Project Sekai SCP incident feat .   作:唯尊

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番外編 ある財団職員の一生 PART2

 

 朝の神山公園は静かな物だ。

 

 遊具やベンチに人の気配はなく、近くの通りを歩く人もいない。今日が土曜日である事もあってか、草野球も出来ない様な小さな公園に、朝っぱらから足を運ぶ者はいなかった。

 

 木漏れ日の朝日に照らされながら、この辺りでは比較的、緑が豊かな景色に囲まれた公園のすぐ側に、小さなコインパーキングが見える。

 

 いつも学校で着ているブラックスーツ姿の理雄は、そこに留まっている一台のセダンを見つける。今の自分とよく似た黒らしい黒をしていた。

 

「相変わらず黒いなお前は」

 

セダンの近くで待っていると、背後から声をかけられる。振り返れば、両手にコーヒーのカップを持った40代後半の男が立っていた。

 

 白髪が混じり始めた短めの頭髪と、口髭を蓄えた寸胴の中年男性。一見すると、どこにでもいる普通の人間に見えるが、財団職員特有の暗く鋭い雰囲気は、彼が一般人ではない事を一瞬で悟らせた。こちらもまた黒いスーツ姿だ。

 

「今まで、お前ほど黒が似合う奴は見た事がない。街を歩いてる時、日中だとすぐにお前を見つけられるが、夜だとまったく分からん。忌々しい位な」

 

「……それ、褒められてるんですか?」

 

「ゴキブリみたいに黒くてしぶとそうだとは思っているぞ」

 

 さらりと人をゴキブリ呼ばわりしてくるこの男の名は、後藤海。

 

 SCP財団サイト-8156に勤務する人事部の上級職員であり、自分達ジュリエットチームが普段"表の世界"で生活する上で、各人に必要な職業と身分、住居の割り当てといった生活の面倒から、何か問題を起こした時のカバーストーリー流布や後始末といった------所謂、ジュリエットの身元保証人兼------中間管理業務の人間である。

 

皮肉屋な所があるが、自分を宮女の教師として配置したのも、この男の手によるものだ。彼がいなければ一歌達と出会う事はなかったし、色々と世話にもなっているので、一応感謝している。

 

 理雄と同じく喪服姿の海は、その手に持っていたコーヒーの片方を渡す。

 

「キリマンジャロだ。目が覚めるぞ」

 

「どうも」

 

「とりあえず車に乗れ、飲みながら話そう」

 

 2人は車内に入ると、互いにコーヒーに口をつける。海は運転席、自分は助手席だ。

 

 相変わらずコーヒーの良さが自分には分からないが、柑橘系の爽やかな酸味と、すっきりした後味が脳を目覚めさせた。

 

「ふぅ……やはり朝はコレがないと始まらん。さて…」

 

そう言って満足げに一息吐いた海はこちらに顔を向ける。

 

「これから桜結衣の自宅住所に向かう。何か質問はあるか?」

 

「えっと……自分は遺族訪問の経験がないので、何をすれば……というか、財団が公式に遺族を訪ねるって事は、遺族も財団関係者ですか?」

 

そもそも財団職員の身内に機動部隊員が赴く事自体がない。同じチームの同僚ならばともかく、秘密結社としての活動が久しい財団が遺族に直接接触する機会があるなんて、理雄は今日まで知らなかった位だ。

 

とはいえ身内なら、殉職の通知やお悔やみの一言くらいあってもおかしくないだろう。

 

 しかし、海は首を横に振る。

 

「いや、おそらく彼女の遺族は一般人だ。少なくとも財団と関係していた記録は確認されていない」

 

それを聞いて思わず驚いてしまう。

 

「えッ……じゃあどうすれば…」

 

 よもや真実を話す訳にもいくまい。

 

「カバーストーリーを用意している。警視庁特事課を通じて警察から公式に説明させるそうだ」

 

それによれば、『桜結衣は2週間前に行方不明になり、今日、シブヤの路上裏で遺体で発見された。警察は通り魔による犯行として捜査した結果、犯人は逮捕され、留置所で首を吊って自殺------』とするらしい。

 

「…それで向こうは納得しますかね?」

 

「させるしかない。すでに遺体はこちらで回収している。この件がメディアに報道される事はないが、我々としても使命を果たした上で生命を落とした仲間をそのまま闇に葬るマネはしたくない。可能な限り、遺族の手で弔わせるべきだ------と、倫理委員会から通達を受けたんだ」

 

「………」

 

 理雄は沈黙する。機密が漏れるリスクを冒してでも、死因を偽装してまで遺族に訃報を報せるのは、彼女が未成年だからという理由もあるのだろう。

 

 例え虚偽された死だとしても、家族に己が最期を迎えた事を知ってもらい、丁重に扱われるだけまだマシかもしれないと理雄は思う。

 

 Dクラスなんかは事務的な死亡確認だけで済まされる。遺体は運良く残っていても、焼却場で灰にされ川に流されるか、処理場に捨てられる。彼らが財団の共同墓地に埋葬される事は原則としてない。

 

「まぁ、俺もその意見には概ね賛成だ。永遠に"行方不明"のままにされたんじゃ、彼女も浮かばれないだろうしな……ただ…」

 

 海はそこで一旦言葉を切る。

 

「何度やっても、桜結衣の遺族と連絡が取れないんだ」

 

「…どういう事です?」

 

 理雄は眉を顰める。

 

「書類に明記された電話番号にかけても繋がらないんだ。だから今回は、直接赴いて確かめる。理雄、今日のお前の仕事は……彼女を知る教師として遺族の前で振る舞う事だ」

 

そこでようやく、自分が今日呼び出された理由を初めて知る。つまり、桜結衣の死を完璧に偽る為に一役演じろという事だ。

 

「お前は桜結衣と仲の良かった教師として振る舞え、俺は聴取と通告に来た警官として振る舞う。この役割をしっかりと覚えておけ」

 

「で、ですが……自分は彼女と少し話した程度の面識です」

 

 自分は結衣が2年以上過ごした学校での生活の様子なんて見ていない。知っているのは、彼女が自分に協力したせいで生命を落とした事だけだ。

 

