お前のおかげでまだ生きれる   作:ネコ次郎

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ステージライト

 ――意識を持った時、先に身体が感じたのは柔らかな枕とベットの触感。

 清潔な匂いがして、まるで異世界のようであった。

(すごい眩しい。なんだろうこれ)

 くらむ目を凝らせば、白い天井が広がっていて。

 光の強さに堪らず顔を横に背ければ、大きな頭がずらりと並んでいるのが見えた。それは、たまに甲高い声を上げて身動ぎをしている。

(赤ちゃん、だよね。にしては、随分大きく見えるのだけれど……)

 違和感から何かを察し、信じられない事実に気がついた時。眩しさも忘れて、目を見開いた。

(病院と、赤ちゃん……乳幼児室?)

 こうして本物を見るのは初めてだ……と、そうでは無くて。

 彼女は、何故か、場違いにも、『ここ』に居るようだった。

(……手がぷにぷにだ。指が短い。小さい。)

 ――自身も赤ちゃんになっている。

 どうしてこんなことになっているのだろうか。

 私は誰、ここはどこなんて、そんなテンプレートな発言がぴったりの状況であった。

 何かの誤り。夢に違いない。

 そう思ってどれほど経っても覚めないこの景色と状況に、彼女の頭にあるとんでもない仮説が現実味を帯びてくる。

(……私の中にある記憶が『前世』なら、今のこれは……輪廻転生?!地獄!?……ただの乳幼児室のように見えるけど。いや、そんなオカルトな……)

 彼女の生前は『なんてことない』。

 父親と二人暮しで、小中高と学校に通い、会社に勤めて働いて……。そして突然呆気なく死んでしまった普通の人間。

 間違ってもこんな赤ちゃんでなければ、特殊な能力のある世界でも無い。

 そう、彼女は死んだ。死んだはずだった。

 手のひらがジワリと汗ばみ、記憶の中のあの夏日が、彼女の生を否定する。

(……原因でも理由で何でもいい。探さないと。こんな私が二度も生きるなんて……よく分からないけれど、この状況からの脱出を――!)

 

 

 そうして……色々あったのちに、珍妙な赤ん坊である彼女は母親に揺すられ、温もりに瞼を重くしていた。

 ――決して、順応などはしていない。彼女は座ったばかりの首を内心で横に振る。

 この体は多く睡眠を摂る必要があり、日に16時間寝るのもザラでは無いからだ、と言い訳をした。

 何より、「都留」と鈴のような優しい声でこの身体を呼ぶ母親だろう女性は、地獄の番人などとは程遠かった。

 警戒するのは無駄……というより、抱かれると自然と眠くなってしまうのだ。自由に動くことの出来ないこの体は、大人の意識を持ってすると結構怖い。そんな中、安心できる人の胸の中にいると、逆らう気力すら奪われてしまう。

「ふふ、都留の写真、パパに送ってあげようか。今日は一日忙しいんだって」

 女性は微笑みながら手のひらサイズの四角い液晶画面を見せた。

 これは彼女もとい都留には馴染みの無いものだったが、小型のパソコンのように見えた。この先進的な技術を難なく使っているあたり、ここは彼女が生きていた記憶よりも少々先の時代の世界であるようだ。

(私の生きてた頃にもそれがあったら良かったのに……というか今日、彼は来ないのか)

 母親につられるように、都留も口角を上げる。

 父親という存在に良い思い出が無いからか、あまり会いにこないことは幸いだった。

 しかし、出産したばかりの心細いだろう母親に寄り添う暇も無いのかと、他人ながら都留は胸にぐつぐつとしたものも抱いていた。

 ――また悪い父親なのだろうか、と。

 出産直後の妻子を放っておく酷い様子にそんな印象を抱いたこともあったが、どうやらそれは違うらしい。

 父親である彼は多忙なようで、都留の前に姿を現した時にはいつだって嬉しそうに「会いたかったよ」と言い、目を輝かせている……そんな様子を見せるのだ。

 興味が無い相手への態度じゃない事は明白。

 あんな風に接せられる度、都留は目を合わせられなくて、胸が締め付けられるような思いになってしまう。

(……こんな、夢、に一喜一憂する必要は無いのに)

 夢。様々な可能性を考慮した上で、この世界は夢だと都留は断定した。

 どう考えても大人だった人間が死んで赤ん坊になっているなんてありえない。そして何より――。

「あ、ツっ君から返信来たよ。『都留と京子ちゃんの元気な姿が見れて嬉しい』って」

 多忙な仕事がどんなものなのか、想像を容易にするくらい都留は既に彼らを知っていた。それに加えて、彼らは都留が知っている人と少し違う。

(ああ神様仏様。これは、一体どんな地獄なんですか?)

