火消に集う残り火たち   作:かたまり

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本編終了後。
クレイは昏倒し、目を覚ます。


覚醒【クレイ】

 辺り六面の純白。病的なまでの白さ、という形容はまったくもってその通りで、まさにここは病室であり、そして収容室でもあった。窓一つなく、外界から隔離されたこの部屋には、大柄な男が一人、閉じ込められている。室内の広さに反してやけに窮屈そうな彼は、かつて街中に貼り出されていたポスターに写っていた清廉さを一切思い起こさせないような、ただ重力に従って垂れるばかりの口角と、眉間に刻み込まれた深い皺から、露骨に不快を滲ませていた。しかし粗雑に撫でつけられた眩い金髪と、質素な貫頭衣を引き裂かんとするほどに鍛え上げられた肉体、そしてそれと対照的に、余ってすかすか(、、、、)になっている左袖は、彼が彼であることを嫌でも示してしまう。

 前プロメポリス司政官にして、現執行猶予付き入院患者、クレイ・フォーサイト。人類の救世主を志した男の結末が、そこにはあった。

 がたつき一つないベッドに腰掛ける彼の視線の先には、唯一外界との接触経路足りうる自動ドアがある。ドアだけがある。この部屋には、ベッドと、ドアと、クレイと、彼の右腕から延びる点滴チューブのほかには何もない。患者のバイタルを表示するモニターすら。目覚めてから数時間経ったというのに、それが彼に把握できる情報の全てだった。しかし彼の視線に解放への願望があるかというと、そういうわけでもない。覚醒直後、採血やら認知テストやらを済ませた看護師から伝えられた一つの報せ。悪い夢見に由来する仏頂面をさらに加速させた、あの二人が見舞い兼面会に来るという事実。

 何人たりとも、この部屋へ侵入するにはこのドアを通るしかない。ならば彼らの来訪にクレイが取れる対応は、このドアが開くその一瞬に集結する。そう考えての、攻撃的な一点凝視であった。

 

 あの日。地球が滅亡しかけ、クレイが救世を仕損じ、この世界からプロメアが消失した日。ふざけた男二人組によって、予想するだにしなかった手法でもって、都合が良すぎる現在(エンディング)をつかみ取ったあの日、クレイは突如として昏睡に陥った。

 その昏睡の原因が、あのとき彼の片腕をすら補完していたプロメアの欠損によるものなのか、あるいは単なる過労なのか、ついに解明されることはなかった。しかし事実として彼は眠っていて、司政官でありながら一連の騒動の重要参考人でもある彼の不在は、プロメポリスの混乱を長引かせるための最適解であった。そしてそのしわ寄せとして、ビアルを筆頭とする秘書、幹部たちが事態の収拾(ひけし)に追われたのは、語るまでもない。また、そんな事情など素知らぬ顔で寝呆けているクレイと、毎日必ず見舞いの時間を作る立役者二人に、彼らが名状しがたい負の感情を募らせていたのも同様に。

 

「……いつだ」

 

 静寂の圧迫に耐えかねてクレイは独り言ちる。

 看護師が口にした面会の情報は、「二人が来たら、きっと喜びますね」という文言のみであり、いつ来るのか、そもそも本当に来るのかなどの付帯情報については、さっぱりわからなかった。さらにどういうわけか、この部屋には時計すらないため、クレイは目算も建てられぬ奇襲に己が身一つで立ち向かうしかない。

 はじめは寝た状態で出迎えようと思っていた。しかしあの二人に己が寝顔なぞ見せようものなら、その不遜な口からどのような言葉が飛び出すか気が気でなかったため、無言で扉を睨み、こちらから先手を打とうと考え直す。

 だが、いつ来るかわからない相手のことを考えてずっと扉を眺めているというのも、いけ好かない。まるで自分が面会を、いや、そんなことは欠片もあり得ないが、あたかも面会を楽しみにしているかもしれない、と、捉えられる可能性も、決してゼロではない。となれば、やはりこれまで通り目を閉じて寝ていた方が得策か。しかし寝顔は……。

 クレイの姿勢は一定の間隔を置いて上下し、頭の高さを時間ごとにとれば矩形波が表れること請け合いであった。

 そんなことを考えながらの、数度目の仰向け。ふと、足音で接近に気づけるかもしれない、と左に体を倒し、ベッドに耳を当ててみる。感じるのは硬い枕の感触と、空調の唸りのみ。外部の音は聞こえそうになかった。まあ、そうだろうな、と想定内の落胆を受け止めつつ、思えば、この姿勢も懐かしいな、なんて脇道の思考がクレイに走る。

 左腕が人工物であった頃は、その硬さと異物感から、左向きに寝そべることはなかった。この向きで寝るには、隻腕というのも悪くない。じくりと、傷跡さえ疼かなければ。……疼き。何かの予兆か。

