アーモンドアイと出会い、季節は巡る。
気温もだんだんと暑くなってきて、外でトレーニングをする際は一層気を張っている。
「どう!?」
「……うん。問題ないよ」
追い切り。
もうすぐメイクデビューを迎えるアーモンドアイ。
出会った頃はまだ少し肌寒かったことを考えると、随分と長い間待たせてしまったと思う。本当ならもう少し早くデビューさせたかったのだが、アーモンドアイが成長するにつれて動きが一気に良くなった。いや、なりすぎた。
「暴走気味になった時はどうなることかと冷や汗かいてたけど、これなら心配ないな」
「ごめんなさい。何度も制御しようとはしたのだけど……」
「いや、気にしないでいいよ」
この子の性格上、あまり本当のことを言っても無茶をする原因になる。本当ならもっとゲートの練習とかもしたかったのだが……。
出遅れないか……正直心配だ。
でもそこはウマ娘。競走馬と騎手が人馬一体になって行うレースではなく、自分の反応だけが全てだ。できることはやったし、残っている時間も少ない。
その限られた時間の中で、俺ができる全てをアイにしてあげなければ。
「スタートに不安は残るが、最悪出遅れてもアイの末脚なら届く。安心して走るといいさ」
「そこなのよ。わたしが安定しないタイムを出しちゃったから他のトレーニングが足りないの。だからね?トレーナー」
「ダメ。俺もさせてあげたいし、もっと時間があればとも思うけどレースを万全の状態で走りたいのなら今日はこれでやめておくよ。いいね?」
「むー」
むくれるな。
これでも割とギリギリまで調整したんだぞ?
ストイックすぎる君を抑えるのにどれだけ苦労したことか……。
「トレセン学園から出る準備も始めないといけないしな。今日は本当にこれでおしまい。隠れてトレーニングしても分かるからな?」
「本当に隠し事ができないのよね……一度本気で後悔したから、今回はわたしの方が折れるわ」
「なんで少しだけ上から目線なんですかね?この子は」
「いいじゃない。わたしとトレーナーの仲でしょ?」
悪い気はしないんだよなぁ。
これが愛バを持つって感覚なのか?
元々競馬ファンで推しだった事もありファンとしての気持ちなのか、トレーナーとしての気持ちなのか判断しづらい。
「それよりほら、足だして」
「えぇ。わかったわ」
そしてまた足を見てケアを始める。
いろいろな場所を触り痛みがないか、アイが気づいていない異常はないか。俺が安心するまで続ける。
……相変わらず視線を集めているが気にしない。アイさえこれの意味を理解してくれているならそれでいいのだ。
「ウマ娘の足フェチトモ食いおじさん」
「普通に傷つくからやめような?な??」
お前にまでそんなことを言われると精神的に死ねるぞ?揶揄っているのはわかっているけど、それはそれ、これはこれだ。
「わたしがG Ⅰウマ娘とかになればまた別の異名がつくのかしら?」
「えー。もうお腹いっぱい」
「トモ食いする代わりにG Ⅰ取らせるトレーナーとか?」
「食べねぇよ」
「そこなのね。G Ⅰ取らないとかじゃないんだ?」
「担当するからにはそこは目指すしな。無事が一番なのは変わらないけど、それでもトレーナーとして掴んで欲しいものがあるんだわ」
「……わたし、本当に運が良かったと思うわ」
そうかい。
さて、異常もなさそうだ。
明日は軽く流す程度だし、その次の日は移動で新潟に行かなければならない。アーモンドアイを負かせたヤツがいることは気になるが……そこは自分の担当を信じるしかない。
「華々しいデビューを飾りにいこう」
「えぇ。そのつもりよ」
ファンとしての想い。
トレーナーとしての想い。
その二つが混じり合う。
笑顔で勝ちを宣言するアーモンドアイを見ながら、どこか難しい感情を抱えるのだった。
新潟レース場。
前世では新潟競馬場って行ったことないんだよなぁ。新潟の名物といえば千メートルの直線。
あれは見ていて面白いんだよ!
