Project Sekai SCP incident feat . 作:唯尊
全ての始まりは、西暦1919年の事だった…。
'人類史上初の世界大戦'がヴェルサイユにて終結し、財団はヨーロッパの激戦地からの帰還者の大量雇用と、終戦後の軍需経済の縮小により失業した軍事科学者の帰還・受け入れによる拡大を経験した。
当時の財団職員にとって戦争の惨禍は記憶に新しく、彼等はSCPオブジェクトが人類の幸福の為に活用できると信じており、またはそうすべきだと考えていた。……無論、意見は様々ではあったが、やがてその中からある声が強まった------。
--------SCPオブジェクトを兵器化…あるいは複製し商品化による経済成長を刺激するべきだ------と。
さらには、既存の収集物を開放し、非同盟の科学者たちによる研究をするべきだ……という意見まで現れ始めた。そしてこれらの議論はかつて無い程激しいものとなった。
『この手の話自体は別に驚くべき事ではない。当時の財団も新しい何かが起きているとは考えていなかった……』
だが……、とホーンビー大佐は続ける。表情は若干苦々しかった。
『彼等は気付いていなかった…。財団の創立以来、国際社会がこれほど戦争に傷つけられた事はないということ、そして………財団が戦時中に戦闘、戦時研究プロジェクトに携わっていた職員に満たされていたことに…………」
そう……財団はこの時、かつて無い形での論争を行うには構造的に弱くなっていたのだ。
その時点で彼ら’反対派'はそれぞれの異なった思惑によって分断されており、’現状維持派'にとってさしたる脅威にはならないと判断されてきた………しかし…、
その状況を一変させる出来事が起きた。
『それが…【新たなるマニフェスト】だ』
1924年5月に匿名で出版されたこの合同声明文は、何人かの財団上級職員による連名で書かれた文書であり、財団の指導者層を激しく非難し、改革と再編を要求するものだった…。
『無論、O5がこれを黙って見ている訳がなく、やがて当時のO5-7を筆頭とした一連の取り締まりと'マニフェスト'所持の禁止令が出された…が、これにより財団職員たちの不満が爆発した。この時のO5-7の対応は5月下旬から6月上旬にかけて各地の大規模収容施設での暴動発生という散々な結果を生んだ』
大佐は少し俯き「ふー…」と呆れた様に溜息を吐き、再び顔をあげる。
『既に【新たなるマニフェスト】を巡って多くの財団職員が武装し向かい合うという現状の中、O5評議会でもどの様に対処するか意見が別れた…」
監督者達の大半は財団の通常職務である【確保・収容・保護】任務の再会を望んだ。何人かの監督者……特にO5-7、O5-10、O5-13は財団の通常職務を妨げた者達に対し厳罰を望んだ。逆にO5-9、O5-11は彼等を擁護、【新たなるマニフェスト】】の内容の一部に一定の理解を示した。
……そして同年…6月10日……。
『会議中のO5-9によって、O5評議会不信任決議案が強制動議された』
「不信任決議案?」
『O5は終身制だ。選挙ではなく評議会からの直接推薦によって新たなO5は選出される。だが倫理委員会の三分のニ以上による弾劾が行われる事がある」
6月11日。
その日の早朝時点で88%の票が開票されており、不信任決議案が否決される事が明らかとなった。そんな中、O5-9とO5-11によってクーデターが発生。評議会が開催される以前にパリ郊外にある財団指揮司令部の防御を担当していた財団任務部隊に残りのO5を確保するよう命じた。当時の任務部隊指揮官だった元フランス陸軍大佐のエージェント・ジャック・クレマンソーは命令に応じたが、現場に居たのはO5-3とO5-12だけだった。残りのO5は夜間の内にイギリス、カナダ、イタリア、アメリカに避難していたのだ。2人のO5のボディガードは逮捕を拒み、小規模な銃撃戦が発生。その結果、任務部隊指揮官が死亡するという事態が発生した。
