綱手の兄貴は転生者   作:ポルポル

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五代目火影編
五代目火影


「畳間さん! こっち木材足りません!」

 

「畳間様! こっちもお願いします!」

 

「畳間殿! こっちの木材長さが合いませんでした! 作り直してください!」

 

「……君らちょっとはオレを労わろうって気持ちとか無いの?」

 

 演習場のど真ん中。積まれた木材に囲まれて、その向こう側から慌ただしく掛けられる声に、畳間がうんざりと言った様子で肩を落とした。

 

 ―――第三次忍界大戦終結から半年。木の葉隠れの里は復興へと歩み始めていた。

 崩壊した里から瓦礫を運び出して更地にし、一から”里”を作り直す。大変な作業だったが、里の者たちは負傷した忍びたちの回復を待たず、女子供であっても率先してその作業に参加した。畳間は疲弊した体を多くの医療忍者によって集中的に治癒されたことで、あの決戦に参加した忍びたちの中では一番最初に復興作業に参加させられ、木材の供給という重要な役割を任されていた。

 そんなことは、木遁を得意としている畳間にとって朝飯前―――では無かった。ただ多くの木々を生み出せばいいという訳でなく、大工の要望通りの長さ、大きさ、形となるように意識しなければならない。もともとチャクラ等の細かい調整を苦手としている畳間にとって、その作業はある意味戦闘よりも辛いものである。緻密なコントロールを必要とする掌仙術の修業中、練習用の魚を爆散させたのは伊達ではない。

 

「お兄様……」

 

 畳間が作り出している木材を取りに来た綱手が、両肩に山ほどの木材を器用に担ぎ上げながら、その目じりから涙を流―――さない。

 綱手こそが、畳間の治癒から現在の労働までのすべてを見てきた忍びだったが、畳間の体力からして別にそれほどの重労働とも思わないし、現在の里の最重要任務の一つであるので、逃げ出すことも許さない。苦手分野で苦戦していることは分かるが、別にその叫びは胸を刺すほどでもない。

 現在、木の葉には木材等の資材を取りに人手を割く余裕がない。戦争で人が減ったということもあるが、荒れた里に紛れ込み火事場泥棒を働くこそ泥の類の対応や、里が疲弊しても変わらず届けられる火の国の大名たちからの依頼をこなさねばならないからである。

 今の木の葉に遊ばせて置ける人手は無い。無情であった。

 

「畳間ー。やってるかー?」

 

 呑気な声を出しながら、白い割烹着を来たアカリが歩いて来る。

 アカリは現在、復興作業にいそしむ人たちに食事を用意する炊事班に参加している。そのアカリが現れたということは、そろそろ食事の時間であると、告げに来たということである。

 畳間は嬉しそうに立ち上がった。

 

「飯か?」

 

「うむ。心して味わうが良いわ」

 

 アカリが仰々しく頷いた。

 なんでそんな得意げなんだと畳間は思うが、変なことを言ってへそを曲げられて食事に支障を出ても嫌なので、口には出さずに胸中に秘めた。

 実際、畳間に「美味いと言わせる」と言う目標を掲げたアカリは、元来の負けず嫌いが功を奏したのか、猛特訓を経たことで、得意げになっても許される程度には料理の腕を上げている。

 最近では鼻歌混じりで包丁を見事に使いこなしているほど。

 しかし畳間は、料理をしているアカリの背中を見ていると、本当に失明しているのかふと疑いの目を向けてしまう。仙術ってすごい、と畳間は思った。

 

(もしかすると、忍術の本来の在り方は、そういうものなのかもな……)

 

 なんとなしに、そんなことを思うこともある。

 畑仕事や治水、土木工事―――人力では大変なことを、忍術で代用する。忍びは争い合うことはなく、ただ世のためにその力を振るう。そんな世が訪れればどれほど良いかと夢想する。命の奪い合いは、もうこりごりだった。

 

「畳間様。火の国の大名より書状が……」

 

 担いだ木材を届けてから合流すると言った綱手と別れ、畳間はアカリとともに食事処へと足を運んでいた。その最中、奈良一族の当代を継いだシカクが現れ、声を掛けられる。

 畳間が、妻であり食事班であるアカリと仲睦まじく歩いている姿を見て、これから昼食を取ろうとしていたことを察しているのだろう。シカクは申し訳なさそうな表情を浮かべている。

 

「大名から……? 南の渓谷にある橋の修理の件は、人を送ったはずだが……」

 

「別件です。至急、とのことで」 

 

「……分かった」

 

