とらんあんぐる組曲2 ~最後に贈る、鳥の歌~ 作:レトロ騎士
◇
「原因が、わからない?」
「ええ、医学的に、なにも異常なところはないんです。にも関らず、体のあらゆる活動が弱まっている。エンジンもガソリンもクランクも、全てに異常がないにもかかわらず、アクセルを踏んでも車が動かない。そんな光景を見ているようなんです」
蓮飛が運び込まれた海鳴病院の特別室で、恭也のかかりつけの医師でもあるフィリスが高町家一同にそう告げる。
桃子が、祈るように手を握り合わせながら、不安げに聞く。
「大丈夫……なんですか?」
「今は、活動が弱いながらも安定はしています。しかし、原因が分からない以上は、どのような条件で容態が変化するか、まったくわからないんです。……それともう一つ、気になることがあるんです」
自分の無力さを儚むように一瞬目を落として、フィリスが続ける。
「レンちゃんだけじゃないんですよ。ここ一週間だけで数十人。この街で同じ症例の患者がここに運び込まれてるんです」
その全てが、原因不明。確実に、何らかの関連性があると判断した各医療機関、また公安機関にて、新種の感染型病原菌や、気化薬物の流出。はたまたテロ行為などの調査が行われているとのことだ。
「フィリス、話の途中すまないが」
フィリス専用の特別待機室を、ノックも無しに現れたのは、フィリスとまったく同じ顔で火のついてないタバコをくわえた、一人の女性だった。
「リスティ、なにかわかったの?」
リスティ――リスティ槙原。特殊公安部に勤める、フィリスの姉である。
耕介と同じ姓だが、これは、耕介のいとこである槙原愛の養子だからである。
「ああ、わかったっていうか、管轄外というか――詳しい話は、耕介に聞いてくれ」
リスティが自分の入ってきたドアを親指で指し示すと、やあ、と所在なさげに入ってくる大柄な青年の姿。
「耕介さん?何故、ここに?」
「ああ、フィリス……どうもね、この一連の事は、霊障が原因だと思う」
霊障――この世界にある、霊と呼ばれる存在が引き起こす、様々な怪異現象の総称だ。
「そう、なんですか……。では、お願いするしか、ないんですね」
「フィリス先生?」
「どうしました?恭也君」
「えっと……その、耕介さんのことを疑っているわけじゃありませんが、その、霊とかいうのをフィリス先生みたいな医者があっさり納得しているのが、その、信じられないというか……」
本当のことを言えば、そんな胡散臭いことを受け入れる前に、もっとがんばって原因を突き止めてほしい、という思いが強い。
そのあたりを察したのか、フィリスが恭也に向き直って、答える。
「私達は、医学という名の科学に準じるものです。だからこそ、霊力という名の、未知なる力の存在を認めています」
友人の忍と、同じようなことを言う、と恭也は思った。
月村忍――彼女は、非常識な闇の世界に生きながらも、理系電子工学の使徒でもある。
勘違いしている人が多いが、科学というのは、『技術』ではなく『手段』のことだ。観測し、仮説をたて、検証し、確認する。その繰り返しにより、この世界の法則を見つけることこそが、科学というものだ。
だから、天動説も『当時』は立派な科学だったのだ。天体の動きを観測し、天が動いているという仮説を立て、それに伴う数々の証拠を探していたのだから。単に、それが科学的に間違っていたことがわかった、というだけである。
「霊力ってのがナンなんだかは知らないけどさ、世界には法則として霊力が存在し、そういうことが出来る人には、それが出来るだけの仕組みが体にあるってことなのよ。氷を知らない人が始めてそれに触れれば、冷たくて硬くて透明な未知の物体。それが水から出来ているなんて、信じられないでしょう。でも、私たちは水を冷やせば凍るということを知っているから、それを不思議に思わない。それだけの違い」
恭也と同じ大学の彼女が、恭也の試験勉強を見ながら、そんなことを語っていたのが思い出される。
彼女に言わせれば、先ほどのフィリスと同じように、霊力だって、科学的なことらしい。ただ単に、「今の科学」ではその仕組みが分からないだけだと。
もし、無根拠に霊がいると叫んでいるのなら、それは何の意味もない妄言と同じだ。手品と同じ事をして超能力と叫ぶのと同じくらい、滑稽なことだ。「今の科学ではわからないだけで超能力は存在している!」と、「超能力」を発見もしていないのに叫ぶのも、同様の道化であろう。科学では『存在しない証拠』は見つけられない。それは悪魔の証明と呼ばれ、常に『存在する証拠』が求められる。
