都市の近郊では人や車の出入りが多かった。近くでは海外進出したばっかりアメリカ出身のハンバーガー屋が繁盛していてそのはすむかいでは伝統料理の御飯屋がそこそこの客足といった具合である。通る車の中にはどの国の道路交通法でも検挙されそうな積載量の3輪車や、なぜ動いてるのかわからないほどボロボロな日本車などバラエティに富んでいた。
その中で停車してる軽トラックは、一晩かけて最寄りの市街地へ“様々な”物資を運び終えたばかりだった。今、大柄な男たちが運び込まれた荷を別の大型車両の荷台へと積み替えている。その中でひときわ目を引くのは、黒幕に覆われた巨大な立方体。スロープなしでは載せられないほどの重量感があり、人間が何人か入れるほどのサイズだ。幕の下から覗くのは、鋼鉄製のコンテナ。リベットで厳重に補強されており、かすかに金属が軋む音が漏れ出していた。
それらを積み込むアメリカントラックは、使い込まれた白のフレイトライナー。車体の角は錆びつき、かつての輝きを失っている。側面には黄色の文字で三段にわたり**“Sigma Creative Products”と記され、その左には大きなΣ**のマークが刻まれていた。——表向き、貨物はすべて支援物資の扱いだった。
傍で,巨大トラックの運転手の男と岩砂漠に似合わぬ黒スーツの男が会話している。
「現地はどうだった? 」
(異常物体の仔細を報告せよ)
「ええ,何とか今回も”無事”で済みました。”ミサイル”の音が聞こえた時はほんっとうにびっくりました。”心臓バクバク”でしたよ」
(直接的な攻撃力はないように思われる。推定Euclid。精神的作用を持つ可能性あり)
「それはよかったです。毎回こんなにもらってすみませんね。じゃあ次の場所へ運ばないといけないのでここらへんで」
(了解。引継ぎ完了。輸送任務を開始する)
自然に運転席へと戻る。エンジンが唸り、黒煙を少しだけ吐きながらトラックは小さくなっていく。
メタンガスのにおいだけを残して。
都市の喧騒の中、平凡な配送車の一台として溶け込んでいた。外部護衛の車両は何食わぬ顔で交通の流れに紛れる。周囲の車両のドライバーも、歩道を行き交う人々も、彼らを見つけることは不可能だった。その車両が財団の封じた異常存在を運んでいるなどとはつゆ知らない。
車両の内部は外観とは異なり、完全に密閉された無機質な空間だった。壁面は白く塗装された合金製。護送車然とした内装。だが中央にコンテナが鎮座している。取り付けられたモニターと内部の監視カメラがコンテナ内を見張っている。乗員はリスク分散で4隅に座っている。彼らは定期の安全報告の無線以外でほとんど喋らない。車が悪路を渡る揺れだけが響いている。
モニター越しに見える最低限のパッドがついただけのチェア。
二人がそこに拘束されている。
やがて、そのうちの一人がゆるりと目を開ける。頭上の光輪がチカリと点いた。
モニターを見守っていた隊員たちは即座に異変を察知し、小声で無線を交わしながら警戒体制へと移行する。
二人はお揃いの、白いワンピースを身にまとっていた。しかしそれは泥と血にまみれ、布地はほつれ、見る影もない。
目を覚ました方は、その上からサイズの合わない迷彩柄のジャケットを羽織っている。足の爪は割れ、剥がれ、痛々しく腫れていた。
赤紫色の髪は焦げ、千切れ、血で固まり、絡みついている。
一方、未だ眠り続けるもう一人は、大きめのフード付きの布を深くかぶっていた。砂よけのためだろうか。
彼女もまた裸足で、足裏は血に塗れている。
浅葱色の髪は乾いた泥にまみれ、硬くなっていた。
二人の肌は紅く染まり、まるでアトピーを患ったように荒れている。 鼻がすらりと高い。
傾国であった。
紅に染まった肌も、千切れた髪も、彼女らの美しさを覆い隠しきれなかった。
むしろ、その傷跡すらが一つの調和を成し、一種の妖艶さを生み出していた 。
朔月の月下美人であった。