競馬好きからはもはや夏の風物詩だ。
ウマ娘関連で言うとカルストンライトオがレコードを記録しているのは知っているだろう。
「あっっっつ」
「そう?気持ち良くないかしら?」
「おじさんにはきつい」
「まだ二十代前半のくせに?」
きついものはきついのだ。
冬はいいさ。着込めば暖を取れるから。
でも夏は別だ。脱いでも暑いのは変わらない。
冷房と扇風機を要求する。
「なら早く中に行かない?ここにいてもずっと暑いだけよ?」
「賛成だ」
さっさと移動を開始する。
与えられている控え室を目指して二人で歩き、その間冷房が効いた室内のおかげで汗が引いていくのを感じた。
迷いなく通路を進み、控え室に到着。
「それじゃあ、時間まで待機だな」
「そうね」
椅子に座って新聞を広げ、前世でのアーモンドアイの新馬戦を思い出す。
流石に出走馬たちの名前なんて覚えていない。
唯一アーモンドアイを負かしたあの子は覚えているが、三着の馬はなんて子だったか?
「ねぇ、トレーナー?」
「ん?」
「わたし、勝てるわよね?」
「……」
何を言ってるんだろうこいつ。
「勝てる勝てないなんて話をしてもしょうがないだろ?俺達は勝ちに来たんだぞ?」
「……」
「アイなら勝てる。そりゃ不安要素はあるさ」
「……」
「アーモンドアイ。お前は負けに来たのか?」
「勝ちに来たわ」
「なら答えは決まっているだろう?」
「……相変わらず、ね」
「ん?」
「なんでもないわ」
アイがぼそりとつぶやいた言葉はあまり聞こえなかった。だが先ほどよりもすっきりとした顔つきで、俺は少しだけ安心できたのは事実。
「せっかく新潟に来たんだ。勝って何か美味いものでも食って帰るぞ」
「ならわたし、タレかつ丼を食べたいわ!」
「だめ。君はレースがあるから決められたメニューを食べてください。ウィニングライブもあるからお腹いっぱい食べれるのはここを出てからです」
「えぇ!?で、でもトレーナーは!?」
「もちろん食べます」
「ずるいわ!アイも食べたいのに!」
プンスコ怒るアイ。
まぁ悪いとは思う。だがしかし、創業百五十年の味は体験したいのだ。また来れば食べられるだろうが、それはそれ、これはこれってやつだろう?
「また今度な」
「むぅー!!!」
むくれるなむくれるな。
時間は流れる。
アーモンドアイとはしっかりと話をした。
『今の新潟は早めの時計が出ているから前が残りやすい。アイの足なら外を回っても差し切って一着を取れるだろうけどな』
『けど油断はできないわ』
『その通り。最悪なのはバ群に包まれると抜け出すのに苦労するからな。それをされるぐらいなら外を回れ』
『トレーナーなら、それでも勝てるって思ってるのよね?』
『あぁ、アーモンドアイなら差し切れる』
勝つ意思は強い。
だが初めての大舞台でのレースは緊張もあるだろう。どこか不安げなアイの背中を軽く叩き送り出した。
その後、お昼はタレかつ丼を食べるつもりだったが流石に悪いと思いやめておいた。いつも通りの牛丼は世界が変わっても変わらない味で、それが少しだけ俺の心を安心させたり……緊張してくるなぁ本当に……。
「牛丼出そう」
パドックの脇でお腹を抱えながら座り込む。
周りの人から大丈夫かこいつ?って目で見られるがもう少ししたらちゃんと立ち上がるから安心してほしい。
心を少しでも落ち着けるために静かにしていると、いつの間にかパドックが始まっており、アナウンスでそれに気がついた。
『12番。アーモンドアイ』
バッと顔を上げて前を見る。
そこには体操服姿のアイがいた。
あぁくそ。失敗した。俺は誰よりもずっと前で見なければならなかったのに。
せめてと思い大きく手を上げて人差し指を上げる。
「伝わってくれ!」
無理だろう。
だがそれでもと。
一勝。
一着。
そして君が一番だと。
「……ははっ」
伝わってくれただろうか?
