もしもギャンブル研究会の男子高校生が元カノやセフレと一緒に学年ごと異世界転移したら   作:火水希星

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第8話 配達の仕事、特別な実技試験

 朝、海斗が目を覚ますと、部屋の窓から差し込む朝日が壁に優しい光の模様を描いていた。昨日の森での冒険から得た疲労感が、まだ体の隅々に残っている。彼はベッドに横たわったまま、シルバーブランチの森で起きた出来事を思い返していた。

 

 グリーンウルフとの戦い。学園の一つ星級魔導師たちとの対立。そして、彼らを圧倒的な力で怯えさせた謎の少女、エクレシア――

 

「なんだったんだろうな、あの子は……」

 

 海斗は投げかけるように呟き、ゆっくりと身を起こした。窓の外に広がる景色はもう慣れ親しんだものだった。異世界に来て一か月が経ち、街並みの風景はもはや異物ではなく、日常の一部となっていた。

 

 しかし、アクラニスの塔は相変わらず圧倒的な存在感を放っている。どこまでも伸びるその姿は、まるで世界の中心軸であるかのように聳え立ち、海斗たちの目標を象徴していた。

 

 洗面所で顔を洗い、身支度を整えた後、海斗は小さな共用スペースに向かった。そこには既にリンクスがいて、何やら地図を広げていた。見ると翠の姿はまだ見えない。

 

「おはよう」

 

「ああ、海斗か。よく眠れたか?」

 

 リンクスは顔を上げ、海斗を見た。どこか疲れた表情だが、彼の目は相変わらず鋭い光を放っている。

 

「まあな。翠は?」

 

「まだ部屋にいるようだ。昨日の怪我の影響もあるだろう」

 

 そう言うと、リンクスは地図に戻った。それは昨日と同じ地図ではなく、都市ファーストリング全体を示すより詳細なものだった。各所に印が付けられており、何かを計画しているようだった。

 

「何を調べてるんだ?」

 

「稼ぎのいい仕事を探している。グリーンウルフの討伐は臨時の収入源としては悪くないが、アカデミアの入学金である四金貨を稼ぐには、もっと効率のいい方法が必要だ」

 

 確かにその通りだった。今のペースでは、入学金を貯めるだけでも一年以上かかってしまう。

 

「何か見つかったか?」

 

「いくつか候補はある。塔の十層あたりには商業街があり、そこの護衛の仕事なら日当で三銀貨ほど稼げる。ただし、その分危険も大きい」

 

 リンクスは地図上の印を指しながら説明した。

 

「他には塔内郵便の仕事もある。第一層から第三十層の間で荷物や手紙を運ぶ仕事だ。これなら一日二銀貨程度になる」

 

「ふむ……」

 

 海斗は思案に耽った。どちらの仕事も魔法の修行を続けながらでは厳しいかもしれない。時間とお金と修行、全てを手に入れるのは難しそうだ。

 

「おはよう……」

 

 階段から翠の声が聞こえた。彼女は髪をまとめ直した姿で現れた。昨日の戦いで汚れた白衣は脱ぎ、代わりに簡素な異世界風の上着を羽織っている。

 

「調子はどうだ?」

 

「だいぶ良くなったわ。エクレシアの治療魔法がすごかったのね」

 

 翠は昨日怪我をした右腕を見せた。黒い模様は完全に消え、きれいな肌が戻っていた。

 

「そういえば、今日は何をするの?」

 

 翠の質問に、リンクスが地図を指し示した。

 

「仕事探しと、魔法の修行をする予定だ。海斗と俺で仕事を探し、夕方からは三人で魔法の練習をしよう」

 

 その案に二人とも頷いた。朝食を終えると、海斗とリンクスは仕事探しへ、翠は魔法語の学習のために宿に残ることになった。翠は発音誘導装置を使って魔法語の発音練習を集中的に行うという。

 

 *****

 

 午前中、海斗とリンクスはファーストリングの中心部へと向かった。通りには様々な種族の人々が行き交い、活気に満ちている。店先では商人たちが声高に商品を宣伝し、時折魔法を使った見世物も行われていた。

 

「ここが郵便窓口だ」

 

 リンクスが指し示したのは、中央広場の一角にある石造りの小さな建物だった。その前には数人の若者たちが列を作っている。どうやら仕事に応募する人々のようだ。

 

「かなり人気のようだな」

 