赤紫髪はわずかに首を傾けて ,眠っているのが無事なのを確認するとそれを静かに見つめていた。
立ち上がることもできないので、ただシートに身を沈めている。
彼女らに拘束を解くほどの力も今は無いようだった。
部隊員たちは構えを解き再び肩に銃を提げた。
エンジンの振動だけが響く。
一切の逃げ場がない閉鎖空間の中で、ただ運ばれていく。
檻の中だ。
ただ、行く末を祈った。
何が幸福なのかもわからないまま。
「目標の状態を確認」
無線越しに低く響く指示の声。
「麻酔の効きが浅い。一人が覚醒。しかし、抵抗の兆候なし」
「……収容プロトコル7Aを継続。サイト21,エリア142へ直行せよ。状況に応じ、薬の追加投与を許可する」
「了解」
「念のためにコンテナ内に睡眠薬を撒く」
「……なあ、俺たち、何を運んでいたんだっけか?」
その言い方はどこか他人事のようにぶっきらぼうだった。
「どうした? 何を言ってる、Bravo-2」
部隊らしからぬ発言に少しの批判的な口調を含めてBravo-3は反応した。
「落ち着け。軽度の反ミーム効果だ。奴らに直接の攻撃力はない」
「……ああ、そうだった。悪い」
「気にするな」
Bravo-2の小さな異常は、それ以上広がることなく収束した。彼らの内のほんの些細なトラブルは収まったようだ。
Bravo-3が手を伸ばし、コンテナに並ぶボタンの一つを選んで押した。
プラスチックカバーを外し、黄色のボタンを押す。
無味無臭のガスがゆっくりとコンテナ内に満ちていく。
朦朧とした少女の瞳が、ゆっくりと閉じた。
部隊員の男は短く返答し、視線を前へ戻す。
運転席ではドライバーが静かにハンドルを握り直し、スピードを一定に保つ。
トラックは市街地を抜け、街灯の数がまばらになるにつれ、周囲の車の数も減っていった。
コンクリートの壁が無音で流れていく。人工の峡谷の中、トラックはただ進み続けた。
其処は小高い丘の上に泰然と建っていて,一見すると建物は現代一般の工場であった。
いや、名目上はシグマ社所有の部品工場だが 。
フェンスゲートに刻まれたΣのロゴが、無言を貫いていた。車両が静かに停止した。
運転席の窓が下がり、運転手は無言のままカードを守衛所の男に示す。
黒い液晶パネルにかざされると、警戒色を帯びたバーが、ためらうように持ち上がった。
隣では15km/hの速度制限標識の下、赤いパトランプが無機質な光を回転させている。
エンジン音を抑えたまま車両は進み、やがて道は緩やかに傾斜し、地中へと沈んでいった。
重機の低いうなりが響く地下通路。その先に待つものを知る者は、決して軽い気持ちで足を踏み入れることはない。
床に刻まれたロゴは、三本の矢印が円の中心へと収束するデザイン。
シグマ社の公式記録には、この地下空間の存在はない。ましてや、このロゴなどなおさらだ。
単純な幾何学模様に見えるが、それが意味する物を知る者にとっては、決して無害なものではなかった。
トラックは速度を落とし、暗がりへと沈んでいった。
エンジンが止まり、微かな振動が消える。
「Secure Transportation Protocol Confirmed. 」
ざらついたスピーカーの声が響いてる。
天井の低い青ざめた空間だった。壁を這う配管とケーブルが、冷えたコンクリートの肌を縛り付けていた。黄色と黒の警告ラインが床に引かれ、ところどころに「AUTHORIZED PERSONNEL ONLY(許可された者以外立入禁止)」の標識が貼られていた。
頭上には蛍光灯が等間隔で設置されているが、その明かりは冷たく、どこか頼りない。端の方ではチカチカと不規則に点滅しているものもあり、まるでそこに何か異常が潜んでいるかのような印象を与える。
数台のトラックや装甲車が並び、作業員らしき男たちが荷物を運んでいる。その中には迷彩服を着た者もいれば、白衣を羽織った研究者風の人間もいた。彼らの動きは流れるように無駄がなく、交わされる言葉は最小限だった。