 気配だ。ドアの向こうに、誰かいる。ないはずの指先にピリピリとした感覚。恐怖か、緊張か。いや、何を恐れているのだ私は。私は私のするべきことをしたまでだ。謂れはあるのだから。クレイはそう己を鼓舞した。

 間もなく、ドアが開く。

 

「何をしに来たガッ……!?」

「フォーサイトさーん、あぁ目覚めたんですねぇよかったぁ」

 

 そこにいたのは、青のトンガリ頭でも、小柄のキノコ頭でもなく、豊かなあごひげを蓄えた白衣の老人。どう見ても医者だった。

 

「いやさすが司政官ですねぇ肉体は至って健康、このまま行けばすぐに退院できますよ」

「あ、はぁ、そうですか……ありがとうございます……」

 

 クレイは心中で振り上げた拳を下ろす先を見失い、いかに思考があの二人に染め上げられていたかに気づいた。常識的に考えて、目を覚ました患者のもとに来るのは、見舞いよりまず先に医者なのが道理である。

 

「寝ている間も筋肉は動かしてましたからね、そりゃあ多少は衰えてるでしょうが日常生活に支障はないはずですよ」

「それは……よかったです」

 

 それにしても、この医者は私になにか思うところはないのだろうか、とクレイは訝しんだ。私はプロメポリス市民のほぼ全員を欺いていたというのに。

 そんなクレイの内心を悟ったか、医者は点滴を外しながら、

 

「んー、わしが診られるのは肉体の健康だけですからねぇ、色々ありましたし色々あったんでしょうが、そういうのはその道のプロに任せるもんです」

 

 と言ってのけた。

 ひとは自分の役割を全うし、必要以上に手を伸ばすべきではない。

 言外に、あの日に自分がやろうとしていたことを揶揄しているのかとも考えたクレイだったが、考えすぎだと頭を振る。彼はただ単に、これまでの人生から得た教訓を語ってくれているだけなのだろう。

 

「そう、ですね。私にはまだ、やるべきこととがあるし、やらなければならないことが、山ほど残っている」

「ほっほ、忙しいもんですな司政官というのは。退院手続きが終わったらまた来ます。まだ暫くは存分に休んでてくだされ」

 

 医者は「いやぁあの二人が見たら喜ぶでしょうな」と、あの看護婦と同じようなことを言いながら退室し、病室は静寂に包まれる。

 随分とこの病院に馴染んでいるらしい二人組を思い浮かべながら、クレイは再び姿勢の吟味を始めた。

 

〜〜〜

 

 結局、二人が訪れたのは看護婦の来訪から小一時間ほど経った頃になる。クレイの頭が、ちょうど八度目の上昇を迎えた瞬間だった。

 無機質な自動ドアが開く。

 

「よおクレ……おおお! 起きたのか! おはよう!」

「……チッ」

 

 静謐を破る大声。回復した患者に向けた舌打ち。何もかもが病室にそぐわない。クレイは、それまで苦悩していた対面時の姿勢など、どうでもよくなってしまった。

 

 度し難い。

 

 溌剌の二文字を、その髪型を以てさえ体現する熱血好青年、ガロ・ティモス。

 儚げな容姿とは裏腹に、信念と情熱を滾らせた美少年、リオ・フォーティア。

 クレイでさえ成しえなかった完全な救世を遂げた二人。憎き怨敵との、再会であった。

 部屋に踏み込んだ彼らの後ろでドアが閉まる。二人を牽制するように、クレイは口を開いた。

 

「どれくらいだ」

「ん?」

「私が眠っていたのは」

「あー、大体……一ヶ月ってとこだな」

「一ヶ月……」

 

 一ヶ月。予想の中でも比較的悪いほうの予想が当たってしまったと、クレイは眉間の皺を深める。

 パルナッソス号の出現、プロメアの消失、バーニッシュの消失、そして司政官の昏睡。一連の出来事が、いったいどれだけの混乱を招いただろうか。

 ただでさえバーニッシュ火災による漫然とした不安が街中に募っていたのだ。これらを皮切りに、暴動の一つや二つ起きていたとしても全く不思議ではない。いや、むしろ一つや二つで済んでいれば御の字か。

 なにせ、街の最高権力者が騒動の首謀者なのだ。情報統制を敷いたところで真相は隠し通せるものではない。いずれ真相が知れ渡れば行政は信頼を失い、そうなれば従来組織での治安維持などは到底望めないだろう。

 などとクレイが思案していると、ガロが半ば呆れたように声をかける。

 

「はぁー……、一ヶ月も寝たきりだったってのに、起きてすぐ自分じゃなくて街の心配かよ、クレイ」

「な……」

 