「だろうな。だが事情を知りようがない彼女の担任を連れ出す訳にも行かないだろ。あの学校で勤務している財団職員はお前と理事長だけだ。なんでもいい、彼女は勤勉だったとか、思いやりがあったとか……そんなありきたりな内容の作り話を伝えてやれ」

 

「それは------」

 

 逡巡する理雄の胸に、海が拳を軽く当て、諭す様に言ってくる。

 

「理雄------どのみち彼女の死の真相を遺族が知る事はないんだ。俺達は人間として守るベき倫理や道徳を犠牲にしてでも、アノマリーの脅威から世界を守る使命がある。それができるのは財団だけだ」

 

「………」

 

「仲間の名誉を貶める行為だと思うか?かもしれん。だがな、遺族が財団の存在を知れば、必然としてアノマリーの存在も知る。彼らからその情報が漏れればどうなる?自分達の常識じゃ計り知れない未知の存在がこの世には溢れていて、その中には人類を滅ぼしかねない危険な奴がごまんといる------。それを知った世界中の人間の大半は驚愕し、恐怖し、狂乱し、最期に迎えるのは破滅だ。それまで辛うじて保っていた世界秩序が崩壊し、人類史が終幕する様をこの目で見る事になる。何十億という人命が不幸と絶望の果てに次々と生命を落としていくこの世の地獄だ。終焉だ。桜結衣が、そんな事態を望むと思うか?」

 

「…いいえ」

 

 それだけは、絶対にさせない。どんな困難があろうとも、この世界には一歌達がいる。如何なる犠牲を払おうとも、幾人もの人の想いを踏み躙ろうとも、それだけは防いでみせるッッ…!!

 

「ならやるぞ。俺達の手で、今日の平穏を守るんだ。財団として、財団らしく…」

 

 最後に話を締め括った海の瞳からは、決して揺らぐ事のない何かを感じた。それが幾万もの苦悩や葛藤を乗り越えた者の強さなのか、それとも残酷な現実を受け入れた果ての絶望なのか------理雄には、その狭間で必死に抗う財団職員の矜持を感じた。

 

 

 

 

 

 車を出して、40分程経った。現在2人が乗るセダンは、国道を北上して50km程走っていた。

 

「経歴によれば、桜結衣は両親との3人家族で構成されていて、父親は公認会計士、母親はアパレル商社の経営者だそうだ。彼女の同僚の話によると、実家には小さなプールが付いていたそうだ」

 

「恵まれた家庭で育ったんですね」

 

「その様だ。まぁお嬢様高校に通えるんだ。そんな裕福な人間がどうして財団に入ったのか……と、そろそろ到着するぞ」

 

そうして海が運転する車は、国道から外れ、近くの小さな街への道に入る。

 

 結衣の両親に何を伝えるべきか……理雄は頭の中でずっと考えていた。

 

『私との関係はあくまで教師と生徒の範疇でしたが、桜さんは私だけではなく、他の先生方や生徒達をよく気遣ってくれて------』

 

こんな感じの社交辞令じみたお決まりのフレーズしか思いつかない。こんな言葉ですら、ちゃんと伝えられるか正直不安だった。

 

 その時、車が路上のある場所で停まる。辿り着いたのは、首都圏の端に存在する小さな街だった。

 

「…着いたぞ」

 

海から言われ、車から降りる。が------。

 

「……なんだこれ」

 

思わず口からその様な言葉が漏れた。

 

「本当にここなんですか?桜結衣の実家って…」

 

「住所は合っている……筈なんだが…」

 

2人は困惑を隠せなかった。

 

 桜結衣の身分明細書に記載されていた実家の住所に来たのはいいが、目の前の住宅が2人の想像と随分かけ離れていたのだ。

 

 全部合わせて6部屋しかない小さなアパート------。

 

 鉄製の階段は酷く錆び付いており、踏んだ瞬間に足場が抜け落ちそうだった。

 

 壁に近づいてみると、外壁の表面はボロボロに剥がれ落ちていて、各部屋に備え付けられたインターホンは、どれも正常に稼働している様には見えず、辺りは雑草だらけで鳥のフンまで大量に落ちている。ドアの郵便受けはガムテープで塞がれており、記された部屋番号も消された跡がある。

 

 掃除された様子もなく、人が住んでいる様にも見えない。

 

 ボロアパートを通り越して完全な廃屋だった------。

 

「貧乏苦学生でも住まなさそうな所ですよ?まさかここに…?」

 

宮女に通うお嬢様とはイメージが正反対の場所だ。シブヤからもかなり離れている。訳が分からず辺りを見回していると------、

 

「そんな所で何してるんだいッ!」

 

いきなり背後から飛んできた声に驚いて振り向くと、薄手のシャツを着た70前後の女がこちらを訝しむ様に睨んでいた。

 

「他人の家の近くでコソコソして……警察を呼ぶよッ」

 

 海は落ち着き払った態度で懐から警察手帳を取り出す。理雄が以前使っていた物と同じ、特事課から渡された小道具だ。

 

「私がその警察です。落ち着いてください」

 

警察手帳を見せられた女は、まだ怪しむ様な視線を向けていた。

 

「こんな所に何しに来たんだい。言っとくけどあのアパートには誰も住んじゃいないよ」

 

「いや、少し調べたい事がありましてね。ここの近所の方ですか?」

 

「ああそうさ、50年間ずっと住んでいるよ。で?アンタは警察で……コッチの陰険そうな男は誰だい?」

 

女は物怖じせず堂々と理雄を見上げてくる。

 

 理雄は視線で海に対応を求めると、『俺に任せろ』と目で返される。

 

「ある捜査に協力してもらってる方です。それより少しお尋ねしたい事が……桜愛花と桜耕大という人物をご存知ですか?」

 

桜結衣の両親の名前を出すと、女は不機嫌そうな顔に更に不快感を滲ませた。

 

「…知り合いかい?」

 

 低い声で問われる。

 

「いいえ」

 

「なら良かった!あの2人はね、正真正銘、最低の人間だよッ」

 

