とらんあんぐる組曲2 ~最後に贈る、鳥の歌~ 作:レトロ騎士
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KEEPOUTと書かれた黄色のテープによって囲まれていたその場所は、元病院の建物を壊し、土地を馴らしている最中の、工事現場だった。
放置された重機、機材の数々が、闇の中ではまるで拷問器具のように鉄片を黒く輝かせていた。
残暑は過ぎたとはいえ、海鳴の街特有の、海から流れてくる湿気を帯びた風が、工事現場の油や重機の匂いと混ざり合う。その匂いが自然と味覚を刺激して、恭也の口の中に鉄の味が広がった。
それは非常に慣れ親しんだもの――血の味に似ている。
お化けや幽霊といったものの怖さを、久しく感じたことがなかった彼だが、確かにこれは、妙な不安感が襲ってくる。
「丑三つ時――なんて、今の世の中じゃアニメがやってるくらいの活動時間だが、やっぱり雰囲気はでるもんだな」
霊障が夜に集中するのは、明かりの問題ではなく太陽のせいらしい。
理由は分からないが、太陽光が直接照射される場所では、霊――さらに限定して言えば人間を襲おうとしたり、正気を失ったような悪霊である特殊な情報媒体はその活動を鈍らせることが多いらしい。
推測だが、犯罪者が夜に反抗したり、暗い所が落ち着く人がいるのとおなじだろう、というのが耕介の談である。善良な人に危害を加えない例は、ひなたぼっこ大好きなことも多いとかなんとか。
「何も気配がありませんが――本当に、ここにその、『なりかけ』がいるんですか?」
「いる、というのはちょっとおかしいな。ある、というのが正しい。ま、どうでもいいことだけどね。――今は、ないな。おそらく、今は活動の真っ最中だろう。この手の存在は、意思がないから行動がパターン化していてね、妖力の残りから判断するに――多分、あと十五分後くらいに戻ってくるだろう」
その、十五分が、長い。焦りは全ての活動の敵だということは分かっているが、それでも、うちからあふれる衝動に、押さえがきかない。
「焦るのは分かるが、落ち着けよ。今回、大切な人が倒れて不安な夜を過ごしているのは、君だけじゃないんだ」
耕介の言葉に、恭也ははっとする。確かに、蓮飛のことで頭がいっぱいになっていたが、巻き込まれているのは彼女だけではない。
フィリスの話では、同様の患者は一ヶ月前から現れていて、時間が立てばたつほど容態も悪化しているとのことだ。
幸いにして未だ死者や危篤状態の人はいないようだが、原因不明という『不知でいる恐怖』は、見守る人々にも多大な疲労と精神的重圧を与えていることだろう。
随分と長い時間がたった用に感じていたが、実際のところ、蓮飛が倒れて数時間ほどしかたっていない。
「すいません……俺が押しかけているようなものなのに、耕介さんを疑うようなことを言って」
「気にするな。惚れた女が大変だというのに、平静でいろってのが無理な話だ」
惚れた女。そう宣言してしまったとき、余裕がなくて周りの様子を見ていなかったが、家族達はどんな表情をしていただろう。驚きだろか。呆れだろうか。
急に恥ずかしさが押し寄せてきた。
「いいねえ、青春。そのころの恋は、大切にして置けよー」
こんな状況だというのに、そんなふうに茶化してくる耕介に、ふと、聞いてみたくなった。
「そういえば、失礼ですが、耕介さんは独身……ですよね?」
「そ。今は、だけどね」
「今は?」
「あれ、言ってなかったっけ?俺五年前に結婚して、二年位前に離婚してるんだよ。だからほら、独身って言ってもバツ一なわけ」
そんな、どうだ、まいったか、みたいな言い方をされても、正直返答に困る恭也である。
空元気で言ってるのでも、別れてせいせいした、という感じでもない。
高校時代に入っていた部活動を語ってるくらいに、自然に言っている。
「ちなみに、相手は那美の姉だったりする」
茶でも飲んでいたのなら、噴出していたに違いない。非常に複雑且つ重いことが想像がされる知人たちのお家事情が、こんなにもさらっと語られてしまっていいのだろうか、と。
那美の姉――神咲薫とは、一度会ったことがある。そのときはまだ、さざなみ寮の人たちと深く知り合っていたわけでなく、耕介とも面識がなかったころで、あくまでも那美の紹介で、『実家から妹の様子を見に来た』というものだったが。
「あ、では那美さんが耕介さんを、『にいさん』って呼んでいたのは、ただ親しみからの呼称じゃなくって……」
「そ。正真正銘、義兄さん、だったからさ」
「……妖魔云々より、それが一番驚いたんですが」
「はっはっは。面白いだろう」
面白くてどうする。
喉からでかかった突込みを、なんとか押しとどめた恭也である。
「ま、別に薫と仲が悪くなったわけじゃないからね。離婚したってのも、ちょっとわけがあるのさ。そのことで近いうちに『一騒動』があるだろうし――ま、折を見て話すよ。さて……おいでなすったみたいだな」
――!