 なぜ、私の思考を。

 声に出してしまっていたか、とクレイは問う。

 

「違う違う、顔だよ、顔。あんたが司政官をやる少し前からするようになった、小難し〜いその顔だ」

 

 そう言うと態とらしく眉間に皺を寄せ、口角を下げ、いかにもな表情をするガロ。流石にそこまでの顔つきにはなっていないだろうと窘めつつ、反面よく見ているものだとクレイは感心した。豪放磊落に見えるが、こういう人の機微を捉える能力があるからこそ、あのレスキュー隊員たちは彼を信じ、敵組織の首魁さえも取り込めたのだろう。

 そんなガロも、自分からの疎みまでは感じ取れなかったようだが。クレイは心中で呟いた。

 

「司政官様ともあれば、人殺しでも手厚い看護を受けられるんだな。さすがのご身分だ」

「おいリオ」

 

 そんな胸中の嫌味を感じ取ったか、リオが初めて口を開く。当然というべきか、そこにはクレイへの恨み辛みが存分に込められていた。

 それにしても、なぜこいつがいるんだ。ガロ一人だけでも持て余すというのに。クレイは息をつき、しかしリオへの返答はしなかった。実を言えば聞きたいことはあったが、直接聞く気は進まなかった。

 

「……」

「あー、すまねえクレイ、顔も合わせたくねぇのはお互い様だと思うが、事情があってな」

「僕はこんなやつの見舞いなんて行かなくていいと、何度も言っているんだが」

 

 いっそ一人で静かにいなくなってしまえばいい、と言わんばかりのリオ。司政官を務めてからは嫉妬も憎悪も向けられ慣れた感情だが、だからとて快いはずはない。

 

(しかし、仕方ないか)

 

 自分の取った手段に後悔はしていないが、あれが善行であるとも思っていない。バーニッシュを率いていた身からすれば、私のやったことを看過せというほうが無理だ。故に分かり合うことはできないし、その必要もない。クレイはそう判断し、リオ・フォーティアを無視することに決めた。

 

「……まあいい。貴様らがこうして平和に顔を出せているということは、皆が頑張ってくれているんだろうな」

「おうよ。ここ一ヶ月、あの顔を見ない日はなかったぜ」

 

 そう言いながらガロがクレイに携帯端末を見せる。その画面に映るビアルからは、化粧ではもはや隠しきれないほどの疲労感が漂っていた。

 

「突然出てくるでけえ船に、地響き、噴火、挙句の果てには惑星ごと完全燃焼だからな。どこもかしこも大混乱だ」

「だろう、な」

「でも……」

 

 ガロが端末の画面を遷移させると、最新ニュースの見出しが踊る。

 

「バーニッシュとの確執解凍……手を取り合って、プロメポリス復興?」

「ああ、悪いことだけってわけじゃねえ」

 

 そんな馬鹿な。この二人組は、根深い世界の対立まで無くしてしまったというのか。

 

「だが、良いことだけでもない。このニュースは扇動、意図的な民意の誘導でもある。同じ(、、)バーニッシュであった僕と貴様ですら、こうなんだからな」

 

 リオが付け加える。それはそうだろう。元凶のプロメアが失われたとしても、長年堆積されてきた禍根はそう簡単に燃え尽きはしない。

 クレイはわざわざ「同じ」と称したリオに対して、内心で苦笑した。

 

「……まあとにかく、司政官なしのプロメポリスもヤワじゃないってことよ」

「そうか……。……それは、よかった」

 

 と、吐露した自らの声色の穏やかさに、クレイは驚いた。思えばあの日からずっと、体の裡に煮えたぎる衝動の炎を押し殺して生きてきた。気を抜けばいつ辺りを燃やし尽くしてしまうかわからない。そんな衝動を抑えるために、その衝動よりも強く己自身の意志を燃やして、危うい均衡を保っていたのだ。

 ガロは「司政官になる少し前から気難しくなった」と言ったが、そのずっと前から、私は私でなかった。

 しかし、今出た己の一言は、あの頃の自分からは考えられないほど凪いでいた。力と力の根比べ、拮抗状態を続けていた頃とは正反対の、柔なる静。いつぶりかの、非常に懐かしい感覚だった。

 だがそれはそれとして、まずは司政官としてやるべきことをやらねばなるまいと、クレイの習慣化された思考が回り始める。

 

「プロメポリスのシステムは可能な限り属人化を避けたからな。移住後の混乱を最小限にするためだったが、それが功を奏したか。だが騒動の張本人が姿をくらましていては、まとまる民意もまとまらないだろう。ビアルのことだ、おそらく既に会見の準備を始めているに違いない。早く原稿を……」

「クレイ」

「ん? どうしたガ」

「あのなぁ! 病み上がりのくせに目ぇ覚めた瞬間街街街街って、ちったぁてめぇの心配しやがれってんだ!」

 

