とらんあんぐる組曲2 ~最後に贈る、鳥の歌~   作:レトロ騎士

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第三章 『鳳凰が墜ちる日』

         ◇

「桃子ー!シュークリームセット三つ、コーヒー2にとオレンジ1入ったヨー」

 

 一部の熱烈なファンから、天使の歌とも呼ばれる、フィアッセの澄んだソプラノが、翠屋の厨房カウンターに向けて流れた。

 それに応じて、店長の桃子が店舗用の巨大なオーブンを、熱気に汗ばみながらそれでも嬉しそうに覗き込む。

 

「はーい、焼き上がりまであと六分だから待ってー!」

 

 翠屋――高町家が営むその喫茶店は、日曜午後三時が最大のピークを迎える。

 平日昼のランチタイムもそれなりに繁盛はするが、シュークリームで評判のこの喫茶では、女子中高生からOLといった、女性が主なターゲットになる。それに伴い翠屋は禁煙席のほうが多くなっており、『喫茶』とは名ばかりの『甘味処』と言っていい。

 テーブル席だけでなく、シュークリームやケーキ、プティングは持ち帰り用としても販売しているため、書き入れ時の名にふさわしい集客状態だった。

 当然、桃子、フィアッセだけでは手が足りるはずもなく、ウェイトレスとして蓮飛、晶、美由希だけにとどまらず、10歳になったばかりの、末妹なのはまでレジ係にかり出されている。

 長兄、恭也はと言えば、こと剣以外のことには不器用らしく、主に掃除や運搬にいそしんでいる。

 素が無愛想な彼である。物事を真面目にこなすのは間違いないが、接客をしても、どうしようもないくらいに、武人としての本質が出てしまう。

 にこやかな笑顔、というのが、彼にとっては至難の技術らしい。

 それはそれで、その朴訥さがクールにうつるのか、一部の客層に人気があるのだが、本人が自覚していないらしく、

 

「俺が接客すると良い印象を持たれないだろう」

 

 と、自発的に裏方に従事している。

 こんなことでは店を任せられるわけはないのだが、翠屋を正式に継ぐのは、このなのはだろうし、『二代目店長』の肩書きにふさわしい働きぶりだ。

 もともと高町家一、機械に強いのでレジやオーダーリーダーの使い方は一番に理解したし、シュークリームに始まるお菓子の作り方も、客に出せるほどではないが確実に進歩していた。

 愛らしい表情はマスコット的存在としても翠屋では評判がよく、さらには、一日一回は必ず起こる猿亀合戦を諌めるのも、なのはの仕事の一つだった。

 裏方の調理場が騒がしくなっているのを、なのははなんとなく気付いて、向かう。

 

「てめー!ミドリガメ!そんなポンポン皿を置くから、皿に残ったカラメルが飛び散るじゃねーか」

「ほー、お猿がさっさと皿を洗わんのがいかんやないの。人のせいにスンナ」

「なんだとコラ!やるか!」

「やらいでか!」

 

 視線が交差し、一種即発……だったのだが

 

「晶ちゃん、レンちゃん」

 

 突然のなのはの呼び声に、びくう!と二人の体が震えた。

 

「な、なにかなー?なのはちゃん」

「そ、そうやー、ウチら、ちゃんとやってるでー」

「うん、もうすぐピークも過ぎるから、そしたら一息入れてってお母さんが」

 

 ひょこひょこと動く、二つの髪留めが愛らしく動いて、笑顔で言うなのは。

 

「そかー。ありがとうななのはちゃん。じゃあそうさせてもらうわー」

「うん……ところで、さっきなんか怒鳴り声聞こえたけど、まさか、喧嘩なんてしてないよねー」

 

 笑顔のなのは。だが、この笑顔が、仮面のごとく動いていないことが、怖くて仕方ない二人。

 

「ももももちろん!なあレン」

「おうとも!ウチら仲良しコンビやもんなー」

 

 仲のよさのアピールと共に肩を組んで平静を装うにも、どうにも声が震えてしまう。

 実はこの二人、怒ったなのはを非常に恐れている。

 もちろん、武人としてそれなりの実力を持つ二人が、一介の小学生でしかないなのはに、力で勝てないわけがないのだが、なんでも、なのはに怒られると、本当に悪いことをしてしまったように感じ、精神的なプレッシャーがすごいことになるのだとか。

 高町家においての最大権力者は家主であり、恭也、美由希の義母である桃子であることは間違いないが、その母を『叱れる』のは、娘のなのはだけだった。

 良い意味で頑固なところもあり、芯の強い子だ。純粋で、健気で、子供ながらに他人を気遣うことも出来る。片親で育ち、本当は亡き父親に甘えたいこともあるだろうに、そんなことは一切見せようとしない。寂しくなって泣くときも、家族に心配をかけたくないと一人で隠れて泣くような、そんな子だ。