指揮権を継いだ次席指揮官、エージェント・ロバート・ブラウンは命令を拒否し、O5-9及びO5-11を反逆罪で逮捕しようと試みたが失敗。反逆したO5は2人とも逃走した。
「……待ってください。当時の現職O5のメンバー2名によるクーデターッ?そんな事が…」
理雄は思わず口をはさむ。それ程衝撃的な事だったのだ。財団の最高位にいる者達の一部が財団に反旗を翻すなど……、驚くなという方に無理がある。英牙達も唖然としていた。大佐は『くっ…』と苦笑すると
『分かってきただろう?何故コレが秘密区分化されているのか…』
なるほど…だんだん話の先が見えてきた。大佐は話を続ける。
6月12日-13日。
O5の地位と称号を剥奪された英国陸軍元将軍のウェストン将軍(元O5-9)と旧ロシア帝国宮内及御料省出身のフレデリスク伯爵(元O5-11)はオーストリア・アルプスに位置するサイト-37に避難した。サイト-37の監督者、ウォルフガング・フリッツ博士はかつてドイツ帝国の研究者であり、ウェストン将軍とフレデリスク伯爵の動機に対して同情的だった。(フリッツ博士が2人に協力したのはドイツが第一次世界大戦で敗戦し、ヴェルサイユ体制による圧迫と、戦時中に英国の海上封鎖によって76.2万人もの餓死者を出したからだと考えられている)
この3人によって’トライアド'と呼ばれる理事会が編成され、最初の公式決定として『O5評議会は不要な存在である』と宣言。財団に対する権利を主張した。また、トライアドはO5評議会に忠誠を誓う部隊が排除された暁には、財団職員の中から選挙で選ばれる【中央議会】の設立を約束し、旧体制を『らくだの一本の藁となった』と非難した。
…予想通り、O5評議会は激昂。すぐさまトライアドとその支持者を『財団の裏切り者』と非難し、評議会に忠誠を誓う機動部隊を密かに動員。財団指揮司令部とサイト-37へ派遣した。その際、財団指揮司令部を封鎖していたエージェント・ブラウンを含めた財団指揮司令部にいた全ての職員が逮捕された。(後に接収に向かわせた機動部隊を指揮した強硬派のO5-7が、『現地にいた職員らが評議会側に忠誠を誓っているかどうか分からなかった』と自己弁護した)彼らの処遇は厳格で、施設は放棄、職員は別の場所で勾留され、収容されていたオブジェクトは他施設へと移送された。
しかし、このO5-7の強硬姿勢が裏目に出た。
サイト-37は財団指揮司令部にいた職員の末路を知り、体制派機動部隊に対して抵抗を図ったのだ。
人員、武装の差で圧倒された機動部隊は大損害を被り撤退。トライアドは評議会側の行動を広く伝えた。その結果、評議会の行動は広範な不安を生み出し、評議会の非道さとトライアドの動機への支持により、多くの財団施設と部隊がトライアド側へと離脱するという事態を生んだ。
そして………西暦1924年……。
財団の歴史上最も血生臭く破壊的な衝突………【財団内戦】が勃発した…。
補遺1.
【O5評議会不信任投票】
13人全てのO5が等しい一票を保持しているが、O5-1のみ優先議決権が設定されている。評議会出席者が9人以上の場合、いかなるO5も評議会の不信任投票を要求できる。不信任投票が動議されると全ての現職レベル5職員、サイト及び部局長、部隊指揮官、倫理委員会に連絡が行われ、無記名投票が行われるまで24時間の猶予が与えられる。もし投票が三分のニ以上の得票によって可決された場合、旧O5評議会は解散し、投票を動議したO5による指導のもと新しい評議会が編成される。もし否決された場合、動議したO5は自動的に辞職する事となる。
O5評議会の不信任投票はこれまでに行われた事はなく、これ以降も行われた事はない。旧O5-9であるウェストン将軍の決断は財団全体に広く衝撃を与えた。