とらんあんぐる組曲2 ~最後に贈る、鳥の歌~   作:レトロ騎士

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第六章 『比翼連理(いつだって君がいた)

 

         ◇

「えらい――あっさりと、まあ……」

 

 ばらばらになった『なりかけ』を前にたたずむ恭也を、膝が笑いながらなんとか立ち上がる耕介が、呆れ顔で見ていた。

 自分のせいだといえばそうだが、いいところを全て持っていかれた気がする。

 だが、これからが本番だ。大きな危機は去ったとはいえ、この後、ここに結界を張って再び祟りとならないようにしなければならない。

 

「これが…しんどいんだよなあ」

 

 ため息をつきつつ、恭也にねぎらいの言葉をかけようとして、彼の、様子がおかしい事に気付いた。

 ぶるぶると振るえ、未だ高揚が収まらないのか、だらだらと汗をかきながら、息を荒げている。

 そして――

 

「嗚呼あアアAあぁァ亜あAあAあああ!」

「おい、恭也!……くそ!『あてられ』やがったか」

 

 甘かった、と、耕介は自らの判断を叱責する。

 攻撃は、確かにあの霊力だけで十分だろう。だが、守りについて、何も考えていなかった。

 彼が切ったのは、『祟り』という思いの塊。普段から霊力を使って守っている耕介と違い、たとえ剣越しでも『触れ』れば、その祟りの影響をもろに受けてしまうことを、想定しておくべきだったのだ。

 

「耕介様!」

「分かってる、後悔は、後でいくらでもできるからな。今は――」

 

 握り締めた御架月の柄に、ありったけの霊力を流し込んだ。

 静かに、だが力強く刀身に輝きが宿る。ち、ち、と、小鳥の囀りにも似た音が、その輝きに比例して大きくなっていった。

 恭也を傷つけるのは避けたいが、耕介の持つ術のレパートリーでは、物理的な衝撃を出来るだけ抑えながら霊力を直接叩き込む以外のことはできない。

 

「悪くて骨折といったところか。それなら、たいしたことじゃないな」

 

 自分でも物騒なことを言っているとは思うが、そのくらいのことを覚悟していない恭也ではないだろう。むしろ、それで躊躇われたほうが、見くびられたと怒られるかもしれない。

 

「楓陣刃っ!」

 

 霊刀より放たれた、一閃。

 膝を突き、地面に御架月を突き刺した状態で、「斬る」という動作もなしに、ただその力だけを解き放つ。

 本来、刀の軌跡を形どり、目の前にある霊障を切り裂きながら飛んでいく技だが、今は、アメーバのようにその形を雑多に変えながら、錯乱する恭也に激突する。

 車にはねられたがごとく、衝撃にはじかれ地面に激突する恭也。

 二振りの小太刀も、そのうちの一本がその手から離れて地面に転がった。

 耕介は、今の自分の一撃によって、恭也が囚われていた『祟り』のほとんどが散ったのを、確かに確認した。

 ほとんど、だ。全部ではない。とはいえ、しばらく時間がたてば消えてしまうようなものだろう。

 これで、ようやく全てが解決だ、と、一度目を閉じてため息をついて――

 

「……恭也?」

 

 再び目を開けたそこには、ただ、彼の二振りの剣だけが残されていた。

 

 

         ◇

 海鳴病院、二階2073号室。

 蓮飛が割り当てられた個室では、いくつかの投薬用チューブに繋がれて眠りこける蓮飛の他、フィアッセが介護人として泊まりこんでいた。

 とはいえ、疲労もピークに来ていたのか、うつらうつらとフィアッセは舟をこいでいた。

 いつしか、規則正しい寝息がフィアッセの口から漏れ始めたとき、蓮飛の目が、ゆっくりと開かれた。

 意識がはっきりとしないまま、少女は辺りを見回した。

 

(……どこや?ここ)

 

 脳が働かない。

 何も状況を把握できない。

 考えることすら億劫で、このまま、またあの優しい闇の中に落ちてしまいたい。

 朦朧としたなか、弱まっている心臓の鼓動だけが妙に響く。

 とくん、とくん、と。

 あまりに優しく、ゆっくりとリズムを刻むので、それがまた眠りを誘ってくる。

 でも――。

 

(行かんと、ダメ……)

 

 だって、ここには一番大切な人がいないから。

 いないなら、自分が追いかけないと。

 さあっ――。

 不意に、閉められた窓の向こうから、優しい光が差し込んだ。

 虚ろな目のまま、そちらを向き、おぼつかない手で施錠を解く。

 窓を開け、そこにあったのは、鮮やかに染まった、赤い月。

 それが、本当に赤かったのか、充血した眼を通していたからかは、蓮飛には分からなかった。

 しかし、それを見た瞬間、自分が今行かなければならない場所が、何故か蓮飛には確信することができた。

 窓に、足をかける。

 歩くことさえままならないはずの体は、力強くそこを蹴って宙に飛び出る。

 二階とはいえ、落ち方によっては危険な高さから、猫のようなしなやかな動作で、窓下の花壇に着地する。

 深夜の冷え切った空気が、火照った体に心地よかった。

 大切な、あの人は、きっと、こっちのほうにいる。

 根拠なんて何一つない。でも、今は、そこに彼がいるのだと、何の疑いもしない。

 どくん、と、ひときわ大きな鼓動を合図に、蓮飛は、夜の街へと、駆け出していった。

 