隅の方には換気ダクトのファンが低く唸りを上げ、ほのかにオイルと金属の匂いが漂っている。だが、それらに混じってかすかに違和感のある臭いもした。——鉄錆と、血のような匂い。
停車したトラックからコンテナが慎重に運び出される。
その死角には、一人の男が立っていた。
白衣を羽織ってはいるものの、その下の服装は研究者らしからぬほどラフだった。
シワだらけのTシャツには色褪せたバンドロゴ、裾のほつれたスウェットパンツ、そして履き古したスニーカー。オゾンと消毒液とヤニの混ざったにおいがする。
鼻梁の高い顔にかかったメガネのレンズが、彼の冷めた視線を曇らせる。
隈の濃い目がコンテナを捉え、冴えた光を湛えていた。
「……ようやく来たか」
呟きながら、彼の指先がポケットを探り、黒い箱のDUNHILL internationalを取り出した。
ライターをかちりと鳴らし、オレンジ色の火が揺れた。
煙草を咥えたまま、口の端でニヤリと笑う。
灰を落とす動作も雑で、火のついた先端がわずかに燻る。
紫煙がゆっくりと宙に溶けていく。
その仕草はどこか気怠げで、しかし確信に満ちていた。
車両から降りた隊員たちが声をかける。
「眠っていますが,いつ覚醒するかわかりません。通常の人間より薬物に耐性があります」
「ん、結構だ。ご苦労だった」
煙草を持つ掌を、軽くひらめかせた。
「この後の護衛でですが、精神汚染の可能性も考慮して3名ほどn」
「いらん」
博士の一言に、顔の見えない隊員が動きを止める。。
きっと今、ヘルメットの下ではスタンクフェイスを決め込んでいる。
「…ですが、規則上最低でも2人の護衛が必要です」
博士は、ふうと溜息と一緒に煙を吐いた。人に見られてるとタバコが吸いにくいのが嫌だったのだ。彼は趣味に関して小心者であった。だが自分の意志を押し通すことに関しても同様だった。
「わかった。じゃあそれはこの台車に乗せてくれ。人数と陣形はご自由に」
言って、足付きの頑丈な運搬台を指した。
隊員たちは素早く準備を整え、博士はそれを確認しながら脇に挟んだタブレットを取り出す。
マップ上のB7-714を素早くタップ。
すると、フォークの無機質な関節が、静かに滑るように動いた。
まるで意思があるかのように博士の背後を追従する。
一行は、ガラス張りの自動ドアの隣にある、セキュリティロックのかかった鉄の扉に近づく。
カードのマークが描かれた黒いカードリーダーに、黄色いカードをかざす。
電子音とともに赤いランプが緑に切り替わった。
”Do not Touch”のシールが剥がれかけた両開きのドアが、ゆったりと開いていく。
奥には、荷物運搬用のエレベータ。
ほとんど使われないため、エレベータはすぐに到着した。
全員が乗り込んだのを確認すると、煙草片手に博士はB7のボタンを押す。
博士は運んでるコンテナの中身を知らないかのごとく飄々だ。
隊員たちは無駄なく動いていた。だが、その動きにはどこかに齟齬がある。
視線は絶えずコンテナをなぞり、指先は無意識に装備を確かめていた。
ゆるやかに下降が始まる。モーターの駆動音のみの空間は少し湿めついてる。
独特の浮遊感が、異世界へワープする感覚を思わせた。
エレベータのドット文字がB7を示す。目的地に着いたことを示すアナログなベルの音とともに扉は開く。
そこには白光沢の廊下が伸びていた。
白衣服や黒いスーツの人間が忙しなく行きかっている。壁は無傷のコンクリート打ちっぱなしで、ところどころに設備用のパネルが露出したり平時の伝達用の張り紙が雑に付いてる。天井に沿って配置された細長いLEDライトが、白く冷たい光を放っていた。温度は一定に管理されているはずなのに、口の中が少し張りつき、皮膚が乾燥していくような感覚がある。
