綱手の兄貴は転生者   作:ポルポル

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「で、退院はいつくらいになるそうなの?」

「半年寝込んだせいで体が鈍ってて、分身の術も満足にできないからな。リハビリには時間がかかりそうだ。火影になるためにも、早く退院しなければならんのだが・・・」

「そう・・・。急かすわけじゃないけど、早く”帰って”きなよ。みんな待ってるし、留年するわけにもいかないでしょ?」

「ああ、俺は火影の孫だからな。留年はさすがに・・・」

 

 苦笑いをする畳間を、サクモはじっと見る。

 ミカンを食べながら、近況を報告する2人。畳間が眠っている半年間で、世間はめまぐるしく変わっていた。2代目の選抜、就任、柱間の死の公表、葬儀―――。

 畳間は、扉間から柱間の遺品で何か欲しいものはあるかと聞かれたが、何もいらないと返した。

 

 畳間はそのチャクラの乱れから、未だ退院する目途が立っていない。忍者養成施設の同級生たちが学校終わりに見舞いと立ち寄ってくれることで、畳間は外との交流を保っていた。

 サクモの話によれば、そろそろ年度の入れ替えの時期。進級試験も近いという。畳間は参ったな―――と腕を組み唸る。

 

「怪我も軽くなかったんだし、仕方ないよ。リハビリなら手伝うから、頑張ろう」

「ありがとな。サクモは将来、相談役だ」

「・・・」

「いよぉー、畳間。元気か?」

「チョウヤか。相変わらずうるさい奴め」

「おまえにゃ負けるって! なっはっは」

「ちょっと、ここ病室だよ? 静かにね」 

「いや、すまんすまん」

 

 病室の扉を開けて、ぽっちゃりとしつつもどこかワイルドな少年―――秋道チョウヤが現れた。

 忍者養成施設のクラスメイトで、畳間の友人の一人である。

 チョウヤは、体の一部、あるいは全てを2倍3倍と巨大化させる秘伝忍術を持つ『秋道』一族の傍系である。秋道の秘伝忍術はチャクラよりもカロリーを多く消費するため、常に太っているくらいで調度いいとのこと。デブではないので注意が必要なのである。

 サクモが注意を促すと、チョウヤは素直に詫びを入れた。素行は悪くガサツだが、根は悪い子ではないのである。

 

「ほら、見舞い品だ」

 

 チョウヤが懐から出したのは、女性が艶めかしい格好で写っている写真が掲載されている雑誌。畳間は片眉を上げて鼻で笑い、サクモは肩をすくめる。

 

「なんてもんを持ってくるんだ、お前は」

 

 畳間は言いつつもにやけている。

 

「いらないのか? お前好みの子の本、おやじの蔵からかっぱらってきたんだ」

「いらないとは、言ってない。だが、綱にバレたらまずいだろ」

 

 雑誌を懐に戻そうとするチョウヤの手を掴んで制止する畳間に、にやりと笑って雑誌を乗せるチョウヤ。サクモは呆れたように笑う。

 

「そんなの受け取っちゃって、どうするの。綱手ちゃん、毎日毎日通ってくれてるんでしょ? 絶対ばれるって。やめた方がいいよ」

「いや、だが、これは・・・」

「任せるけどさ」

 

 うーんと悩む畳間は、ぱっと顔を輝かせた。

 影分身を使って―――と呟くが、忍術使えないんだった・・・と勝手に落ち込んでいる。

 

「チョウヤ、それ畳間のだよ」

「知ってる」

「おまえ自由すぎるだろ」

 

 チョウヤが畳間の見舞い品であるフルーツを勝手に齧っているのを見て、サクモが顔を顰めて咎めた。

 しかし本当に美味しそうにフルーツを食べるチョウヤを見て、「構わんさ」と、畳間はサクモを制止する。「桃は食うなよ」とだけ念をして。

 