 フィアッセが眠りから覚め、誰もいなくなったベッドを見つけて慌てふためくのは――その数時間後のことだった。

 

 

         ◇

 怖い怖い怖い怖い怖いこわいこわいこわいこわいコワイコワイ。

 

 

 走る。

 自分がどこをどう走っているのかわからないまま、全てから逃げ出すように走る。

 『なりかけ』を斬り終わり、これで終わった、と安堵した直後だった。

 その、圧倒的な恐怖が襲ってきたのは。

 切り裂くたび体に伝わってきた、恐怖。不安。そして、生きるものへの嫉妬。

 これが、『死』というものへの恐怖だと、本能が教えてくれた。

 

 今、すぐ死ぬわけではない。だが、こうやって戦いの道を進むのであれば、いつかはそうなるだろうという、漠然とした不安。そういったものが、『なりかけ』を斬った直後、付きまとい続けた。

 死ぬことを覚悟していると思っていた。

 自分が使うのは、殺人技。相手を死に至らしめる狂気にして凶器。未だ人を危めた事はないが、ボディーガードの仕事を正式に始めれば、そうすることも、そうされることも、覚悟はしていたはずだ。

 

 している――本当に?

 

 今までは、そうだったかもしれない。

 だから、死ぬことが『嫌』ではあっても、恐怖は希薄だった。

 心残りといえば美由希の御神としての完成が見れないことだが、それも、もう最終状態まできていた。

 

 なら、何故――。

 

 蓮飛の笑顔が、つぶったはずのまぶたに浮かぶ。

 ああ、そうか――。俺は、この子と共に、人生を歩みたいと、そう、願ったんだ。

 

 剣の鍛錬が、人生のほとんどだった。

 偉大な父を失い、それでもその死に様を誇りに思った。

 美由希を御神の正統後継にするのが目標だった。

 家族を守ることが、科せられた義務だと思った。

 

 だから、自分の幸せなんて、ほとんど考えたこともなかった。

 だが、蓮飛と恋仲になり、稚拙ながらにそれを育んだ日々は、一年が今までの人生を凌駕するほど大切なものに思えた。

 もし、死ぬことでそれが全て消えてしまうというのなら――。

 

 ガチ、ガチガチガチ……ガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチガチ!

 

 怖い、怖い怖い怖い怖い怖い怖い!

 

 震えが、止まらない。振動が口内に伝わり歯が触れ合う。

 恐怖に怯え、涙を流し、奥歯が砕けるくらいに食いしばり、壊れるくらいに押さえつけてなお震えは止まらない。

 なんで俺は、刃という練習だろうと死をもたらす存在に向かい、あんなに平然としていられたのか、もうわからない。

 戦うのが怖い。人に剣を向けるのが怖い。向けられるのが怖い。剣を持つのが怖い。……死ぬのが、怖い。

 これが、死の恐怖だというのなら――蓮飛は、なんてものと戦っていたのか。

 手術前、眠ってそのまま二度と覚めないことが怖いと、蓮飛は恭也に漏らしたことがあった。

 そのときは、彼女を気遣いながらも、稚拙な言葉で励まそうとした恭也。

 がんばれ?大丈夫?――ふざけるな。そんな言葉が、この恐怖から身を守る、紙切れ程度の盾にもなりはしない。

 このまま、全てが壊れてしまえばいいと思った。壊れてしまった世界なら、自分も壊れていられると、そんな風に思えたから。

 全てが、恭也にとって意味のない混沌に変わろうとしていたそのとき――

 

「……おししょー」

 

 彼女の、声がした。

 

「レ……ン……」

「おししょー。よかった、ここにいたんですねー」

 

 間延びした声も絶え絶えに笑う、蓮飛がそこにいた。

 素足は泥に塗れ、裸足のまま走ったのか、あの綺麗だった蓮飛の足先が、寒さと傷で痛々しく腫れ上がっていた。

 薄手の病院服のままで、腰の部分が大きく乱れ、淡い水色の肌着が見えている。

 我に返ればそこは、いつも蓮飛と共に歩いた、あの公園の林の中だった。

 なんで、俺はここに、と、考える余裕など、なかった。

 

「レン……」

 

 ただ、気がついたときには、抱きしめていた。

 何もかも意味がないと思っていた世界で、確かに信じられる唯一のものが、ここにある。

 

「レン……レン、レン!」

「おししょー。どしたんですか。ウチはうれしいですけど、ちょうと、照れますねー」

 

 膝を折り、すがりつくように少女を抱きしめているため、蓮飛が手を恭也に回すと、自然と彼の頭を抱きかかえるような形になる。

 そのまま、愛しい青年の髪を、優しく撫でた。

 

