もしもギャンブル研究会の男子高校生が元カノやセフレと一緒に学年ごと異世界転移したら   作:火水希星

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第7話 初めての狩り、謎の少女

「グリーンウルフ?」

 

 海斗はリンクスが出した依頼書を見つめながら首を傾げた。

 

「第十層まで行く通商路の途中にある森に巣食っている魔獣だ。最近、その数が増えて商人の通行の邪魔になっている。討伐して素材を持ち帰れば報酬がもらえる」

 

 リンクスは地図を広げ、都市ファーストリングから伸びる道のある箇所を指さした。そこには「シルバーブランチの森」という文字が書かれている。

 

「危険じゃないの?」

 

 翠が不安そうに尋ねた。

 

「初心者でも対処できる程度のものさ。この辺りでは冒険者の登竜門とされている。魔獣と言っても、大きめの狼程度だ。だが油断は禁物。群れで行動することもあるし、何より見た目よりも頭が良い」

 

 リンクスは腰に差した短剣を確認してから、続けた。

 

「持ち物は最小限にしろ。水筒、応急処置用の包帯、少量の食料、それと練習杖だな。明朝、日の出とともに出発する」

 

 海斗と翠は顔を見合わせた。実戦での魔法の使用は初めての経験になる。

 

「大丈夫だ」

 

 リンクスが励ますように言った。

 

「お前たちの魔法なら、グリーンウルフ程度なら対処できるはずだ」

 

 *****

 

 夜明け前、三人は宿を出発した。まだ薄暗い街を抜け、ファーストリングの北門から出ると、塔内第二層への階段を昇っていく。

 

 昇った先では、雑木林が広がり、遠くにうっすらと山々の輪郭が見えていた。

 

「塔の中に入るのは初めてだ」

 

 三人は北西方向へと歩を進めた。林道はよく整備されており、ところどころに石の道標が立っている。これは主要な通商路なのだろう。

 しばらく歩くと、商人の隊列とすれ違った。荷車を引く獣人たちと、それを護衛する人間の戦士たち。中には塔の住人とは思えない異国の衣装を着た商人もいる。

 

「この世界には塔以外にも都市や国があるの?」

 

「ああ。だがこの塔こそ、あらゆる意味で魔導師にとって最高の環境だ。そのため、ほとんどの魔導師は塔に住むことを好む」

 

 歩くことおよそ二時間。やがて道は徐々に細くなり、両側に木々が増えてきた。

 

「ここからがシルバーブランチの森だ。気をつけろ」

 

 リンクスは短剣を抜き、警戒の姿勢を取った。海斗と翠も練習杖を手に取り、周囲を注意深く見回す。

 森に入ると、急に周囲が静かになった。鳥のさえずりも、風の音も聞こえない。足元の落ち葉を踏む音だけが、不自然なほど大きく響く。

 

「魔獣が近くにいると、他の生き物は逃げるか隠れるかするんだ」

 

 リンクスの低い声が耳元で囁いた。

 

「【風あれ。周りを探り、気配を見つけ出せ(ヴェント・センサリス)】」

 

 彼が呪文を唱えると、微かな風が周囲を巡り始めた。風の探知魔法のようだ。

 

「二時の方向……約三十メートル先に生き物がいる」

 

 リンクスは目を閉じたまま言った。

 

「グリーンウルフか?」

「わからない。だが大型の生物だ。警戒しよう」

 

 三人は慎重に前進した。道を外れ、木々の間を縫うように進む。翠が時折足元の小枝を踏む音が、異様に大きく聞こえた。

 

「待て」

 

 リンクスが突然立ち止まった。前方の茂みが微かに揺れている。

 

「来るぞ」

 

 次の瞬間、緑がかった毛並みを持つ大きな狼が茂みから飛び出してきた。体長は優に二メートルはあり、赤く光る目と鋭い牙が特徴的だ。

 

「グリーンウルフだ!」

 

 リンクスの叫びとともに、魔獣が三人に向かって突進してきた。

 

「【風あれ。突風となり、押し流せ(ヴェント・ガルロシュ)】!」

 