「ああ。危険が少なく、報酬も安定しているからな」

 

 二人は列に並び、順番を待った。しばらくすると、中から老婆が出てきて、順番に面接らしきものを始めた。リンクスが先に応募し、続いて海斗も挑戦してみることにした。

 

 リンクスの面接は短く終わり、海斗の番が来た。

 

「貴様は転移者だな?」

 

 老婆は鋭い目で海斗を観察した。

 

「ええ、そうです」

 

「魔法は使えるか?」

 

「基礎魔法なら少しは」

 

 老婆は何か考え込むように頷いた。

 

「では、明日の朝、ここに来い。試験的に仕事を与えよう。一週間の試用期間だ。結果次第では正式に雇ってやる」

 

 思いがけない成功に、海斗は感謝の言葉を述べた。

 

 次に二人が向かったのは、護衛を募集している商会だった。商会の建物は立派で、塔の住人の中でも富裕層が利用する場所のようだった。

 

 ここでも同様に面接が行われたが、結果はリンクスのみ採用となった。海斗はまだ実戦経験が足りないという理由で断られてしまった。

 

「仕方ないさ。まずは郵便配達からだな」

 

 海斗はあまり落胆せずに受け入れた。むしろ、リンクスが護衛の仕事を得られたことを素直に喜んだ。

 

「商会の護衛は三日に一度の仕事だが、それでも一回で十銀貨になる。お前の仕事と合わせれば、かなりの収入になる」

 

 リンクスの言葉に、希望が湧いてきた。このペースなら、半年後の入学試験までに、何とか入学金を揃えられるかもしれない。

 

 昼過ぎ、二人は街の市場を巡り、昼食の食材を買い集めた。宿には簡素な調理場があり、自分たちで料理ができる。肉と野菜、そして香辛料を購入し、宿に戻る途中、海斗はふと立ち止まった。

 

「どうした?」

 

「あれは……」

 

 海斗が目を細めて見た先には、見覚えのある姿があった。辰巳拓海だ。彼は数人の仲間と共に、人通りの少ない路地から出てきたところだった。辰巳の顔には薄い傷跡がつき、どこか疲れた表情を浮かべている。

 

「辰巳……」

 

 名前を呼ぼうとした瞬間、リンクスが海斗の腕を引いた。

 

「あんな不良連中に関わるな。何やら怪しげな仕事をしているようだ」

 

「そう見えるな。でも、奴も同じ学園の……」

 

「今は違う。この世界では、みんな自分の生きる道を選んでいる」

 

 辰巳たちは海斗に気づかないまま、反対方向へと歩いていった。その背中を見送りながら、海斗は複雑な思いを抱いた。同じ学園の生徒として、それでも声をかけるべきだったのか。

 

 だが、リンクスの警告は正しいのかもしれない。辰巳の集団は、正当な手段で稼いでいるようには見えなかった。

 

 宿に戻ると、翠が共用スペースで魔法語の練習をしていた。発音誘導装置を首にかけ、一心不乱に単語を詠唱している。

 

「只今」

 

 海斗の声に翠は振り返り、装置を外した。

 

「お帰り。どうだった?」

 

「俺は郵便配達の仕事が決まった。リンクスは護衛の仕事だ」

 

「それは良かったわ!」

 

 三人は昼食の準備をしながら、今後の計画について話し合った。

 

「魔法の練習も怠れないぞ」とリンクス。「半年後の試験に合格するには、基礎魔法の五属性を完全に習得し、ある程度の応用魔法を使いこなせるレベルに達する必要がある」

 

「応用魔法か……結構ハードルが高いな」

 

 海斗は考え込んだ。基礎魔法である「【光あれ(ルーメン)】」や「【炎あれ(フレイム)】」などは既にある程度使いこなせるようになっていたが、応用魔法となると別だ。魔力の制御がより複雑になり、詠唱も長くなる。

 

「頑張るしかないわね。私は治療魔法を習得したいわ。昨日の件もあるから」

 

 昼食後、海斗は自室に戻り、エクレシアからもらった天澄水晶を取り出した。手のひらに載せると、青い光が柔らかく輝いている。リンクスの話では、この水晶に魔力を注ぎ込むと、使用者の魔力を高める効果があるという。

 

 リンクスと翠と話した結果、この水晶は海斗が自由にして構わないという話になった。

 これを貰ったのは、明らかにエクレシアが海斗に個人的関心を向けたからだったからだ。

 

