OP 戦場
夜空を裂く轟音とともに、銃弾が降り注ぐ。炎が舞い上がり、残骸が散らばる。
視界は煙と砂塵に覆われ、まともに前を見ることすら叶わない。
西アジアの“***”の戦地を、私たちは彷徨っていたらしい。
後になって教えられたが、私はその地をよく知らない。
ただ、思い出す。最初に記憶している光景は、戦場だった。
砂色のレンガ造りの家々は、窓も扉も失い、骨のように枠と穴だけを残している。そこらじゅうに瓦礫が転がり、泥にまみれた布の切れ端が風に舞う。剥き出しの鉄筋は、空を抉るように突き立っていた。
目の前で崩れ落ちる建物。燃え盛る車両。呻き声を上げる人々。
かつて人工物だったものの残骸が、ごつごつとした影を落とす。
どこかで、バンッ。
狙撃の音に、心臓が跳ねる。身を竦め、周囲を見回す。誰もが殺気立ち、目を合わせることすら憚られる。
怒号が飛び交い、ぎゅうぎゅう詰めの迷彩ジープがブロロロとエンジンを吹かして走り去る。屋根に乗った兵士たちは野卑な笑い声をあげ、噛み煙草をくちゃくちゃと鳴らしている。焦げたプラスチックと金属の匂いが鼻を刺し、胸焼けするほど空気に染みついていた。
秩序など、一切なかった。
その混沌は、当時の私の精神状態をそのまま映しているようだった。
喉が渇けば、濁った雨水をすすった。黄色と黒の油がてらてら光る腐臭漂う料理の残骸を漁る。
肉の骨にわずかに残った部分を削ぎ取り、飢えを凌ぐ。 そうして、私たちは生き延びた。
この街に、私たち以外は黒髪黒目の人間ばかりだった。
命の色を失った街に、私たちの色彩は嫌でも目立つ。
煤けた瓦礫の灰色、焼け焦げた土の黒、鉄錆びた赤茶けた色合い。
そのどれにも染まらぬ肌。
私の腕にしがみつく妹の顔は、汚れの下でも微かに赤みを帯びている。
髪は灰の中でも埋もれず、長い影を落としていた。
砂埃が鼻筋をなぞるように張り付き、異国の地に馴染まぬ顔立ちをより際立たせていた。
頭上に浮かぶ月の死骸は、淡く、不吉だった。 人々の視線はそこに釘付けとなり、誰もが言葉を失う。 それが神聖なものか、触れてはならぬものか——誰にも判断がつかなかった。
助けを求める相手など、どこにもいない。 傷のつかぬ体は、それゆえに厄介だった。
始末に困った連中は、仕舞いに銃を撃ち込む。 腹や頭に、一発ずつ。
それでも、私たちは無傷。
その事実に気づいた瞬間、彼らはエヌエヌと叫び、顔面蒼白で逃げ去っていった。
——なんて身勝手なのだろう。
私は非力だった。 それでも、私よりもなおか弱い妹を、どうにか守ろうとしていた。
日を追うごとに、妹の小さな手が私の右腕を強く抱くようになり、口数は減っていった。
それが、何よりもつらかった。
何かあるたび、妹をかばう。
ぎゅっと抱き寄せる。
「大丈夫だよ」
何の保証もない、気休めにもならぬ言葉。
それでも、それしか言えなかった。
受け身で、何もできぬ自分が嫌いだった。
悲劇の主人公を気取るような、役立たずの自分が憎らしかった。 それでも。
たとえ、私の運命すべてを生贄にしてでも——妹を助けたかった。
そういえば、先と矛盾するが、救おうとしてくれた人もいた。
「Hey kids, are you lost?」
テンガロンハットをかぶった男がいた。
ポケットの多い半袖長ズボンに、防弾ベスト。迷彩柄で統一された装備。
低く穏やかな声が響く。
意味はわからなかったが、妹の手が震えたことで、彼女が怯えているのは察せられた。
男は少し考えた後、ゆっくりと膝をついた。
銃を背中に回し、両手を広げて見せる。
それから、手のひらで「歩く」ジェスチャーを作り、指をくるくると回してみせた。
「家はどこだ?」
言葉は理解できなかった。
けれど、その仕草が「ここから連れて行ってあげる」という意味なのだと、なんとなくわかった。
真白な歯が見えた。
男は、私たちに何かを伝えようとしていた。