 シカクは木の葉随一の切れ者である。四代目火影の知恵袋としても活躍していた彼に、畳間は里と大名間の面倒くさいやりとりのほぼすべてを一任していた。そのシカクが人を遣わさず直接畳間を呼びに来たということは、相応に重大なことなのだろう。

 

「行ってくるよ、アカリ」

 

「行ってらっしゃい」

 

 言いなれた言葉を贈り合い、畳間はアカリと別れ、シカクの後をついていく。

 しばらく歩き、二人はかつての主を失った、火影邸の会議室にたどり着いた。そこには各一族の当代たちのみならず、九尾事件で奮戦した自来也や、決戦を生き残った三代目の同期であるホムラやコハルなど、木の葉の名だたる忍びたちが揃っており、到着したのは畳間が最後のようだった。畳間が千手一族の席に座ったのを確認し、シカクが司会として話を始める。

 

「お集まりいただいたのは、他でもありません。火の国の大名より、木の葉へ要請があったためです」

 

「もったいぶらんでいい」

 

 自来也が言う。温泉等も崩壊し、趣味である覗きが出来ないため、ストレスが溜まっているようである。

 畳間は苦笑いを浮かべる。

 

「国や里の利権やらを省き簡潔に言えば……”五代目”を早く決めろ。とのことです」

 

「なるほどのォ」

 

「当然といえば当然の要請です。戦争に勝ったとはいえ、木の葉は火影が不在。一方で、影が戦死した霧を除いて、他里は影が続投しています」

 

「……」

 

 なんとなく居心地が悪く、畳間が視線を下げる。

 

「だがまあ、それなら問題ないのではないか? 何事かと心配して損したのォ」

 

 自来也の言葉に、各一族の当主たちがしきりに頷いている。

 火影は、各里の代表や里の中枢に携わる実力者たちの推薦によって決定される。初代火影の時代からこれまで、意見の食い違い等で火影の決定の際には色々と問題が起きて来た。

 それを知る畳間からすれば、まるで大したことのない問題だとばかりの雰囲気を醸し出している皆に、疑問を抱かざるを得ない。今になって権力闘争が起きるとは畳間も思っていないが、九尾事件で活躍した自来也や、医療忍者を多く育て上げた綱手など、人によって意見は分かれるだろう。

 そんな畳間の心中をよそに、シカクが口を開いた。

 

「司会を任せて頂いている身として、まずは私が……。奈良一族の名において、千手畳間様を―――五代目火影に推薦します」

 

「我らうちはも、同様だ。むしろ、これに異議申し立てをする者がいれば、うちは一族総出で議論してやる」

 

 当然だなと、各一族の当主が一様に口をそろえる。

 

「異議なしのようだのォ。はい、決まり。解散! いやぁ、すぐ決まって良かったのォ」

 

 自来也が手を叩き軽い音を立てれば、各々が席から立ち上がり、つまらない会議が終わって清々したとばかりにざわめきが起こる。しょうもないことで呼ぶなよという声すら聞こえてくる始末である。

 

「いや、ちょっと!!」

 

 ついていけないのは畳間である。三代目や四代目のときの火影襲名の折の面倒くささはなんだったのかと問いたくなるほどの呆気なさ。自分が五代目に内定したとかを取り合えず置いておいて、畳間は帰ろうとする皆を止める。

 だが、この場に集まった者たちから一様に呆れたような視線を向けられ、畳間は困惑する。

 

「畳間殿。また我らうちは一族と論争するつもりですか?」

 

「え、いや、それはちょっと今までと意味合いが違うというか……。ほら、火影ってそんな簡単に決まるものじゃないだろ? もうちょっと議論したりとか……反対意見にうんざりしたりとか……妨害工作に辟易したりとか……」

 

「畳間殿がうちは一族に対してどういう思いを抱いていたかは分かりました。残念です」

 

「あ、いや! 別に、そういう意味では……」

 

「議論もクソも無いのォ、畳の兄さん。五代目火影は―――あなたを措いて他に無い」

 

 真剣な、自来也の表情。自来也だけではない。この場にいる者すべてが、真剣に、畳間を見つめている。

 

「ここにいる皆が……いや、それだけではないのォ。この里の者皆が、畳の兄さんに―――”火影”をと……。そう、望んでおるんです」

 

「自来也……」

 

 畳間が周囲を見渡せば、皆一様に力強く頷いていた。

 畳間の胸に、熱い思いが込み上げてくる。憎しみでも無く、哀しみでもない。怒りでも、痛みでもない。名もない熱い思いが、畳間の胸を焦がした。

 

 ―――オレで良いのか

 

 そんな言葉を、畳間は口には出さなかった。火影とはすなわち、皆に認められた者のことを指す。そんな言葉は、皆の信頼への冒涜に他ならない。

 必要な言葉は一つだけ。

 