 リンクスの詠唱と同時に、強烈な風がグリーンウルフを吹き飛ばした。魔獣は一度体勢を崩したが、すぐに四本の足で踏ん張り、再び唸り声を上げる。

 

 「一匹だけのようだ。でもこいつが群れに警告を出す前に仕留めないと危険だ!」

 

 リンクスの言葉に、海斗は頷いて杖を構えた。

 

 「【炎あれ(フレイム)】!」

 

 素早く魔法を詠唱した海斗の手から炎の玉が放たれ、グリーンウルフに向かって飛んでいった。しかし獣は俊敏な動きでそれを避け、今度は海斗に照準を合わせて飛びかかってきた。

 

「危ない!」

 

 リンクスが海斗の前に飛び出し、短剣で魔獣の攻撃を受け止める。刃と牙がぶつかり合い、火花が散った。

 

「翠!」

 

 海斗の声に翠が反応する。

 

「【風あれ。刃となって、切り裂け(ヴェント・シャープブリーズ)】!」

 

 翠の杖から放たれた応用風魔法の刃がグリーンウルフの脇腹を切り裂いた。魔獣は悲鳴を上げ、一瞬ひるむ。その隙にリンクスが短剣で追撃し、魔獣の喉元を狙う。

 

「海斗!」

 

「【光あれ。刃となって、舞え(ルーメン・ブレイダン)】!」

 

 リンクスの声でタイミングを合わせた海斗の詠唱とともに、宿でも練習していた光の刃が宙を舞い、グリーンウルフの胸を貫いた。激しく焼き焦げる音がして、魔獣が大きく吼えると、そのまま地面に崩れ落ちる。

 

「やった……」

 

 海斗は安堵の息をついた。しかし、リンクスの表情は緊張したままだ。

 

「まだ気を抜くな。森の中では、一匹倒しても安全とは限らない」

 

 リンクスは素早く魔獣に近づき、短剣でその牙を切り取り始めた。そして背中の毛皮も丁寧に剥ぎ取っていく。その手際の良さは、明らかに経験を積んだ者のものだった。

 

「手伝うよ」

 

 海斗もリンクスの側に膝をつき、指示に従って作業を手伝う。翠は周囲を警戒しながら、時折魔獣の体を観察していた。

 

「これが魔獣の素材……生物学的にとても興味深いわ」

 

 翠は科学者のような目で、グリーンウルフの毛や爪、内部構造を調べていた。

 

「毛が緑色に輝いているのは、体内に風系統の魔力の結晶が含まれているからだ。この毛皮は魔道具の材料として価値がある。牙も同様だ」

 

 リンクスの説明を聞きながら、三人は素材を集め終えた。

 

「さて、あと四匹だ。もっと奥に進もう」

 

 *****

 

 それからさらに一時間、森の中を探索した。グリーンウルフを二匹追加で討伐し、素材を集めることができた。リンクスの指導のおかげで、海斗と翠も少しずつ戦闘のコツを掴んできた。

 

「魔法は思った以上に実戦で役立つな」

 

 休憩中、海斗は水筒から水を飲みながら言った。

 

「魔法は使い方次第だ。基礎魔法でも、使いどころを知れば強力な武器になる」

 

 リンクスは周囲を見回しながら答えた。

 

「でも魔力の消費が激しいわね」

 

「まだ三匹しか倒してないのに、もう魔力が半分以下になってる気がする」

 

「それは経験を積めば改善する。魔力は使うほど増えていくからな。今日の討伐で、お前たちの魔力量も少し増えるだろう」

 

 休憩を終え、三人は再び探索を始めた。しかし、グリーンウルフの姿が見当たらない。

 

「もう少し深く進もう」

 

 リンクスの提案に従い、三人は森の奥へと足を踏み入れた。木々が徐々に密集し、光が差し込みにくくなってきた。

 

「なんだか嫌な感じがするわ……」

 

 翠の呟きを最後に、三人は黙って進んでいく。やがて木々の間から、微かに光が漏れているのが見えてきた。

 

「あれは……」

 

 リンクスが声を潜めて言う。

 

「魔法の光だ」

 

 三人は慎重に近づき、茂みの陰から様子を伺った。そこには小さな開けた場所があり、五人ほどの若者たちが立っていた。彼らは皆、同じデザインの青いローブを身につけ、胸元には星形の刺繍が一つ付いている。

