術は、九尾のチャクラを帯びた咆哮によって掻き消された。仙術を用いた術も、ミナトの考案した螺旋丸以外は効いているようには見えなかった。それでも、一度直撃を受け大きなダメージを受けた螺旋丸を九尾も警戒しており、その九本ある尾を器用に操り、以後、直撃を避けている。

 

(化け物相手の戦いは考えとらんからのォ)

 

 瓦礫の中から這い出して、自来也が自嘲する。

 そうしている間にも、九尾の尾の一振りが、里をまた破壊した。腕の一振りが、忍びたちを肉塊に変えていった。自来也自身、風圧で吹き飛ばされ瓦礫の海に落ち、また立ち上がっては立ち向かう―――繰り返す工程に、体は既に血に塗れている。

 

「これでも……伝説の三忍、なんて名で呼ばれとるからのォ」

 

 火影を背負うミナトは九尾の初撃を防いで以後姿を見せず、畳間はそもそも里にいないという。並みの上忍では九尾の瞬きですら殺されかねず、里のいざこざで若い忍びたちを駆り出すわけにはいかない。自来也は一人奮戦を強いられる。

 自来也の盟友たる蝦蟇文太を始めとした蝦蟇たちも奮戦しているが、生物としての規格が違う九尾を相手に、防戦を強いられる一方だ。数で囲んで気を散らし、爆発的な暴力は阻止しているが、決定打を与えられる気配はない。

 木の葉の忍びたちもそうだ。恐怖を抑え、里を、家を守るために命を懸けて巨大な”死”へ立ち向かう木の葉の忍びたちの姿。

 

(ミナト……畳の兄さん……何をやっとるんだのォ!!)

 

 それぞれが、恐らくは別の場所で戦っていることは分かっている。あの二人が、里の危機に駆けつけない理由など、それ以外にない。だが、目の前で散っていく火の意志たちを、崩壊していく故郷を目の当たりにすれば、恨み言の一つや二つ、出てしまうというものだ。

 

「これは……」

 

 業を煮やしたのか、九尾が雄たけびを上げ、口を大きく開いた。その裂けた口の目前に、巨大な黒い球体―――尾獣玉が生成される。

 

「……」

 

 終わった―――とは、口に出さなかった。『諦めねぇど根性』―――それが、自来也の忍道だから。

 

「撃たせるなァ!!」

 

 自来也の叫びを受けて、忍びたちが九尾へ飛び掛かる。自来也もまた仙法・超大玉螺旋丸を生成し少しでも九尾の口を上空へ向けさせようと突貫する。自来也の意図を察し、自来也の進む道を守るために多くの忍びたちが突貫し、その命を散らしていく。しかし九尾も自来也の危険性を察し、迫る自来也を叩き潰さんと、九本の尾を同時に振るった。

 1本の尾を、名もなき忍びたちが命懸けで食い止めた。それを見送って、瞬きすらせずその火の意志たちの勇姿を目に焼き付けて、自来也は突き進む。日向一族の者たちが―――日向本家と分家に分かれた兄弟が、分家も本家も越えて力を合わせ日向の奥義の一つ”回天”を巨大化させて使用し、尾の2つを弾き飛ばす。奈良一族の者たちが、血反吐を吐きながら尾の一本を影で縛り上げ、巨大化した秋道一族の者たちが尾の一本は死んでも止めるとしがみついた。蝦蟇たちがもはや満身創痍となった体で、一本の尾を押さえつける。

 そして―――。

 

「おらァ!!」

 

 突如として現れた人影が、両腕を振るい、二本の尾を殴り飛ばした。

 

「綱手!!」

 

 怪我人の手当てを教え子たちに任せ駆けつけた綱手が、自来也の行く手を遮る障害を殴り飛ばしたのである。

 その両腕は圧し折れ、血が噴き出している。

 

「行け!! 自来也!!」

 

 これで8本。だが―――まだ尾は一本残っている。

 自来也を殺そうと、残り一本の尾が振るわれ、鋭く迫る―――。

 九尾が尾獣玉を放たんとする。

 

 ―――ダメなのか。

 

 誰もが、そう考えた時。

 

「――――今こそ!! 戦国最強を謳われた! 我らうちはの名を示せ!!!」

 

 金の輪を頭に付け棍を振りかぶり、雄たけびをあげる女を先頭に、『団扇(うちわ)』の家紋を背負った集団が、九尾へと飛び掛かった。

 

 


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