「畳間、何持ってんだ?」

「あ、うっわ、タイミング悪かった? ごめんね」

「あら・・・」

「お、3馬鹿ジャン」

「3馬鹿はあんたらだろ!」

「むしろイノシカチョウじゃ?」

「ぼくも馬鹿なの?」

 

 新たに教室に入ってきたのは、3人の少女たち。上から、犬塚、奈良、日向―――木の葉隠れの里の名門に連なる子弟たちである。

 チョウヤが3人を煽って気を逸らしているうちに、畳間は素早くベッドのシーツに雑誌を隠す。

 

「ねぇ、イナは来てないの? ぼくはてっきり、先に来てると思ってたんだけど」

 

 イナの一族と親しい奈良一族の少女―――奈良ルシカが不思議そうに左右を見渡した。一人称に『ぼく』を使う珍しい女の子である。

 

「いや、来てないね」

「そうなんだ。どこにいったんだろ。絶対いると思ってた」

 

 サクモがミカンを摘まみながら、イナの不在を伝えると、小さなアヒル口を作って悩ましそうに首を傾げる。

 

「え、でも、そこ―――」

「ワン!」

 

 少女―――犬塚ヤエハの足元で、犬が吠えた。犬塚一族は、『忍犬』と言われる特殊な種類の犬を使役する術を使用する。忍犬とは、人の言葉を話せたり、忍のように忍術を扱うことが出来る特殊な犬の総称で、犬塚一族は、そういった犬をパートナーとし、共に戦う特殊な一族なのである。

 

「ヤエハ、病室にけだもの連れてくるのはどうなんだよ」

「けだものっていうな! 風丸は相棒なんだぞ! いつも一緒なんだ」

 

 チョウヤはヤエハの忍犬・風丸をけだものと罵りつつも、顔を綻ばせて風丸の両頬をもみもみと揉み解している。ヤエハは風丸をチョウヤから引っ手繰ると、守る様に胸の中に抱きかかえた。チョウヤをぐるると威嚇をするその姿―――戦化粧を施したワイルドな風貌から一転して為される、なんとも言えない愛嬌のある言動に、畳間はほっこりと笑みを浮かべる。

 

「そうだな、ヤエハ。ヤエハと風丸はいつも一緒だ。オレのことは気にしなくていいぞ」

「ほんとか! ありがとう! わー」

 

 はしゃぎ出したヤエハは、風丸を抱き上げて上下に振り回し―――少しして目を回している風丸に気づいて、慌てた様子で畳間のベッドの上に風丸を寝かせた。

 

「そうだ、畳間どうすんの? 間に合いそう?」

「主語が無いですよ、ヤエハさん。学校のことです、畳間さん。進級試験も近いですが・・・」

 

 風丸の腹を撫でながら畳間に詰め寄るヤエハを、どうどうと鎮めた日向コトリが微笑んだ。その動作一つとっても気品が見て取れる。

 さすがに木の葉屈指の名門と言ったところか、と畳間は思った。

 

「サクモにも言ったが、リハビリに時間がかかりそうだ」

「そうなのですか?」

「ああ。火影になるためにも、早く退院しないと―――とは、思ってんだけどさ」

「なるべくはやい方がいいよ。ぼくたち第一期生なんだから。事情があるにしても、創設初年でいきなり留年者出すのは不味いでしょ」

「責任者は2代目様のままなんだし、なんとかしてくれるんじゃないかな」

「でも2代目様って先代様と違って厳しい方だし、身内贔屓される方でもないでしょう?」

「いや、2代目様は厳格な雰囲気をお持ちなだけで優しい方だと思うよ」

「え、ぼく、それはないとおもう」

 

 ルシカとサクモが、畳間そっちのけで話を始めた。

 

「あたしも火影になりたい」

 

 空気を読まないルシカの言葉に畳間は苦笑して、しかし眉根を寄せた。

 わん―――と、風丸も名乗りをあげた。

 