 

「学園の一つ星級魔導師たちだ」

 

 リンクスがささやくような小声で告げる。

 

 魔導師たちは円陣を組み、中央に奇妙な魔物を捕らえていた。それは蜘蛛のような多足の生き物で、体長は優に五メートルはある。墨のように黒い体からは紫の光を放つ模様が浮かび上がっている。

 

「あれは……『影衛(シャドウガーディアン)』。低層では一番強力な魔物の一体だ。なぜ彼らがこんな所で?」

 

 リンクスの疑問に答えるように、魔導師たちの一人が声を上げた。

 

「さあ、実験を始めるぞ。この生きている『影衛(シャドウガーディアン)』の結晶から、どれだけの闇属性魔力が抽出できるか見てみよう」

 

 若い魔導師たちは、何やら複雑な魔法陣を描き始めた。中央の魔物は必死に抵抗しているが、魔法の束縛から逃れられない。

 

「ちょっとあの魔物、かわいそうね……」

 

 翠の言葉が終わらないうちに、魔導師たちの詠唱が始まった。

 

「【|闇を砕き、力を解き放て。結晶の秘めたる力、今ここに顕現せよ《デストラクト・シャドウ・クリスタリス》】!」

 

 五人が同時に唱えた呪文と共に、魔法陣が激しく輝き始めた。魔物の体から紫の光が引き抜かれていく。その瞬間、予想外の事態が起きた。魔物が最後の力を振り絞って暴れ、魔法陣の一部が崩れた。

 

「危険だ! 魔法が不安定になってる!」

 

 魔導師の一人が叫んだ時には既に遅く、魔法陣から紫の光が四方八方に激しく放射され始めた。

 

「伏せろ!」

 

 リンクスの警告に、海斗と翠は地面に身を伏せた。だが、翠の反応が一瞬遅れ、紫の光の一部が彼女の右腕を直撃した。

 

「きゃっ!」

 

 痛みに翠が悲鳴を上げる。彼女の腕には黒い焦げ跡のような模様が浮かび上がっていた。

 

「翠!」

 

 海斗の叫び声に、魔導師たちが振り向いた。爆発のような光は収まり、中央の魔物は消滅していた。魔導師たちは警戒して杖を構えた。

 

「誰だ! そこに隠れているのは!」

 

 抜け出すことができないと判断した海斗たちは、茂みから出た。

 

「【通りすがりの者です。敵意はありませ……】」

 

 たどたどしい魔法語で告げるが、魔導師たちの冷たい視線に言葉が途切れた。

 

「転移者か」

 

 先頭の魔導師が軽蔑するように言った。彼がリーダー格のようだ。二十代前半の、整った顔立ちをした若者だった。

 

「見られてしまったな。厄介だ」

 

「アルフィン、どうする?」

 

 仲間の一人が尋ねると、アルフィンと呼ばれた魔導師は冷ややかな笑みを浮かべた。

 

「構わん。何も分からぬ転移者だろう。放っておけ」

 

「でも、実験を見られたぞ?」

 

「ただの魔物狩りにしか見えない」

 

 彼らは海斗たちのことを完全に無視して話を続ける。翠は腕を押さえて苦しんでいたが、誰も気にしている様子はなかった。

 

「すみません」

 

 海斗が一歩前に出た。

 

「友人が怪我をしています。あなたたちの魔法に巻き込まれてしまったんです」

 

 アルフィンは不機嫌そうに翠を見やった。

 

「勝手に近づいたお前らが悪い。一つ星級魔導師の実験場に、許可なく近づくな」

 

「でも、これは……」

 

「黙れ」

 

 アルフィンの言葉に、海斗の怒りが湧き上がった。しかし、リンクスが彼の肩に手を置き、止めた。

 

「すみません、私たちが悪かったです。どうか友人の怪我を治す方法を教えていただけませんか」

 

 リンクスの冷静な対応に、アルフィンは再び翠を見た。今度はゆっくりと、彼女の姿を隅々まで眺める。彼の目が変化した。

 

「なるほど……」

 

 アルフィンは他の魔導師たちに何かを囁き、彼らも翠を見て頷いた。

 