 本当に。そんなこと、ある訳が無い。

 都留は、子供のごとくわんわんと泣いてしまいたかった。

 

 ***

 

 紀元前から人間は集団を成し、生命活動を維持していた。

 古来では婚姻と血縁の関係で結ばれた最小単位を一般的には家族と呼び、最も親しい間柄として――時には、最大の敵となりながら――苦楽を共にする。

 

 時代の移ろいにより国家やそれに付随する組織の巨大な集団が誕生したことによって、集団同士の争いは苛烈化した。

 天上で金の取り合いをしている中、割を食うのはいつも下層の小集団だ。彼らは支配に抗うため、最早血の繋がりのみでなく、絆をもって魂を共有し、互いの存在に深い愛情を持ち合う家族となって互いに支え合い、守り合う行動をする他なかった。

 

 重層的に張り巡らされた政治の網の世界へ暴力的に銃を突き立て、侵略と搾取を跳ね除ける。無能な天上人を利用すれば、遥か頭上の金にすら手が届くようになった。

 

 そうして、やがてマフィアと呼ばれる彼らは、世界を手に入れたのだ。

 そうでしか大切なものを守れなかった時代の勝者であり敗者。

 

 その中でも、幾つもの時代を重ね、『ファミリー』と深い愛情を紡いだボンゴレマフィアは、今なお巨大な組織としてイタリアの頂点に君臨し続けている。

 そんな血腥い世界の彼らにとっても、新しいファミリーが誕生するのはやはり特別だ。

 まるで本質を取り戻すかのような、とても素敵で、喜ばしい事だった。

 

 

 ***

 

 

「――ねぇ、これこの間仕事で行った時の都留へのお土産なんだけど、どうかな?食べられるかな?」

 共通点。それは例えば、名前や特徴や話し方。

「あら、フゥ太が持ってきてくれたものだったのね。これくらい小さい子に飲ませる時はお湯で割るといいのよ、用意してきてあげる」

 相違点。それは例えば、年齢や立場や関係性。

「ビアンキさんが調理?!わたし代わりに、いや、一緒に作りたいな!」

(あ、もしかして死ぬところだったかな私)

 都留は遠くにあった意識を覚醒させる。前は常にピリピリと神経を張りめぐらせていたから、ぼうっと考え事をするのはここで赤ん坊になってから付いた癖だ。

「だっだめです!バイオレンスな遊びすぎます!ちっちゃい子に極限高い高いは禁止です!」

「なに!これくらい耐えられなくて男であるものか!霧也もすっかり身を任せているぞ!」

(それはすっかり気絶しているのでは)

 周りが突拍子も無さすぎて、つい何もかも忘れて見ていたくなる。ここだって、危険で暴力的な世界なのには間違いないのに――。

 

 都留にとって勝手知ったる景色となったここは実家だ。そう呼んで差し支えない。

 母親の京子と都留と、たまに来る程度の父親の三人の家は、壁は石膏ボード、床にはフローリングといった現代的な造り。ただ、三人が住むには些か広い。特に応接間兼リビングは大々的にスペースを確保しており都留の目から見ても不思議に感じていた。だが、こう大人数が集まる機会が続けば、その間取りの意味は分かる。

 

 集まっている彼らは、家主と親しい人ばかり。

 冒頭で都留へプレゼントをくれた輪郭の整った美青年は、フータ・デッレ・ステッレ。愛称はフゥ太。星の王子の名にふさわしい風貌をしている。

 そんなフゥ太と話していた、美しさが燃えるような女性はビアンキ。調理したものを毒にするといった少し変わった特技の持ち主である。

 毒死の可能性を潰してくれた有難いイーピンという少女は、都留が自身を見つめているのに気が付くと顔に笑みを浮かべた。

 普段は日本にいるらしいが、学校が長期休みのタイミングにはこうして会いに来てくれている。彼らともう1人、いや2人は家主は血の繋がりは無いものの家族のように育った仲で、都留の事も大層可愛がっていた。