「やってみるか……」

 

 海斗は手に水晶を握り、集中した。「【光あれ(ルーメン)】」の詠唱法と同じように、魔力を水晶に向けて流していく。

 

 すると、水晶が強く輝き始めた。青い光が徐々に強まり、やがて海斗の体を包み込むように広がる。温かい感覚が全身を巡り、何かが解放されるような感覚を覚えた。

 

 数十秒後、光が収まると、水晶はさっきよりもっと深い青色に変わっていた。そして、海斗自身の体の中に、何かが増えたような感覚があった。魔力が増大し、より自由に操れるようになったような……

 

「これは……すごい」

 

 海斗は試しに「【光あれ(ルーメン)】」を唱えてみた。すると、これまでよりもずっと大きく明るい光の球が現れ、部屋全体を照らした。維持時間も大幅に伸び、三分近く持続した。

 

 これは予想以上の効果だった。エクレシアからの贈り物は、本当に価値のあるものだったのだ。

 

 海斗はその水晶をしばらく眺め、やがて使用済みのそれを元の袋に戻した。こんな貴重な品を無償で与えた彼女の動機が、どうしても理解できない。

 

「似ている……か」

 

 エクレシアが言ったあの言葉も謎のままだった。自分は誰に似ているというのだろう。いつか再会して、直接聞きたいと思った。

 

 *****

 

 その日の夕方、三人は宿の裏手にある小さな空き地で魔法の練習を行った。リンクスの指導の下、海斗と翠は基礎魔法の制御を磨き、応用魔法への足がかりを学んでいった。

 

「応用魔法の核心は、基礎の組み合わせと魔力の流れの制御にある」

 

 リンクスは杖を構え、説明した。

 

「例えば、風と光を組み合わせれば、『光の矢(ルーメン・アロー)』のような魔法が可能になり、風と水なら『氷の矢(アイス・アロー)』も作れる」

 

 彼はゆっくりと魔法陣を描き、「【|風よ、光を纏いて飛べ。矢となり、標的を貫け《ヴェント・ルーメン・アロー》】」と詠唱した。すると、輝く光の矢が空中に現れ、リンクスが指さした木の的に命中した。

 

「さあ、挑戦してみろ」

 

 海斗も同様の魔法陣を描き、「【|風よ、光を纏いて飛べ。矢となり、標的を貫け《ヴェント・ルーメン・アロー》】」と詠唱した。天澄水晶の効果もあってか、彼の魔法陣はこれまでより鮮明に輝いた。しかし、魔力の制御が難しく、現れた光の矢は的を外れて地面に突き刺さった。

 

「惜しい。方向の制御に集中するんだ」

 

 翠も挑戦するが、彼女の場合は魔法陣から矢が形成される前に魔力が散ってしまった。

 

「難しいわね……」

 

「慣れだ。毎日少しずつ練習すれば、必ず上達する」

 

 三人は暗くなるまで練習を続けた。何度も失敗を繰り返しながらも、少しずつ進歩を実感できた。特に海斗は天澄水晶の効果で魔力量が増えたことで、より長時間の練習が可能になっていた。

 

 夜が更けて宿に戻ると、三人は疲れ切っていたが、充実感も感じていた。

 

「明日から仕事が始まるから、早く休もう」

 

 リンクスの言葉に、海斗と翠も頷いた。

 

 部屋に戻った海斗は、窓から見える塔を眺めながら考えた。入学試験までの道のりは険しいが、確かな一歩を踏み出している実感があった。

 

 エクレシアの姿も脳裏に浮かんだ。あの不思議な少女と再会する日がくるのだろうか。そして、「似ている」という言葉の意味は何なのか。

 

 様々な思いを胸に、海斗は目を閉じた。明日からは郵便配達の仕事が始まる。魔法の修行と並行して、入学金を稼がなければならない。厳しい日々になるだろうが、確かな目標がある以上、乗り越えていけるはずだ。

 

 *****

 

 翌朝、海斗は早くに起き、郵便窓口へと向かった。まだ薄暗い中、広場には既に何人かの配達人たちが集まっていた。中央には昨日の老婆が立ち、指示を出している。

 

「転移者か。こちらへ来なさい」

 

 老婆が海斗を呼び、荷物の束を手渡した。

 