「お、ヤエハ。畳間にライバル宣言か?」

「え、別に畳間と戦おうなんて思ってないよ!」

「おまえ馬鹿だろ」

「馬鹿はあんただろ!」

 

 チョウヤとヤエハが言い合い始めれば、やいのやいのとにわかに病室が騒がしくなる。ナースさんに怒られるまで、子供たちの憩いは続いたのであった。

 

「あらまあ」

 

 ―――余談だが、その騒ぎの横で、コトリは日向に伝わる瞳術・白眼を使い、畳間が隠した雑誌がどういうものなのかを細部まで確認していた。

 

 

 しばらく―――日も暮れ始めたころ、チョウヤが「腹減った」と病室を発った。次にコトリとルシカが門限だと帰っていく。残ったサクモとヤエハの2人も、やがて席を外した。

 

 賑やかさがなくなった部屋で、畳間は星を見上げる。すっかりと夜も深い。

 

 ―――コンコン。

 扉を叩く音が響き、畳間はドアへ視線を向ける。少し待つが、入室して来る気配はない。

 

「どうぞ」

 

 畳間は入室の許可を出した。

 思えば、きちんとノックをしてから入室して来る人は、入院してから初めてのことかもしれないと、畳間は苦笑した。

 

「イナ・・・。こんな時間にどうしたんだ? どこいったんだろって、ルシカが心配していたぞ」

 

 扉を開けて入ってきたのは、今日不在だった山中イナその人。月明かりに照らされる少女の体が、いつになく眩しく見える。月明かりに紫の服は映えるのだなと畳間は思った。

 イナは畳間の言葉に応えることなく、黙ったままじっと畳間を見つめている。訝しげに片眉をあげた畳間もまた、まじまじとイナを見つめた。

 

「どうした?」

 

 ツカツカと足音を鳴らし、歩み寄って来るイナは、無言のまま。畳間は居心地が悪くなる。

 

「今日、チョウヤ曰くの3馬鹿が、おれの見舞いに来てくれたんだ」

「そうなんだ、良かったじゃない」

 

 イナはさも当然なように畳間のベッドに腰かけ、肩越しに畳間に視線を送る。白い肌が月光に晒されて輝いているように見えた。

 

「しかもサクモとルシカが、じいちゃん派と扉間のおっちゃん派に分かれて論撃始めちゃってさ」

「そうなの? でも、ご兄弟なのにタイプ全然違ったもんね、あのお二人。なんとなくわかるかも。サクモは2代目様派だったでしょ」

「あれ、よく分かったな」

「あたりまえでしょ。あんたらとどんだけ一緒にいると思ってんのよ。ルシカは一族単位で交流があるし、考えなくてもわかるわよ」

「それもそうか」

 

 畳間はうんうんと頷き、イナはおかしそうに微笑む。

 変わらない日常に、畳間は胸が温かくなる。

 イナもまた、同じだった。いや、畳間が眠っていた半年分、イナの方が遥かに今を大事に思っている。

 畳間が眠っていたこの半年の間、イナは毎日毎日、足繁く畳間の見舞いに通った。

 その過程で、イナは畳間の妹・綱手、祖母・ミトと知り合う。次第に仲良くなっていく3人。イナはそのうちに、畳間を死なせ、結果的にミトの夫である柱間を死なせてしまったことへの自責の念に堪えられなくなった。やがて、その想いをミトに吐き出して―――。

 

 サクモも同じである。2度と同じ失敗は繰り返すまい、仲間を死の淵へ落とすまいと、無茶とも言える修行に身を晒した。本来、それを止めるはずのイナは、畳間の見舞いと焦燥でそれどころではなかった時期である。

 

 ―――さらに強くなるために。

 

 その想いを抱き、無茶に無茶を重ねる修行を繰り返していたサクモを、ある一人の男が止めた。

 名を猿飛サスケと言う。猿飛ヒルゼンの父である彼は、里の重役の一人であり、現在の猿飛一族の長だった。ゆえに猿飛サスケは自責の念に苛まれるサクモを、2代目となった千手扉間と引き合わせることが出来たのだ。