「実はな、あの魔法に巻き込まれると、特殊な魔力汚染が起こる。放置すれば手の感覚が失われ、最悪の場合、腕全体が腐敗するぞ」

 

 翠の顔から血の気が引いた。

 

「治療法は?」

 

 海斗が冷静に尋ねる。

 

「我々の拠点には専用の浄化装置がある。そこで処置をすれば完治するだろう」

 

 アルフィンの態度が一変し、にこやかな笑顔を浮かべる。

 

「よかったら案内しよう。ちょうど森の外れに我々の臨時拠点があるんだ」

 

「本当ですか?」

 

 翠は苦しみながらも喜んだが、リンクスの表情は硬いままだった。

 

「行くべきではない」

 

 リンクスがささやくように海斗に言った。

 

「だが翠の腕が……」

 

「嘘だ。彼女の怪我は火傷程度だ。彼らが目をつけたのは翠の美貌だ」

 

 リンクスの警告に、海斗はアルフィンたちの表情を改めて見た。確かに、彼らの目には下品な欲望が宿っていた。

 

「お嬢さん、早く治療しないと取り返しのつかないことになる。さあ、わたしの手をとって」

 

 アルフィンが翠に近づいてきた。翠は不安そうな顔で二人を見た。

 

「わたし、行きたくありません」

 

 翠の言葉に、アルフィンの表情が一瞬凍りついた。

 

「何?」

 

「あなたたちを信用できません」

 

 翠の言葉に、魔導師たちの表情が変わった。アルフィンの目が冷酷に細められる。

 

「生意気な……一つ星級魔導師を侮辱したな?」

 

 アルフィンの背後で、他の魔導師たちも魔力を漲らせ始めた。海斗は直感的に危険を感じ、翠の前に立ちはだかった。

 

「彼女が嫌がっている。治療は結構だ」

 

「黙れ!」

 

 アルフィンが杖を掲げた。

 

「我々の好意を蹴るとは。身の程知らずが!」

 

 リンクスが海斗の耳元で囁いた。

 

「俺が囮になる。お前は翠を連れて逃げろ。彼らは一つ星とはいえ、俺たちとは格が違う魔導師だ。勝てる相手ではない」

 

「だが……」

 

「合図を待て」

 

 有無を言わせず、リンクスは一歩前に出た。

 

「皆さん。この子たちはまだ転移して間もない。無礼は許してやってください」

 

「お前も転移者か?」

 

「いいえ、案内人です」

 

 その瞬間、リンクスの目が海斗に合図を送った。

 

「今だ!」

 

 リンクスが叫ぶと同時に、彼は懐から何かの粉を取り出し、魔導師たちに向かって撒き散らした。粉が空中で爆発し、瞬く間に辺りが煙に包まれる。

 

「こいつっ!」

 

 アルフィンの怒号が聞こえるが、視界は完全に遮られている。

 

「逃げろ!」

 

 リンクスの声に従い、海斗は翠の手を引いて反対方向に走り出した。木々の間を縫うように逃げる二人。翠は腕を押さえながらも必死に足を動かした。

 

「後ろから来る!」

 

 魔導師たちの追跡の気配を感じ、海斗は速度を上げた。だが、なんらかの魔法を使っているのか、明らかに自分たちより速い。

 

 すぐに彼らの詠唱が聞こえてきた。

 

「【風あれ。鎖となり、我が敵を捕らえよ(ヴェント・チェイン・バインダン)】!」

 

 咄嗟に海斗は翠を抱きかかえるように地面に伏せた。頭上を風の鎖が通り過ぎていく。

 

「【炎あれ。渦巻き、敵を焼け(フレイム・ヴォルテクスト)】!」

 

 追っ手の一人が海斗たちめがけて炎の渦を放った。海斗は杖を取り出し、防御の準備をした。

 

「【水あれ。盾となり、守れ(アクア・シェルディオ)】!」

 

 海斗の詠唱と共に水の盾が現れ、炎の渦を受け止めた。だが、一つ星級魔導師の魔法は強力で、水の盾はすぐに蒸発し消えてしまう。

 

「海斗! 逃げて!」

 