「これを第二十層の図書館に届けるのだ。地図はここにある。迷子になるな」

 

 海斗は荷物を受け取り、地図を確認した。第二十層というのはかなりの高さだ。塔を上った先には、彼がまだ見たことのない世界が広がっている。

 

「はい、わかりました」

 

 海斗は緊張しながらも、任務を引き受けた。これは仕事であると同時に、塔の上層を探索する初めての機会でもある。

 

 中央広場から塔の正面入口へと向かう。アクラニスの塔の入口は巨大な門で、常に守衛が立っている。海斗が配達員の証明書を見せると、彼らは無言で頷き、通してくれた。

 

 塔の内部は想像以上に広かった。螺旋状の大階段が各層のどこかにあり、その周りを様々な部屋や廊下、あるいは大自然の空間が囲んでいる。

 

 海斗は第一層から続く階段を上り始めた。第一層から第二十層までは、かなりの距離がある。地図に従い公道を進んでいくと、途中、他の配達員や塔の住人たち、商人などとすれ違う。様々な種族や職業の人々が、忙しそうに行き交っていた。

 

 第五層、第十層と上るにつれ、周囲の環境が変化していく。第十層あたりからは、商業地区が広がっていた。豪華な店舗が並び、裕福そうな人々が買い物をしている。これは森で出会った一つ星級魔導師たちが住む層なのだろうか。

 

 さらに上ると、第十五層からは学術的な雰囲気が漂い始めた。書店や研究施設が増え、知識人らしき人々が多く見られるようになる。

 

 そして、第二十層に到着した時、海斗は息を呑んだ。そこには巨大な図書館が広がっており、見渡す限りの書架が整然と並んでいた。天井は高く、そこからは不思議な光が差し込み、全体を柔らかく照らしている。

 

「すごい……」

 

 海斗は思わず呟いた。これほどの規模の図書館は見たことがなかった。

 

 受付に向かい、荷物を渡すと、若い司書が確認作業を行い、署名した。

 

「ありがとう、配達員」

 

 司書は微笑んで言った。海斗は配達完了の証明書をもらい、周囲を見回した。少しばかり、この図書館を探索したい誘惑に駆られたが、任務優先だ。早く戻って次の仕事を受けなければならない。

 

 帰り道、海斗は第二十層から見下ろす風景に魅了された。ここからは塔の外の景色も一部見えており、地上とは違う視点でファーストリングの街を眺めることができた。そして遠くには、まだ自分が踏み入れたことのない無数の層が上へと続いていた。

 

 ――あれほどの図書館があるなら、魔法の知識も豊富に集められているはずだ。

 

 ――いつか自由に利用できる日が来るのだろうか……

 

 海斗はそんな思いを抱きながら、階段を下り始めた。初めての配達は成功し、塔の上層への好奇心も一層強まった。

 

 窓口に戻ると、老婆は満足げに頷いた。

 

「悪くない。次の仕事も用意してある」

 

 その日、海斗は合計三回の配達を行った。第二十層の図書館、第十二層の商会、そして第七層の鍛冶工房。いずれも無事に完了し、一日の終わりには二銀貨を手にすることができた。

 

 宿に戻ると、既に翠が待っていた。彼女は一人で魔法の練習をしていたようだ。

 

「お帰り。どうだった?」

 

「思った以上に面白かったよ」

 

 海斗は今日見た塔の内部の様子を翠に話して聞かせた。特に第二十層の巨大図書館については詳しく説明した。

 

「私も行ってみたいわ。そんな図書館なら、魔法の研究に役立つものがたくさんありそう」

 

「ああ、時間があれば一緒に行こう」

 

 リンクスはまだ戻っていなかった。彼の護衛の仕事は、もう少し長引くようだった。

 

 その夜、海斗は一日の疲れを感じながらも、充実感に満ちていた。いつかこの郵便配達の仕事も卒業し、上層での生活を送る日が来るはずだ。そのために、今は目の前の仕事と魔法の修行に集中しなければならない。

 

 天澄水晶を再び取り出し、静かに魔力を注ぎ込む。青い光が部屋を優しく照らし、海斗の心に静かな決意を灯した。

 

 半年後の試験。そして、いつかは塔の頂点へ――

 

 海斗は光る塔を見上げながら、そっと呟いた。

 

「必ず、上に行くぞ」

 