 びし、とクレイの視界いっぱいにガロの指先が広がった。

 まさに、きょとん、といった様子でクレイは呆ける。

 

「私の?」

「ああそうだ! あの完全燃焼のあと、意識を失っちまったバーニッシュは少なくねぇ。だが数日もすればみぃんな目を覚ました。アンタ以外はな。今日まで一ヶ月も寝たきりだったのは、アンタだけだ、クレイ」

 

 ここまで眠っていたのは自分だけ。そう言われて初めて、クレイは自分がいま無事であることに、なんら必然性はないのだと気がついた。

 だが自分と同程度のバーニッシュであったはずのリオですら数日で目を覚ましたというのはどうにも納得がいかない。そんなクレイの視線に気づいたリオは、

 

「……僕の場合は事情が違う。僕は完全燃焼を起こした側だし、それに、その……」

 

 と、勝手に話し始めておきながら、勝手に言葉に詰まるという、なかなかけったいなことになっていた。

 

「あー、その、なんだ。まあ色々あんだ」

 

 おまけにガロもしどろもどろになる。クレイはなにやら面倒そうな気配を感じつつも、あえて触れなかった。

 

「とにかく! ……オレは、アンタが心配だったんだよ。アンタを助ける、なんて見栄切っといて、なのに、もしかしたら、って」

 

 気づけば、ガロの声は震えていた。リオはそんなガロの様子がひどくつまらないようで、しかし水を差すことはしない。

 

「ガロ」

「っ、」

「……心配をかけて、すまなかった」

 

 本来ならクレイは、こんな言葉をガロにかけるつもりはなかったはずだった。恩師も、市民も、自分さえも欺いて、用意周到に練り上げた綿密な計画を、行き当たりばったりが服を着たようなこの二人に「台無し」にされたのだ。怒りを覚えて然るべきだろう、と、まるで他人事かのように分析している自分に、クレイは気が付く。

 存外に、冷静であった。焚きつける薪がないわけではない。言いたいことなど山ほどあるし、坩堝に放り込んだ感情の数々は心の奥深くに湛えられている。だというのに、それを発露するための火種がないのだ。

 そうか、これが、もしかすると。

 

「私は無事だ。医者が言うには、手続きさえ済めばすぐにでも退院できるらしい」

「そうか……良かった、ほんとによかった!」

 

 まるで自分のことのように安堵するガロ。

 

「それはそれは本当によかったな。じゃ、帰るぞガロ」

 

 まるで無関係かのように帰宅を促すリオ。無機質、無感情。その容貌も相まって、彼の非生物的な美しさを助長していた。

 

「……待て、リオ・フォーティア。帰るなら、最後に教えろ」

「……」

「なぜ、ずっとガロの右腕に抱きついている」

 

 クレイもはじめから気にかかってはいた。ガロとリオ、二人の来訪者が来ることは想像できていたが、リオがガロの右腕に、それも、コアラとかパンダとかの、愛玩されるような類の姿勢で抱きついて、そして入室から現在に至るまで抱きつき続けるとは、さしものクレイにも予想外の事態であった。

 その質問にリオは眼光を一層鋭くし、ガロは「やっぱり聞かれるか」と観念する。

 

「あー、その。これはな……」

「早く帰るぞ、ガロ」

「待てよリオ。意識が戻ったらクレイに話そうってずっと」

「その必要はない。今なくなった」

 

 少し慌てるガロをぐいぐいと引っ張り、出口へ誘導するリオ。

 と、二人が右腕に着けているアクセサリーにクレイは気が付いた。どこかで見覚えがある。いや、記憶が正しければ、あれはアクセサリーではない。確か、プロメス博士の研究の一つにあったような……。

 

「なんだ、その話って」

 

 そんな不確かな記憶の詮索はともかくとして、クレイはガロに催促する。それに、きっとその腕輪が関係している話だという根拠のない確信があった。リオが足を止めて振り返る。

 

「聞く必要はない」

 

 いいや、お前には質問していない、と脳内でクレイは独り言ちる。こいつは私をいらだたせるために生まれてきたのだろうか。

 だがクレイは、そんなリオへの策をすでに考えついていた。

 

「急にどうしたんだよリオ?」

「相も変わらずガロに迷惑をかけているようだな、マッドバーニッシュ」

「……なんだと」

 

 ガロを引き合いに出せばよい。

 

「自分のしようとしていたことを忘れたのか? 貴様の計画のせいで、どれだけ僕達が振り回されたと思ってる!」

「ちょっとリオ」

 

 クレイがぶら下げた針に面白いほど食いついたリオは名残惜しそうにガロの腕から離れ、ずんずんとクレイに近づいていく。

 しめた、とクレイは僅かに口角を上げた。

 

