奥山沙織はアイドルになって声を届けたいようです 作:まきにゃん
「はじめまして、私が奥山さんのレッスンを担当する青木
トレーニングウェア姿の女性が挨拶する。
「オーディション課題の録音聴かせてもらいましたが、よく声が出ていますね」
「あんがとございます」
「奥山さんはもしかして歌ってるときは訛りが抜けるタイプですかね?ほら、書くときは右手、箸を持つときは左手みたいな」
指摘されてみると実にその通りである。
「日常で言葉を話すとき人間は言語野を使いますが、音楽に関する限り脳のさまざまな部位を、例えば聴覚野とか小脳とか、同時に動かしているんです。奥山さんはこの歌唱のための脳の回路の働きがとても強いのではないでしょうか」
「へえ、おもすれえなあ。そげなこともわかるんすか」
「もし訛りが気になるようなら歌うように喋ってみる、リズムに乗せたり、抑揚の調整、あとは吃音矯正でよくやる呼吸法訓練もボイストレーニングと共通なところが多いので、色々試してみましょう」
ボイストレーニングはまさに私のために用意された訓練ではないか。
トレーナーさん。私をどうかアイドルに仕立てあげてください。あなたが頼りです。
「…いい目をしてますね。気負わずやっていきましょう」
「よろしくお願いします」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
***
ボイストレーニングといってもいきなり歌わせるということもなく、まずはピアノに合わせて発声練習。
「息を鼻から吸ってー、口からゆっくり吐く」
腹式呼吸は全ての基本だ。
筋肉が空気を出し入れして喉の絞りは添えるだけ。
「はいもっと強く吐いて吐いて出し切るもっともっとー」
ふいごから声帯へと空気が流れ込み、声帯を楽器に作り替える。
「息を吸って吸って、ロングトーンいきますCの音」
肺が満たされる。肋骨が軋みを上げる。
喉が
「もっと長く、息を吸ってー、もう一度C」
持てる全ての空気が音を出すために使われる。
酸素が足りない。
視界が赤く染まる。
「はい、止め」
世界から音が消えて、苦しげな呼吸が体を支配する。
毛穴から汗が噴き出して玉になった。
***
失った水分を補給するためにスポーツドリンクを口にする。
ログインボーナスで配られる得体の知れないエナジードリンクとは違い、純粋に二水化酸素とブドウ糖、塩化ナトリウムその他微量のミネラル分を含んだ真っ当なものだ。狂人のように働かされることもない。
「どうです、ボイストレーニングの基礎練習を行うだけでここまで違いがでます」
呼吸制御とスケールドリルを行った後でオーディション課題と同じ曲を歌い、それを録画したものを見たが、以前とは違い、声には『強さ』が満ち、音は正確に階段を刻む。
トレーナーの指摘の通り、圧倒的な違いが顕れていた。
現時点でも全国放送ののど自慢大会なら鐘5つは堅いだろう。
「声を売り物にするプロの領域の間口に触れた程度ですが、ボイストレーニングでは基礎力を高め、その上で歌唱技術を学んでいくことになります」
「真名子アシスタントからは歌を重点的に育成するようリクエストされていますが、アイドルは歌だけではなく、ダンスやトーク、ありとあらゆる表現の総合力が問われるお仕事です」
アイドルは楽しいですよ!
そう、トレーナーは断言した。
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