 窓の外では、アクラニスの塔が無言で彼を見つめ返していた。

 

 それから一週間が経ち、海斗は郵便配達の仕事に慣れていった。毎日三、四件の配達をこなし、塔の第三十層までの様々な場所を訪れた。上層へ行くほど、見たこともないような建物や施設、そして驚くべき魔法の光景に出会った。

 

 特に印象的だったのは、第二十五層の魔法道具博物館だった。そこには古今東西の魔法道具が展示されており、中には地球のものに似た道具も見られた。別世界とアクラニスの塔の間には、何らかの繋がりがあるのかもしれない。

 

 一方、夕方からの魔法の練習も順調に進んでいた。リンクスの指導の下、海斗と翠は基礎魔法から徐々に応用魔法へと進み始めていた。特に海斗はエクレシアからもらった天澄水晶のおかげで、魔力量が増え、成長が加速していた。

 

 今日も仕事を終え、海斗は宿に戻る途中だった。夕暮れの街は、帰路につく人々で賑わっている。

 

「真木じゃないか」

 

 声をかけられて振り返ると、そこには七瀬玲奈の姿があった。彼女は麻葉学園の生徒会長で、「生存協議会」のリーダーだった。

 

「会長……久しぶりだな」

 

「元気にしていたか?  宿舎を出た後、お前の姿を見なかったから心配していた」

 

 玲奈は変わらず凛とした雰囲気を漂わせていたが、少し疲れた様子も見える。

 

「俺は郵便配達の仕事をしているんだ。塔の中を走り回っているよ」

 

「そうか、それは良かった。我々も何とか生活の基盤を作れたところだ」

 

 玲奈によれば、生存協議会のメンバーは市場で働いたり、工房の助手をしたりと、それぞれ仕事を見つけていたという。彼らは住居も確保し、共同生活を送っていた。

 

「みんな元気にしてるか?」

 

「ああ、ほとんどは無事だ。でも……」

 

 玲奈の表情が暗くなった。

 

「何人か、行方不明になった者がいる……」

 

 その言葉に、海斗は眉をひそめた。

 

「気をつけてくれ。俺も転移者狩りの噂は聞いている」

 

「ありがとう。あなたも注意して」

 

 玲奈とはそれ以上話す時間もなく、別れることになった。彼女は仲間たちと合流するため急いでいるようだった。

 

 宿に戻ると、リンクスが共用スペースで待っていた。彼の表情は真剣で、何か重要な話があるようだった。

 

「どうした、リンクス?」

 

「海斗、ちょっと聞いてほしいことがある。翠も呼んでくる」

 

 リンクスは翠の部屋に行き、彼女を呼んできた。三人が揃ったところで、リンクスは声を潜めて話し始めた。

 

「護衛の仕事で上層の話を耳にした。どうやら、アストラル・アカデミアの入学試験に向けた特別予備試験が一ヶ月後に開催されるらしい」

 

「特別予備試験?」

 

「ああ。これは通常の入学試験前に行われる選抜試験だ。これに合格すれば、本試験の受験料が免除されるだけでなく、学費の補助も受けられる可能性がある」

 

 この情報に、海斗と翠は顔を見合わせた。大きなチャンスだ。

 

「その予備試験、どんな内容なんだ?」

 

「詳細はまだわからないが、実技試験があるらしい」

 

 リンクスの説明に、海斗は考え込んだ。一ヶ月後――かなり厳しいスケジュールだが、挑戦する価値はあるだろう。

 

「俺は受けてみるつもりだ」

 

「わたしも」

 

「だろうな」

 

 リンクスは地図を広げた。そこには第三十層が詳細に描かれており、アカデミアの位置が印されていた。

 

「試験はここで行われる」

 

 三人は今後の修行計画を立て始めた。特に応用魔法の習得が急務だ。海斗は「【光よ、刃となれ。敵を貫け(ルーメン・ブレイド・ピアス)】」という光の魔法を、翠は「【風よ、盾となれ。危険を払え(ヴェント・シールド・ディスペル)】」という防御魔法の習得を目指すことにした。

 

「時間がないからな。今日から練習の密度を上げる。朝も仕事の前に一時間、夜も三時間は練習しよう」

 

 リンクスの厳しい計画に、二人とも頷いた。予備試験に合格すれば、本試験の心配が大幅に減る。何としても合格したい。

 

 *****

 