「それにその『マッド(、、、)バーニッシュ』とかいう名前も心外だ、人類の選定なんて計画を思いつくあんたの方が、よっぽど『マッド』相応しいと僕には思えるが?」

「私はあのとき考えうる最適の策を選択したまでだ。狂気など交じりようもない、努めて冷静な決断だよ」

 

 感情的なリオ、理性的なクレイ。傍から見れば真逆の二人だが、根底には同質の激情を滾らせていることをガロは知っている。

 まるで二人は呼応するように、失ったはずの火種を取り戻したかのように白熱し始めた。

 

「だが僕たちは完全にプロメアを鎮めてみせた。貴様の言う『最適な策』なんかよりもずっと上等だ!」

「それは結果論に過ぎん! お前らがしたことは、人類の命運を賭けた、どこまでも自分勝手な運否天賦の大博打だ! まともに成熟した精神であれば、こんなふざけた賽を振れるはずがない! やはり狂っているのはお前だリオ・フォーティア、この浅慮で幼稚な夢想家が!」

 

 もはやクレイには「ガロの話を聞き出す」という目的はあってないようなものだった。口をつくのは、あの日のビルの上で、パルナッソス号で交わしたときと同じ熱量の激情。左腕の傷跡がちりちりと疼く。

 まさか病み上がりでここまでの口論になるとは。だがクレイはなにかに突き動かされるように次の句を、

 

「おい!!!」

 

 びり、と部屋が鳴った。そこにはガロを見つめる、豆鉄砲を食らった鳩が二匹。

 

「リオ! クレイ! ここは病院だぞ! そんな会話聞いてたら治る病気も治らなくなっちまう! 迷惑だろ!!」

 

 道理は我にあり、と譲らないガロの大音声が響く。

 

「……ガロ」

 

 リオのものか、クレイのものか分からない呟き。あるいは両方のものかもしれない。いずれにしても、先刻までの勢いが嘘のような声色であった。

 

「病院ではお静かにってよぉ、ガキでも知ってることだろ! それが司政官の振る舞いかよ!」

「……す、すまん」

「リオもリオだ! いくら嫌いだからって、病み上がり相手にその態度はダメだ!」

「…………そうだな、わかったよ」

 

 元バーニッシュ同士の口論を収めるその手腕は、なるほど最前線の火消しに相応しかった。しかし『燃えて消す』彼の流儀の通り、この場で最も大きな声を出したのもまた、まぎれもなくガロであった。

 機械音と共に開くドア。張り付いたような営業スマイルを浮かべる看護師。

 だがガロはそれに気づかず、二人への説教を続ける。

 

「……ガロさん?」

「んぁ?」

 

 とん、とガロの肩に置かれる手。

 

「院長から、少しお話があるそうです」

 

 と、ここに来てようやく己の行動を鑑みたガロは、一つ冷や汗を垂らす。

 

「あ、あの、それって何の……?」

「さあ? ……まあ、そう時間は頂きませんよ。来てください」

「すみませんでしたっ! あのっ、こいつらを止めようと思ってしたことで!」

「話があるのは私じゃなくて院長ですから」

「そんなっ、いや、ちょっと待っ……!」

 

 ずるずると部屋から引っ張り出されるガロ。クレイもリオも、ただぽかんと口を開けて見送るしかない。

 機械音と共に閉じるドア。部屋に静寂が舞い戻り、やっと二人も我に返った。

 

「……」

「……」

 

 二人の架け橋となっていたガロが失われた今、気まずい沈黙が場を支配する。さっきまでの勢いはどこへやら。水を掛けられた薪は、なかなか再点火できないものだ。

 数分か、数十分か、はたまた数時間か。永遠にも思える永い沈黙を破ったのは、クレイだった。

 

「……ガロは」

「……」

「ガロはこの一ヶ月、どうしていた」

 

 不機嫌を隠そうともせず、壁に凭れていたリオは目を開いて答える。

 

「どうもなにも、なにもかも、だ。バーニングレスキューであり、プロメアを消し去った張本人であり、プロメス博士殺害の重要参考人であり……休む間もなく西へ東へ、息をつく暇もなかった」

「そうか」

「だが、むしろそれで良かったのかもしれない。……本当に不本意だが。クレイ・フォーサイト。ガロは貴様のことを、一番に心配していた」

「……」

「街のために動くことで、いずれ目を覚ますあんたの助けになる、とガロはいつも言っていた」

 

 クレイには分からなかった。真実を伝えてなお、裏切ってなおも自分のことを慮ってくれるあの青年のことが、ずっと。

 いっそ恨んでくれたらよかった。家族を、人生を奪った犯人として、あの日、復讐を果たすというのなら、それでも構わなかった。ガロとリオの介入さえなければ、オメガケンタウリへの移住は自分の介入を必要とせず、ほぼ自動的に完了するようプログラムしていたのだ。それは計画の成功確率を上げるためでもあったが、その実、ある種の希死念慮にも依っていたのかもしれない。