女は吐き捨てる様に言う。

 

「15年くらい前……3歳位の小さな娘を連れた夫婦があのアパートに引っ越して来たんだけど、耕大とかいう父親はロクに働きもせず、娘に暴力を振るっていたんだよ。母親の愛花は何を考えていたのか、夜な夜な遊び回って娘の事なんて知らん顔さ!まったくああいう親は本当に許せないよッ!」

 

女は憤りながら続きを話す。

 

「夜になると毎日、娘の悲鳴と父親の怒鳴り声が聞こえてくるんだよ。私も警察に何度か通報したんだけど、毎度毎度うやむやにされちまう。民事不介入だとか証拠不十分だとかで……結局、警察は助けてくれんかったよ。私ら近所の人間で何とかしようって動いた事もあったけど、部屋のドアを開けた瞬間に包丁突きつけてくるもんだから…。この辺は私を含めて爺婆しかいないからね。私らもあの子を救う手立てが見つからんかったよ…」

 

最後の方は、非力な自分を恥じている様だった。

 

「……それで、その後は?」

 

海が慎重に続きを促す。

 

「5年くらい前だったかな。娘の友達があのアパートを訪ねてきたんだ。中学生くらいの男の子だったよ。その子は久しぶりにあった友達の姿を見てビックリしていたよ。それから、男の子は娘を連れて自分の家に住まわせたんだ。男の子は自分の両親に娘が虐げられている事を伝え、守ろうとしたんだよ。結果、男の子の両親はそのまま娘を自分達の家に住まわせ続けた。男の子は両親を説得して、娘を救い出したんだ。本当に大したモンだよ。まだ若いのに…」

 

その後、結衣の両親は娘を取り戻そうとはせず、そのまま放置。

 

 やがて父親は酒に溺れ、暴力をエスカレートさせ、今は刑務所で服役中------。母親は薬物中毒にハマり、そのまま中毒で心臓麻痺を起こして死んだと女は語った。

 

「…なるほど、お話ありがとうございました。今日はこれで引き上げます」

 

海と理雄は女に頭を下げると、乗ってきた車に向かう。

 

「------あの子は元気かい!?」

 

車のドアを開けた時、女から聞かれる。

 

「今思い出したけど、あの娘は結衣って名前だった筈だ。あの両親から離れられた後、時々思い出して心配してたんだ。毎朝学校に行く時、痣だらけで歩くあの子に何度か声をかけたんだけど……あの子は本当にいい子だ。いつも誰かに笑顔を向けていた優しい子なんだ、今はどうしてる?変わらず元気に暮らしてるかい!?」

 

「……えぇ、元気ですよ」

 

 理雄は最後にそう答え、車のドアを閉めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 街から出た理雄達は、何もない道で偶然見つけたコンビニに立ち寄る。

 

 丁度昼時だったので、昼食としておにぎりやサンドイッチ、飲み物を購入する。

 

 現在、あの街で得た桜結衣の情報を上層部に伝え、確認して貰っている最中だ。

 

「……プール付きの家ってのは作り話かよ」

 

助手席でおにぎりを口に運びながら、理雄が呟く。どこかショックを受けた様子だった。

 

 自分が初めて会った時、結衣の第一印象は"生真面目でお堅い良家の子女"といった風だった。一目見ただけで分かる。歩き方や細かな所作までがいちいち丁寧だった彼女は、他の同年代の生徒と比べても、怖いくらい優雅で気品があった。

 

 それが、まさかあんな所に……。

 

「まぁ、財団に入る奴なんて、大抵が"曰く付き"だ。人並みに幸せな人生を歩んできた人間なら、コッチの世界に関わる事もないだろう…」

 

 運転席に座る海は「聞き飽きた話だ」とでも言わんばかりに緑茶を飲みながら嘆息する。

 

「俺はそんな連中を嫌という程見てきた。『財団職員同士、過去の話をするのはタブー』とされていても、人事の仕事に関わっていれば、パソコンで職員の経歴と1日中睨めっこしたり、面談や聴取で相手の過去をほじくり返さなきゃいけない事も多い……」

 

憂鬱そうに溜息を吐く海。彼曰く、後者の場合、大抵の奴は人生最大レベルの地雷を踏まれたみたいな顔をし、その後は張り詰めた空気の中で地獄の様なエピソードを延々と聞かされるそうだ。面談の最中に相手が震えながら泣き出したり、過呼吸を起こして吐かれた事は何度もあったらしく、最悪の場合、そのまま失神されて面談自体が中止になった事もあるという。

 

 それ程までに、財団職員の過去は凄惨な場合が多いのだ。

 

「…人事部も楽ではなさそうですね」

 

「当たり前だ。最前線で戦うお前と違って、俺の様な職種の人間は直接危険に晒される事は少ないが、その分、戦闘職の人間が耳にしない様な情報にまで向き合わなきゃいけないんだ。エアコンの効いた快適なオフィスで1日の大半をそれに費やす。来る日も来る日も、アノマリーがどこで、どれだけの人間を、どの様に殺したのか……現場を調査するフィールドエージェントが真面目に仕事をこなすおかげで、ご丁寧に死体の画像までたんまり添付した情報を送ってくる。そんなのを毎日毎日毎日---------全て頭の中に詰め込まれるんだ。気が狂って入院するハメになった奴も少なくない…」

 

疲れた様に目頭を揉みながらフーッ…と息を吐く。その後暫く黙っていたが、やがてポツリと小さく呟く。

 

「…今日みたいな日は本当に勘弁だ………おかげで嫌な記憶が甦る」

 

 気がつけば、海の表情は恐ろしいまでに強張っていた。

 

