心が地獄へ向かうたび、私の子宮は悲鳴をあげる。 作:田地町 待乃
引きこもり時の部屋着だと、ニコニコのコメに「デカいな」と書かれてしまうくらいだったのに対し、制服姿になったとたん、胸部が結月ゆかり、あるいは山田奈緒子っぽくなっているんですよね……。
というわけで、こういう変な妄想を膨らませてしまいました。
なお、次回からはいつものR15ギリギリ仕様に戻りますのでご安心を!
翌朝、また私は制服に袖を通しだす。
ただし今度は、タンスの最奥から引きずり出してきた、全く真新しい夏服を。
発育してしまったときのために……と買ってあった、スペアの制服。
新品衣服ならではの、糊の匂いがツンと鼻にくる。
ゆうべ着たほうは、とっくにゴミ箱へ投げ入れた。
汗で汚れてしまったし、何より、あの
ひとつには、胸部がパツンパツンになった制服を着ていたせいで、あんなふうに変質者から声をかけられることを許してしまった……というのもあるかもしれない。
それなら、“さらし”の要領でキツめのブラジャーを着けて、その上から、ゆったりした新しい制服を着ればいいんだ。
まあ、どうしたって気休めにすぎないけれど。
いっぺん心を決めた私は、ロボットのようにその決意を行動に移す。
サア、シュッパツダ。
気分転換につけていたテレビを消して、部屋を出よう……とリモコンを手に取ったとき、画面に信じられないものが映し出されてきた。
[刑が執行されて昨日でちょうど三年ということですが、娘さん方を亡くされた被害者遺族の方々の心はいまだ……]
杓子定規なアナウンサーの声と一緒に、容疑者その人として表示されている写真は、
「昨日の、
ついゆうべ、私を襲おうとした、あの男そのものだった。
「ウソでしょ……」
ピカピカの制服がまた脂汗で汚れることを恐れた私は、とっさにエアコンを強くしつつ、慌ててパソコンの前に座る。
知ったばかりの容疑者の名前をネットで検索すると、ものの見事に『ゆうべの変質者』と『三年前に死刑になった犯罪者』の風貌は一致した。
犯人の肉声ということで、あの男が犯罪者になる前に録られたものを聞けば、声まで完全に同じだということが分かる。
藁をもすがる想いで、兄弟とか双子の線も疑ったけど、男は私と同じく一人っ子だったらしい。
「いやだ……」
しかも、都内には二十三もの区域があるのに、よりによって男は、私が座っているこの区に住んでいたという。
そういえば数年前、事件が起きたとか何とかで、集団登校・集団下校をさせられつづけた日々も、あった。
思えば、ゆうべ私が男から逃げ出すとき、追いかけてくる足音は全く聞こえなかったはず。
これは一体、どういうこと?
情報を調べては恐怖におののき、何か安心できる情報もあるんじゃ? と、さらに調べて調べて、より深い電子の泥沼に溺れてゆく。
……という、ネットにのめり込む
構わない。
ここで“明日頑張ればいいや”とならないのが私という女。
下校時刻の寸前になったとしても、今日は校門をくぐらないと。
それに、今のニュースはポジティブなものだと考えることもできる。
だって、あいつが死んでいるのなら、もう私には実害をもたらせないわけだから。
私は、突然襲来してきた途方もない恐怖を、かえってバネにさえしてしまうほどの馬力で、長くて冷たい廊下や階段をくぐり抜け、重く輝く玄関を抜け出た。
「っ……」
ゆうべは夜だったから
現実感を喪失させてくるような、外の世界の明るい毒気。
確信でいっぱいの歩みは、いったん弛められてしまうけれど。
「いってらっしゃい。気をつけるのよ」
庭から能天気に声をかけてきた母を無視する、その行為自体によって調子を取り戻して、私は敷地から出ることができた。
軽く振り向くと、この家は私と同じ顔をしているな……と、思った。
それは、敷地を縁取るレンガ塀が
無機質な発泡スチロールの箱を想わせる佇まいが、そこに住む私の素っ気ない無機質さに似ているということ。
というより、歩きながら見渡してみれば、都内のこういう新興住宅地という場所が、どこか女の人の顔をしていることが分かる。
瓦屋根の家並みが
ただしそれは、派手に着飾った女性でも、不幸や貧しさと戦う女性でもなくって……
どっちかというと、私やその母親みたいな地味で没個性的な女の、半端な富と虚ろな不満によって曇りきった真顔。
もし、自分の家が“四畳半フォーク”の似合うアパートだったり、逆に著名人の住むような宮殿同然の大邸宅だったりしたら、あるいは、私は居心地悪くて引きこもれなかったかもしれない。
歩きながら
それなら、ブラウスの白とか皮膚のクリーム色は、家の外壁?