 猿飛サスケから話を聞いていた扉間は、これまでのサクモの無茶を叱責し、他すべてを赦した。

 しかし、と言い縋ろうとしたサクモに、扉間は口を開くことを許さなかった。

 

 大人には大人の、子供には子供の役割がある。千手柱間は―――先代火影は、子を守るという、至極当然の、やるべきことをやっただけに過ぎない。

 子を守る―――それは千手柱間が、『里』と言う組織を作り出す起源となった、はじまりの想い。それを自身の罪と思うのなら、それは千手柱間だけでなく、この里の火の意志をも否定するということである―――。

 

 ミトとイナ、扉間とサクモ。奇しくも同じころ、同じことを伝えられた2人。

 誰よりも柱間を知っているミトと扉間。この2人がイナとサクモを救うことは、もはや必然だった。

 

 サクモは今、猿飛サスケ監修のもと、堅実な修行の日々を送っている。イナはミトに弟子入りし、封印術や医療忍術を学んでいた。

 畳間が目覚めて、2人がどれほどの喜びを抱いたか、"今"の畳間には知る由もない。

 だからこそ―――

 

「で、それはなに?」

「え、ああ、これはチョウヤが見舞いにって、いらないって言ったんだけど無理やり」

「へえ? そうなの?」

「そ、そうなんだよ。あ、そうだ、チョウヤと言えば! あいつ、なんでいつもヤエハを煽るんだろうな。今日も俺が火影になるって話したとき、便乗したヤエハに―――」

「それ、止めない?」

 

 ―――今の畳間に、イナはとても腹が立つ。

 

「え?」

「火影になるっての、止めなさいって言ってんの」

 

 ぽかん、と畳間が呆ける。しかし次の瞬間には苦笑して、逆にイナを諌めるように肩をすくめた。

 

「おいおい、イナ。オレが火影になりたいってのは、知ってるだろ? それを辞めろだなんて、いきなりすぎないか」

「今のあんたじゃ、火影になんてなれやしないわ」

「あ―――? 今なんつった」

 

 興味なさそうに、冷たく言い放ったイナの言葉―――畳間のこめかみに青筋が浮かぶ。

 それでも、畳間はそれを堪え、イナに聞き返した。まさかイナが己の夢を否定するわけがないだろうと、自分を落ち着かせる。しかし畳間の想いは裏切られ―――

 

「何度だって言ってあげる。あんたは火影にはなれないわ」

「イナ!!」

 

 畳間がベットを勢いよく叩き、体を乗り出して威嚇する。

 イナは怒鳴られたり、あるいは強い言葉を口にされると泣き出してしまう癖がある。それを知って、畳間はイナに声を荒げた。その意味を、畳間は理解していない。

 それでも、イナは涙を流さなかった。

 

「火影火影って、馬鹿じゃないの」

「てめェ!!」

 

 畳間がイナに詰め寄る。

 イナは胸倉を掴まれ、腰が浮き上がった。イナがもがき畳間を突き飛ばすと、ベッドから立ちあがり、距離を置く。畳間は紙のように突き放され、ベッドに肘をついて体を支えた。

 

「イナ、火影を、オレの夢を馬鹿にすることは―――」

「だったら!!」

 

 畳間がドスの聞いた声で、俯くイナを威嚇する。

 しかし言い終わらぬ内、畳間の言葉を掻き消す様に、イナが叫んだ。己の声を地面に叩きつけるように叫ばれたイナの言葉は身を裂かれるように辛そうな悲鳴。

 

 ―――なぜ、泣かない。

 

 そんなイナに畳間は、なぜ泣かないのだと困惑するだけ。イナの弱点を付いていることを無自覚に意識している畳間は、今までのイナでは有り得ないその反応が信じられない。

 イナがスカートの裾を握り締める。

 

 ―――やっと泣いたか。

 

