Project Sekai SCP incident feat . 作:唯尊
放課後の宮益坂女学院の廊下は騒がしかった。運動部系に所属してる生徒は練習に遅れまいと小走りにかけ、吹奏楽部などは個人練習の為空き教室に楽器を持ち込んでいる。
自分は廊下を走る生徒に軽く注意を促しながら、一階に向かう。リノリウムの廊下を上履の白スニーカーで鳴らしながら玄関口に向かい、職員用の靴脱ぎで下駄履の黒スニーカーに履き替える。最初の頃、上履には黒革靴を用いていたが、火災や震災などの緊急事態に備えて現在はスニーカーにしている。
「先生…」
履き替えた直後に呼び止められ、振り返る。夏の快晴を表した様なスカイブルーの短い髪は、今は若干表情を隠してる様に見えた。
「何か用か?桐谷さん」
桐谷遥は少し俯いていた顔を上げると、揺れる瞳でこちらを見た。
「…私の事情、聞いたんですね……」
「……別に誰にも言いふらしちゃいない」
「そこは心配していません…。…先生はそういう事しなさそうですから」
理雄は目の前の少女の瞳を見つめる。
「………………」
以前会った時と比べて、何かに期待しかけている様に見える。だがやはり、迷いは心の内から消えてはいない様だ。
「……神社の時も言ったが…」
理雄の言葉に遥は耳を傾ける。理雄は一言ずつ、はっきり区切る様に言葉を伝える。
「君が、今、どうしたいのか……、後悔のない選択をするんだ」
「………先生は…」
遥はゆっくりと言葉を紡ぐ。声は不安と迷いで揺れ、細く消え入りそうだった。
「2度目のチャンスって…、あると思いますか…?」
「ある」
理雄は即答した。玄関口で立ち尽くしている遥に近寄り、瞳を覗き込む。
「君には想いがあるんだろ?届けたい夢や希望があるなら、躊躇わず行動するべきだ」
「……………」
遥の表情はまだ晴れない。
「…不安なら俺が力になる」
その言葉に驚いたのか、遥の瞳が見開かれる。
「言っただろ。どんな未来を選ぼうと、俺はその未来とセカイを守る。そして……、その未来を共に歩んでくれる人達が君にはいる」
「せん…せい…」
「みのり達の所に行け。それを観て、感じるんだ。彼女達の想いと…、自分の想いを…」
ふとカバンの中から、携帯の震える音がする。
「…悪い。また明日」
早足で玄関口を出る。着信表示を確認し、携帯を耳に当てる。
『お前の左手側、駐車場に向かえ…』
言われた方を見ると、小さなコインパーキングが見えた。歩いて1分もしない内に到着し、駐車していたシルバーのセダンの窓を覗き込む。中には桜庭悟が運転席に座っていた。
助手席のドアが開き、「入れ」と促される。車内は冷房が効いており、少し寒いくらいだ。
「これからある財団職員の自宅に向かう」
悟は前置きなしに話題を進める。
「何処のどいつに?」
「…南雲慎一博士を覚えているか?」
その回答はYESだ。昨日、カオス・インサージェンシーと見られる暗殺部隊に殺害された日本支部所属の博士だ。
「勿論覚えていますが…、何故我々が?」
「こっちの日本支部でふんぞり返っている裏切り者は、かなり上位にいる人間だ。南雲博士は自宅で殺害されていたから、連中に証拠を消される前に、無理を頼んで、この世界の財団本部に圧力かけて先に現場を抑えて貰ったんだ」
「よく出来ましたね…、そんな無茶苦茶な事」
「要注意団体と深くつるんだ裏切り者が、既にこれだけの事を起こしているんだ。これ以上やばい事になる前に片をつけないと取り返しのつかない事になるぞ……って脅したら、流石の本部も重い腰を上げざるを得なかったようだ」
悟はそう言って助手席のアタッシュケースを開ける様顎で促す。開けてみると、中にはA5サイズの茶封筒が入っており、封を開けて中の書類束を出す。報告書が2枚入っていた。…その内の1枚はよく知っている個体だ。
白黒画像の写真は若干粗く、鶏とチンパンジーを掛け合わせた様な人型生物が、背後の撮影者を凝視している。
「’誤れる人類'…ですか」
「1週間前、メグロのある廃屋でそれとよく似た生物が確認されたそうだ」
もう1枚の報告書を見てみると、確かによく似た生物の写真が添付されていた。1番上の欄には【未分類オブジェクト】と書かれている。
「…確かによく似ていますが………デカいですね、こっちのは…」
【SCP-3199 誤れる人類】は、家畜の鶏とチンパンジーのDNAが検出された人型生物で、無毛の体表は薄い卵白で被われている。この生物は人間だろうが動物だろうが、口から強酸を吐き出して溶かした獲物を捕食したり、幼体に与えるなどして繁殖する生態をもつ。恐ろしいのはその繁殖能力の高さにあり、大量の卵をほぼ無限に産みまくる事が出来る為、LKクラス生物種変換シナリオを引き起こしかねない。故にこの生物はketerクラスオブジェクトと指定されている。
従来のSCP-3199は、平均体長2.9M、成体の体重は780kgだが、メグロで撮影されたこの生物は、目算でも体長5m以上、体重1200kgはありそうだった。体色も黒色がかかっている。
「南雲博士は生物学のスペシャリストだ。コイツが駆けつけた機動部隊に終了された後、死体が日本支部の研究ラボに運び込まれて、部下の靫原研究員と解剖・研究を行なっていたらしい…。で、その時ソイツの皮膚に妙な刺青が彫られていた」
報告書を捲ってみると、新たな画像が添付されていた。サークルの中に正三角形が引かれ、その中の12辺のパターンに様々な色調の墨が彫られている。これは…。
