とらんあんぐる組曲2 ~最後に贈る、鳥の歌~   作:レトロ騎士

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第四章 『大鷲は誇り高く飛ぶ』

         ◇

 さて――と、青年はいつものように呟いた。

 

 耕介は一人、とある洞窟の前で立っていた。

 中には、薫がその奥にあるという、神咲の特別な試練場に向かっている。

 自分の役目は、薫がそこで、己の呪い祓いの術を施すまで、この洞窟に寄ってくるであろう、あらゆる『呪い』を切り裂くこと。

 

「おそらく、それを行った結果に考えられることは三つ。一つ、呪いが祓われる。二つ、呪いは消えないし霊力も消える。三つ、呪いが消えて、命を失う。」

 

 雪乃さんの言葉だ。嘘はないだろう。

 

「まあ、実際の話、三つ目は意味ないし、二つ目は、何もしてないのと同じだよな」

 

 呪いは、消えていなかった。

 というより、ゆうひに憑いた呪いが、そのまま薫に移ったといっていい。

 あの時、耕介が斬ったのは、ゆうひのなかで増大した、「霊障」として具現化したものであって、呪いそのものではないらしい。正しくは、初めに薫が「何か」に覆われた時点で、呪いはすでに移っていて、その「残り」を斬ったということだ。

 もちろん、あのまま何もしなければ、「霊障」が薫の命を奪っていた可能性は大きかったのだから、耕介の功績は大きかったことは間違いない。

 もともと、神咲一灯流は、呪いを断つ、ということに対して真価を発揮しない。

 本来、形のある「霊障」を「斬る」ものであって、その力は剣を通して発揮される。

 だからこそ、今回も、一度呪いから霊障に変える、という方法をとったのだから。

 呪いを祓うことを専門にした一族も、いるにはいるのだが、呪い祓いを安全に行うには、長期の時間と儀式が必要なのだそうで、すぐに動ける人がいないということだ。もっとも、すぐに来てもらったとしても、先述の通り、手順に沿った儀式のため、呪い祓いは何十回に分け、数ヶ月、時には数年がかりでおこなうという。しかし、それでは今日から行われるコンサート、今後の活動が行えないと、ゆうひの祓いでは今回のような方法をとったのだ。

 ちなみに、『呪い返し』なら一瞬らしい。もっとも、今回の場合は返そうにも元々、「世界中の人々の些細な呪い」なので、無理らしいが。

 薫に移った呪いの問題は、今回ターゲットになったのが、ただの能力ではなく、『霊力』だということだ。霊力とは、命の根源たる力といえる。それは、ただの肉体から発せられる「能力」ではない。

 神咲の手順による呪い祓いは、腫瘍を外科手術で切り離す行為だといっていい。呪い払いで切り取られた箇所は、当然穴が開くが、正常になれば霊力によって、一日もたてば綺麗にふさがる。

 衰弱など、呪われた間に失われた物理的な肉体の変化は別にして、心配は要らない。

 手術ミスさえなければ、きわめて短期間での完治が見込める。

 対して、本家の呪い祓いは、食事療法、薬物など、免疫を高め、腫瘍を小さくし、徐々に徐々に消していく方法に似ている。時間はかかるが、あらゆるトラブルにも対応しやすいし、失敗も少ない。

 ようは、手法とメリットの違いでしかない。

 しかし、今回は別だ。

 かかった患部は、霊力。心臓に巣くわれているようなものだ。外科手術で切れば、大出血。内面から免疫を高めるにも、霊力という心臓そのものが弱っている上、患部の腫瘍に薬を打ち込めば、心臓の機能も弱めてしまう。

 もっとも、霊力といっても、今回問題になるのは「退魔師」として誇るべき「霊力」だ。だから、「退魔師としての霊力をあきらめてしまう」のであれば、生きていくためには何も障害はない。

 もともと、この呪いは「夢や誇りとしての能力を奪う」のであって、命としての害はないのだから。

 

「へっくしょ!……九州だってのに、夜は冷えるんだな」

 

 大きなくしゃみを一度。闇の中でさやさやと揺れる森の木々を見ながら、耕介はもういちど、今回の目的を思い出す。

 

 

         ◇

 事務所の人を呼んで、ゆうひを念のためと病院に送り、今後について応接室にて頭を悩ませていると、雪乃がこういった。

 