 それを知っているから、少しでもなのはに笑っていて欲しいし、もっと甘えて欲しいと、皆が心から思う。

 だから、そんななのはから怒られるのは、自分がいかに悪いことをしているのかを突きつけられたように思えてしまうのである。

 

「うん、二人とも、最近喧嘩しないでくれているから、なのはうれしいなー」

 

 その言葉は、おそらくはなのはの本心だ。ただ、本人が気付いているのかは別として、それが、二人を暗に釘を刺しているようにも思える。

 

『は、はい』

 

 なのはに見つからないように、お互い、相手に回した肩の後ろを抓っていた指先が、びくり、と震えた。

 

「どうしたの、なのは」

 

 普段の三つ編みから、接客モードのポニーテールに髪型を変えた美由希が、調理場から出てきたなのはに声をかけた。

 

「あ、おねーちゃん。うん、晶ちゃんとレンちゃんがまた喧嘩してるような気がして見に行ってたの。でも、気のせいだったみたい。二人とも肩組んで仲よさそうにしてたよ」

「あ、あはは……。あー、そうなんだ」

 

 大体、どんなことが起きていたのかが見当がついて、美由希は今頃安堵してるであろう二人を想像する。

 最近のなのはの、静かに無言で怒る怖さは、美由希も十二分に知っているので、それはもう、二人がどれだけ神経をすり減らせたのか、手に取るように分かる。

 ――合唱。

 

 

         ◇

「んー、今日もお疲れ様!」

「桃子さんもう駄目ー……」

「おかーさん、だいじょーぶ?」

「美由希、三十分後からはじめよう」

「はーい、今日は投げ技が中心だっけ?」

「よし、レン。組み手やろうぜ組み手!」

 

 店を閉めて、ようやく一同が接客モードから抜け出し、思い思いの台詞で、家に戻ろうとしたそのとき、

 

「ん……おい、レン?なにぼーとしてやがるんだ?」

 

 そんな、晶の言葉の後に、ドサ、と何か物が落ちた音が聞こえた。

 初めは、小麦粉の袋が落ちたのかと思った。だが、振り返ったそこには――

 

「お、おい、どうしたんだよ!」

 

 狼狽する晶と、そのすぐ隣で倒れる、一人の少女。

 

「――レン!」

 

 恭也の悲鳴じみた声。

 長年一緒に暮らしてきた家族の、誰一人として、こんなにも切羽詰った恭也の声を、聞いたことがなかった。

 皆が事態を把握するよりも早く、恭也が倒れた少女に駆け寄る。

 

「レン、どうした!」

 

 頬に手を添えて、恭也が呼びかける。

 普段から、脳を打った可能性があるときの対応処置を脳髄まで染み込ませていたことが幸いし、決して冷静でいられない状態にもかかわらず、いきなり揺さぶったり抱えあげたりはしなかった。

 蓮飛の喉元に人差し指と中指を当てて脈を取る。――弱い。それでも、鼓動が規則的なのが救いだった。

 何故――。もう、彼女は病を気にせずに生きられるはずだ。天才的な武術の才がありながら、体力や筋力になんの欠点もないというのに、心臓の疾患によって激しい運動が制限されていた、あの苦難の日々は、もう終わったはずだ。

 なのに、何故、今俺の目の前で息も細く倒れている――。

 

「母さん、はやく救急車を!」

「あ……うん」

 

 呆然としていた桃子の瞳に光が戻る。

 動揺は収まらず不安が押し寄せるが、それでも、保護者たる自分ができる限りのことをしなければと、桃子はその思いだけで電話の元に急ぐ。

 

「おい、レン!どうしたんだよ……おい!」

 

 晶が、零れ落ちる涙をぬぐうこともせず、怒りにも似た顔でレンのそばにやってくる。

 揺り動かそうとする晶の手を、恭也が止めた。

 

「師匠……」

「動かすな。何が原因か、分からないんだ」

「でも、師匠!」

「……俺が、我慢しているんだ」

 

 奥歯が砕けてもおかしくないくらい、食いしばって、恭也は搾り出すように言った。

 震えて、それでもまっすぐに蓮飛を見つめている恭也を見て、晶はそれ以上何も言わなかった。

 二人が恋人となっていることなど、そんな発想さえしない晶だが、それでも最近二人の雰囲気が変わっているのは、鈍い晶も気付いていたからだ。

 

「レン……」

 

 恭也が、呼びかける。

 冷たい床の上に放置したままでいるのが、つらい。すぐにでも抱きしめてやりたい。

 でも、これが最善の処置だ。救急機関に連絡し「何もしないこと」が、自分に出来る最善だ。

 なんて、無力。

 守ると誓った。いつでも、傍にいると約束した。

 だからせめて、蓮飛の手を優しく両手で包み込む。

 サイレンの音が聞こえてくるまでの十数分間が、無限に落ち続ける砂時計を見守っているように、恭也は感じていた。

 

 

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