 いつものイナだと、畳間は安堵した。そう、いつも通り。これは、いつも通りの―――。

 

「冗談じゃないわ。夢、夢ね、そう。だったら、だったらどうして、夢(それ)を振りかざすのよ」

「・・・え?」

 

 俯いていたイナが顔をあげる。涙が月光に煌めく。絵のような美しさに、畳間は息を呑み、そして安堵した。

 しかしその涙の意味が、今までとは全く異なることを、畳間はまだ理解していない。

 

「あんたが柱間様に憧れていたことは知ってるわ。あんたが柱間様の話をするとき、あんた、いつも嬉しそうに笑ってたもんね」

 

 ―――私はそんなあんたの笑顔が好きだった。

 

「火影になりたいんだろうなってのも、見てりゃわかるわよ。それこそ、みんな知ってたもの」

 

 ―――でも恥ずかしくて言えないことを、私は知っていた。

 

「あんたは”火影(ゆめ)”を振りかざすような男じゃなかった!!」

 

 柱間から貰った額当てを、畳間がいつも持ち歩いていることを、イナは知っていた。着けたくて着けたくて―――それでも下忍になったときにと、ずっと我慢していたことをイナは知っている。

 火影になりたいと、公言する子供がいても、畳間はただ静かに対抗心を燃やし、己を磨いた。本当に手に入れたい夢を、誰にも知られたくなくて。

 

「イナ、何を言っているのか分からない。どうした・・・? ごめんな、リハビリが進まなくて、苛立ったんだ。許してほしい」

 

 怒りの表情から一変、イナを気遣う表情を浮かべる畳間に、イナはキッと眼光を鋭くする。畳間はベットから降りて、イナに恐る恐る近づいて、目の前で拝むように謝罪する。

 

 しかし、イナにはわかった。それはかつて見たことのあるものだ。すべてを隠す―――畳間の”仮面”。

 あれはまだ幼いころ。山中の当主である父と、次期当主である歳の離れた姉に連れられて、一族の開合に出向いたとき。なんて顔をする子供なんだろうと、イナは最初、怯えたのだ。

 忍者養成所に入所し、同じ一期生として再会したころ、畳間はすっかり変わっていた。なんでだろうと気になったイナが、畳間と仲良くなるのに時間はかからず―――本格的に仲良くなってから、いつだっただろうか、正式な忍になっていないのに、畳間が額当てを持っていることに、イナは気が付いた。

 

 ―――じいちゃんに貰ったんだ、内緒にしてくれよな?

 

 不思議に思い尋ねたイナに言った、畳間の笑顔。恥ずかしそうで、それでいて本当に嬉しそうな表情に、己の心臓が大きく脈打ったことを、イナはよく覚えている。

 今の畳間の笑顔は、イナが半年間待ち望んだそれではない。

 

 

「そうだ、よかったら、リハビリを手伝ってくれないか?」

「ええ、良いわよ。手伝ってあげる」

「そっか、ありがとう」

 

 笑って、畳間はベッドへと戻っていく。

 その笑顔を見て、イナは強い想いを決める。嫌われたって構わない。いや、本当は嫌われたくなんてない。しかし、イナは山中一族の女だ。偽りの笑顔を浮かべる畳間を見ているだけなどと―――そんな『後ろ向き』なことが、出来るはずがない。

 畳間が気だるそうにベッドの上に足を乗せる。その完全に無防備な背中―――イナは印を結んでいた。

 

 忍法―――心転身の術。

 

 畳間はベッドに倒れこみ、イナはその場に崩れ落ちた。

 

 

「これは・・・」

 

 まるで炎が燃えているような赤く濁った空、光に照らされ木々の生い茂る美しい大地―――その中間にある、白い空白の世界。ガラスで覆われているようなその場所は、空と大地の境界。

 片や地獄、片や天国か。イナは周囲を見回して、畳間を探した。

 