 火影になるか、ならないか。皆の信頼を、希望を、願いを、夢を背負えるか。

 はいか、いいえか、それだけだ。

 

 子供の頃あれだけ憧れた火影と言う名。成長し、その名の重さを知るほどに、憧れは遠のいた。皆から認められる―――その難しさを知ったから。

 認められたいという望みを捨て、”凄い忍び”を演じることを止め、ただ里のために生きた。シンプルで、だからこそ困難な道のりの果てに―――千手畳間は、火影となった。

 

「しかし畳の兄さんも薄々は気づいとるもんだと思ってましたがのォ」

 

「いや……オレは色々と失敗も多かったしな」

 

「……昔の自信満々で傍若無人な兄さんはどこへいったのやら」

 

「だからそれを反省したんだっての」

 

 自来也が口を大きく開けて豪快に笑い出すと、釣られるように周りの者達にも笑顔が広がった。

 

 

 

 

 

 里の復興が進み、木の葉隠れの里はかつての姿を取り戻しつつあった。

 里の復興が落ち着き始めた頃合いを見て、五代目火影の襲名式と、九尾事件以後世を去った英雄たちの葬儀を同時に執り行いたいという畳間の願いもあり、その日、木の葉の者達は皆喪服を着て、火影邸の前に集まっていた。

 

 英雄たちの葬儀を終え、そして始まる、火影の襲名式―――。

 火影装束を身に着けた畳間は、『火』と記された傘を被り、皆から見れるように、火影邸の屋上に現れた。

 火影邸の下から畳間を眺めるのは、シスイと手をつなぎ、ナルトを背負ったアカリ。感涙にむせび泣くガイや、ガイから少し距離を置いているカカシ。長男を連れたフガクに、次男を背負ったミコト。長女を連れたヒアシに、長男を連れたヒザシ。ヒルゼンの息子であるアスマ。幼い長子たちを連れた、山中、奈良、秋道、油目、犬塚の当代達。

 しかしそこに―――かつて畳間と共に歩んだ者たちの姿は無い。

 寂しくはある。それでも、嬉しくもある。なぜなら畳間の視界に映る彼らこそが、夢のために戦い世を去った、古き世代が繋ぎ遺した―――新たな時代を紡ぐ、未来への遺産。若き火の意志たち。サクモ、ミナト、ダイ、ヒルゼン、ダンゾウ―――多くの英雄が、守り抜いたもの。

 

「ああ―――。この目は(あかり)が……よく見える」

 

 眩し気に、畳間は目を細める。

 だからこそ、畳間は伝えたいと思う。里の上層部の―――火影の独断で決めたって良いのかもしれない。それでも、畳間は伝えたかった。納得できる者も、出来ないものもいるだろう。不満とて、出るかもしれない。

 それでも、畳間が初代火影より受け継いだ意志を、その想いを伝え―――それが波紋となって広がれば、いつかまた、現れるだろう。初代火影の意志を、二代目火影の思想を、三代目火影の決意を、四代目火影の覚悟を、そして五代目火影の夢を―――受け継いでくれる者が。我ら『忍者』と言う言葉の真の意味を理解し、後に続いてくれる者が、きっと、現れる。それを、畳間は信じている。

 

「皆に、伝えたいことがある」

 

 畳間が口火を切った。木の葉の者たちは、固唾を呑んで、続きを待つ。

 

「五代目火影の名において、木の葉隠れの里は、他の四大里と、平和条約を結ぶつもりだ」

 

 まさかと、広場にざわめきが広がる。

 あの決戦で、木の葉が受けた被害は甚大だ。里には、他の里への憎しみが蔓延している。初代火影の再来とすら謳われる千手畳間という新たな柱を得た木の葉に、もはや敵は無い。復興を終えた後、他里への報復を考えていた者も多いだろう。だからこそ、畳間はこの場でこの話をしたかった。

 

「先の戦争で、木の葉は多くの家族を失った。失ったものはあまりにも多く、得たものは無い。受けた痛みも、味わった苦しみも、沸き起こる憎しみも、身を焦がす怒りも、あまりにも大きい。到底、許せるものでは無い」

 

 その通りだと、多くの者が頷いた。

 

「戦争の痛みも、苦しみも、恐怖も、我らはこれ以上ないほどに味わった。我らはもう十分過ぎるほどに、戦争という”地獄”の中を生きた。昨日同じ釜の飯を食い笑いあった者が、次の日、冷たくなって血の池に沈んでいた。また会おうと送り出した者が、必ず帰ると誓った者が、二度と戻らぬことがあった。憧れたその背が凶刃に倒れ、道に迷ったことがあった。この背に憧れてくれた若き瞳が戦火に焼かれ、胸を抉る悲しみに立ち止まることがあった。多くの宝を、我らはこの戦いで失った」