「薫は、どうしたいんじゃ?」

「決まってるじゃろ。取り戻したい。このままだと、神咲一灯流が継げない。今、どこにも継承者候補がいないのじゃから、裏は、うちの代で途絶えてしまう。何か、方法があると?」

 

 薫のその一言に、耕介が一瞬、目を見開いた。

「ええ、一つ、方法があると。しかし、その為には、強い霊力の使い手――耕介さんの力を借りる必要があります」

 

 雪乃が言った方法とは、基本的に、ゆうひに行ったのと同じ、「外科手術」だ。

 呪いを霊障として具現化し、それを切る。

 しかし、霊力が使えない今の薫には、それを斬るすべがない。さらに、仮に斬ったところで、自己の霊力を霊的に『斬る』のだから、今度はそれに体が耐えられない。回復に使う力すら、『霊力』なのだから。例えるなら、「心臓手術をするとき、どんな方法を使うか?」という問題である。

 その解決策とは、『人工心肺』である。

 別に用意した人工の心臓にバイパスで血液をつなぎ、そちらでポンプの代用している間に、患部の心臓にメスを入れる。

 そして、手術後に再び心臓に血液を送ることにする。

 雪乃は言う。

 

「つまり、耕介さんに一時的に薫の心臓の代わりをしてもらうんじゃ。バイパスとなるのは十六夜と御架月。夫婦刀として作られ、姉弟として霊剣たる貴方たちは、霊気のやり取りが可能のはず。耕介さんが、御架月を通して霊気を送り、それを十六夜を通して薫に流す。それを使って、再び『霊剣十六夜』に霊力を送り、霊障を斬る。斬った後、自分の霊力が戻るまで耕介さんの霊気を使い、自分での回復が可能になったところで、切り離す」

 

 それが、今回の大手術の概要だ。

 成功すれば、見事、呪いは祓われ、霊力が戻る。

 祓うことに失敗すれば、呪いは解けない。

 祓ったとしても、回復に失敗すれば、薫は死ぬ。

 それを、雪乃が薫に伝えると――

 

 

         ◇

「ざっけんなっての」

 

 そのときの、薫の言葉を思い出すと、もう一度、「あのとき」のやり取りが浮かんできて、耕介は、誰に言うでもなくそういってしまった。

 そして、もう一度、くしゃみ。

 

 

         ◇

「…やる。それで、神咲を守れる可能性があるのなら。うちの命、掛けるだけの価値はある」

 

 雪乃の『手術方法と結果』の説明に、言葉に、薫は、そう答えた。

 そうだ、方法があるのなら、それにかけてみたい。神咲を守るために、それしかないのなら、そうすべきだ。

 その、なにかの迷いのようなものから目を背けるように、うつむきながら、薫が言う。

 それが正しいのだと、自分で言い聞かせるように。

 

「そう、ですか。……耕介さんは、どうですか?ただ霊力を供給ということであれば、貴方に危険はありません。…ですが、今回のこの呪いは、呪いを呼ぶ、という特性があります。貴方は、結界により霊障となったそれを、薫の呪いに集まる直前で、全て打ち滅ぼす必要があります。それ一つ一つはたいしたことはないでしょうが、安全とは言い切れません。しかも、今回の方法は、貴方ひとりでそれをする必要があります。呪いを霊障に変える結界を張るのは、神咲の修練場となる洞窟の入り口。その洞窟でなら、霊力のやりとりが通常より安易に行えますから、今回にはうってつけです。そして、この結界に入れるのは、結界の特性上術者である薫を除いて一人だけしか入れません。他の霊力者が立ち入って霊力を行使すれば、薫に送る霊力が混ざる可能性があるからです。それは血液型を考慮せず輸血をするような暴挙です。つまり貴方は、霊力を薫に送りつつ、さらに洞窟に入ろうとする呪いたちを、残りの霊力で全て切り伏せなくてはなりません。……危険です。それでも、神咲の歴史を守るため、助けていただけますか?」

 

 雪乃の問いかけ。まるで、耕介を試すように。

 はっとして、薫は耕介のほうを向いた。

 自分ひとりで進めていたが、確かに、今回は耕介の協力が要になる。危険に巻き込むことになる。それは、自分の真意ではない。だが、きっと彼は、快く承諾してしまい――

 

「……お断りします」

 