 そこは心転身の術の応用で入り込んだ、畳間の精神世界。畳間が正常であったなら、その莫大なチャクラ量で吹き飛ばされるかもしれないが、今の畳間は分身の術が出来なくなるほどにまでチャクラ量が落ちぶれている。今、畳間は完全にイナの支配下にあった。

 少し歩くと、膝を抱え蹲っている畳間の姿がある。そんな畳間を囲むように、3つの椅子がある。

 

「畳間?」

 

 イナの声に、畳間はぴくりと耳を動かす。

 

「ねえ、なにしてるの?」

 

 イナの言葉に、畳間は答えない。

 

「・・・・」

「・・・・」

 

 無言。

 

「ちょっと! 引きこもってんじゃないわよ!」

「・・・ほっといてくれ」

 

 

 怒鳴ったイナに、ぽつりと一言。

 

「あんた、外じゃ凄い強気だったのに、中じゃこんなへたれてたわけ?」

「うるさい」

 

 畳間の怒声にびびって損したと、イナは思った。

 

「ね、出てきなさいよ。みんな待ってるわよ」

「誰もいない。オレはもう孤独だ」

 

 畳間の言い分に、イナのこめかみに青筋が走る。

 

「はぁ?! あんたそれ本気でいってんの? 冗談じゃないわ。私らがどれだけあんたのこと心配したと思ってんの!」

「頼んでない」

「頼まれてからやるような関係、友達じゃないでしょ・・・バカ」

 

 

 膝に顔をうずめていた畳間が少し顔をあげる。

 

「ねぇ、畳間。柱間様って、あなたのすべてだったのね。そんな柱間様を失って、しかも、自分と引き換えに・・・。あのときに握ったあなたの手の震え―――私、すごく辛かった」

 

 黙っている畳間に、イナは伝える。サクモや、忍者養成所の仲間がどれだけ畳間を心配していたか。妹の綱手や、両親、祖母が、どれだけ強く、畳間が目覚めることを願っていたか。 扉間が影から、どれだけ高い金を払って、医療忍者を手配していたか。

 それでも畳間には届かない。

 もっとも辛いとき、傍にたくさん人はいたが、救い上げてくれたのは柱間だけだった。世界に理解者は一人。その一人も、自分のせいで死んだ。

 

「分かったことを言うなって、思ってるんでしょけどね。―――でも私ね、少し、わかるよ。だって、あのとき、あなたを失ったもの」

 

 畳間が顔をあげた。そこにあるのは、イナの悲しみに染まった顔。

 

「今でも思い出すの。あのときの光景を。あなたの最期を。だから、だからね。ほんとうに、ほんとうに、あなたが生きていてくれて、本当に―――」

 

 ―――良かった。

 

 ここは精神世界。お互いの心は、気持ちは、想いは、嘘偽りなく相手へと届く。虚勢を張ろうとも無駄。きれいごとを並べても無駄。お互いに、すべてが見透かされる。

 ゆえに―――イナの言葉は、畳間の心の水面に落ちる一枚の花弁となり、畳間の心に波紋が広がるのだ。

 

 畳間の起源、それは孤独。生まれながらに他とは違った―――そんな圧倒的な孤独感が、畳間を蝕んでいた。それを止めたのが柱間である。柱間の無償の家族愛、巨大な器は、畳間と言う異端ですらも呑みこんだ。孤独の中に溢れた温もりが、どれほどのものだったか、語りつくせるものではない。 

 

「ね、柱間様は偉大な方よ。それに、のんびりした方だったわ。あなたみたいに」

 

 ふふっと笑うイナの言葉は、やはり畳間の心に届いた。やめろと思っても、意味がない。しかし畳間が本気でやめろと思えば、イナは止める。心の中だ、嘘偽りはすぐ分かる。

 つまり、そういうこと。

 イナは続ける。

 

「ねえ、焦ってどうするの? 自分を責めてどうするの。在りのままのあなただから、火影様は"夢"を託したんじゃないの?」

「知ったかぶりを・・・」

「そうね。知ったかぶり。じゃあ、火影様のことをとっても、とってもよく知っていたあなたなら―――私の"知ったかぶり"があってるかどうかなんて、分かるでしょ?」

 

