自室の天井が見えた。
さっぱりとした目覚めだ。あれ以来悪夢はもう見ることがない。
今日は何がある日だったか。それなりに明瞭な意識で今日のスケジュールを確認するがー
「ッ!?」
いや、その前に、確か朝は対処しなければならない脅威が存在していたはずだ。
飛び起きてドアを叩く音がしないか確認する。
敵はBETAでは無いが、斧という原始的な打撃武器を装備しており極めて危険だ。反撃する訳にはいかないので、小銃で戦車級とやり合うよりもタチが悪いかもしれない。
耳を澄ませ、対象が接近する兆候を捉えようとするが‥いつもと違い外は静かだ。
「‥‥あれ?」
ドアノブを回し、周囲の状況を確認する為に外に出る。頭だけ出す様な愚行は犯さない。リーンした瞬間に首を斬り落とされる可能性がある。
「‥‥いないのか」
俺、日本帝国陸軍龍波響中尉は同僚であり、恋人である千堂柚香少尉を警戒していたのだ。
俺は過去に経験した惨事が原因で心的外傷後ストレス、PTSDを患っていて、よく悪夢にうなされていた。それが周囲の部屋にまで聴こえるほど酷かった様で柚香に心配されて起こされる、その繰り返しだった。
だがその起こされる方法が問題で、彼女は何故か斧を携えながら俺の自室に突入してくる為、振り下ろされた斧を回避する羽目になる。
脳天をカチ割られそうになったのは一度や二度では無いのだが、その度に背に斧を隠して可愛らしく微笑んで誤魔化す彼女に毒気を抜かれていた。
よく考えれば柚香はうなされる俺を心配して吶喊してくるのであって、今日のように普通に起きられれば何の問題も無いのだ。
問題無いとか毒気を抜かれている時点で相当毒されているのだろうが、彼女が心配してくれているという事実を嬉しく思う気持ちが勝ってしまう。
洗面所で歯を磨きながら彼女の事を考えていると、緩んだだらしない顔が嫌でも鏡に映し出されてしまう。
千堂柚香。
腰までかかる長い紺藍の長髪は綺麗に切り揃えられている。
瞳はあやめ色で、覗き込めばその深淵に吸い込まれそうになる。
その雅な艶姿を見れば誰もが由緒の正しい武家の出身であると判断するだろうが、生憎その予想は間違っている。高貴な家柄であることに間違いは無いが、彼女は大企業河崎重工専務の息女である。
最近まで俺は彼女が深窓の令嬢である事を知らなかった。柚香の出身について松風と根も葉もない推測を立て、思い詰めた彼女が件の「前髪騒動」を起こしてしまった事は記憶に新しい。
PXで前髪を無残なぶつ切りにした柚香を見て耐え切れず吹き出してしまい、部隊の女性衛士から総スカンを食らいながら何故か泣き出す柚香を宥めるのは骨が折れた。
俺と柚香の想いが通じ合った時、全て俺が原因なのをようやく理解した 。
当時の話を柚香は膨れ面をしながら朴念仁な響が悪いんですと言うが、本当にそうだと思う。
俺は、柚香だけを大切にするわけにはいかないと言い訳をして彼女の強い想いに気付こうとしなかった。
残された僅かな土地を巡りBETAとも、人類とも戦争が続いていたこの絶望的な世界で柚香は俺だけを見てくれて、支えてくれた。
自分はただ失う事を恐れていただけという事実に気付くのには時間がかかったが、今感じられる柚香の全ての前には、全ての躊躇や足踏みが瑣末事に感じられた。
さあ、彼女に会いに行こう。今日は非番でデートの予定だ。