すっと、耕介の顔から柔らかさが消え、二人が口を閉ざしたことで、静寂があたりを包み込んだ。
恭也には、わからない。
確かに、なんとなく空気が変わったのはわかる。決して、目だけで周囲をさぐっているわけではないが、どれだけ神経を研ぎ澄ましても、耕介が『ある』という『それ』が、捕らえられない。
「いいか、さっきも言ったが、君の出番は最後だ。俺で対処できるようなら、それで済ませてしまう。それを見届けることで納得しろ」
はい、と答える恭也。
これは、『契約』よりも重い、男同士の『約束』だ。
裏切って、罰が与えられるわけではない。これから一生「恭也はそういう男」だと耕介に認識されるだけだ。
「君が戦うかどうかは、君の判断で動け。俺は、君を信頼している。だから、どんなタイミングでその『封』を破ろうと、俺は文句をいうまいよ」
その上で、恭也が動いたのであればそれは動くべきタイミングであったのだと、無条件に納得する。耕介は、そういっている。
たとえ、恭也が蓮飛を自分の手で助けたい、という自己顕示のみで動いたとしても、だ。
だからこそ、裏切れない。
それだけの重さが、この『封』にかけられている。
愛刀の唾に張られた、謎の札。そこには、『なりかけ』に刀を当てるだけの、霊力が込められているそうだ。
この札を破ると同時に数分間、刀に霊力が伝わるという。
実感は何一つないが、耕介のその言葉を信じる以外にない。
「さて――まずは、君の目に見えるようにしてから、だな」
耕介の大きな体が、沈む。足を広げて低く、低く。しなる弓のように引き絞られ、静止した直後、その矢は放たれた。
「桜月刃!」
三日月のような光の軌跡が、耕介の抜刀の直後に現れ、蟷螂の刃のように曲線を描きながら飛んでいく。そういえば、たしかその刀の真名も、『御架月』と――。
放物線が、最高点まで達し、落ち始めた瞬間、光が音もなく爆ぜた。
いくつもの光の破片が散らばり、それがまるで桜の葉のようにあたりを舞う。
しゃらららら、と、一円玉が重なるような音が、無骨な工事現場に美しく響く。
そしてそこに、「それ」は『あ』った。
「……なんだ。これ」
始めて目の当たりにした、耕介の霊力。それに驚くまもなく、そんなものを全て吹き飛ばしてしまう、『それ』。
きぃぃぃぃ、と悲鳴じみた声。闇に染まるこの夜の土地で、闇よりもなお黒く蠢く醜悪な肉。髑髏だろうか。人の顔だろうか。腕だろうか、足だろうか。香りだけはないにもかかわらず、その醜悪さが腐敗した肉のそれを思い出させ、恭也は思わず口を押さえる。
直径五メートルはあろうかという巨大な塊。
そこにあるのは、凶だ。人が触れてはいけない、だが、人が生み出した狂気の産物だ。
こんなものと――この人はいつも戦っているのか、と、耕介を見やると、
「こりゃ――まいったな」
渋面を浮かばせ、耕介が口元を曲げた。
どうしようもなく、笑うしか救いがないような、そんな顔だ。
「これが、『なりかけ』なんですか?」
「ああ。だが、これは祟りとしてはもっとも最悪なパターンだな。こいつの根源は、『不安』と『恐怖』だ」
憎悪なら、まだマシだ、と耕介は思う。
何かを恨むというのは、たしかに一時的に巨大な力を発生させるが、所詮は憎む対象があってのことだ。憎むというのは、憎むという行為ただそれだけで、力を消耗させるものだ。時間をかけることで力を削ったり、憎む対象をなくすことで、祓うことを容易にすることが出来る。
だが、不安、恐怖は、人間の根本的な属性の一つだ。
そこに、良いも悪いも存在しない。ただ、事実そのものだけがある。
ああ、そうか。だからこいつは、「原因不明の病で、ゆっくりと体を蝕む」なんていうことを繰り返しているのか、と、耕介は理解した。
殺すことが目的なのではない。真綿を閉めるように、少しずつ少しずつ蝕むことで、本人も、その周囲にも、不安と恐怖を生み出すことが出来る。一人分の呪いで、その数倍の結果をもたらすことができるのだ。
「こういう相手には、作戦や下手な術は、意味がない。正面から突っ込んで、圧倒的な霊力で文字通り吹き飛ばす――」
その言葉を言い切らぬまま、耕介が走る。