 翠が叫んだ。彼女の顔は恐怖で青ざめていた。

 

「リンクスは?」

 

「どこかに行った! 今は逃げるしかない!」

 

 二人は再び走り出した。しかし、魔導師たちとの距離は縮まるばかり。もはや逃げ切れないと悟った海斗は、立ち止まり、翠を後ろに下がらせた。

 

「もう逃げられない。俺が時間を稼ぐから、チャンスがあったら一人で逃げろ」

 

「嫌よ!」

 

 魔導師たちが姿を現した。アルフィンを先頭に、四人が杖を構えて立っている。もう一人は恐らくリンクスと戦っているのだろう。

 

「見つけたぞ」

 

 アルフィンの顔には残忍な笑みが浮かんでいた。

 

「君たちのような無礼者には、それ相応の末路が待っているものだ」

 

 魔導師たちが一斉に詠唱を始めた。海斗は最後の抵抗として杖を構えたが、彼らの魔力量は比較にならない。

 

 ――これは、死んだか……?

 

 ――こんなところで……

 

 ――翠もいるのに……

 

 海斗が諦めそうになった、その時だった。

 

「……楽しそうじゃないですか。何をしてらっしゃるのですか?」

 

 静かで澄んだ声が森に響いた。全員が声のした方向を見る。

 

 そこには一人の少女が立っていた。

 

 長い白色の髪と、深い紫色の瞳を持つ少女。白一色で染め上げた高貴な意匠のローブを身にまとい、その姿はまるで絵画から抜け出てきたかのように美しい。年齢は海斗たちとそう変わらないようだが、その佇まいには圧倒的な存在感があった。

 

 「……何をしてらっしゃるのですか?」

 

 少女は穏やかな口調で繰り返すように言った。その声音には不思議な力が宿っていた。

 

 「お、お前は……い、いえ……あ、あなた様は……」

 

 アルフィンの顔が青ざめた。他の魔導師たちも同様に恐怖の表情を浮かべている。

 

「い、いかがなご都合でこのような辺鄙な所にいらっしゃっているのでしょうか……?」

 

 やっとの事でアルフィンが会話を試みるが、

 

「貴方と会話する気は特にありません」

 

 と、無情な返事が返ってくる。何をしているのかと聞いたのは自分なのだが……と海斗は場違いにも突っ込みたくなる。

 

 少女は微笑みながら一歩前に出た。その瞬間、奇妙なことが起きた。何も起きていないように見えるのに、魔導師たちが一斉に後ずさり始めたのだ。

 

「ひ、ひぃ……」

 

 アルフィンの顔からは血の気が引き、冷や汗が流れている。他の魔導師たちも同様だった。

 

「も、も、も、申し訳ありません、エクレシア卿! 私たちはただ……」

 

「消えなさい」

 

 エクレシアという名らしい少女の一言で、魔導師たちは何も言えなくなり、口を噤む。あれは喋れなくなる魔法をかけられたのか……? 詠唱もしていないのに……

 

 彼らは慌て、そのまま一目散に逃げていった。

 

 海斗と翠は唖然としていた。何が起きたのか理解できない。エクレシアは二人に近づき、優しい笑顔を向けた。

 

「なにやら悪さの現場を見てしまったようですが、無事で何よりです」

 

 その声は風鈴のように清らかだった。

 

 その際、エクレシアは海斗の顔をまじまじと見て、不思議そうに首を傾げた。

 

「似ている……」

 

「え?」

 

「いいえ、何でもありませんよ」

 

 続けてエクレシアは翠に近づき、彼女の腕を見た。

 

「少し怪我をされていますね。治療しましょうか?」

 

「あ、ありがとうございます。ですが出来るお礼が……」

 

「構いません。このような些事で礼などもらわずとも」

 

 翠は緊張した様子で腕を差し出した。エクレシアは優雅な動きで手をかざした。

 

 淡い光が翠の腕を包み込み、黒い模様が徐々に薄れていく。数瞬で、傷は完全に消えていた。

 

「治った……」

 

 翠は驚きの声を上げた。詠唱も無しにあっという間に行われた高度な魔法に、翠は喜ぶ以上に戦慄する。

 

「森で何をされていたのですか?」

 