廊下の両側には、厚い鋼鉄製の扉が等間隔に並んでいる。そのほとんどは電子ロックがかけられており、小さなスクリーンにはわずかに赤い灯りが点滅している。一部の扉には白いラベルが貼られ、"Restricted Access" や "Caution: Biological Hazard" の文字が飾り気のないフォントで印字されていた。
雰囲気に反して飛び交う会話の内容は多様で賑やかだった。
雑踏をすり抜ける。
「オブジェクト882を7.68Kで磁気パルサーと同じ振る舞いをさせると7nsHzになったんだ!」
「スキップ5001と同じ振る舞いか!」
慌ただしくデータパッドを操作しながら何かを議論する二人組を横目で捉えながら通り過ぎる。
”何もない”ように見える強化ガラス越しの観察ルームは”Running”の緑の電光板が異質だ。
「カイロ博士、127用の氷はあなたのウイスキーロックのためにあるんじゃないんですよ?わかってます?」
甲斐性もなく若人に怒られてる白髪で厚着のぼさぼさ頭を気にしないふりをしながら足早に進む。
その近くの扉には鋭いひっかき傷が無数に走り、内部からは低い唸り声が漏れている。だが、誰も気にする様子はない。
「D-3567、今からこの中で私の指示に従っていただきます。中には扉があるのですが…」
オレンジの囚人服の男に指示を飛ばす女性を、流し目で認めつつ歩く。
囚人服を見る目がゴキブリを見る時と同じだ。あの視線は堪える。
ある壁のそばでは、何か別の存在が空間を歪ませている。空気がひんやり涼しいのでちょうどいい。
「昨日は3回も!やられたよ。」
よく意味の分からないことを当然のように話しながら速く歩く研究者とすれ違う。独り言だ。
廊下の隅に貼られた、明らかに何度も剥がされては貼り直された形跡のある張り紙は
”屋内禁煙です。特に,エドワード博士は屋内でタバコを吸うな!!”
と書かれてる。
B7-714もこの廊下の突き当りだ。つまり一行は目的地にたどり着いた。名指しのエドワード博士は部屋ラベルの隣の煙草禁止の張り紙を慣れた手つきではがした。
咥えたまま、ゆっくりと二本指で挟み、隊員たちを見渡す。
「見なかったことにしてくれ」
真顔だった。ふてぶてしくも、そのままもう一本おかわりをいただこうと右ポケットの黒箱に再び手を伸ばす。一方随分丸くなった張り紙は見事なノールック投擲で、ゴミ箱へのフライトコースを描く。
隊員たちは顔を見合わせ、やれやれと肩をすくめた。
禁煙禁止号は無事快適な空の旅を終えてすでに廊下の角国ゴミ箱空港に着陸してる。
廊下の材質と変わらない部屋に荷物の搬入が終わる。
「ここまでどうも。さすがにもう大丈夫だ」
両の手でSTOPのポーズをとる。片手には寿命僅かの煙草だ。
「しかしエディ博士、コンテナから開放して安静なのを確認するまではいたいのですが…」
「昨日の夜からぶっ通しの任務なんだろ。もう疲れただろう。あとはこっちでできる」
彼らの疲れた頭に、人参をぶら下げるように言葉を投げた。もしくはネズミ捕りの上のチーズか。
「Bravo-1、いいじゃないですか。博士の言葉に甘えても」
博士の目論見通り部隊の中で会話を担っていたMTF(Mobile Task Force) のリーダーは迷っていた。
実際,少しどころか、かなり疲れてる。いつもの任務の自分ならそんな甘ったれた言葉は叱責するのが常だが、”なぜか”その時はその言葉がとても合理的で納得のできることの様に思えたのだった。
「帰ってシャワー浴びたいだろ?なあ、お連れさん方?」
奥の二人を交互に指さす。
「リーダー、私たちはシャワーを浴びるべきと愚考します」
「…」
一人はただ肩をすくめ,もう一人は半分ふざけた返答だったがしかし、いよいよ閾値を超えたようだった。
見事なとどめの一撃だ。
「まあ、そこまd── 」
「よし!じゃあ,任務おわりおわり。さよならだ。」
博士は答えを聞き終える間もなく、回れ右させ、リーダーの背中を押し、他の人間もさっさと扉の向こうへ追いやると、バタンと閉め切った。