 え、と。何を言ったのか、信じられない。

 呆然とする薫。

 決して、彼に危険を冒してもらいたいわけではない。むしろ、自分のために危険を犯そうとするのなら、止めるべきだと思っている。今回だって、彼が承諾したあと、断ろうとしていたのだから。

 最終的にやる、やらないではない。

 彼が、『断った』ことが、信じられなかった。

 それは、傍にいた十六夜たちも同じようで、なぜ、という表情を隠さない。唯一、御架月だけを除いては。

 それが、貴方の答えですか、と、雪乃が言ったそのとき、

 

「薫、本当のことを言え」

「……え?」

「悪いが、俺は神咲の歴史の為に、『お前の命』をかけることに承諾するつもりはない」

「それは、どういう……」

「そのまんまの意味だよ。さっきから聞いていれば、『神咲』だの『歴史』だの。ざけんなっての。『そんなもの』なんかより、俺はお前の命のほうが大事なんだよ。今回の話、ぶっちゃけ退魔師といての力を捨てれば、その『歴史』とやらを無視すれば、万事解決ってことじゃないか。お前の命が危ないっていうなら、俺はいくらだって動くさ。だが、『そんなもの』のために、お前を危険にさらして俺がそれを手伝うなんて、まっぴらごめんだね」

 

 おや、と、雪乃が面白そうに眉を動かした。しかし、それには誰も気付いた様子もなく、雪乃もすぐにそれを正す。

 

「耕介さん、貴方は、うちら、神咲の歴史を馬鹿にしとっとうですか?」

「馬鹿になんかしてないよ。俺にとって、今は、『そんなもの』にしか過ぎないってことだ」

「同じです。耕介さんにとっては『そんなもの』でも、うちらの歴史はとても重い」

「だからどうしたよ。その歴史が重いって言うなら、霊力の強いやつを探してきて、その歴史ごとくれてやりゃいい。別に、『お前』がそれを継ぐこたないだろう」

「なら、うちは!なぜ、この力を持って生まれてきたとですか!どれだけ、つらい思いを繰り返して、うちが霊力を鍛えたと思ってるとですか!なのに、貴方は生まれつきという理由で、そんなすごい霊力を秘めていた。それで、あっさりうちができんかったことを成し遂げる。その悔しさが、あんたに分かるか!」

 

 ぜいぜい、と、薫の苦しそうな呼吸だけが、応接間に響く。

 皆の前で、ぼろぼろと泣きながら、恋人になってから初めて、耕介を怒りの目で見た。

 だが、耕介は動じない。

 

「うっせ。望んでも手に入らないものもあれば、望まなくても手に入るものだってあるんだよ。それが交換したり貰ったりできないからって、弱音を吐くな。愚痴を言うな。『俺』にとっちゃ、霊力よりも料理スキルのほうがよほど大事だね」

 

 正論だが――辛辣だ。耕介が、ここまで自分に辛く当たることがあっただろうか。

 

「うちらは、霊力を持ってなければいかんのじゃ!神咲はそうやって積みあがっていた。なんの歴史も、重さも感じないあんたに、そんなこと言われたくない!」

 

 立ち上がり、耕介に詰め寄る薫。

 そのとき、ふいに、それまで黙っていた雪乃が口を開いた。

 

「耕介さん。今の当代が薫ですから、裏としての神咲がどうだ、ということは、うちからは何も言いません。…ですが、うちも、十六夜が使えなかったとはいえ神咲の歴史を背負い、裏を継いだものです。だから、興味があります。今の、薫の言葉に、どう答えるのか」

 

 静かだが、薫の叫びより、深く、重いものに感じる。しかし、耕介の答えは、初めから何一つ変わらない。だから、耕介は、こう聞いてみた。

 

「薫、雪乃さん。貴方たちは、俺の家の歴史を知ってますか?」

「……?」

 

 突然の問いかけに答えを失う薫と雪乃。確か薫が以前聞いた話では、耕介の父親はレストランを経営しているコックのはずだ。だが実は、なにか裏の姿でもあるというのだろうか。。

 

「俺の親父はな……」

「……」

 

 耕介が一度目を瞑って、続ける。

 

「コックだ」

「え?」

 

 何気ない答えに、今まで強張っていた薫の顔が、緊張から崩れる。

 