「………俺は元々、どこにでもいる普通のサラリーマンだったんだ。だがある日、いつも通り電車に乗って会社に向かっていたら突然、近くに居た若い女から痴漢だとか言われたんだ------冗談じゃない。あの女の勘違いか、でなきゃただの言いがかりだ。近くの駅で電車が停まった時、俺は女に腕を掴まれ、電車から引きずり降ろされそうになった……身の危険を感じた俺は反射的にその女を突き飛ばした。結果、女は転んで駅のホームから線路に落っこち、頭を打って勝手に死にやがったッ。警察に捕まった俺は正当防衛を訴えたが、結局認められず、俺は過失致死で一審で有罪判決を受けたッ…!無論、控訴したがそこでも判決は覆らず、弁護士からは『上告しても勝つのは難しい』と言われた。俺は絶望したよ……これで一生、まともなキャリアは築けない。これから先、死ぬまで世間は俺を殺人の前科者として見るってなッッ……!!」

 

結衣の悲劇を聞いたのが、記憶を呼び起こすトリガーとなったのか、海は己が過去に味わった理不尽を吐き出す。それは、間違いなく後藤海の闇であり、その目は激しい怒りと悔しさに満ちていた。握っていた緑茶のボトルが音を立てて潰れる。

 

「俺は職場に向かっていただけだ……それまで真面目に生きてきた。何もしていない!!なのにこの仕打ちだッ……こんな理不尽があってたまるか…!」

 

怒りの感情が収まり、今度は悲しみが海を襲う。

 

 留置所の檻の中で、世界と神を呪っていたある日、謎の黒スーツの男が彼の元を訪ね、こう言った。

 

『このまま犯罪者にされて生きるか、苦境の中で理不尽に抗うか選べ』-----------と。

 

 その男は、海をスカウトしに来た財団のエージェントだった。

 

 

「財団は俺が追い詰められた状況を知り、チャンスと言わんばかりに声をかけてきたんだ。まったく、大した根性だよ………その時の俺に選択肢なんざない。結局、勧誘を受ける事にしたよ」

 

 財団入所の旨を記した契約書にサインを終えた直後、海は釈放された。

 

 どういう訳か、上告を申し出た筈の裁判は行われず、それまでに下された有罪判決などお構い無しに、海はその日の内に家に帰る事が許された。

 

 訳が分からず困惑しながら帰宅の途に着き、妻と2人で暮らす家に到着した。

 

 家のドアを開け、玄関に入ると、普段通りの調子で妻が出迎えて来た。

 

 何の変化もない。妻の態度は本当にいつも通りだった。あまりにも不自然な光景に、海はいよいよ混乱した。

 

 思わず妻に、『裁判はどうなった?どうして突然釈放されたッ?』と問い質した。

 

 しかし妻は首を捻り、奇妙な顔をされた。

 

『何の話?貴方、今日もいつも通り会社から帰って来たんじゃない------』

 

 変な人ね------と可笑しそうに笑いながら、妻はリビングにあるキッチンに戻っていき、夕食作りを再開した。

 

 それを聞いた直後、海はしばし唖然としていたが、やがて、全てを悟った。

 

 その瞬間に全身が震えた------。

 

 それまで感じた事もない程の恐怖と衝撃が身体中を襲った------。

 

 自分が身を委ねた組織の実態の一面を、理解してしまったのだから------。

 

「財団が具体的に何をしたのかは知らん。後で気になって調べてみたが、あの日、俺と揉めて死んだ女は『不注意で線路に落下し死亡』となっていたし、クビにされたと思っていた会社は翌日には普通に行けた。社員の連中は上司から同僚、後輩までが普段通りに接して来たよ。まるで何事もなかったかの様にな……正直、不気味だったよ。事件の事も、裁判の結果も------どういう訳か、全てが"なかった"事にされていた」

 

会社にて社長室に呼び出された海は転籍出向を命じられ------新たな職場となったのが、サイト-8156の人事部だった。

 

 こうして、表向きは元いた会社の関連企業に勤める会社員として、海は財団の職務に励む事となった。

 

「給料は前の職場より上がったが、今まで体験した事もない激務の日々には参ったよ…」

 

ゲンナリした様子で話してくる。

 

 海は財団が見込んだ通りの資質を備えていたし、海も期待を裏切らない働きをしたが、悪名高い日本のブラック企業勢も卒倒する程、財団の人権無視じみた過酷労働は、海を相当に消耗させた様だ。

 

「ある日、久々に仕事から解放されて家に帰ったら、ゲッソリした俺の顔を見た妻が驚いてな……『新しい職場がそんなに辛いなら辞めてもいい』って言ってくれたんだ。気遣いは嬉しかったが、同時に情けなくも思ったよ。家の事は妻に任せっきりで、家には全然帰ってなかったからな…」

 

そんな妻にも、本当の事は何一つ話せなかった。秘密を打ち開けようものなら、財団は妻にまで手を出すかもしれない。

 

 それこそ、誰にも知られない形で…。

 

「------まぁ…そんなこんなで、俺はこうして財団の犬になってる訳だ」

 

話が一区切りつくと、海は改めて脱力し、小さく溜息を吐いた。込み上げてきた感情を全て吐き出した海の様子は、ひどく疲れてる様に見えた。

 

 理雄はそれまで、黙って話を聞いていたが、暫くして慎重に口を開く。

 

「……ひとつ、聞いても?」

 

「……なんだ?」

 

「財団に……この世界に入った事を、後悔していますか?」

 

海は少し考える間を取ると、失笑気味に小さく笑う。

 

「財団が助けてくれなきゃ、俺は職も家族も名誉も------全てを失う事になってたんだぞ?今更文句が言えるか……」

 

ただ……と海は続ける。

 

「俺の……いや、俺達の世界はこの世の闇だ。たとえ正義の味方とは程遠くても、自分なりの責任感と使命を持っている。そんな俺が何の為に健康を害してまで財団で働くかって言えば……」

 

海は飲んでいた緑茶を車のダッシュボードの上に置き、懐からタバコを取り出す。車の窓を開け、取り出した一本にライターで火を点けると、口から煙を吸い込み、鼻から紫煙を吐き出した。

 

「まぁ……これ以上、どっかの間抜けがコッチ側に迷い込まない様にする為だ。アノマリーだけじゃない、財団にも他の要注意団体にも……関わるとロクな事がないってのは、俺自身が身をもって学んだ。少なくとも俺は、今の自分みたいに、世界の真の残酷さを知って絶望して、いつもギリギリな状態で生きているなんて人生を、誰かに歩んで欲しいとは思わん」