 だがガロはそうしなかった。そして、そのことに安堵を覚えてしまう自分自身を、クレイはどうしようもなく嫌悪していた。

 

「単純に、体を動かしている間は不安を忘れられる、ということもあっただろうが」

「はは……確かに、悩むくらいなら動くほうがあいつらしい」

 

 リオがぎろりとクレイを睨む。

 

「よくそんな口が利けるな。ガロは毎晩、ずっとうなされていた。うわごとのように、貴様の名前を呼んでいた。何度も、何度も。あいつは悩まないんじゃない。悩みが霞んで見えるくらいお人よしが過ぎるだけだ」

「……それは、私も知ってるさ」

 

 クレイがガロを燃え盛る家屋から助け出し(、、、、)てから間もないころ。気丈に振る舞う少年の瞳の奥に、いつも恐怖が揺らめいていたのを、クレイは思い出す。それは失うことへの恐怖。自分ではどうしようもできない、強大な力の奔流に蹂躙されることへの恐怖。だからこそガロは停滞を良しとしなかった。なによりもまず、動くこと。一秒でも走り始めるのが遅れてしまえば、届くはずだった手が、届かなくなってしまうかもしれないのだから。

 

「……いや、待て」

「なんだ」

「なぜガロがうなされていたと、お前が知っている」

「ッ!?」

 

 リオは目を見開き、視線をあちらこちらへ泳がせてから、クレイに背を向けた。

 

「貴様には関係ない」

「ふはっ」

 

 その態度のあからさまさに、クレイは噴き出す。

 

「なんだ、なんだ、リオ・フォーティア。あのマッドバーニッシュの首魁は、誰かに添い寝してもらわないと眠ることもできないのか」

「なッ……!」

「いやぁ、確かにな。いくらリーダーをしていたといっても、お前はまだお子様だ。なぁに、甘えたくなることがあったって誰も咎めないだろう」

「ちがッ、いや、これは!」

 

 そう叫びながら振り返ったリオの顔は真っ赤に染まっていた。クレイは「思いも依らず、どうにも面白いことになっているようだ」とほくそ笑む。

 

「これはっ、あの日の、副作用だ!」

「副作用?」

 

 これを見ろ、とリオは右腕に着けている金属製の腕輪を見せびらかした。

 

「ガロとお揃いのアクセサリーの自慢か」

「違う! これは……あのあとから、バーニッシュは経過観察という名目で監視されている。ここには位置情報を送信する装置が内蔵されていて、親機から一定以上離れると通報が入る」

「だから親機を身に着けた監視担当者であるガロから離れられない、と」

「そうだ!」

 

 どうだ、納得したかと言わんばかりの表情を浮かべるリオだったが、顔の紅潮は引いておらず、そもそも自分から露呈した焦り様からして、それだけでないのは明白だった。

 

「はぁ……仮にそうだとして、添い寝するほど近づかなければならない、なんて仕様、不便が過ぎるだろう。現に今ガロはここにいないわけだが、通報はされるのか?」

「うっ」

 

 容易く論理の穴を突かれ、リオは言葉に詰まる。

 

「それと、やっと思い出した。それはプロメス博士が研究していた試作品によく似ている。たしか、バーニッシュ同士でエネルギーを授受し、放火衝動を分散させコントロールする……だったか」

「二人とも、待たせたな!」

 

 唐突に開いたドアの向こうには、ガロがいた。リオは真っ赤な顔で振り向き、クレイはしたり顔でガロを見やる。

 それだけで自分不在の病室で何が起きていたか、ある程度把握したガロは、

 

「あー、んー……よし、リオ、クレイに全部話すぞ」

「ガロッ!」

「どうせ大体バレたんだろ? なら誤解なくちゃんと伝えたほうが良い。それに、リオにも話ができた」

「僕に、話?」

「ああ。俺とリオの、これからに関することだ。だからとりあえず、ここ一か月の俺たちをクレイに話す。そっちのほうが都合がいいからな」

「まぁ……ガロがそう言うなら」

 

 先ほどまでの取り乱しようをどこかに忘れ去った様子で、リオはガロに身を任せ、身を寄せた。クレイは眉を顰める。

 

「じゃあクレイ。誤解のないよう単刀直入に言うぜ」

「あ、あぁ……」

 

 どこか覚悟を決めたようなガロに、クレイも気を張りなおした。

 

「リオは、俺なしでは生きていけなくなっちまったんだ」

「ガロ!?」

「なんだと!?」

 