どこか呆れるような表情で、仕方ないやつを見るかのように笑うアイ。大丈夫勝てるさ。
……最悪、本当に最悪、負けても構わない。
だからどうか無事に戻ってきてくれ。
パドックから去っていくアイを見つめる。
本当なら他のウマ娘もちゃんと見ておくべきなのはわかっている。だが11人も見逃しているのだ。だからこそ急いでその場から移動をする。
誰よりも最前列でゴールの前でアイを迎えるために。
「ほんと、欲張りだよなぁ」
勝ってほしい。
でも負けてもいい。
無事なのが一番。
でも勝ってほしい。
勝って、やったなと二人で笑い合いたい。
いろいろな感情に振り回されていることを自覚しながらも、俺の足は進み続ける。
ゴールに向かうウマ娘達のように、誰よりも一番に愛バを迎えれる場所へ。
鳴り響くファンファーレ。
わたしは、どれだけの人に注目されているのだろう?トレーナーはわたしに新聞を見せてくれなかった。必要情報は全て教えているし、今は人気とかまでは気にするなって事らしいけど、それでも気になる。
とくに、あの子。
目の前にいる子はあんまり関わったことはない。それでも何故か気になるし、不思議な感覚……。
「負け……ない」
負けない。
逃がさない。
必ず差し切る。
だってアイのトレーナーは勝てると言ったのだ。
アイならできる。届くと言ったのだ。
わたしのトレーナーをわたしが信じなくてどうするのだ?
「行こう」
ゲートに入る。
レースが始まる。
集中するために一瞬だけ目を閉じた。
ガコンッ!
ッッ!!!!
反応はできた。
スタートは転ぶこともなく出れた。
けれど周りの子達の後ろ姿が見えた瞬間、わたしが出遅れたことに気がつく。
「ッ!」
集中するつもりが……これだと意味がないじゃない!自分自身に怒りを覚えるが、今は置いておく。スタートに不安があるのは最初からわかっていたことなのだから。
「届く。届かせる」
先頭はどこだろう?
あまり見えない程度には離れてしまっていると思う。おそらく最低でも八バ身は離れているだろう。
トレーナーに言われた事が頭によぎる。
バ群に包まれるな。
「そうだった……!」
焦るあまり外に出ることを忘れたままコーナーに入る。わたしなら外から差し切れるのに、これじゃあ……!
レースは焦るわたしを待ってはくれない。
最終コーナーを曲がり、気が付けば直線にさしかかる。
「ハッ……!ハッ……!」
上がる息。
焦る気持ち。
そしてこうも思った。
ここまで来てしまえばしかたない。
わたしは誰の担当ウマ娘だ?誰よりもわたしを見てくれる天川一星のウマ娘でしょう?
なら!!
「思い切りよく!!はぁっ!!」
バ群?関係ない。
外からも関係ない。
少しでも開いた隙間に入り込め。
一人、また一人と差して差して。
やっと見えた先頭の背中。
「逃がさないっ!!」
芝をかき込むように蹴り上げ加速していく。
「はぁぁぁあああ!!!」
「アイぃい!!!」
届け!
届け届け届け!!
わたしのトレーナーが待っているそこへ!!
「捕まえ『二人並んでゴールイン!ほとんど並んだ状態でゴールにも連れ込みました!』え?」
感覚でわかった。
『結果は写真判定となります!』
わたしは、届かなかった。
上がる息を整えつつ落ち着いていく心を自覚する。
体から無駄な力が抜けたのがわかった。
わたし、緊張してたんだ。
「はぁ……はぁ……捕まえ、られなかった」
滲みそうになる視界。
思わずトレーナーの方へ振り向いた。
わたし、負けちゃった。
荒れるよなぁ?荒れるよねぇ?
明日はガチガチでもいいんだけど今日は荒れるよなぁ。
まぁそれは置いといて。
負けました。