 それを気にせず行われたエクレシアの質問に、海斗が答える。

 

「魔獣狩りだ。グリーンウルフの素材を集めていた」

 

「なるほど」

 

 そこに、もう一人を撒いたのか、リンクスが駆けつけてきた。彼は息を切らせ、警戒心を隠さずにエクレシアを見つめている。

 

「二人とも無事か!?」

 

「ああ。この子のおかげで」

 

 海斗はエクレシアに丁重に手のひらを向けた。リンクスはさらに警戒の度合いを強めた。

 

「お嬢さん。なんであいつらは、あんな勢いで逃げて行ったんだ?」

 

 エクレシアは小さく笑った。

 

「さあ、不思議な事もあるものですね?」

 

 その答えにリンクスはますます疑念を深めたようだったが、それ以上追及することはなかった。

 

「あなたたちのお名前は?」

 

 リンクスの怪訝な表情を気にした様子もなく、エクレシアが尋ねる。

 

「俺は真木海斗。こちらは久我翠と、リンクスだ」

 

「わたしはエクレシアといいます。普段はもう少し塔の上の方で暮らしています」

 

 塔の上の方――それは彼らが目指している場所だ。

 

「上層ってどんな所なんだ? いえ、なんでしょうか?」

 

 海斗が好奇心に駆られて尋ねてみる。

 

「ふふ、気軽に話していただいて構いませんよ……美しい場所です。外を見れば雲の海が広がり、太陽が近く感じられます。でも、これ以上の説明は、あなた方がご自分の目で見るまでの楽しみにしておきましょう」

 

 エクレシアの言葉に、海斗はつい笑みを浮かべた。

 

「さっきみたいな魔導師たちを見てると、上に行くのが嫌になりそうだったが、あなたのような素敵な女の子もいるなら、頑張る価値がありそうだ」

 

 海斗のちょっとしたユーモアにエクレシアは目を輝かせ、微笑んだ。

 

「ふふっ、わたしも素敵な出会いがあったようで、何よりです。せっかくですし、あなたとはお友達になりたいですね」

 

 その言葉は純粋で無邪気だった。けれども、翠の表情がなぜか不機嫌そうになる。

 

「おモテになるようで大変結構ね」

 

 翠の皮肉に、海斗は苦笑いを浮かべた。

 

「いや、そんなつもりは……」

 

「冗談よ」

 

 翠は笑ったが、その笑顔は少し硬かった。

 

「海斗さん、これからどうされるのですか?」

 

 エクレシアの質問に、海斗は答えた。

 

「半年後にアストラル・アカデミアの入学試験を受ける予定だ。それまでに魔法の練習と、入学金を貯めなきゃいけない」

 

「そうですか。頑張ってくださいね」

 

 エクレシアは何かを思いついたように、小さな袋を取り出した。

 

「これを持っていってください。少しでもお役に立てば」

 

 それは小さな水晶が入った袋だった。

 

「これは?」

 

「特殊な水晶です。魔力を高める効果があります。売るよりは、使う事をお勧めします」

 

 海斗は、礼を言って受け取った。

 

「ありがとう……なにかお礼をする方法があれば……」

 

「いえ、お気になさらず。敢えて言うなら……いつか、もっと素敵な場所でお会いできることを楽しみにしています」

 

 エクレシアが微笑むと、ふわりと花の香りが広がるような感覚を海斗は感じた。

 

「それでは、私はこれで」

 

「もう行くのか?」

 

「はい。用事がありますので」

 

 エクレシアは一度振り返り、海斗を見つめた。

 

「また会える日を楽しみにしています、海斗」

 

 そう言うと、彼女は一瞬で魔法陣に包まれ、姿を消した。まるで幻だったかのように。

 

「……変わった子だったな」

 

 海斗は呟いた。リンクスはまだ警戒の色を隠さない。

 

「……只者じゃないぞ。学園の一つ星魔導師たちがあれほど恐れるという事は……」

 

「でも、私たちを助けてくれたのは事実よね」

 

 翠の言葉にリンクスは渋々頷いた。

 

「とにかく、今日はもう引き上げよう。素材は三匹分しか集まらなかったが、もう十分だ」

 

