とらんあんぐる組曲2 ~最後に贈る、鳥の歌~ 作:レトロ騎士
序章 『鳥たちの舞踏会』
◇
大きく呼吸を整えると、雨の匂いがした。
まだ軽く日差しが残っているが、それも、呼気の静まる速度にあわせるように、徐々に治まっていく。
雲はいつしか空一面を多い、光届かぬ日中の、独特の暗さが辺りを支配した。
私は、吸い込んだ空気を吐き出すと同時に、それまで弛緩していた両腕に、そろそろ運動の時間ですよと、活を入れる。
利き手側は、やっと出番か、とすぐさま血流を慌しく走らせ、いつでもいける、と私に合図をする。反対側は、やれやれ、とため息をついたように、右腕からワンテンポ遅れてから、少しずつ少しずつその稼動を開始した。
それでも、双腕がお互いを認め合い、その歩調をそろえるのに必要だったのはほんの一瞬だ。
自分にしかわからない、己の体との刹那の会話。
それは、決して自分と相容れぬことはない。その手に剣を携えてから、十数年。一度だって自分を裏切らないったことはない。
道場での練習試合。剣道の大会。そして、『仕事』と、いつだって、それは私と共に合った。
それに、裏切るのは、いつだって私のほうだ。
一瞬の気の迷い。油断。ためらい。そんな私の心の弱さが、積み上げ鍛えてきた「彼ら」に、その力を発揮させてやることができず、私は何度も何度も悔恨をすることになる。
だから、私は剣を振る。
少しでも、そんな悔しさを繰り返さない為に。
握り締められた両手には、刃を誇らしげに輝かす、一振りの刀。
日本刀――ではない。
だがその趣は、和の真髄とも言える刃金の力強さと、無骨な美しさを持つ、日本刀のそれと同じものを感じさせた。
銘を、十六夜。
すでに失われた製法で生み出された鋼鉄と、作り手としての魂は継承しても今では再現できる者の無き巧みの技で鍛え上げられた、霊験あらたかな至高の芸術。親友にして――家族。
私は、構えを正眼から上段に移すと、そのまま、自分の丹田まで、一気に振り下ろす。
百回ほどその動作を繰り返してから、今度は振り下ろした後にそのまま刀を返して振り上げる動きを追加する。
踏み込みに体重をかけ、沈み込んだ体が完全に勢いづく前に、膝から腰に力をこめて、一気に右手を振り上げる。
また、数十それを繰り返すと、今度はそこから水平に刀を走らせる動きを加えた。
剣を振るうたびに聞こえる、剣先が空を泳ぐ音。
私には、そんな風切る音が、昔から鳥の鳴き声のように聞こえていた。
鋭く振るったときは、ひゅうん、という猛禽類の嘶き。
早く細かくすると、ひゅっ、ひゅっと小鳥の啄ばみ。
自分の動きに合わせ、鳥たちが現れてくる。
でも、これだけでは物足りない。『鳴き声』では、面白くない。
「ふっ」
私は、また、正眼に刀を納めた。
すうっと息を吸い上げ、目を閉じる。
体のあちこちから沸き立つ形なき力が、血液に乗って全身をめぐり、額から首、肩、手、腰、足、と、それが循環するイメージをすると、発汗とは別の静かな高揚感で満たされた。
イメージは、手から刀へ伝わり、それが力となる。刀身が淡い光を纏うと、チリチリチリチリ…と小高い連続音が聞こえてきた。
その状態で、先ほどの動作を繰り返してみる。鍛錬のさなか、不謹慎だとは思いつつも、大好きな瞬間だった。
ひゅうん、がキチュウン、ひゅっ、ひゅっ、がチリィ、チリィ、と。
『鳴き声』はいつしか、聞くものの耳を楽しませる、鳥たちの歌――『囀り』となって、私を囲んでいった。
それが楽しくて、私はさらに様々な囀りを聞こうと、剣を振り続けた
もうすぐ、雨の季節が終わり、地面からの熱気と、空からの湿気が混ざり合う、夏が来る。
きっと、そのときも私は、この鳥の歌声たちの中で、剣を握っていることだろう。
私が動きを変え、早くするたびに、鳥たちの数と種類が増えていって――。
今日も、私の側には、幾羽もの鳥達が囀っていた。