「お袋は、主婦でな。ありあまる怪力とスタミナを武器に、暴れまくって家事をしてた。ちなみに、小さいころ俺は顔が変形するほど殴られたことがある」

「…何を言ってるんじゃ…?」

「知っての通り、前のさざなみ寮の管理人だった神奈さんは、香港行って旦那ゲットして、そのまま香港の国際警察だかで働いてる。犯人にちょっと同情するな」

「ふざけているんですか?」

「ふざけてんのは、薫だろう。抱えてるモンが重いのは、誰だって一緒だろうが」

 

 どこまでもまっすぐに。その瞳は、いつか、自分が一人雨に打たれていたとき、抱きしめてくれたときと、なにも変わることなく。

 

「俺が生まれるまで、俺のご先祖さんたちが、どんな人生を送ったかなんて、知ってるわけじゃねえ。だけど、今俺がいるってことは、それだけの時間を生きて、惚れた相手と連れ添って、子を産み、育ててきたんだ。世界中で、それは同じだろうが。そうやって、『必死』で生きてきた人たちと神咲、何が違う」

「……神咲がなければ、それだけ、霊障に苦しみ、救われない人がでます」

「ああ、そうだろうな。それが今の問題となんの関係があるんだよ」

 

 何を言っているんだ、といわんばかりに、耕介は一度嘆息して、

 

「俺の家族が全員医者になりゃ、それだけ救える人が増えるだろうな。でも俺の親父はコックで、お袋は親父を支える主婦で、俺は寮の管理人だ。しかも、もしかしたら、親父がレストランやって、お袋が主婦だったから『こそ』救われた人がいたかもしれんぞ。その程度のちがいだろ」

「だ、だけんども、神咲の術は普通ではなかとです。常に、隠匿され、才能あるものに受け継がれて…」

「なら、いっそ先人の歴史や誇りを全部捨てて、神咲の術を一般公開しちまったらどうだ。門下生募集中。先着十名までは入会金無料サービス。今なら神咲特設お化け屋敷どきどきパニックも体験できる!やったね、子供たちに大人気。そして数年後には神咲霊障請負株式会社が一部上場。せっかくだから、十六夜さんと御架月はユニットでアイドルデビューだ。どうだ。きっと今より『救われる人』が増えるぞ」

 

 言い返せない。

 なんだそれは、と怒鳴りつけたいが、言い返せない。

 むちゃくちゃで、破天荒だが、それは、「真実」だ。

 もっとも、退魔の一族としてのあり方を問われるとか、他の一族からの突き上げなどで、「神咲家」としてはめちゃくちゃになる。だが――もし、救われる人が増えるということを理由にするなら、たしかに「そんなもの」だ。もちろん、公開されることによる新たな問題は生まれるだろう。だが、結局のところそれは医術と同じで、知る者、扱う者が増えたほうが、霊障から救われる人は増えるだろう。

 だが、受け入れられない。自分が霊力を捨て、神咲を捨てることなど、自分には出来ない。

 なのに、今まで、「神咲」を理由に挙げたもの。それが、何一つ、根拠になっていない。

 でも、それでも、自分は……

 震えたままの薫を見ながら、耕介は続ける。

 

「『神咲』の誇りだとか、『神咲』の歴史だとか、『他』のせいにしてんじゃねえ。『薫』が『神咲』を誇りに思って、『薫』が『歴史』を重いと思ってるんだろうが。俺も同じだよ。さざなみ寮の管理人であることは、『俺』の誇りだ。さざなみ寮で人々が暮らした歴史を、そしてこれからを守ることは、『俺』には何より重い。だがそれは全部、皆が笑ってくれるためだ。だから――本当のことを言え、薫」

 

 以前、薫に耕介は言った。

 睦言の後、二人で肌を重ねながら、ゆったりとした暖かさに、お互いが照れて笑いながら。

 

 さざなみ寮では、皆が笑っていてほしいと。そして、さざなみ寮を守りたいと。

 それは、たださざなみ寮を残したいからじゃない。

 さざなみ寮でなら、皆が幸せになれると、信じているから。

 そんな、さざなみ寮が好きで、自分は、そこの管理人として働けることを、誇りに思うと。

 朝起きたら、だれかが寝ぼけていて、食事をすれば、皆が美味しいといってくれて、だれかが廊下にジュースをこぼしたと騒いで、夜にみんなにお休みといって。

 そんな、どこまでも幸せな世界を守るために――俺は、ここの管理人を続けたい。

 とてもささやかで、彼らしい「夢」が、そのときの薫には、とても綺麗に見えて――

 