 三人は森を後にした。帰り道、海斗はエクレシアからもらった水晶を眺めていた。それは不思議な青い光を放っている。

 

「……あの子の事が気になるの?」

 

 翠の声には微妙な感情が混じっていた。

 

「何だか超常的な存在だったな。魔法も使わずにあんな魔導師たちを怯えさせるなんて」

 

「あなたの事がお気に召したようね」

 

 翠の皮肉に、海斗は苦笑いした。

 

「……まさか」

 

「でも『似ている』って言ってたわ。誰に似てるのかしら」

 

「さあ……」

 

 実は海斗もその言葉が気になっていた。エクレシアの目に映った「似ている」相手とは、誰なのだろう……

 

 *****

 

 宿に戻った三人は、素材の整理と報酬の計算をした。三匹分の牙と毛皮で三銀貨。一人あたり一銀貨ずつ分けた。初めてにしては悪くない成果だが、翠が怪我までしたにしては安い気もするな、と海斗は一人内省する。

 

「先に休むわ」

 

 翠は疲れた様子で自室に戻っていった。流石に精神的に消耗したのだろう。

 

 共用スペースに残った海斗とリンクスは、静かにお茶を飲んでいた。

 

「リンクス、あのエクレシアって、どんな人物なんだろう?」

 

「さてな。俺が知らないが彼らが知っていたという事は、何か情報の統制がされている人物な可能性が高い。間違いなく上層の人間だろう。そして、並外れた力を持っている……」

 

 リンクスは考え込むように言った。

 

「そんな偉いといってもいい人物が、なぜ俺たちなんかを助けてくれたんだ?」

 

「分からない。だが、何やらお前に関心を示していたな」

 

 海斗はエクレシアからもらった水晶を再び取り出した。青い光を放つ小さな結晶。

 

「これは本当に魔力を高める水晶なのか?」

 

「見せてみろ」

 

 リンクスは水晶を手に取り、慎重に観察した。

 

「これは……『天澄水晶』だ。非常に希少な水晶で、魔力を込めると、逆に使用者の魔力を大きく高める効果がある。どこで手に入るかも不明とされる、希少なものだ。売れば金貨どころでは済まないぞ……」

 

「そんな貴重なものを……」

 

「これだけの量でも、値段にすれば、十金貨はするだろう」

 

 その額に海斗は驚いた。日本円にして一千万円くらいだと理解できる額だ。彼らの今の財産全てを合わせても到底足りない。

 

「なぜそんなものをくれたんだ?」

 

「さあな。だが、警戒したほうがいい。この世界では、見返りなしに価値あるものを与える者はいない」

 

 リンクスの言葉に、海斗は黙って頷いた。

 

 エクレシアという謎の少女との関わりが出来た事は、場合によっては逆に危険にもつながるだろう。慎重な対応が必要だ、と海斗は分析する。迂闊にこの水晶を売るなどといった振る舞いは避けるべきだろう。

 

「……とにかく、今日の経験は貴重だった」

 

 リンクスが立ち上がり、言った。

 

「一つ星級魔導師でさえあれほど強いとなると、半年後の試験までにはかなりの修行が必要だな。ましてや、エクレシアとかいう少女の領域にまで近づきたいなら……」

 

「ああ」

 

 海斗は窓の外、聳えるアクラニスの塔を見つめた。あの頂に向かう道のりは、想像以上に厳しいものになるかもしれない。

 

 だが、今日出会ったエクレシアの存在は、不思議と彼の心に希望と、そして活力を灯していた。

 

 あんなとんでもない少女がいる世界……

 自分もそこに仲間入りする未来が、果たして来るのだろうか……?

 

 海斗は一人、黙って塔の雲の上を眺めるのだった。

 

 ――それにしても……

 ――とんでもない美少女だったな。地球でも見た事がないほどの……

 

 海斗は、エクレシアの人外的と言ってもいいほどの異常な容姿の良さに、惹かれると同時に、恐れすらも感じていた。

 

 ――ま、雲の上の存在か。

 

 海斗はいったんエクレシアの事を忘れようとしたが、それでもあの美しい白髪や、宝石のような紫瞳の輝きが、目に焼き付いたように残っていたのだった……

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