「トライアド(三組構成)…」
「間違いなくカオス・インサージェンシーが関連している…。といってもトライアドの事を知っているのは俺たちだけだ。ストレートサンダーの事は口外厳禁だからな…」
その言葉を聞いて、昨日ホーンビー大佐の『今回聞いた事は決して他言しないように、万が一諸君らが秘密区分の内容を一言でも口にすれば、諸君らの余生は全て’暗い穴の中'で過ごす事になる』という台詞を思い出す。……あの時の大佐の目は、『情報は人間の命よりずっと重い』と確信してやまない人間の目だ。
「…ともかく、その'鳥頭チンパンジー'のビッグサイズみたいなヤツの死体確保するなら、自宅じゃなくラボの方がいいんじゃ…」
「とっくの昔に日本支部に抑えられたよ」
…なるほど、確かにそれなら南雲博士の自宅の方がまだ情報が残ってそうだ。
「分かったらとっとと向かうぞ」
お互いシートベルトを着け、悟がエンジンキーを回す。快調なエンジン音に一拍遅れて車内ラジオの電源が点く。点いたチャンネルは午後の音楽を流しており、リヒャルト・ワーグナーの【楽曲:「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕前奏曲】を流していた。
「……いい曲ですよね。俺も好きですよ。ワーグナー」
「元々俺はクラシックはあまり聞かないんだが、瑠璃が好きだからな、多分新しい子にも聞かせると思うぞ」
「……まだ作る気なんですか?いい加減奥さん休ませてあげればいいのに」
「俺よりも瑠璃の方が作る気満々なんだよ」
苦笑気味に言う悟だが、その表情は幸せそうだ。まだ25歳であるにも関わらず、桜庭悟は二児の父なのだ。
*
南雲慎一博士の自宅は、千葉県習志野市内にある平屋風二階建の家屋だった。既に周囲は警察によって封鎖テープが引かれており、その外側には追いやられた日本支部から派遣されたエージェント数名が居座っていた。
自分達が建物に近づくと、何も事情を知らない彼らは此方に殺気だった視線を向けてくるが、生憎と腐った細胞の下についている彼らを信用する事は出来ない。
その為、現場は外部組織である警視庁公安部特事課が財団本部からの依頼で捜査を行なっていたらしい。
建物内に入ってみると、周りに鑑識が各部を現場検証した跡が複数見てとれた。白いテープで型取られた人型が一つ、リビングに倒れていた。既に現場は特事課から派遣された鑑識が綺麗に掃除した後だったが、彼らの手が加わる前は、この周りに赤く鉄臭い華が咲いていたのだろう。太陽光を大量に透かしている大型窓に空いた銃痕を見てそう思った。
「狙撃ですか…」
「その様だな。使われた弾は7.62×54mmR弾、ライフリングはクリーンで犯罪使用歴はなし。…まぁこの弾なら使った銃はドラグノフかモシン・ナガンだろうな」
悟は特事課から渡された鑑識結果の書類束を眺めながら答える。鑑識達は仕事を終わらせて撤収した後なので、この場には自分と悟しかいない。この世界で悟の身分は警官という事になっており、自分も件の護衛任務の時から渡されている警察手帳を持っている。
「…懐かしいですか?前の職場みたいで」
「…………俺の前職はSAT隊員だ。刑事じゃない…」
途端、悟がいつも見せる快活な笑みが消えた。無邪気さが残った瞳に宿った暗い炎を見て、理雄は自分の迂闊さ呪った。
「………すみません」
財団に入所する人間は、大抵触れられたくない過去を持ってる場合が多い。故に同僚の過去に関する話はNGというのが暗黙の了解となっている。その手の地雷は自分にもあるというのに……。
「……気にしちゃいない。仕事に戻るぞ」
声に苛立ちは少し残っていたが、すぐに冷静さを取り戻した悟は2階に向かう。その後を追って理雄は2階にある博士の自室に向かう。ドアノブを回して中に入ると、無機質な空間が2人を出迎えた。
……色がない、と理雄は思った。
普通ある程度暮らしている部屋には、家具や衣服、インテリアなどで特有の色が付くものだが、この部屋にはそういった類の色がない。’家は風呂に入って寝るだけの場所'と認識しているワーカーホリックの部屋とよく似た、無機質な清潔さが伺える部屋だ。
「この部屋のPCやUSBはもう調べたんですよね?」
「まぁな、少なくとも鑑識の連中は何も見つけられなかったみたいだが……お前の'異能'なら何か見つかると思ってな」
「……そんな大層な物じゃありませんが、やってみます」
呼吸を落とし、体温を落とす。目を閉じ五感を徐々に上げていく。
……空気が肌を刺し、僅かな気圧の変化に酔いそうになる感覚に襲われる。
目を開け辺りをゆっくりと見渡す。空気の流れが見えてきた。
これは……こっちの壁に流れている…?いや、この壁…
「どうした?」
「いや、外から見た外観とこの部屋の間取り、明らかにあっていない様な気がして…」
外観から推定される部屋の面積が圧倒的に足りない。本来ならこんな壁ないはずだ。もしかしたらここに…。
「……あった」
壁の表面に小さな穴が見つかった。このサイズから考えて、挿入型のプラグ接続部に見える。
試しに悟がパスクラッカーの小型端末を取り出し、プラグを差し込む。
瞬間、端末が起動し、高速で解析され始める。30秒と経たずに解除され、壁の向こう側からガチャッと音が聞こえる。
「…空いた」
壁を押してみると、その一部が扉と化し、新たな空間が現れる。
…流石財団職員だ。機密を入れる物は押入れや金庫よりも厳重な所を用意するべきだ。