「ししょー?」

「師匠なんて、呼ばないでくれ。俺は、レンに誇れるものなんて、何一つない」

「……恭、ちゃん」

 

 優しく彼の髪を梳いていると、落ち着いてきたのか蓮飛の腰に回された彼の腕から、少しだけ力が抜けた。

 

「今だって、こうしてレンを抱きしめていなかったら、逃げ出してしまいそうなんだ。俺が、こんなに脆いなんて、知らなかった。立ち向かえない。あんな恐怖に、俺は一人で立ち向かうなんてできない」

 

 誇りもかなぐり捨てて。

 青年は、自分よりも年も体も一回り小さい少女に、嗚咽するかのようにそう告白する。

 愛想をつかれても、おかしくないと思う。でも、今、そうせずにはいられなかった。

 彼が、何を言いたいのか、蓮飛にはよくわからない。そもそも、なんで自分が病院にいたのか、なんでここにきたのかも、よくわからないのだから。

 だから、ただ分かるのは、自分が師と呼ぶ彼が、どうしようもない不安と戦い、子供のように震えているということだけ。

 

「恭ちゃん」

 

 蓮飛が、手櫛を止める。その代わり、恭也と同じように膝を突いて、彼に向き直る。

 ふわりと、蓮飛の病院服がスカートのそれのように舞い、一瞬だけ少女の素足があらわになった。

 

「恭ちゃん。ウチが、恭ちゃんを、おししょーと呼ぶようになったんは、剣を振る姿がかっこよくて、力強くて、それに憧れたからや」

 

 まだ、幼かったあのころを、蓮飛は思い出す。

 病弱で、ベッドの上から降りることすらもままならず、一人俯いていたあのとき。

 母親の紹介でやってきた一人のお兄ちゃんは、「つまらないかもしれないけど」といいながら、いろいろな剣の型を見せてくれた。

 それが楽しくて、剣の稽古よりも、自分の為に一生懸命になっているお兄ちゃんがいることが嬉しくて、だから、そんな彼に憧れた。

 

「でも、好きぃなったんは、ウチが泣きそうになったとき、いつも手を握ってくれたからです」

 

 面会時間が過ぎ、付き添い以外許されなくなると、一人きりになることが多くなる。

 家族もできる限り一緒にはいてくれるが、さすがに仕事も忙しく、毎日とはいかない。

 誰もいない病室が寂しくて、涙が止まらず嗚咽をしていたとき、こっそり窓から入ってきたのも、『おにいちゃん』だった。

 そして、数年たって再び病へ立ち向かえずに泣いていた自分を抱きとめてくれた。

 

「ウチのこと、好きですか?」

「ああ……」

 

 それだけは、自信を持っていえる。自分が鍛錬で身に着けてきたなにもかもが誇れなくなった今でも、それだけは、なくさない。

 

「今、怖いですか?」

「……いや」

 

 蓮飛のぬくもりが、心を溶かしていた。でも、この手を離したら、全部が元に戻ってしまいそうだった。その手を、蓮飛は優しく握り、そっと、胸元へと導く。

 服の下に誘われて、淡い肌着に直接手を触れた。穏やかな丘だが、やわらかく暖かく、心臓の鼓動が聞こえてくる。

 

「あの夜、おししょーが肩を寄せてくれたから、ウチはがんばることができました。ししょー。ウチは、強くなんてない。蓮飛、なんて名前があっても、一人じゃ飛ぶことも出来ないんです」

 

 いつも怖い。でも、支えてくれた人がいるから、今を、そしてこれからも生きていける。

 

「だから、ウチが、お師匠が泣きたいとき、不安なとき、ずっと、手を握っています。怖かったら、それと同じ時間だけウチの手に触れていてください。握り返してください。抱きしめてください。それでも怖くて泣いてしまうなら――ウチも、一緒に泣いてあげますから」

 

 そう言って――接吻(くちづ)けた。

 

 今まで、何度、この少女とキスを交わしただろう。

 今までのそれは、彼女への愛しさととほんの少しの情欲とで出来ていたと思う。

 ただ、それでも愛しさのほうが心を満たしていたから、それ以上は踏み込むことはなかったのだ。

 

 でも、今は。

 

 ただ、彼女がほしかった。

 自分を受け入れてくれる存在がほしかった。

 こうやって、繋がってさえいれば、どんなものにも負けないでいられると思ったから。

 だから――。

 

「…ッン…っふ……」

 

 蓮飛の体を拙くまさぐりながら、恭也がおそるおそる延ばした舌を、蓮飛がなぞるように自分のそれで触れる。

 始めて触れ合うお互いの『中』の熱さに、青年の脳が焼けていく。

 月の明かりを森の木々の葉がそれをさえぎり、官能めいた光となって蓮飛の素肌を照らしていく。

 

 止まれなくなった熱いものを感じながら、恭也は愛しい少女を強く求めた。

 

 そして、紅葉で恥ずかしげに染まった木の葉たちが風を受けてくるうりと舞いながら、二人が重なるのを優しく守り続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

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