言葉はわからない。
でも、その目は、優しかった。
次の瞬間。
手が宙に浮いた。
世界が弾けた。
耳を突き破る轟音。
空気が砕けたように、風が一気に押し寄せる。
地面が跳ね上がる。
いや、跳ねたのは私たちの方かもしれない。
何が起こったのか、わからない。
ただ、体が勝手に縮こまる。
目を開ける。
——さっきまでいたはずの兵士は、いない。
代わりに、赤黒いものが地面に広がっていた。
焼け焦げた皮膚の匂いが鉄の苦さに溶け、火薬の残滓が喉を引っ掻く。
そこにあったのは、人だったもの。
「……ぁ、」
声が出ない。
聞こえたのは、妹のすすり泣く声だけだった。
私は、それを見たまま、何も言えなかった。
あれは、決定的だった。
それからというもの、
私に関わろうとする人は、みな、不幸に見舞われる。
だから、なくそうとした。
誰かが声をかけようとするたびに、避けるようになった。
次第に、"避けられる"ようにもなっていった。
やがて、周囲の視線すら消えた。
それで、よかったはず。
それなのに——
最愛の妹だけは、どうしても手放せなかった。
いっそ私を捨ててくれたら、あの子はもっと幸せだったんじゃないか。
それでも、妹は拒絶しなかった。
私に降りかかるものを気にも留めず、変わらず隣にいた。
夜になれば、そっと袖を掴む指の感触があった。
まるで、「絶対に手放さない」と言うように。
そして、私は、とうとう耐えきれなくなった。
「こんなお姉ちゃんで、ごめんね」
自分でも驚くほど、掠れた声だった。
妹は、痩せてもなお、くりくりとした大きな目をしていた。
蘇芳色の瞳が美しい。
その目が、一瞬だけ見開かれる。
けれど、すぐに目尻が下がり——
ためらうことなく、ぎゅっと抱きついてきた。
細い腕が背中に回る。
その温もりが、痛かった。
私は結局、妹を傷つけることしかできない。
優しさで突き放せないまま、すがられるばかりの自分。
あまりにも悲しい。心は空っぽになった。
しかし,ある日転機が訪れた。
寝床とは呼べない、がらんどうの廃墟。 汚れた布を布団代わりにして、ただ横たわる。
暖も取れず、コンクリートは墓石のように冷たかった。 その時、異様な音がした。
足音。
普通のものとは違う。規則正しく、ためらいがない。まるで機械のような統率。 空気が凍る。 妹の手を握りしめた。今すぐにでも逃げ出したかったが、体が動かない。
闇の中から現れたのは、黒。
戦闘服。ヘルメット。ガスマスク。 昆虫の複眼のようなゴーグルが、光を反射して鈍く光る。 彼らは人間のはずなのに、人間に見えなかった。
影の群れ。
一人が手を挙げる。 それだけで、すべてが終わった。
無音。
まるで世界が息をひそめたかのようだった。 銃口が一斉にこちらを向く。どの方向に逃げても、意味はない。 影の中に、光が浮かんでいた。
闇に溶け込むはずの私たちの姿を無遠慮に切り取る、淡く揺れる光輪。 夜の闇を吸い込むようにして、そこだけが異様に浮かび上がっている。
妹の肩が震えている。 私は強く抱き寄せた。 だが、包囲網はすでに完成していた。
光の中に晒される。 まるで処刑台に立たされるように。
真っ赤なレーザーサイトが妹を狙う。
心臓が跳ねた。理屈ではない。本能が叫ぶ。
——だめだ。
私の体が、反射的に動いた——それが、最後だった。 何かが撃ち込まれた。 強烈な衝撃が走り、世界がぐにゃりと歪む。
視界が暗くなっていく。
最後に聞こえたのは——
「Target secured.」
あまりにも冷たい、無機質な声だった。
「こちら機動部隊Bravo Bravo,目標確保。以降収容任務に移行する。オーバー」
「ラジャー。全部隊およびエージェントはこれよりカバーストーリー”個人制作のモキュメンタリー”の流布およびクラスAlpha記憶処理剤の散布に移行せよ。」
「ラジャー,ウィルコ。オーバー」