 

 それが、後藤海が世界の理不尽に抗う理由だった。

 

「俺には妻がいるし、普通に一般人として生きてる友人達もいる。そいつらが財団やアノマリーと一生関わらずに生きていければ、それが一番いい……俺達の世界には、絶対に巻き込ませない」

 

大切な人には、何も知らずに幸せに生きて欲しい……それはもしかしたら、全ての財団職員の願いであり、想いなのかもしれない。

 

「……俺も、想いは同じです。こんな巫山戯た真実に、一歌達を……大切な人達の人生を蹂躙されるなんて、断じて認められませんから」

 

それぞれが胸の内の決意を語る中、海の携帯が鳴る。

 

「はい。こちら後藤------」

 

海は電話相手と暫く話していたが、やがて、やり取りを終えて通話を切る。

 

「確認が取れた。桜結衣は13歳の頃まであのボロアパートで両親と共に暮らしていたらしい。記録ではその後、家出したとされているが、彼女の両親は警察に行方不明届けを出していない。どうやら、そこで完全に縁が切れた様だ」

 

「じゃあ、両親の方は…」

 

「母親の愛花氏は水商売をしていたらしい。その後、どこかで手に入れた違法薬物に手を出し、今から2年前にあのアパートで中毒死している。父親の耕大氏は無職で、公共の場で酔っぱらい通行人に暴力を振るって逮捕。去年、刑期を終えて出所したが、7ヶ月前に違法風俗店の裏道で刺されて死亡していた」

 

 まぁ、そんな所だろうな……と、理雄は内心で失笑した。

 

「両親の職業も作り話だった訳ですか……まぁ、実の両親がそんなんじゃ……」

 

 その時、理雄の脳内に疑問が浮かび上がる。

 

 当時13歳だった彼女を助けたという友人は誰だったのかという事だ。

 

「それと、あのおばさんが話していた通り、家出をした彼女を養子に迎えた家が解った。で、それが------」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長野県、某山岳地帯------。

 

 車を走らせて約3時間------辿り着いたのは、財団が殉職した職員を埋葬する共同墓地の一つだ。

 

 一見何の変哲もない墓地に見えるが、財団の厳格な管理下に置かれている為、山の中にあっても霊園内は綺麗に清掃され、墓標の周りには、苔や雑草の類いが一切生えていなかった。

 

 人里から極端に離れており、喧騒とは程遠い場所である事と、原則として、霊園内は財団関係者以外の立ち入りを禁じている為、この地に眠る英霊達の眠りが妨げられる事はない。時折、鳥や虫の控えめな鳴き声が聞こえるだけだ。

 

 綺麗な石畳の道を歩きながら、理雄は目的の人物を探す。

 

 自分も生命を落とせば、こういった場所に埋められるのだろうか……。

 

 正直、複雑な思いだった。死後の世界を信じていない自分にとって、己の魂を宿していた器に対し、敬意を持たれるのはありがたいが、やはり自分にとって、死はあまりにも虚しく、寂しい物でしかなかった。

 

 どれだけ大層な葬儀を執り行われようが、大勢の人間に温かく見送られようが、死んだ時の自分には、何も関係ない話なのだ。

 

------ふと、自分が死んだ時、一歌達はどう思うだろうかと想像する。

 

 泣いて悲しむだろうか?それとも、死んだ事すら聞かされないだろうか。

 

 ……彼女達を悲しませたくはない。夢を叶えて幸せに生きて欲しい。だが、君達がいいのなら-----------

 

「…ここに居たか、義野圭一」

 

「……アンタは…!」

 

思考を中断し、ある墓標の前に辿り着くと、そこで松葉杖を突く20歳前後の男と対面する。

 

 かつて、『イタバシ襲撃事件』の調査を担当した結果、『ダウンフォール・プロジェクト』の存在に近づいた事により生命を狙われた財団職員の1人であり、殺された桜結衣の婚約者でもあった人物だ。

 

理雄の顔を見て少し驚いていた。

 

「なんでここに…」

 

「アンタに用があって来たんだよ」

 

理雄はチラリと、圭一の右足を見る。

 

「怪我の具合はどうだ?」

 

「え?あぁ……大丈夫だ。もう殆ど治ってる」

 

以前、カオス・インサージェンシーの暗殺部隊に撃たれた圭一の右足は、ギプスに嵌められていた。

 

「…で?アンタはどうやって俺の居場所を知ったんだ?」

 

「財団から渡された業務用携帯があるだろ?アレに内臓されたGPS機能を使えばすぐに位置情報が掴める」

 

 自分たち財団職員に支給される業務用携帯は、高いセキュリティーに保護された端末であり、任務への緊急招集やその他の業務連絡の大半がこれを通じてやり取りされる。

 

「俺の怪我の具合を聞く為に、わざわざそんな面倒な事をしたのか?」

 

軽く笑いながら聞いてくる。

 

「いいや、勿論それだけじゃない」

 

前置きは程々に済まし、本題に入る。

 

「今日、俺は上官の命令で桜結衣の遺族を訪れた------」

 

「…ッ」

 

その瞬間、圭一は息を呑む。

 

「……結衣の生家を訪ねたのか?」

 

 恐る恐る聞いてくる圭一に対し、理雄は無言のまま頷く。

 

「そうか……ならアンタらは、アイツの過去を知ったんだな…」

 

少し落胆した様子で、圭一はポツリと呟く。

 

「ここにくる前、上から情報が届いた。俺も色々と驚いたよ。まさか、あのお嬢様にあれだけ悲惨な背景があったとはな…」

 

圭一は思わず苦笑する。

 

「だよなぁ…、あの見た目からは想像できないよなぁ……」

 

「あぁ、だが彼女は地獄から救い出された---------アンタの手で」

 

「…………」

 

ふと、圭一は沈黙を返す。

 