 

 すすり泣く、声が聞こえる。涙を耐える、吐息が聞こえる。

 多くの辛苦を、この戦争で味わった。里の者達が心に受けた傷は深く、大きい。分かるのだ。畳間もまた、そうだから。それでも、畳間は告げる。それがどれほど残酷で難しいことなのか―――それを理解してなお、畳間は告げるのだ。

 初代火影より受け継いだ夢を―――描くために。

 

「この痛みを忘れろとは言えない。この苦しみを無かったことにはできない。この怒りを沈めることは出来ず、憎しみを消し去ることも出来ない……。だが、だからこそ……、だからこそ―――木の葉隠れの里よ……オレの愛する家族たちよ! どうか……どうか……っ! 耐え忍んではくれないか! この苦しみを、痛みを、憎しみを、怒りを―――我らが決して、忘れぬために……っ! 二度と同じ地獄が生まれぬように!! 我らの受けたあまりに大きな痛みを、この身を焦がす苦しみを―――!! 今を生きる幼子たちが、我らに続く子供たちが、いつか出会うまだ見ぬ孫たちが―――決して、決して……! こんなものを、知ることが無いように……!!」

 

 共に幼年期を生きた友。夢を語り合った仲間。導いてくれた先達。後に続いてくれようとした後輩。あまりに、あまりに多くの者を失った。あまりに多くの痛みを知った。

 火影岩の上。悩む自分に、寄り添ってくれた友。

 憎しみに染まり道を違えようとしたとき、諭し見守ってくれた兄。

 祖父を失い苦しみに苛まれたとき、心で触れ合ってくれた人。

 折れそうなとき、後に続き奮い立たせてくれた後輩。

 もう、誰もいない。誰も、いないのだ。すべて、失ってしまった。

 

 畳間にとって、この苦しみは―――。

 

「この苦しみは……っ、あまりに辛い!! 我らに続く者達に……オレは……こんな思いを、知って欲しくない……っ!!」

 

 堪えきれず、畳間の両目から、涙が零れ落ちる。

 

「目を閉じれば、今もなお鮮明に思い出せる! 友と語り合った時を! 笑いあった日々を! もはや隣にいない、愛する家族たちを―――っ。オレを火影と呼んでくれた、オレの愛しき家族たちよ……!! もうこれ以上、家族を失いたくない!! 今この目に映るすべての者達と、同じ未来を生きていきたい! だから―――どうか……どうか……! どうか……どうか……っ!!」

 

 フガクも、ヒアシも、綱手も、自来也も、この場に集まった皆が、失ったものに思いを馳せ、一様に涙を流した。

 畳間の慟哭にも似た魂の叫びは、この場に集まったすべての者の胸を打った。畳間が心の底から伝える愛を、里を、家族を想う優しさを、木の葉隠れの里は、畳間の家族たちは、感じ取ったのだ。

 千の思いが、木の葉隠れの名のもとに、”五代目火影”の名のもとに、今―――1つに重なっていく。 

 

「―――”忍者”とはすなわち、『忍び耐える者』を指す。偉大なる初代より受け継いだ火の意志を胸に、この痛みを耐え忍び―――我らは今、(まこと)の忍者となる!!」

 

 畳間の叫びに応えるように、皆が咆哮を上げる。

 それは、戦いへ向かう戦士の荒々しい雄たけびではない。

 耐えがたきを耐え、忍び難きを忍ぶ―――気高い、火の意志の咆哮だった。

 

 

 

 

 ある昼下がりの、火影の執務室。

 五代目火影を襲名した畳間は、側近となったシカクとともに、戦争や九尾事件で亡くなった木の葉の者、あるいは木の葉の者が殺害した他里の忍びたちのリストを整理していた。

 この人は死んだ、こいつは殺した、この人は―――。生存者と死亡者の顔写真と資料を分別していた畳間が、ある人物の資料を手に取って、その動きを止める。

 じっと、深い色を宿した瞳でその一枚の写真を眺めている畳間に、シカクが訝し気に声を掛ける。

 

「それは……イノイチの奴の叔母、でしたか。第二次忍界大戦で木の葉を抜けた……。確か、五代目の弟さんも……」

 

「……ああ。九尾事件に呼応して前線拠点に連合が仕掛けて来た際に、陣頭指揮を取っていた。そのとき―――オレが殺した。だからもう、このリストは必要ない」

 