タイの赤は、郵便ポスト? メガネは……家の窓?
外気という名の、幾千本もの毒針に心身をつつかれながら歩くのは、文字通り、針の筵を行くのと同じようなものだった。
加えて、通りかかった家の庭から、窓から、
「頑張って学校に戻るんだね、茜ちゃん偉いねぇ」
「アカネチャンカワイイヤッター」
「つらくなったら途中で保健室にでも行くんだよ」
サポーター気取りのオジサンオバサンたちが、熱くて安い声援を投げてくる。
ただ、“誰かを無視するためのスピードアップ”をするたび、私の歩調はだんだんと確信を帯びてゆく。
そのおかげもあって、家と学校との中間地点に達するころには、不登校前の私の歩き方にすっかり戻ることができていた。
この辺りまで来ると、戸建てばっかりだった街並みにも、少しずつオフィスや集合住宅が混じりだしてくる。
同時に、こっちの領域のほうが町としての歴史は長いらしく、建物には年季が入っているし、地面や電信柱にもヒビ割れが目立つようになる。
心なしか、空気がホコリっぽくなったような気がしないでもないのは、夏風のせいだけじゃないはず。
いつも歩いていた“正規の通学路”を通るのは……いやだ。
だって住宅街ですら、あんな声援を飛ばされてしまうわけだから。
商店が軒を並べる場所なんて、“物珍しい目”を向けられる確率はどれくらい増えるか。
……私は、一本違う道を選ぶことにした。
こっちには、ひなびた集合住宅がうつむくように並んでいる。
私を知ってる人なんて、ほとんどいないはず。
なぜなら、
「君の通う私立中に、団地暮らし・アパート暮らしの生徒はいない」
いろんな人から、そう聞かされているから。
眺めれば、元々白かったはずの古い団地は、その全体が私のベストと似たような色になってしまっている。
なぜか、ほんのりと哀しかった。
だって例えば、この間、メル友が私に見せてくれた廃墟の洋館は、すでに草やツタに抱き寄せられつつあったわけで、あれならいつかは緑に還ることもできるはず。
でもこういう団地は、取り壊されでもしない限りは、地球が終わるまで何にも還ることはできない。
それは、あの忘れ去られた洋館以上に、私やメル友の姿を映し出しているようで……。
「んぁっ……」
彼──と、私──のことを想えば、下着という
わずかに遅められた歩調を整えて、すっと前を向くものの、大きく「8」と刻まれた棟の前で、不意に私は立ち止まることになった。
「ダメ」
確かに、女の子の声がした。それも、私と同い年くらいの。
それは、この八号棟から聞こえてきた。
くすんだ建物を見上げると、二階の、
窓全体が外側から、何十枚もの細長い板によって縦横無尽に封じられている……。
ただ、板の隙間をよく見ると、その向こうで何かが蠢いているのを確認できた。
光の反射によって、そこに水が溜まっていることも、かろうじて分かる。
水槽が、窓際に置かれている……?
そしてグネグネと蠢いているのが、黒くて細長い水棲生物だということも、この有能なメガネの力をもってすれば理解できた。
「ウナギ……? じゃない……なんだっけ……?」
確か、ああいう激しい動きをする生き物がいたはずだけれど、名前は忘れてしまった。
声をかけてきたのは、あの生き物?
まさか。
気を取り直して歩き出すと、またこの横顔に同じ声。
「行っちゃダメ……地獄に……落ちるよ……」
え……?
筆者の他の作品をご存じの方は、最後の所で「あれっ」となるはず。