 クレイの目が見開かれる。リオがガロの胸元を掴む。

 

「な、な」

「おいガロ! 誤解のないようにって、それじゃ誤解しか生まれないぞ!」

「うわ揺さぶるなリオ」

「ガロが、ガロの責任……いや私の責任……?」

「ほら見ろあの顔! 完全に飛んでいる!」

「わかったわかったちゃんと順を追って説明するから放してくれリオ」

 

 結局仕切りなおされたのは暫く後、クレイが思考の海の彼方からなんとか戻ってきてからとなった。

 

「クレイ、もう大丈夫か?」

「あぁ、大丈夫だ。だがガロ、そういうことはまず私を通してからにしろと何度も」

「大丈夫じゃねぇ!」

 

 ガロはどうしたらいいんだ、と頭を抱える。まさか誤解が起こらないよう、できる限り簡潔に説明したことが、ここまで裏目に出るだなんて。ガロが何度説明を試みようともクレイは一度至ってしまった解釈から外れることができない。このままでは平行線だ、とリオがクレイの頭に物理的ショックを加えようか真剣に悩み始めたころ、病室のドアが開いた。

 

「クレイさん手続きが終わりま……おや?」

「あっ先生! 俺達の代わりにコレについての説明をお願いします! クレイが誤解から帰ってこれなくなっちまって!」

「えぇ? まあ構いませんがぁ」

「クレイ、一旦俺の発言は忘れて、先生の言うことを聞いてくれ!」

「はぁ」

 

 信頼できる第三者の登場により、きっとクレイの誤解は解けるはずだとガロは胸を撫でおろす。だが当のクレイは相変わらず、どこか遠い、ここではないどこかに目の焦点が合っていた。

 

「じゃぁとりあえずこれ見てくださいね」

「はぁ」

 

 医者は懐からペン程度の大きさの金属棒を取り出し、先端をクレイの目に向けた。

 

「いち、にの、さん」

「うわっ!」

 

 掛け声と同時に棒の先端が発光。クレイは目を瞑り、その瞬間医者の右手が閃く。

 

「うっ」

「先生!?」

 

 急所に一撃を叩き込まれたクレイは再び昏倒。医者は悪びれずに言った。

 

「こういうときはねぇ、一回やり直した方がいいんですよ」

「……」

「あ、ちなみにこのペンライトはただのライトだからねぇ。変なことは考えないようにね」

 

 じゃ、彼が目を覚ましたら "ちゃんと" 説明するんだねぇ、と医者は言い残し、病室を後にした。それから数分、クレイが目を覚ましたとき、不思議なことに前後の記憶は何も残っていなかった。

 

「ん、あれ……私は、眠っていたのか」

「ああ、疲れが残ってたみたいだな」

 

 やけに棒読みなガロに違和感を感じつつも、そういうものか、とクレイは納得する。

 

「自分のことを心配しろ、か。確かにガロの言うとおりだったな」

 

 その発言を聞いて、ガロはクレイの記憶がリオとの口論以前に戻っていることを悟る。

 

「……よし。じゃあ、説明するぞ」

「説明?」

「なんでリオが俺の腕に引っ付いているか、についてだ」

 

 クレイの眉が上がった。まさかそっちから切り出してくるとは、という様子だった。

 

「これはあの日の、あの完全燃焼の副作用なんだ」

 

 ガロは語り始める。

 

「あの完全燃焼には、リオのバーニッシュとしての素質、プロメテックエンジン、そして俺の『燃えて消す』火消魂が必要だった。だがリオのプロメアが俺に馴染み過ぎて、全部のプロメアが燃え尽きた後、代わりに、その、俺自身が必要になった、らしい」

「なんだって……いや、なるほど。確かに、非バーニッシュと同調できるプロメアなど、聞いたことがない。それほどの親和性があれば、あるいは……」

 

 それでもいろいろと理解しがたいところはあるが、ひとまずクレイは浮かんだ疑問をぶつけることにした。

 

「……だがあの時、お前たちはプロメテックエンジンを介して、全てのプロメアと繋がり、共振したんだろう。どうしてそのマッドバーニッシュにだけ症状が現れる」

「あー、それは、その」

 

 いくら発起人がこの二人だとて、燃焼にはあらゆるプロメアを同調させる必要がある。個々のバーニッシュと呼応していたプロメアすらガロの火消魂に同調させ、燃やし尽くしたというなら、元バーニッシュ全員にガロ欠乏症のきらいが現れていてもおかしくないはずだ、とクレイは考えた。

 

「俺に宿ったリオの炎を、またリオに戻したんだ。そこで色々起こって、こうなったんじゃないかって」

「色々?」

「アイナの姉ちゃんは、二つの精神にシンクロしたプロメアは特別で、独自のチャンネルで俺とリオだけが繋がった可能性は考えられる、とかなんとか言ってたけど……細かいことは俺にも分からん!」