 翌日から、三人の生活はさらに忙しくなった。海斗は明け方に起き、朝の練習をこなし、その後郵便配達の仕事へ。仕事の合間にも、配達先で待たされる時間などを利用して、呪文の暗記や魔力の調整を試みた。

 

 夜には三人で宿の裏庭に集まり、時には深夜まで練習を続けた。その甲斐あって、少しずつだが応用魔法の形が見えてきた。

 

「それにしてもあなたの進歩には驚くわ」

 

 翠が海斗の部屋の扉を開け、中をのぞいた。

 

「あの水晶、本当に効果があるのね」

 

「ああ。俺自身も驚いている」

 

 海斗は天澄水晶を見せた。かつての淡い青から、使用済みの今では深いサファイアのような色に変わっていた。

 

「でも、なぜエクレシアがこんな貴重なものをくれたのか……」

 

「……あの子のこと、気になる?」

 

 翠の問いに、海斗はしばらく黙ってから答えた。

 

「気にならないといえば嘘になる。あの子との出会い……ただの偶然じゃない気がする」

 

「そう」

 

 翠は何か言いたそうにしながらも、言葉を飲み込んだ。

 

「ともかく、魔法の修行に集中しましょう。一ヶ月後が勝負よ」

 

 そう言って翠は部屋を後にした。扉が閉まる瞬間、彼女の表情には何か複雑なものが浮かんでいたように海斗には思えた。

 

 *****

 

 時は流れ、予備試験までの日々は矢のように過ぎていった。仕事と修行の日々で、海斗は少しずつ魔力と技術を高めていった。

 

 ある日、第二十七層への配達の帰り道、海斗は偶然、見覚えのある人物に出会った。エルフのような尖った耳を持つ少女、ミラだ。彼女は以前、賭博場で情報を与えてくれた情報屋だった。

 

「久しぶりね、転移者くん」

 

 ミラは微笑んで言った。彼女はファーストリングの闇市場のことも知っていた人物だ。

 

「ミラか。久しぶりだな」

 

「郵便配達の仕事、順調?」

 

「ああ。それなりにね」

 

 ミラは周囲を見回してから、海斗に近づいて小声で言った。

 

「アカデミアの予備試験を受けるつもりでしょ? 気をつけなさい。黒翼会が転移者の中から優秀な人材を選別してると噂されてるわ」

 

 黒翼会――再びその名前が出てきた。海斗は眉をひそめた。

 

「何か知ってることがあれば、教えてくれないか?」

 

「情報には対価が必要よ」

 

 ミラはにやりと笑った。海斗は少し考えてから、ポケットの中から銀貨を取り出した。

 

「これでどうだ?」

 

「安いわね」

 

 しかし、ミラはそれを受け取り、周囲を再度確認してから話し始めた。

 

「黒翼会は上層の魔導師たちが中心になって組織された研究集団よ。公式には存在を認められていないけど、かなり強い力を持ってる。彼らの研究は多岐に渡るけど、その中に転移者の特別な魔力を研究するというものがあると言われている」

 

「でも、なぜ転移者狩りまでするんだ?」

 

「実験材料として必要なんじゃないかしら。特に魔法の才能がある転移者は、重点的に狙われるわ」

 

 海斗は不安を覚えた。自分や翠も、試験でその才能を示せば、標的になる可能性があるということか。

 

「もう一つ警告しておくわ」

 

 ミラは声をさらに落とした。

 

「あなたの友達だった人間が、黒翼会と繋がってるって噂よ」

 

「友達?  誰だ?」

 

「さあ?  それは自分で考えなさい」

 

 ミラはそう言うと、人混みの中に消えていった。

 

 海斗は複雑な思いを抱えながら、宿に戻った。誰がいったい黒翼会と繋がっているというのか。

 

 頭に浮かぶ顔は一つあった。

 あいつが怪しげな仕事をしていたのは確かだが……

 

 宿に戻ると、リンクスが険しい表情で待っていた。

 

「リンクス、どうした?」

 

「悪いニュースだ。試験の日程が変更になった」

 

「何だって?」

 

「予定より一週間早まった。二週間後に開催されるらしい」

 

 海斗は息を呑んだ。応用魔法の習得はまだ完全ではない。時間がさらに縮まるというのは、大きな痛手だった。

 

「なぜ急に?」

 