燐光を纏う刀身が、闇の中で耕介の動きを教えてくれた。
それが、己の天敵であることを理解したのか、『なりかけ』は耕介に向かって、触手の様ななにかを向ける。耕介は、本能的にそれが自分に迫りくることを予期し、横に飛んだ。
果たして、その通りに結果になり、今まで彼がいた場所をなめるように触手が通り過ぎる。
ダン!と土をける男が聞こえたかと思うと、『なりかけ』の僅か三メートルほどの場所で、耕介が刀を振り下ろしていた。
「楓陣刃!」
生命の本流ともいうべき、神々しい力。『なりかけ』の四分の一ほどが、それによって切り落とされる。
耕介に向かい、触手が再び蠢いた。回り込むように、耕介の真後ろからそれが襲う。目の前には『なりかけ』の本体。両サイドには、工事用重機が移動の場所をなくしている。それを確認した彼は、焦ることなく御架月の刃広を触手に向けた。
「方王刃!」
正方形を模した霊力が、御架月から生まれる。それは、耕介を守る盾のように広がって、触手と耕介を遮断する。勢いづいた触手がその正方形に触れた瞬間、酸に溶かされたように解け落ちる。
『なりかけ』が触手を引っ込めようとしたそのときには、既に耕介は動いていた。
刀は、『なりかけ』の中心部に、深く突き立てられている。そのまま、横になぎ払って刀の自由を取り戻すと、再び距離をとった。
恭也は見る。退魔師としての耕介の力を。
剣術としては、それは未熟の一言だった。鍛錬で手合わせをしたときよりも、はるかに稚拙。雑。無駄。だが、戦いとして、それは一つの完成系に近い。
このままなば、きっと、押し切れるに違いない。
耕介もまた、それを確信していた。
もはや、『なりかけ』の半分以上は祓えている。あと数回、楓陣刃を打ち込めば、完全に滅するレベルまで力を弱めることが出来る。
慢心は、していなかった。むしろ、その緊張は必要以上に保たれていたといっていい。
ただ、耕介は思ってしまった。なんとなく、本当になんとなく思ってしまった。
それは、この手の化け物が出てくるB級映画でありそうな、嫌らしいあの展開だ。
――ああ、切り落としても滅せず、分裂でもしていたら嫌だな。と。
そう、ほんのわずかに、『恐れ』を持ってしまった。
ぞぶり、と。にごった音が聞こえた。
耕介の『恐れ』を通じて、それが具現される。
「しまっ――」
完全に不意を打たれた形で、『なりかけ』の片割れが耕介の背後に現れ悪意の槍を向けて――。
「シャッ!!」
だが、その触手のような悍ましい手槍は青年には届かない。
なぜなら、わずかな霊力と鋼刃の輝きを携えて、彼がそこにいたからだ。
『射抜』
御神流奥義の一つにして、最大の射程を持つその技は、耕介に襲い掛からんとしていたそれを瞬時に射殺している。
御神流師範代。
現代に生きる、最強の暗殺術の使い手、高町恭也。
それが、彼の名だ。
耕介の前で、恭也が消える。
常人には消して捕らえきれないそのスピードは、神速と呼ばれる御神流の秘中の秘の歩法。
極限まで集中することで、周囲の認識をスローモーションに思えるほどに深める。そして、そこで脳が認識する情報と、体の感覚に誤差を生じさせることで、それを制御しようとするため一時的に脳のリミッターをはずさせることが出来る。
それが、「神速」である。
「らああああああああ!」
虎の牙を思わせる、『虎乱』。
海を割るかのごとくの破壊力の一撃、『鳴神』。
こいつらが、こいつらが――こんなやつごときに――。
最愛の少女を奪われた怒りの全てが、今ここで噴出する。
鬼神がいるとすれば、これが最も近いのではないか。それほどまでのすさまじさで、恭也の乱舞が続く。
分裂?ならばいくらでも増えるがいい。その全てをこの双剣で切り捨ててやる。
耕介は見た。恐怖を根源とする『なりかけ』が、恐怖におののくその姿を。
そして――
『薙旋』
最凶の六つの刃が、『なりかけ』を崩壊させるように、その全てを吹き飛ばしていた。
この話で出てきた耕介×薫の離婚についての詳細は、次の物語である
『神鳥の止まり木に、その花は咲く。』
にて明かされます。
なお作者はハッピーエンド過激派カップリング成立らぶらぶちゅちゅ至上主義です