 

 都留の周りを囲んでいたのはその三名と京子。少し視線を横に向ければ――もう一組。

 悲鳴をあげたのは京子の親友でもある三浦ハル……では無く獄寺ハル。と、向こうで3歳ほどの男の子――獄寺霧真――を極限高い高いして泣かせているのが笹川了平。

 彼は京子の兄なので、都留にとっては正真正銘叔父さんになる。

 

 ここまで人物が並んだら流石に見ぬふりは出来ない。

 ここはとある、マフィアのボスの跡継ぎとなった少年を描いた漫画の世界……に違いなかった。

(本当に嘘みたい。嘘だよね?ああこれ、昨日も言ったな)

 都留は、生きる術として記憶力だけは良かった。

 生涯で数える程しか漫画を読んだことがなかった事実も相まり、僅かな楽しい思い出としてこの漫画のことは頭にハッキリ残っている。

 ボンゴレファミリーの行く末を争い奪い合った戦いも、平行世界をも巡る未来の戦いも、誇りを賭けた継承の戦いも、世界を巻き込んだ呪いと友情の戦いも。

 ここは全てを超えて――全部が終わった世界。

 様々に織り成した物語から未来に夢広がる素敵な最終回の、その向こう。

 結構では無いか。スピンオフ。外伝。

 大好きな人達のより一層の活躍、つまり未来が見たいなんて、数多の人間が抱く当然の願望だと都留も思う。

 そう、自身だってこんな夢も現も楽しんで、何も気にせず過ごせばいいし、そうしたかった。

 どうしてこんなに頭を抱えているのかの答えは、一言ではなかなか表現出来るもので無いが――。

 

「あ!ツっ君が帰ってきたみたい。……おかえりなさい!」

 母親の京子が空いたドアの方にパタパタと駆け寄った。高い声色に、相手が彼女にとって特別な人間なのだと伝わってくる。

「京子ちゃん!遅くなってごめんね。ここ来るまでにも足止め多くて……」

 柔らかいハニーブラウンの髪に、蜂蜜を流したような大きな瞳。

 それに似合わない、深い夜色のスーツ。

 そしてまた雰囲気の違う、チェーンで繋がった二つの厳つい指輪が鈍く光る。

「あ、良かった起きてる。……都留、ただいま」

 沢田綱吉が、自分に向けて、目を細め微笑みかける。

 ――この人の娘として産まれたこと。

 彼女の悩みは、それに尽きる。

 

 ***

 

 

「都留、また少し大きくなった?」

 そうなの、この前の検診でね――と会話を弾ませる夫婦の蜜な雰囲気。帰ってきた人物に話しかけようと思っていた他のメンツも、その光景に自然と見守る姿勢を取っている。

(――いや、和む空気に騙されないで欲しい!!だってその人、マフィアのドンしてるでしょ!!)