なぜこのように振舞ったか。というのも彼は、生粋のヘビースモーカーでありただひたすらに”自省の時間”という名の喫煙タイムを欲していただけだった。
仮に彼らが残ったとしてもこの後の結果は同じだったということはここに記しておく。
コンテナが隅に置かれてる部屋は簡素なデスクと等間隔の蛍光灯があるだけでほとんど廊下の雰囲気と変わらない。白く空気が冷えてるようだった。博士はモニター越しに対象のアノマリーを確認するといまだに二つは鎮静化されてるようだった。
これ幸いと彼は隣接する自室へ向かう。
カイロが怒られてる間に堪能してやろうという魂胆だった。
部屋の壁は光沢のない滑らかな表面の金属で床はコンクリートの上に紺色のラグでできたマットが敷かれてる。
本棚からはピンク色だったり緑色だったりするファイルのいくつかが床に散乱して見るからに汚い。
ホワイトボードには繁雑な計算式や長文の考察が書かれている。
その隣に”127の氷 → 使いすぎ注意! ”という走り書きのメモが張られてる。そこに白衣を投げ掛けて博士はどっしりとワーキングチェアに座った。デスクには黒字がびっしり書かれた資料が親指の長さほど積まれて、一番上の『[編集済] の弾丸の組成の軍事転用について』という題が目立つ。
パソコンを挟んで右側にはライターとコースターがありその上のコーヒーカップは中身が冷めきってる。雑に置かれたボールペンは吸い殻に埋もれて転がることもなく、灰皿の中で行き場を失っていた 。
そして、それら越しにでかでかと”ここは禁煙です! ”という張り紙がまたしてもあった。
これでやっと一息つける,と3本目のたばこを取り出そうとした瞬間。
ゴンゴン
「博士!!いらっしゃいますよね?」
とっさに咥えてたそれをポケットにつっ込む。
「入りますよ!」
もはや宣言でしかない。
どかどかと入り込んできたのはさっき上司を怒鳴ってた”ミセス・ウイスキー”だ 。
彼女はコンテナを無視してエディ博士の元へ切り込んでいく。そして目ざとく灰皿を見やった。
「15分前より吸い殻の量が増えてます」
吸い殻の量なんぞ覚えることないだろう、と心の中で愚痴った。
「ははは、気の、せいじゃあないかな?ウイスキー・ロックさん」
煙草量摘発専門家は少し睨んだが、すぐに寂しそうな顔になった。 思いが伝わらず残念だったようだ。片言の英語で言う。
「もう少しご自愛ください。 Edward Ashton博士」
名前だけやけに流暢な発音で、エディ博士はつい笑ってしまった。
「なんですか」
「いんや、なんでもない。そうだな。仕事に戻ろう。来い。千夏」
神林千夏——財団に入ってまだ日が浅い見習い職員だ。
まさに和風の顔立ち。切れ長の目に黒い瞳、整った鼻筋。だが、その目がわずかに鋭く光ると、彼女の真面目さと頑固さが滲み出るようだった。
いつも財団職員の制服を規則通り着ている。機能性を重視したシンプルなデザインだ。
無駄のないシルエットの黒いジャケットに、胸元にはIDカードが吊るされている。
インナーは白のシャツで、第一ボタンまできっちり留められていることが多い。
下は動きやすいスラックスで、黒のベルトがウエストを引き締めている。
千夏はこの制服を基本的に着こなしているが、袖をまくっていることが多い。
今はエディ博士の指導のもと、研修を受けている。 21歳だ。
彼らは隣の部屋のコンテナの前に戻った。
「あー、千夏。詳細はもう聞いてるか」
「すみません。MTFの方に聞きそびれてしまって…」
彼女の予想だとまだもう少し部屋に残っているはずだったのだ。だがそそくさと帰っていく機動隊を見て博士のほうへやってきたという経緯だった。自身の落ち度だと思った。
「いや、かまわん。私が返したからな」
彼女は瞠目し、エディ博士をもの言いたげに見つめる。くたびれたような顔だ。参ってるのだろう。
少しの間。
「まあ、私も今になって少し後悔してるんだ。ははは」
博士は腰をさすりつつ、目をそらして言う。実際彼はコンテナを開ける重労働に辟易してた。喋りは軽いが。