「アンタと桜結衣は、昔から付き合いのある関係------所謂、幼馴染だった。小学生の頃、アンタの転校で一時的に距離が空いていたが、中学時代、転校の際に偶然、桜結衣と同じ学校にて再開。そこで彼女が虐待に遭っている事を知った------」

 

小学生の頃の結衣は、まだ身体に目立った外傷がなく、最初は一緒に遊んでいても気付かなかった。

 

 その後、両親の都合であの街を離れ、転校した圭一は2年間、結衣と連絡を取る事もなく、疎遠になっていた。

 

 だが、中学を転校し地元に戻った時、結衣と再開した圭一は目を見張った。

 

「学校で久しぶりに会った時、左手に包帯が巻かれていたんだ。アイツは「部活で怪我した」なんて言っていたが、当時アイツが入っていたのは吹奏楽部だ。包帯を巻く程の怪我なんてする訳がない」

 

嘘だと見抜いた圭一は結衣から事情を聞き出そうとした。

 

初めは告白する事を躊躇していたが、やがて、圭一の説得に根負けして、幼少期から日常的に、両親から殴られていた事を話した。

 

「それを聞いた時、脳が揺れたよ。頭を殴られた感じがした……なんで今まで気付かなかったんだろうなって…。当時は俺もガキだったが、何年も一緒にいたのにな…」

 

 圭一は教師に相談しようと言ったが、結衣は自分の状況を周囲に知られるのを恐れていた。その後、圭一は家族に結衣の事を相談した結果、彼女を連れ出し、実家に避難させる事にした。

 

「俺の父親は公認会計士、母親はアパレル商社の経営者だ。2人は結衣の置かれた状況を理解してくれたし、俺の説得で実家で暮らす事も認めてくれたよ」

 

義野家は結衣を養子として迎え、共に暮らし始めた。新しい家族と過ごす内に、結衣は笑顔を見せる事が多くなっていった。

 

 幸いというか……結衣の実の両親が怒鳴り込んでくる事はなかった。

 

「それから1年くらい、俺と結衣は一緒に暮らした。その後、俺が高校に進学した時期に、俺達は付き合う事になった。俺が高校生で、結衣が中学生」

 

「…危ないな」

 

「あぁ、俺が16で結衣が14だからな…」

 

思わず、互いに苦笑いしてしまった。しかし、直後に圭一の表情が曇る。

 

「…だが、俺が高校2年生の時、両親が死んだ------」

 

 その話は理雄も聞いていた。

 

 当時、あるSCPオブジェクトを運んでいた財団の輸送機が敵対する要注意団体から攻撃を受け墜落、その際、積荷から逃げ出したSCPオブジェクトが、夫婦で旅行に行っていた圭一の両親を殺害したのだ。

 

「家に財団の職員がやってきて、両親の死を聞かされた直後、俺達は財団から保護を受けた。生活の心配は無くなったが、見返りとして、俺と結衣が経済的に自立するまで、財団で勤務する契約を交わした」

 

初めは、財団入所を拒否しようとしていた圭一だったが、2人で生きて行く為には財団の支援が必要だと結衣から説得された。

 

「コッチはいきなり両親が死んで混乱してるってのに、今度は怪しさ満載の組織からの勧誘だぞ?普通受けないだろ……だが結衣は、俺との未来を生きる為なら、危険な道でも構わないと言ったんだ。正直ビビったよ。結衣は俺なんかより、ずっと強かったんだ」

 

 こうして、圭一と結衣は財団職員として、世界の闇に巣食う怪物達との戦いに身を投じる事となった------。

 

「財団で働いている内に、俺も結衣も、人類を守る人間としての生き方が身に付いた。契約満了後も、俺と結衣は財団でやって行くつもりだったが……今となっては、全てが無意味になったよ」

 

自嘲気味に肩を竦める圭一。

 

「アンタは……俺を恨んでいるか?」

 

「恨む?何故?」

 

「俺が……桜結衣の死の原因を作ったからだ」

 

理雄の言いたい事を理解した圭一は「あぁ…」と呟く。既に事件の顚末を知っていた様だ。

 

「アンタが結衣に接触しなくても、アイツは自分から事件を深掘りしていただろうさ、俺が止めても止めなくても、やると言ったら必ずやり通すのがアイツの強さだ。アンタに責任はない」

 

「だが……」

 

「1番責任があるとしたら、それは『ダウンフォール・プロジェクト』なんて巫山戯た計画を立てた連中だ。アンタとアンタの仲間達はそいつらをブチのめし、事件を終わらせた。その上、俺はアンタらが助けてくれなかったら死んでたんだぞ?これで恨んだらあの世で結衣に怒られる。それに…」

 

圭一は一旦言葉を切ると、声のトーンを一段階暗い物に変える。

 

「俺は……戦いから降りる身だ。この先も戦い続ける人間を責める資格はねぇよ…」

 

「え…?」

 

 キョトンとする理雄を無視して、圭一は近くの墓標に向き合う。

 

 そこは、圭一の両親と桜結衣が眠る墓だった。

 

「怪我が治り次第、俺は財団を辞める」

 

「…!」

 

「俺は結衣を守る為に財団に入ったんだ。だが……結衣が死んだ以上、この先も財団に身を置く理由はない」

 

 圭一は無表情のまま、墓を見つめながら話していた。その表情はどこか虚で、言葉は無意味に宙を彷徨っていた。

 

「転職先は目処が付いている。散々コキ使われた分の退職金は貰えるし、暫くはゆっくり出来そうだ…」

 

「だが…民間社会に復帰するとなると…」

 

「規定に則り、Bクラス記憶処理を受ける。機密情報に関する記憶は軒並み消されるし、結衣に関する記憶も一部消えるが……まぁ、大丈夫だ。大事な思い出の大半は残る」

 

 そう言うと、圭一は理雄に向き直る。

 

「さて……じゃあ俺は帰るぜ、良ければアンタも墓参りしていくか?」

 

「…あぁ」

 

 理雄は短く首肯する。

 

「そうか……じゃあ、元気でな」

 

圭一は理雄の隣を通り抜けて行くと、そのまま去ろうとする。

 

「…最後に、聞いていいか?」

 