だが、逆にいえば仕組みは分からなくとも存在そのものは確認されるのであれば、それは科学の対象だ。物理的に曲がる可能性のある状況でスプーンをどれだけ巧みに曲げたところで、手品と大差がない。だが、絶対に物理的に曲がらない状況で、0.000000000001ミリでも曲げたのならば、それは未知なる可能性を示すのだ。
「私たちのいるこの世界では、霊力ってものが実際に使われたり、私達みたいに夜の一族っていう動物に変身したり吸血したりする生き物がいて、妖狐なんていう妖怪が実在する。それは、高町君も確認してるよね。で、実在しちゃってる以上、それの仕組みや法則を発見、理解しようとすることそのものを、『科学的』と呼ぶのよ」
その言葉は、今、フィリスが言ったのか、月村との過去の会話を思い出したものだったのか。
だが確かに『そういうものなのだ』という事は納得する。
フィリスが、続ける。
「私達に……いえ、退魔の術を扱う耕介さん、神咲の人たちだって、その仕組みそのものはわからないでしょう。しかし、現実にそれが存在しているのなら、いつかはそれも解明され、当たり前に治療医術として使われていくかもしれません。ただ今は、その結果のみを重視して利用する。それが、科学者としての使命ですから」
たまにオカルト信者が「科学者は頭が固いから常識にとらわれて信じないんだ」などというが、それは誤りであり科学について無知すぎる。どんな常識よりも、観測される事実そのものを重視する。それが、科学だ。ゆえに、真の科学者は「実際におこる超常現象」をばかにしたりはしない。
馬鹿にするのは、科学という手段の意味を理解せず、ただ自分で作り上げた『設定』を無根拠に騒ぎ立てる姿勢である。
超能力だろうが錬金術だろうが幽霊だろうが妖怪だろうが神様だろうが、「事実」として存在するなら認めるのだ。
速度や重力の影響で、時間と空間が変化する相対性理論などという物理に縁のない人達の『非常識』も、実際にそうなっているのだからと、その正しさが認められるように。
「でも――それ以上に、私は耕介さんを、退魔師としても、人としても、信用してるんです」
だから、彼を信じて欲しいと。そう、真摯にまなざしを向けるフィリスに、恭也は何もいえなかった。
ほんの僅かな沈黙の後、耕介はコホン、と咳払いをした。
「あー、まあ、結論から言うとさ。原因となる霊障はもう特定できたよ。商店街の西、住宅開拓が進んでいる元病院の跡地の一角だ。リスティを通じて警察への事態の報告と、御架月を使った正式な祓いを行うのに必要な神咲の許可をもらうために戻ってきたんだ。今回那美が帰省してたから、めんどいったらなかった」
そういって、御架月と呼ばれる霊剣を見せる。そのまま持ち歩くと銃刀法違反になるので、それなりに手続きが必要なのだとか。
「そこに、今回の原因たる霊障が、ある。許可が下り次第、向かうつもりだ」
だから、安心してほしいと、耕介は、持ち前の明るさで、高町家に微笑みかける。それだけで、全てが信じられる、そんな、笑顔だった。
だが、恭也だけは、違った。耕介に近づくと、風圧を感じるくらいの速度で耕介に頭を下げて、言う。
「俺も…俺も、そこに連れて行ってください!」
「駄目だ」
即答された。
予想はしていたことだが、ここで引くわけにも行かない。
「俺が、足手まといになるから、ですか。それでも、お願いします。俺は耕介さんの邪魔はしないし、そこで俺がどんな目にあっても、無視してくれてかまわない」
「違うよ。多分、今回に限っては、君がいたほうが俺が助かるくらいだ」
耕介の言葉がよく分からず、きょとんとする一同を尻目に、彼はちょっとだけ長くなるな、と傍の椅子に座る。
「調べたんだけどね、どうも、この原因となる霊障ってのは、ただ死んだ人間が起こしているものではなく、病気によって死んでいった人たちの、『死にたくない』という思いが集まって出来た、祟りに近い存在なんだよ。良いものにしろ悪いものにしろ、思いが形となり現象として具現化したものが祟りという。さらに、ごく稀に意思を持ち、人間や動物、時には無生物と融合し肉体をもったものを俺たちは妖魔と呼んでいる。妖魔ってのは、霊と違って『肉体として具現』してるからな。力こそ霊障の比じゃないけど、物理的に破壊、殺傷できる存在だ。身近なところじゃ、久遠がいい例だな」