「な、何が『ははは』なんですか。ちっとも面白くないんですけど」
千夏は思わず語気を強めた。 今が業務中でなければ小一時間小言を浴びせたいところだった。
「今から呼び戻すか?まだ引継ぎの手続きで残ってるだろう」
うんうん悩む博士を前にふと千夏はモニターを見る。
そこには風貌こそ普通の人間ではないけれど、何ともかわいらしい娘が二人。全身傷だらけの痛ましい状態できつく拘束されていた。
彼女は途端に焦る。
「え、博士!?ちょっと、なんでこの子たち、こんな状態で――!!」
千夏の動揺をよそに、博士はポケットから煙草を取り出し、悠長に火をつけると、ゆっくりと解説を始めた。改めて煙を堪能しながら。
「なぜって、 少し前教えただろう。すぅ、はー。『財団職員たるもの見た目に惑わされるな!』ってね。まあそもそも確保部隊がこいつらに全く手間取らなかったことを鑑みるにかなり無害なんだろうがな。すぅ、はー。実際確保部隊の苦戦具合とその異常存在の危険度はひれいするもn————」
「今すぐ開けますよ!早く手伝ってください!ばか!」
彼女の理性は目の前の煙草人間をぶん殴りたい衝動を見事腹におしこめたようだ。
なんとか罵倒の一言で済んだ。殴るより先に、やるべきことがある。
少女たちを救う。それが今、一番優先すべきことだった。
口ではああ言うものの、彼女らは非常に苦戦していた。
「博士、今すぐ隊員さんたちを呼び戻してください!この子たちが死んじゃいます!」
グググとコンテナのレバーを引いてるがびくともしていない。
「まあまあ、落ち着け。報告だとこいつら相当体が強いらしいし、この程度で死にはしないだろ。それにあいつらも多分もう帰ったぞ」
一応,呼び戻すのを止めたのは彼女だがそれを指摘すると、いよいよもってぶち殺される気がするので博士は言わないでいた。前は、1か月禁煙だったか。
もはや博士のマイペースさを怒る余裕もないほど千夏にとって事態はひっ迫していた。
「ああ、もう!マニュアル通りなのにぃ」
留め具を外すためのレバーに思いの外苦戦を強いられているようだ。両手でレバーを抱きしめるように力をかけてる。本来一人でも所定の手順を踏めば簡単に開く鍵のはずだが、彼女の手にかかればどんな箱も開かずの金庫に匹敵するのであろう。
そもそも、なぜこんなアナログな施錠なのか。時たまに電子機器を操るタイプの存在を保護するときがあるので、下手に電子ロック式にはできないという事情があった。どれだけ手厚く保護しようとも抜け出されるときは抜け出されるが。
博士はマニュアルを急いで取り出したせいで色々なものが飛び出してしまった本棚を見て,少しうなだれる。もともと整理されてなかった気もするが、彼の中では黄金比が乱されたような気分らしい。彼女から渡されたマニュアルを見ながら首をひねる。彼女が従っている説明書の指示書きは『Protocol”6”Aの手続き』というタイトルである。
「なあ、千夏。これ」
「ボケッとしてる暇があるなら手伝ってください!」
彼女はコンテナに足をかけ全体重を鉄棒にかけてる。さながらナマケモノだ。実際”怠け”の対極だが。
博士は少し口ごもるが、もはや指摘するほかない。
「それ、締まる方の手順だぞ 」
どうにか難解(?)な開封の儀をかいくぐり、後一つカギを外せばもう開くという状況だ。
「千夏、待て」
博士は神妙な顔だ。
「なんでですか」
千夏は殴られた人のような顔をした。コンテナに向き直って最後の一手を決めようとする。
早く囚われの姫を救う勇者となりたいのだ。
「神林。待つんだ」
「…はい」
「神林」 その一言に、彼女は反射的に息を飲んだ。博士の声音が、急に冷たく、鋭くなる。千夏は仕方なく作業を止める。エディ博士がこの呼び方をするときは、本気の仕事モードのときだ。
こういう時は、博士の方が正しい。それを彼女も知っている。