 

 確かに、プロメアのことは多くが謎に包まれたままだ。プロメス博士ならともかく、ガロに理解が出来るはずもない。研究者の性が出てしまったな、とクレイは反省する。

 

「とにかくだ! リオは俺の生体エネルギー? だかなんだかを取り入れないと調子が悪くなるから、この腕輪を着けて、いつも近くにいたってわけだ」

「それは……バーニッシュ同士を同調させるプロメス博士の試作品か。なるほど」

「わけだったんだが……」

「?」

 

 ここにきて急に語気が弱まるガロを不思議に思ったのはクレイもリオも同じだった。

 

「こっからはリオへの話になるんだが……」

「なんだ、ガロ」

 

 やけに気まずそうなガロを訝しむリオ。

 

「その、この腕輪、どうやらバッテリー式らしくて」

「なに!? 不味いぞ、早く充電方法を見つけないと!」

 

 リオは血相を変えて焦り始めた。当然だ。これはリオにとっての生命線なのだから。

 

「いや、それが……」

「なんなんだガロ、さっきから! 今すぐにでも対応しないと、バッテリーがいつ切れるか分からないんだぞ!」

「もう、切れてる」

「…………えっ」

 

 リオの時が止まった。

 

「正確には、二週間前に動作が停止してたらしい。さっき先生に履歴を確認してもらったから間違いない」

「ぁ」

「だからその、なんだ。ここ二週間、リオはずっと、元気だったよな」

「ぅあ」

「でも昨日俺が夜中に一人でトイレに行ったとき、リオは体調が悪くなった、って言ってたよな」

「……」

「あの、よ。もしかしてリオ、俺とくっついてる必要、なかったんじゃないのか?」

 

 

 

「あぁぁああああぁあああぁぁぁあああ!!!!」

 

 

 

 リオは哭いた。いつか、竜を象ってクレイ・フォーサイトに宣戦布告をした時よりも深く、重く、悲痛な叫びが、病院にこだました。

 

 

~~~

 

 

「なぁリオ、いい加減元気出してくれって」

「ぅぅ……」

 

 部屋の隅にうずくまってしまったリオをガロは必死に慰める。

 

「俺怒ってねえからさ。騙された……とはちょっと思ったけどよ、別に誰かを傷つけたわけじゃないだろ?」

「……」

 

 しかしその効果はいまひとつのようだった。なんせ慰めてくれているのは、自分の横暴の被害者、張本人である。恥ずかしさややるせなさ、罪悪感などが渾然一体となってリオの心に吹きすさんでいた。

 

「ん、んふっ、そうだリオ・フォーティア。お前は誰も傷つけていない。……むしろ私に笑顔を、ふ、ふふっ」

「……クレイ、クレイ、フォーサイトオオオ!!!」

「おいよせよクレイ!」

 

 その上、最も知られたくなかった人間に、己の秘密を知られ、それをネタに挑発される始末。しかもそれを咎めるのもまた被害者であるガロであり、リオはもはや何を感じているのかすら分からないほどの羞恥に襲われていた。

 

「ふぅ、……まさか私が眠っている間にこんなおもし……奇怪な事態になっていたとはな」

「黙れ」

「なるほど、なるほど。だから寝言も聞けた、と」

「だまっ……な、まさか」

 

 はっとリオが振り返る。

 

「ん? なんだ寝言って」

「ああ覚えているとも、なんだ、人間は手刀で叩かれた程度で記憶をなくすと、本気で思っていたのか?」

 

 流石に事態を把握したガロもあっけにとられた様子でクレイを見る。

 

「まったく、目が覚めたと思ったら、とんでもない土産を持ってきてくれたな、ガロ」

「クレイ……」

「今日はもうお開きだ。積もる話もあったが、興が削がれた。次はしっかりと、街を救った英雄と、世紀の大犯罪者として会おう」

 

 クレイはベッドから降り、少しふらつきつつドアへ向かう。

 

「大丈夫か?」

「ああ、助けはいらん」

 

 ドアの前に立ったクレイは、振り返らずに、

 

「じゃあな、ガロ・ティモス。リオ・フォーティア。精々『ガロなしでは生きていけない日々』を、満喫するといい」

 

 と言い残し、部屋を後にした。

 ガロはクレイを引き留めようと手を伸ばすが、その手は届かない。病室の隅で小さくなっているリオを放ってはおけない。

 震えるリオの背中を撫でながら、どうしてこんなことになってしまったのか、と思うガロであった。

 

 

 

 

「……リオ・フォーティア」

 

 病室を出たクレイは独り呟く。

 

「ガロを……」

 

 その瞬間、左腕の傷跡がじくり、と痛んだ。

 

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