 都留は心中叫ぶ。

 あろう事か『自分が』ボンゴレを継いだⅩ世沢田綱吉の、一人娘本人に生まれ変わるという状況に置かれている。

 そんな事実を飲み込める訳がなかった。

 たまに来る医者や父の部下(マフィア)もお嬢様と呼んでくる始末。

 あまりにも大役。普通の人間には荷が重すぎる。

 目眩がするような恐ろしい状況だった。

 この巨大犯罪組織の関係者にならざるを得ないのだろうか、などの悲嘆の咆哮は枚挙にいとまが無い。

 元凶である父親を睨むように見れば、マフィアなんて微塵も感じさせない、人好きする温かみのある顔。思わず力が抜けてしまいそうなほどに、呑気で平凡だ。

 愛娘からの熱い視線に気づいたのか、綱吉も都留に目を落として微笑む。「どうしたの?」と京子が声をかけた。

「オレの顔見てるからつい、ね。珍しいのかな?確かに暫く会ってなかったけど……わ、忘れてるとかあるのかな?そうだったらどうしよう……」

 急にあたふたし始めた姿は何とも頼りない雰囲気で、都留の知っている沢田綱吉に幾分か近い。

 仰々しい格好を見ることが多いが、こういった様子を見るとやはり本質は変わってないように都留は感じていた。

 人が傷つくのを怖がる、優しい主人公。

 沢田綱吉への印象はそうだった。だからだろうか、未来でマフィア家業を継いでいる光景は都留の解釈としては驚きの事態だったのだが。

 そうは言っても目の前の彼は間違いなくドンであり、都留の想像の及ばぬ場所で何かがあったのだろうと納得するしかない。

 しかし、それはそれとして。都留はこの人物達に関わるなんて真っ平御免であった。『折角一度死ねた』のだ、面倒事は終わりにしたい。

 愉快なメンツを前に多少心弛びこそするが、信用も信頼もしていなかった。

(そもそも闇社会の人間を信用とか、世も末すぎる。……どうしたらいいんだろう)

 最初こそは脱出を図ったり、ある程度成長したら金を貯めて高飛びでも決めようなどと考えていたが、相手はマフィアである。人探しなんて得意分野も良い所だから止めたのだ。

 結局、ここで沢田都留として過ごすしかない。

「……都留、パパだよ~……わ、分かる……?」

 蚊の鳴くような声に都留は再びピントを目の前に合わせる。分からないなんて言われたらショックで死んでしまうのではないだろうかという顔色の具合であった。

(その呼び方、ついぞ声にしたことも無いんだけど……)

 どうしてそんなことを要求するのか都留にはよく理解できない。

 彼女の身内は、父親である事を便利に使いはしてもそれを喜んでいるようには思えなかったからだ。

 それに加えて、都留は本当の都留では無い……違う記憶を持った不気味な存在なのに。

 このままだと子供として疑われてバレたら酷い目にあったり、バレなくても不出来だと言われて殴られたりするかもしれないと、記憶にある限りの悪い想像が膨らむ。

 都留も綱吉の人間性は理解しているのに、父親という存在への不信感が高すぎる故か、猜疑心の方が上回ってしまう。

「パ……」

 緊張か慣れか、舌が思うように回らない。けれど、必死に動かしてなんとか声を絞り出そうとする。小さな両手を伸ばし、身を捩らせて勢いをつけ、腹から息を押し出した。

「っパ、パ」

 これで分かって貰えたら、あの憔悴具合も改善に向かってくれないだろうか。

 祈るような気持ちで見上げると――

 「…………」

 沢田綱吉は、固まっていた。

 ぽかんと目を見開き、まるで時間が止まったかのように微動だにしない。

 本当に届いた?それとも、うまく言えていなかった?

 不安が胸を締めつける。

(……もしかして、失敗……?)

 血の気が引きかけた、その瞬間だった。

 ぎゅっ――!

 小さな身体が、突然、強く抱きしめられる。

(?! ご、ごめんなさ………………?)

 驚きに体がこわばる。しかし、綱吉は何も言わない。ただ、震えるような手で都留をしっかりと抱きしめ続けている。

 何か様子がおかしい。

 恐る恐る顔を上げようとするが、目の前にはふわふわの茶色い髪しか見えない。顔を埋めるように抱きしめられているせいで、綱吉の表情は見えなかった。

 その代わり、耳元で小さく震える声が聞こえた。

 「~~~~~~っ!! き、聞いた? 今の。い、今、いま都留が……!!」

 声が掠れている。けれど、その震えが何を意味しているのかは、周囲の反応が教えてくれた。

「ツっくんのこと、呼んでたね!すごいね都留!」

「ずるいよツナ兄ぃ!僕も都留に呼ばれたい~!」

「私も!」「ハルも!」「極限に偉いぞ!」

「子供の成長は早いわね」

 部屋が、一気に騒がしくなる。

 歓声が上がり、綱吉の腕の中で都留はぽかんとするしかなかった。

(……こんなの、なんとも嬉しいものじゃないでしょ……)

 ほっとしたはずなのに、胸が締め付けられるように苦しい。

 きっと、綱吉が力いっぱい抱きしめているせいだ。

 都留は、そう思うことにした。

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