奥山沙織はアイドルになって声を届けたいようです 作:まきにゃん
「お疲れ様ですプロデューサーさん」
声をかけられて、目を開ける。
見慣れた事務室はイベント報酬で揃えた家具や装飾品の中から私好みの落ち着く品で選び備え付けた、実に落ち着いて作業できる空間になっている。
これでアイドルの1人や2人もいればとても愉快な気分になるだろうが、誰もいない。
目の前には緑のスーツにタイトスカートを履いた存在だけが有る。
それはとても良い笑顔を浮かべていた。
「今日のログインボーナスはこちらです!」
じゃん、っと勿体つけて手渡された目録に、これは何だという疑問が湧いてくる。問い質そうかと思った矢先、それは私の思考を読んだのだろうか、伝えるべき言葉を続けた。
「プロデューサーさんが担当しているアイドル、奥山沙織ちゃんへの転生チケットです♡」
いや、待て。待って欲しい。
ログインボーナスというのは得体の知れない液体が充填されたドリンクとか、ジュエルに、アイテム購入できるゲーム内通貨のマニーだろう。転生チケットなるものは知らない。
そもそも渋い運営のこと、スカウトチケットは課金でしか入手できないはずだが、このチケットは何を代償に差し出さねばならないのかと思うと怖気が走る。
それは私を見つめた。
親の顔より見たアシスタントと同じ姿形をしているが、その笑顔は似て異なるものだ。笑顔を作るというよりも、笑顔という概念を五感に叩きつけてくる。天使か、悪魔か、それともちひろさんか。いずれにせよ、碌なものであるまい。
「この転生チケットを使用すると、なんと沙織ちゃんに転生してアイドルとして直接プロデュースできるんです」
直接を強調してくる。
ゲームではシナリオライターに与えられた穏当な、けれど、甘い育成が提供されるだけだった。しかし、直接プロデュース、いや転生か、奥山沙織沙織を自分でプロデュースできれば、速やかにアイドルとしての高みへと到達することも、そして歌を、しいては声を届けることができる。
そう、声がつくのだ。
あのイントネーションが微妙な標準語も、血の通った方言も、透き通った歌声も、全部。
「質問したい」
「はい、プロデューサーさん。どんなことでも」
目録を手に取ってひらひらと泳がせる。
「これの対価は」
「ありませんよ?」
事務員の姿をした何かは笑みを崩さない。
「転生チケットはプロデューサーさんの長きに渡る活動への恩典ですので、お金を取るとか、そういうことは一切ありません。もちろん、チケットを使用せずラストエリクサーのように大事に仕舞っておいても構いません。ただただ残念なことに転売するとか他人に譲渡することはできませんので、気をつけてください。プロデューサーさんはそういうことはしないでしょうけれど、ね」
ああ、その通りだとも。
こんなご褒美は誰にも渡すものか。
「これは私からのちょっとしたお願いなんですが、もし転生チケットを使用するならば沙織ちゃんをキラキラに輝かせてください。アイドルが楽しそうにしているのを見ていると私も幸せになりますから」
うん、知っている。
そういう方ですよねあなたは。
私は転生チケットの使用を告げた。
「承りました。転生にあたって何かご要望はありますか?有償になりますが、今なら大盤振る舞いでチート付与も増量中ですよ」
「チートは要りません。しかしながら、転生時期については心と体が形になる思春期、中学生か高校生あたりでお願いします。剣と魔法の世界でもあるまいし、乳幼児からの修養は意味がありません」
「お望みのままに」
事務員は私の手をとった。
「プロデューサーさん、お仕事頑張ってください!」
私の身体は変容していく。
冴えない姿のおじさんが、少女の姿へ。
髪は伸びて、胸は膨らみ、腰は丸みを帯びる。
鵬の南冥に徙るや、水に撃つこと三千里、扶搖を摶ちて上ること九万里、去りて六月を以て息するものなり。
伝説の鳥もさぞかし喜びに満ち溢れていたに違いない。