 ―――図星。

 

 そう。畳間はずっと柱間の背を追いかけていた。分からないはずがない。畳間のために命を捨てたこと、その気持ちを、分からないはずがない―――。

 それでも、自分を責めて殻に引きこもることで、畳間は柱間のいない現実から逃げ出した。祖父がいない―――その孤独だけが恐ろしかった。偽りの仮面を被り、火影と言う『形』だけを追いかけようとした。柱間の『言葉の表面』だけを追いかけようとした。自力で継ぐには『火影の意志』は、あまりにも大きく、重かった。

 

 柱間は畳間を見誤った。

 あの日あのとき、畳間に『火影とはなんぞや』と、語るべきではなかったのだ。自分には出来ない。家族と思えない―――畳間は己の小ささに苦しんでしまった。自分は孤独である、と。

 

 そして、畳間は見誤った。  

 

「ね、畳間。前に進めなんていわない。強くなれなんて言えない」

 

 ―――私だって、ミト様に救われた。

 

 イナの言葉は、やはり畳間の心の奥へと届いてしまう。それを、畳間はもう、止めようとは思わなかった。

 

「私はね、火影様のことはよく知らない。でも、ずっと一緒にいて、ずっと見つめていたあんたのことなら、私、よく知ってるわ。シスコンで祖父コン馬鹿で強引で自分勝手で恥ずかしがりのくせに目立ちたがり屋でギャンブル好きで盆栽好きの爺趣味、負けず嫌いの―――優しい人。だから―――」

 

 

 ―――独りだなんて、言わないで。

 

 イナは優しく畳間を抱きしめた。

 畳間の脳裏に、かつて顔岩の上で柱間に額当てを貰ったときの記憶が過ぎる。

 

 ―――あのあと、額当てを無くしたと嘘をついたじいちゃんが、扉間のおっちゃんに怒られてたっけ。

 

 次々と湧き上って来る思い出と、想い。心を凍らせようとした心は、イナのぬくもりによって溶けだした。そう、追いかけるべきは柱間の背中―――その優しい在り方、心だ。偉大な祖父に託されたものこそを、何よりも誇りに思う。それを本当の意味で今、畳間は理解した。畳間の額に―――精神世界がゆえに、額当てが浮かびあがって来る。

 

 かつて、畳間は額当てを―――火の意志を柱間に託された。あのとき、柱間が畳間に伝えたかったこと―――それは、「お前は独りではない。里の皆が家族である」ということだ。しかし畳間は『柱間だけ』を家族だと思い、一時的に救われた。それは依存とも言う。そして思ったのだ。『柱間の家族』ならば、それは自分にとっても仲間であると。

 

 畳間は見誤ったのだ。他ならぬ、己のことを。

 柱間は見誤ってなどいなかった。道を逸れるとき、駆けつけてくれる仲間が、畳間にはいたのだから。

 

 イナの心が、畳間に伝わる。

 イナの心だけではない。畳間が倒れてから半年の間にイナが見て来た、畳間を案じる人々の焦燥が、すべて畳間に伝わって行く。

 自分は孤独だ―――そう言って引きこもることを許さない、どこまでも甘く優しい、厳しさ。

 過ぎ去っていく記憶。最後まで残ったのは、やはり心に大きく残る、柱間の背中。

 

 ―――今は悲しもう。祖父の死を認め、偉大な人だったと悔やみ、惜しもうか。孤独になったと運命を嘆くためではなく―――失った、愛する家族を、偲ぶため。

 

「ありがとう・・・」

 

 イナは黙ったまま、畳間を抱きしめる腕に力を込める。それを、返事だと言わんばかりに。

 

 イナの肌に、温かい一滴のしずく。

 イナの胸の中で、小さな男の子が一人、静かに肩を震わせていた。 


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