背後の圭一に問いかける。お互いに相手を見ようとはしない。

 

「アンタは……財団に入った事、後悔しているか…?」

 

「………………」

 

暫くの間、沈黙を返されたが、やがて口を開く。

 

「財団には、家賃も学費も、何から何まで面倒を見てもらったんだ。好きで始めた仕事じゃないが、行くアテもなかった俺達に救いの手を差し伸べてくれた事には感謝してる」

 

「だが…」と続ける。

 

「俺は………結衣を守れなかった…………今はそれだけを後悔している」

 

小さな呟きを最後に、今度こそ圭一は霊園を去った。

 

「…………」

 

一人取り残された理雄は、目の前の墓標に向き直る。

 

 合掌し、黙祷を捧げる。

 

 ふと、先程の思考が脳裏を過った------。

 

 いつか……自分が抗いの果てに生命を落とした時------、

 

 もしも、君達が良いのなら------------、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 君達が描いたセカイの光景の中に、俺の面影が残ります様に------。

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌週の月曜日、宮女の校内は朝から騒がしかった。

 廊下、教室、階段の傍……いたる所で生徒達がヒソヒソと話している。

 

「ねぇ、聞いた?3年の桜先輩の噂…」

 

「あぁ……何週間も前から行方不明になっていた人?」

 

「それなんだけど……どうやら海外に行ったらしいよ」

 

「えッ…何ソレ、留学?」

 

「そうらしいよ。なんか有名な外国の大学からスカウトされたみたい、飛び級進学ってやつ」

 

「マジッ?凄すぎない!?」

 

「まー、実際頭メチャクチャ良いし、弓道でも有名だったからねぇ…」

 

「あ…でも、その時、変な事があったらしいんだけど…」

 

「え…なになにッ?」

 

「なんか……弓道部の部室や教室にあった桜先輩の荷物が回収されたんだけど…、その時、回収に来た人達が凄くキナ臭かったんだって」

 

「キナ臭い?どういう事?」

 

「なんでも……黒スーツにサングラスかけた怪しい人達が土日にたくさん来て、桜先輩の荷物を全部持っていったんだって」

 

「え……ちょっと待って、ソレどこの映画の話?」

 

「ホントだって!休日に部活の練習に来てた子たちが見てるんだよ!」

 

「でも……荷物を取りに来たって事は桜先輩の身内だよね?」

 

「そのはず……なんだけど、見た目が完全にスパイ組織の人間だったからさ…、来てた子達も先生達も怖くて近寄れなかったんだって」

 

「えー!何ソレー!?」

 

 

 さっきからずっとこんな調子だ。

 

「あ、理雄先生!」

 

職員室に向かっていると、背後から声をかけられる。

 

「雫か…おはよう」

 

「おはようございます。あの……今日みんなが噂している話って…」

 

「事実だよ、俺も確認した」

 

表情を変えぬまま言う。

 

「そうですか……ちゃんとお別れ出来なかったのは残念です…」

 

雫は悲しそうに顔を伏せる。

 

「どうやら、向こうの大学の都合ですぐに飛び立たなきゃいけなかったらしい。詳しくは知らないが、ドタドタしていたせいで挨拶も出来なかったそうだ」

 

雫と会話しながら、理雄はあの霊園を後にした時の事を思い出す。

 

 高速に乗ってシブヤに戻る頃には、すっかり陽が暮れていた。その時、運転していた海から話された。

 

『お前が墓参りしている間、上から連絡が来た。桜結衣は『急遽留学した』とするらしい。今週中に彼女の私物が宮女から回収される』

 

海の話によれば、回収された物は全て圭一が受け取るらしい。

 

『やれやれ、思った以上に疲れたな』

 

 海が疲れた様子でふぅ…と溜息を吐く。

 

『すみません。わざわざ長野まで送ってもらって…』

 

『気にするな。俺も気になっていたんだ。"桜結衣は不幸だった"のかってな…。で、婚約者から話を聞いてどう思った?』

 

『…財団に入る人間は、大抵が不幸を抱えています。多分……普通に暮らす一般人よりも、ずっとキツイ思いをしている…』

 

それでも……彼女を想っていた人間はいる。

 

 あの街の近所の女------。

 

 結衣を温かく迎えた圭一の両親------。

 

 彼女との未来を目指した圭一------。

 

『だけど……桜結衣には、自分を見守ってくれた人間や、愛してくれる人間がいた。そういった誰かの想いに、彼女は救われていた……自分はそう思います』

 

海はそれを黙って聞いていた。やがて…ゆっくりと口を開く。

 

『…俺も、妻の存在に救われている。だからこうして辛い日々を乗り越えていける。誰かの想い……か……確かにそうかもな…』

 

不意に、海が視線を理雄に向ける。

 

『お前はどうなんだ?理雄』

 

『え…?』

 

『お前がこの世界に来た最初の頃より、今のお前は幸せそうに見える。お前も……誰かの想いに救われたのか?』

 

『………はい』

 

『そうか…………大事にしろよ。その人達と、その想いを』

 

海との短い会話を終え、車は夜になった高速を駆ける。

 

 長野の山奥は人の営みによる光が少なく、空は星空が輝いていた------。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな回想を終え、雫との会話に戻る。

 

 彼女の表情は晴れぬままだ。

 

「…寂しいか?」

 

 理雄が問いかけると、雫はコクンと頷く。

 

「えぇ……1年生の頃からお世話になりましたから。私がアイドルのお仕事で悩んでいる時、何度も気にかけてくれましたし、色々とお話して、辛い事を忘れさせてくれる様な人でした。だから……ちゃんとお礼を言いたかったです…」

 

「…大切に想っていたんだな」

 

「はい……あの、理雄先生」

 

不意に、顔を上げた雫は懇願する様に見つめてくる。

 

「理雄先生は……桜先輩みたいに、何も言わずに居なくなったりしませんか…?」

 

------ッ…!