 そういって死亡者の箱に書類を入れた畳間を見て、シカクが何かを察する。

 

「五代目。少し、休憩しましょうか?」

 

「……そうだな。少し、甘えさせてもらう」

 

「……五代目のそういう素直なところ、嫌いじゃありませんよ」

 

「溜め込むと、最終的にアカリに怒られるからな。好意には、甘えることにしてるんだ」

 

 そう言いながら畳間は立ちあがり、顔が見えないように火の傘を深く被ると、「すぐ戻る」と呟いて、飛雷神の術でその場から飛んだ。

 

 

 初代火影の顔岩の上。畳間はゆっくりと腰を下ろし、里を見渡した。里は復興し、かつての姿を取り戻しつつある。

 

「……イナ」

 

 幼少期より共に過ごした、大切な人のことを想う。恐らくは兄の魔手に堕ち、里を裏切らされた悲劇のくノ一。誰よりも里を愛し、火の意志を宿していた女性。イナは子供が大好きで、後進の育成に力を入れ、アカデミーと名を変えた忍者養成所に講師として通い続けていた人。恐らくアカリや畳間、サクモが気づくよりもずっと前から、火の意志の真意を知り、それを受け継ごうとしていた忍者だった。

 

 じっと、掌を見つめる。鋭利な槍と化したこの手で、畳間はイナの心臓を貫いた。その時の感触も、その時のイナの表情も、畳間は忘れることは出来ない。

 抜け忍として処理されたイナは、死してなお、木の葉隠れの里に戻ることは出来ない。里の外で、畳間が作った墓の中で、彼女は誰にも知られることなく、今、静かに眠っている。

 

 ―――あの時、イナは笑っていた。

 

 畳間が九尾の封印が解き放たれたことに気づき、木の葉隠れの里へ帰還するため、拠点を襲う白ゼツたちとその指揮を取るイナを排除しようとサクモたちとともに奮戦しているとき、イナの眼は濁ったまま、無表情だった。白ゼツの大軍を退け、イナの下に辿り着き、畳間は心封身の術を使われる前に仕留めようと高速で接近し、確実に仕留めるために心臓を狙った。

 里の存亡の掛かった火急の時。もはや畳間に問答をする余裕はなく、イナをこの場で見逃すには、人間の心身を操作する山中の術はあまりにも危険だった。畳間は悲痛を堪え、その心臓を貫き―――そして、イナは笑った。

 

 今となっては、分からないことだが―――もしかするとイナは、洗脳された中にあっても、ずっと抗い続けていたのかもしれない。その呪われた道を、歩まされた地獄の道を終わらせるため、その心臓を差し出したのかもしれないと、畳間は思う。

 あるいは、兄の謀略として、イナを自身に殺させることで、再度闇に落とし込もうとしたのかもしれない。確かに、その可能性も十分あった。

 同じ苦しみを知る―――カカシに出会っていなければ。

 

 イナは畳間に貫かれた直後、畳間の体を抱きしめ、音の出ない唇を動かし、何かを言伝ようとしていた。

 

 ―――里を、お願いね。大好き。

 

 声は出ていなかった。聞こえなかったはずだ。しかし、畳間の心には、はっきりとその言葉が聞こえて来た。しかし畳間には涙を流しその死を悼む時すら許されず―――殿を希望するサクモたちに非情の命令を下し、そして戦場を後にした。

 このことは、畳間は一人、墓まで持っていくつもりだ。

 

 ―――オレも大好きだった。

 

 そう応えることは、今の畳間にはもう、出来ない。多くの想いを背負い、五代目火影となった時―――あるいはアカリを伴侶と選びシスイが生まれた時、そしてイナを抜け忍として処理することに同意したとき、その言葉を口にする自由を、畳間は失った。

 この思いはもう、過去のもの。大切に蓋をして、思い出の中にしまうのだ。

 

「ありのままのオレを、皆は五代目火影と認めてくれた。お前は最初からずっと、真実を……告げていたんだな……」

 

 かつて祖父を失った時、その心に直接触れてくれた、大切な人。あの時、彼女は、ある言葉を掛けてくれた。今だからこそ、それがとても尊いことで、そして、当たり前のことだったのだと、気づかされる。いつの間にか忘れていたその言葉に、あの時の弱い少年が、どれほど救われたか―――。

 

「イナ……」

 

 涙は、流さない。

 風に舞う木の葉を見て、畳間は優しく、微笑んだ。

 

「オレはもう、一人じゃないよ」

 

 意思を奪われ、里に仇なすことになってなお―――里を想い続けた一人の忍者の生き様を、畳間はきっとずっと、忘れない。

 


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