「詳細はわからないが、学園の一つ星級魔導師たちの間で何か動きがあるようだ。上層の命令で試験を早めたという噂もある」

 

 海斗は唇を噛んだ。予想外の展開だが、ここで諦めるわけにはいかない。

 

「翠には伝えたのか?」

 

「ああ。彼女は今、必死に練習している」

 

 二人は裏庭に向かった。そこでは翠が一心不乱に風の魔法を練習していた。彼女は発音誘導装置を着け、繰り返し詠唱と魔力の調整を行っている。

 

「【風よ、盾となれ。危険を払え(ヴェント・シールド・ディスペル)】!」

 

 翠の周りに風の盾が形成されるが、すぐに崩れてしまう。彼女は額の汗を拭い、再び試みる。その真剣な姿に、海斗は自分も頑張らなければという思いを強くした。

 

「ともに、乗り越えよう。この試練も」

 

 海斗の言葉に、翠とリンクスは力強く頷いた。

 

 *****

 

 試験日の一週間前、三人は最終的な仕上げの練習を行っていた。海斗の光の剣は安定して維持できるようになり、翠の風の盾も形を保てるようになってきた。リンクスも自身の魔法を磨き上げ、三人はかなりの実力を身につけていた。

 

 海斗が練習を終えた後、リンクスが声をかけた。

 

「明日、上層からの特使がファーストリングに来るらしい」

 

「特使?」

 

「試験の宣伝のためだという。珍しいことだから、見に行ってみないか?」

 

 翠も興味を示し、三人は翌日の午後、中央広場に行くことにした。

 

 翌日、広場には多くの人々が集まっていた。特に若い魔導師見習いや転移者たちが多く、おそらく予備試験を受ける者たちだろう。海斗たちも群衆の中に紛れた。

 

 正午頃、空に巨大な魔法陣が現れ、その中から華麗な空飛ぶ馬車が降りてきた。馬車は青と金で装飾され、アカデミアの紋章が描かれていた。

 

 馬車が着地すると、まず数人の護衛が出てきて周囲を警戒した。そして、馬車の扉が開き、一人の男性が姿を現した。

 

 五十代と思われる威厳ある男性。長い銀髪を後ろで束ね、深い青色のローブを身にまとっている。その胸元にはオレンジ色の獅子を象った宝石のバッジがあった。明らかに高位の魔導師だ。

 

「あれは……セントゥリオン・ゲイル教授だ」

 

 リンクスが小声で言った。

 

「アカデミアの教授で、『上級世界貴族』の一人。アカデミアでも屈指の実力者だ」

 

 ゲイル教授は群衆を見渡し、魔力を込めた声で話し始めた。

 

「集まりし者たちよ。アストラル・アカデミア教授会からの通達だ。予備試験は来週の火曜日に第三十層アカデミア本部で開催される。今年は特に厳格な選抜を行う。基礎魔法五属性の習得と、少なくとも一つの応用魔法を示してもらい、その上で特別な実技試験をクリアしてもらう」

 

 その「特別な実技試験」という言葉に、集まった人々からはざわめきが起こった。

 

 ゲイル教授は話を続けた。

 

「試験の詳細については、各所に掲示されている告知を確認せよ。アカデミアの門は、相応しい実力を持つ者にのみ開かれる。努力を怠らず、魔導師への道を歩むがよい」

 

 そこで演説は終わり、ゲイル教授は再び馬車に乗り込んだ。

 馬車は空へと飛び立ち、群衆が徐々に解散し始める。

 

 三人は宿に戻り、その途中、最終的な試験対策を話し合った。

 

「基礎はもう大丈夫だろう。問題は応用魔法と「特別な実技試験」というやつだ」

 

 リンクスの言葉に海斗と翠も頷いた。

 

「いずれにせよ残りの一週間、全力で仕上げるしかない」

 

 そう決意を固め、三人は黙々と歩を進めた。風が強まり、雲の影が地上を覆い始めていた。何かが近づいているような、そんな予感が海斗の胸をよぎった。

 

 塔の上層から吹き降ろす風は冷たく、しかし少しだけ可能性の香りを運んでいた。海斗は深く息を吸い込み、来るべき試験に向けた決意を新たにした。

 

 アクラニスの塔は無言で彼らを見下ろし、その無限に続くように見える道のりは、これが彼らの旅路の始まりに過ぎないことを物語っていた。

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