 

不安げに聞いてくる雫を前に、理雄は硬直しそうになる。

 

「------心配するな」

 

なんとか穏やかなトーンを保ちながら、理雄は柔和な笑みを作る。

 

「俺はどこにも行かない。約束する」

 

そう言って雫の頭にポン…と手を載せる。普段ならまずしないが、自分の中の動揺を見透かされない様に、小さな頭を優しく撫でた。

 

 やがて、雫の表情が安心した物へと変わっていく。

 

「…理雄先生の手、大きいんですね」

 

 理雄にされるがままに、雫は嬉しそうに微笑んだ。

 

頭から手を離すと、理雄は改めて雫に向き直る。

 

「俺は、君達を大切に想っている。いつも君達の幸せを望んでいる。だから……こうして、いつまでも君達を支える。この先にある未来を一緒に見よう、雫」

 

「……ッ!理雄先生…」

 

雫は驚いた様に理雄を見つめていた。やがて------、

 

「------はい!私も……理雄先生をいつも大切に思っています。優しくて素敵な貴方を……いつまでも…!」

 

今にも感極まって泣きそうな雫、ここまで嬉しそうな雫は初めて見たかもしれない。元大人気アイドルの眩しくも華やかな笑顔に釣られて、こちらも自然と笑みが溢れる。

 

 お互いを見つめ合う最中------、

 

「せ、先生…?」

 

声が聞こえた方に視線をやると、Leo/needの少女たち4人が衝撃のあまり茫然とこちらを見ていた。

 

「い、今のって……」

 

一歌の一言目を皮切りに、咲希が興奮した様子で叫ぶ。

 

「もしかして……プロポーズ!?」

 

途端、志歩がこれまでにない程動揺した様子で詰め寄ってきた。

 

「ち、ちょっと!どういう事ですか!?なんでお姉ちゃんと理雄先生が……っていうか、いつの間にそんな仲に…!」

 

穂波も目を丸くしながら驚いていたが、やがて包み込む様な柔和な笑顔を見せる。

 

「おめでとうございます!お二人共!」

 

彼女達の反応を見るに、どうやらとんでもない誤解をしている様だ。

 

「ちょっと待て止めろ変な風に捉えるんじゃない。俺は何もそんなつもりで…」

 

「えぇッ?嘘だったんですか!?」

 

理雄が否定すると、今度は雫が悲痛そうに叫ぶ。

 

「むッ……リオせんせー!男に二言はないよッ、ちゃんと責任とらなきゃ!」

 

咲希の興奮は冷める様子がない。他の面子も似たり寄ったりで収拾が付かなくなっていた。

 

「だから落ち着け!いいか?俺は"君達"と言ったんだ。その中には一歌や咲希、志歩や穂波の他に、みのり達も含んでいるんだッ」

 

さっきのはあくまで自分の想いを伝えただけであって、決してプロポーズや告白の類ではないと説明したつもりだったのだが、正しく伝わらなかったのか、少女達はまた変な誤解をし始める。

 

「私達…?って事は……まさか全員と結婚するつもりですかッ!?」

 

 一歌が面倒臭くなる事を言い始めた。

 

 おかげで周りがさらに湧き立つ。

 

「せんせーひっどいッ!私達を手篭めにする気!?それも皆んな纏めてなんて……サイッテー!」

 

「先生……どういうつもりですか?」

 

「理雄先生が……私達全員を……5股…?いや、桐谷さん達を含めれば8股ッ…?」

 

「…………」

 

 咲希が全身で憤慨し、志歩が低い声で恫喝してくる。

 

 一歌は驚愕のあまり挙動不審になっているし、穂波はショックで放心状態となっている。

 

 朝っぱらから痴話喧嘩をしていると思われ、周囲の女性陣からは生徒・教師ともに冷たい視線が理雄に突き刺さる。

 

 今すぐ帰りたい------全てを放り投げて逃げ出したいと心の底から叫びたくなったその時------。

 

「皆んな!少し落ち着いて!」

 

今の今まで何をしていたのか、雫が突如として声を上げる。

 

「理雄先生は悪くないわ、私だけじゃなく、一歌ちゃんやみのりちゃん……皆んなが大切だから、いつも誠実に向き合って、私達を助けてくれるの!それを今……伝えてもらったわ!」

 

「「「「…………え?」」」」

 

途端に場が収まり、皆がポカンと口を開ける。

 

「じ、じゃあ……さっきのは…」

 

志歩が尋ねると、雫は笑顔で頷く。

 

「えぇ!理雄先生から応援して貰えたし、大事に想って貰えて、私すっごく嬉しかったわ〜。皆んなも同じよ!」

 

「「「「………………」」」」

 

皆でお互いの顔を見つめ合う中……不意にクスッと笑いが起きる。

 

「な〜んだ。そうだったんだ!」

 

「まったく………なんでもっと早く言わないの、お姉ちゃんは」

 

 咲希が笑顔で納得し、志歩が呆れた様に溜息を吐く。

 

 本当にもっと早く言って欲しかった。

 

 ようやく変な誤解が解けて、ドッと肩を落とす。

 

 今日は朝から随分と体力を使ったが、元気な彼女達を見ていると、自然と疲労が消えていった。

 

 こんな騒々しい日常の一場面も、自分にとっては欠かせない1日であり、守りたい平穏なのだ。

 

 気付けば、朝のホームルーム開始を知らせるチャイムが校内に鳴り響く。

 

「あ、そろそろ教室戻らないとッ」

 

「えぇ、私も失礼するわ」

 

各々がそれぞれの教室を目指して動く。

 

「リオせんせー!今日も授業よろしくお願いしまーす!」

 

咲希が元気一杯の様子で教室に戻る。他の面子も一礼して理雄の元を去って行く。

 

「あぁ……今日も一日頑張ろう」

 

軽く手を振って見送った後、理雄も職員室へ歩を再開する。

 

------今はまだ、本当の事は何も言えない。

 

 

 だけどそれでいい、彼女達が知る必要はないし、知らない事で、彼女達は今日を生きられる。自分はそんな小さな幸せを守ろう。

 

------それでもいつか、話せる時が来たのなら、

 

------その時は真っ先に、この想いを伝えよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

------君達がいたから、俺は救われたんだ。

 

 

 

 

 





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