博士はデスクの引き出しから何かを取り出す。さらに廊下へ出て近くのウォーターサーバーから紙コップ二つ分の水を器用に片手でもって戻ってきた。
「こっちだけ飲むんだ」
千夏に渡したのは抗反ミーム剤と念のためのAクラス記憶処理剤。どちらも飲用だ。
どうして飲んで脳みそに効くのか不思議だ。博士は先に飲んでしまう。
「勝手に外すな、手順がある」
彼はコンテナを軽くノックした後、モニターを見た。また自室から今度は金属探知機のなりそこないの機材を出した。この間見習いちゃんは棒立ちだ。
「これは初めてか。まあヒト型実体が覚醒してるかどうかを調べる器具だ。早い話、襲われないようにするための道具だな。 」
携帯式EVEパターン検出器というらしい。全くどう使ってるのわからない。かざしてもうんともすんとも言わない。
「大丈夫だ。開けてくれ」
何がどう大丈夫なのか教えてくれ。
だが、千夏は黙ったまま鍵を外した。
悲劇の少女らを救いたい。その一心で。
恥をさらしたおかげで頭が少し冷えた千夏は改めて2つのアノマリーを観察した。
彼女らはモニター越しではゲームのキャラクターのようだ。しかし、直接見てみると現実の存在であることに驚く。まだ見習いの彼女はいざ目の前に呈されたこの問題に答えを出しかねていた。
実際どのように接すればいいのかわからないのだ。
彼女らはまだ眠っているようだった。コンテナ周りの約1名のバカ騒ぎが一からなかったかのように。博士は近づき脈を取る。脈という概念が彼女らにあるのかを含めての確認だ。
「言葉が通じればいいんだがな」
報告を参考に比較的おとなしいらしい赤紫髪の眠り姫を揺らす。
「博士?いいんですか?」
「なに、肩書としては要件を満たしてる」
博士は研究者と保護の専門家という二つの役職をどちらも持っている。本来未知との邂逅は様々な役職の立ち合いが必要だが、博士単体でそのすべてを満たしていたのだった。財団職員の助手ちゃんは数合わせだ。だからと言ってこの行動が許されるかといわれたら、少し危ういが。
そして千夏の「いいんですか?」は役職云々の話ではなく、さっきまでと打って変わっての雑な行動に疑問を呈してのものだった。いくらなんでもアノマリーに対して不用心すぎる。この子供を救いたい彼女にとっては渡りに船だが、それでも腑に落ちなかったのだ。
「いえ、そうではなくて」
行動のちぐはぐさを指摘してるのだと言おうとした瞬間。
件のアノマリーが目を覚ました。頭上の光輪がチカッとつく。皆既日食のダイヤモンドリングのようだ。
その瞳は深い藍色だった。まるでサファイアのように、硬質な輝きを宿しながらも、怯えた光を滲ませている。
彼女は無言だった。逃げ場がないと知りながら、それでもシートの奥へと身を沈める。
わずかに震える肩。時折、隣のアノマリーを気遣うように視線を向ける。
千夏の脳内で何かがショートした。思考が溶け、言語機能が退化する。
「……だ、だいじょーぶでちゅよー」
目に♡が浮かんでいないのが不思議なくらいだった。
「やはり無害か。医療スタッフを呼ぶ」
見習いの奇行を全無視し博士は無感傷に隣室の社内用電話へ向かうのだった。
「解析等も治療と同時に済ませてしまいます」
「ああ、よろしく頼む」
博士と会話しているのは、医者というより研究者寄りの男だった。それもマッドな。水色がかった白衣はくたびれていて、袖口には古い血の跡が滲んでいる。「治療」と口では言っているが、その目は姉妹を半ば「観察対象」として見ているようだ。
3/日もの麻酔投与という尋常ではない経験をしている姉妹は、意識の霞むままハイテクストレッチャーに横たえられている。拘束は形式的に緩められていたが、それでも異常者を扱うための特殊な設計を思わせる造りだ。担架はまるで床を滑るように、静かに異常なまでの精密さで進んで別階の医療施設へと運んでいくのだった。
見送って一息ついた博士は助手に向き直る。
「千夏、落ち着いていこうじゃないか。気持ちはわかるが」