久遠。那美の家族としていつも共にいる子狐で、なのはとも親友として、二人で遊んでいるところをよく見ている。
その正体は妖狐。普段こそただの狐として走り回っているが、いざ戦闘となれば、少女や成人女性に姿を変えてイカヅチを操る、恐るべき大妖怪だ。
「ただまあ、それはあくまで可能ってだけだ。妖魔相手に霊力、妖力抜きで戦うってのは、戦車に素手で立ち向かうようなものだからな。……で、今回のケースだが、相手は『なりかけ』のようなんだ」
「なりかけ、ですか?」
恭也の鸚鵡返しに、ああ、と肯く耕介。
「祟りから妖魔へと、変化しつつある状態。意思はなく、ただ己の発生となった思いを形にしようと蠢くやっかいな自然現象。霊体を封印、完全に消滅させるにはそれなりの霊力がないと無理だ。しかし、そういった『なりかけ』には、ほんの少しでも霊力を媒介すれば、物理的な衝撃や威力や属性が、そのまま『なりかけ』に叩き込まれるんだ。正直、術式はあまり得意じゃない俺だが、それでも一時的に物に霊力を溜めこむことくらいは出来る。銃の弾みたいに体から離れてしまうものには難しいが、幸いに君の獲物は刀だ。しかも君の小太刀は、匠の鍛冶屋の魂が込められた業物だ。ならば、およそだが十五分くらいなら霊力を維持できるだろう。その間に君の剣でぶった切れば――多分、数十年……いや、百年くらいは、力のないただの『思い』として散りじりになるだろうね。ぶっちゃけ、単純な剣術、戦闘として俺より上の君だ。俺が霊力のサポートをすれば、この街で君以上の適任者はいないだろうよ」
「だったら、何故!」
「それが、俺の退魔師としての誇りだからだ」
有無を言わせぬ、強い口調。そこに、いつもの柔和な雰囲気がない。
「俺が退魔師をやってるのは、『退治するため』なんかじゃない。それによる被害を起こさせたくないからだ。譲れないものなら、俺にだってある。もしものことがあったとき、君の家族に申し訳ない――なんて、世俗的なことを気にしているんじゃない。友人である君を、『こっち』の世界に巻き込ませないってのは、俺の信念に近いんだ」
そういって、耕介は恭也をにらみつけるように凝視するが、
「だが――君も、譲らないんだろうな」
はあ、と諦めにもにたため息をついた。恭也の表情を見れば分かる。それは、自分が何かを決意した時のそれにそっくりだったから。
肯いた恭也に、ふう、と一度だけ息をはいて、
「なら、俺を納得させる理由を教えてくれ」
「納得?」
「ああ、さっきも言ったとおり、ダメな理由は俺の信念の問題だ。その信念を打ち破るだけの、理由があるなら、俺もそれに納得するだろう」
さあ、答えを。
耕介の顔が、そう促していた。
高町家の面々、フィリス、リスティたちが、ごくり、と息を呑みながら成り行きを見守る。
桃子たちは、本当は恭也を止めるべきだと分かってはいたが、かつてない恭也の強い感情に、気おされていた。
沈黙が続く。恭也は、必死になって答えを考えた。
多分、生半可な答えや理屈では、耕介は決して納得しないだろう。信念というのが、男にとってどれだけ重要なことか、恭也にもわかる。
そうだ。『理屈』なんかで、受け入れられるわけがない。
「それはレンが――」
なら――ただ本音を言って、ぶち当たるだけだ。
「俺が惚れた女だからです。だから、他の男に任せたくない」
その場にいる、全ての人に宣言するように。
それが俺の誇りだと、胸を張って。
「…っく…」
静まり返った部屋の中で、耕介が一人噴出した。
「あっはははっはははは!」
笑いたければ笑え、と恭也は耕介をにらむ。それが俺の回答の全てだと。
「あっははははは!確かに、それは譲れないな。俺なら『俺』をぶん殴ってでもその役目を請け負おうとするだろうな」
二十代後半であるはずの耕介が、子供のように笑い、立てかけてあった御架月を手に取り、立ち上がる。
そして――
「こいよ、恭也」
恭也、と。
恭也は、耕介から始めて呼び捨てで呼ばれていた。
これは、耕介にとって親愛と尊敬の証である。特に男の友人において、そのように呼ぶのは、故郷にいる古い友人達と、この街では相川信一郎という青年の一人だけだった。
そんな話を、恭也は以前、さざなみ寮の住人の誰かから聞いていたが、それを思い返すだけの余裕は、もはやない。
「あと二時間もすれば、退魔と霊刀の許可が下りるだろう。準備があるなら、しておくんだな」
頼むぜ、相棒、と。肩を叩く耕介に恭也は頭を下げた。