 震えた手を、もう一度、ぎゅ、っと握って。

 

「うちは、霊力を、取り戻したい」

 

 つぶやくように。だが、はっきりと。

 

「それは、なぜだ」

 

 耕介が、聞く。

 薫は、もう一度考える。

 

「……哀しいことが、少しでも無くなるように働くのが…うちらの仕事だ。それが、うちには出来る。そう信じて、うちは、頑張ってきた」

 

 雨に打たれたあの日、どこかの誰かの笑顔が見たくて、悲しむ人を見たくなくて、泣き笑うように自分を責めていた、あの時の薫。

 耕介は、そんな薫の姿は見たくなかった。そんなふうにする、神咲という「家」が嫌いだった。

 だから、許せなかった。薫が、神咲という名の下に、自分の命をかけようとするのが。

 でも――。そう、でも、だ。

 

「うちは、神咲のことを誇る。それは、ただ連なる歴史があるからじゃない。先人が苦労したからじゃない。どんなに辛くても、心に痛みを刻み込んでも、自分の進むこの道が、みんなが笑顔になれる道だと信じたからじゃ」

 

 だから、薫は、それを実際に成しえてきた神咲を誇る。

 だから、耕介は、それを誇り貫こうとする薫を信じる。

 

「耕介さん、力を貸してほしい。うちが、うちの信じる道を、これからも進む為に。守りたい人を守ろうとした今までを、これからも誇るために」

 

 今度は、薫が耕介を見据える。怒りでも、悔しさでもない、自分の決意と真意を、彼に届けるために。

 耕介も、それを受け取った。それは、いつもの凛々しい薫の顔だったから。

 

「まかせろ」

 

 ただ一言。

 薫が大好きな、あの、優しい笑顔で。

 

 

「……だ、そうですよ?貴方」

 

 雪乃が、咳払いを一つして、そんなことを言い出したので、皆はきょとんとそちらを見る。

 え、と誰かが声を上げたのと同時に、廊下に続く襖が開かれた。

 そこに立っていたのは。

 

「ああ……ただいま」

 

 上品な髭を生やした、四十ほどの男性が一人。

 

「はい、お帰りなさい、貴方」

「と、父さん!」

 

 雪乃の出迎え?とともに現れたその男性に、薫が驚きの声を上げた。

 耕介は、え、あれ?とうろたえながらも、どうやらそれが薫の父、一樹であると理解して、あわてて正座して向き直る。

 

「そんなところで聞き耳立てていないで、堂々と入っていらっしゃればよかですのに」

「すまんな。その……入れなくてな」

 

 なんでも、薫に起きた突然の事態に慌てて帰ってきたらしいが、今度は部屋の前での薫の絶叫のような声と耕介の怒声に驚き、『びびって』事の成り行きを見守っていたとのことだ。

 ちなみに、『びびって』というのは、雪乃がこっそり耕介に耳打ちしたことである。

 一樹は緊張した様子の耕介の前に座り、同じように正座すると、す、と頭を下げた。

 そして、言った。

 

「娘を、頼む」

 

         ◇

「頼まれちゃったもんなあ」

 

 娘のためとはいえ、まだその娘の「彼氏」にしか過ぎない自分に、一刀流という一派を束ねることを担ってきた男が、土下座したのだ。

 これはキく。

 正直、薫とのやりとりがなかったとしても、これだけで自分はあっさりと首を縦に振っただろう。

 それぐらい、キいたし、重い。

 

「いまごろ、ゆうひのコンサートが始まるころか」

 

 この、ゆうひのコンサートの時間と、術式の開始時間を同じにしたのは、耕介の意思だ。

 

「ゆうひ、薫。がんばれよ」

 

 後ろを振り返ると、洞窟のはるか奥で、何かが光っている。おそらくは、薫の術式が開始されたのだろう。

 そろそろ、だ。

 

「耕介様、きますよ」

 

 刀から、御架月の声が直接耕介の脳内に届く。

 耕介は、ああ、と一言つぶやいて、

 

「さて、さざなみ寮の管理人、槙原耕介。薫の部屋に飛んでくる、虫の退治と行きますかね」

 

 いつもどおり、管理人のお仕事をすることにしよう。




次の話は本日の22時に予約投稿済みです
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