手を下に軽く落とすふりをしながら彼は言う。彼女は直情すぎるきらいがあるが今回は過剰だった。
「その、すみません」
彼女は申し訳なくて、肩を下げ顔を少し落としてる。
「いや、謝らなくていい。お前の美点でもあるんだ。だがもう一度確認しよう。私たちの行動理念は?」
「異常な物品や存在、現象を確保(Secure)、収容(Contain)、人類を保護(Protect)……ですよね? 」
「そうだ。私たちの使命はSCP (or SCiP)―――不可解で不条理で不可能な人類に恐怖をもたらす存在の総称を、特別収容プロトコル (Special Containment Procedures) によって確保、収容、保護すること。そして、それを秘匿し、人々が“正常”に生きられるようにすることだ。」
博士は千夏をじっと見据え、言葉に重みを込めるように続ける。
「お前も何度も聞いたことがあるだろう。We S and C to P from SCP with SCP .」
彼女はわずかに目を見開いた。財団に入って以来、何度となく聞かされてきた常套句。見慣れたはずの言葉が、今になってじわじわと意味を持ち始める。
「私、向いてるんでしょうか」
いつになく覇気のない声で言った。思い返せば思い返すほど、先ほどの行動はSCP財団の一職員としてふさわしいものではなかった。 彼女は現在自信喪失中だ。萎れてる。
「まあ、なんだ。今回に関してはお前がちょうどいい気がするがな」
わざと「は」の部分を博士は強調する。ほめてるように見えて追撃でもある。死体蹴りだ。
でも実際彼は確信していた。今回のアノマリーは千夏に向いていると。
「え、何ですかその言い方。『気』って。」
彼女は博士のイギリス人らしい皮肉に気付かない。別の部分が引っ掛かったようだ。
「”勘”だ。”簡”単なことさ。(A ”hunch”. As easy as cake, really. )」
「……いや、全然うまくないですけど。なんですかそれ。」
言葉に反して少し笑顔が戻ったようだった。彼のなれないジョークは何とか成功を収めたようだった。それとも、不器用ながらも元気づけようとする彼の態度そのものが、彼女には響いたのかもしれない。
千夏の手にはまだ先ほどの2錠の薬が握られていた。
—————————————————————————————————————————————
諸君は、魔法や錬金術が使えたらと夢想したことはないだろうか。
異世界からの侵略者や、不死の怪物が実在したらと考えたことは?
あるいは、この世界にはまだ解明されていない“何か”が潜んでいるのではないかと。
それは、単なる空想では済まされない現実なのだ。
我々の世界には、科学では説明できない現象が確かに存在する。
だが、人々はそれを知らない。
それは、知らされていないからだ。
その影で活動し、人類社会の“正常性”を維持する組織がある。
SCP財団
表向きには存在しない機関。だが、その影響は確かに世界を動かしている。
国家の枠を超え、あらゆる異常を秘匿し、管理し、収容する。
彼らの使命は、たった三つの言葉に集約される。
We secure. We contain. We protect.
確保、収容、保護。
この標語のもと、財団は"理解を超えた脅威"を管理し、人々の安全を守ることを目的としている。
だが、その手法は決して平和的とは限らない。
必要とあらば、
”記録”を抹消し、
“証人”を沈黙させ、
"記憶"を改変し、
"歴史"を書き換え、
"現実"すら歪める。
それはすべて、
"正常な世界"を維持するために。
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この作品は、SCP-127 - 生きた銃(著: Lt Masipag)を基にしており、SCP財団のクリエイティブ・コモンズ・ライセンス(CC BY-SA 3.0)の下に提供されています。