奥山沙織はアイドルになって声を届けたいようです 作:まきにゃん
「沙織さん、ひとつお訊きしたいことがあるのですが」
レッスン反省会という名の昼食時間、2人で肉じゃがをつまみながらの雑談のなかで、クラリスが疑問を口にした。
「私はこのお仕事をしていて言うのも何ですが、アイドルというものが未だによく分らないのです。教会を復興させるために私はアイドルのお仕事をしてお金をいただいていますが、これでいいものかと思いまして」
何やら雲行きが怪しいようだ。
そっとお握りを1個差し出すと、クラリスは笑顔になった。
「沙織さんにとってアイドルとは何でしょうか」
「そんだなー。人生をかけていいお仕事、かな?」
アイドルとして歌うべき歌があり、イベントでダンスを踊れると知ってもらい、握手会ではこの手の温もりを伝えたい。そう願ったがゆえに今生がある。
転生してきたなどと言うと正気を疑われそうなので適当にぼかしてクラリスに伝える。
「…尊いことです。それに比べて私は」
「まんず待ってけれクラリスさん。なんか罪悪感さあるのか知らんけんど、お金を稼ぐためにアイドルやるってそんな変かね?」
教会でもチャリティーイベントを開いて
「いろんな理由でアイドルになりたいって子知ってるけんど、杏ちゃんみたいにアイドルなら楽して稼げるっていう子もいるし、玲奈さんは346プロの社員でも普通に働くより稼げるからアイドルさやってるって言ってた」
若い子に有りがちなキラキラしたいちやほやされたいという願望でアイドルを志すよりは、金銭をより多く簡単に得るためと言われたほうが私は納得できる。
「クラリスさんにはお金が必要で、歌が上手いからアイドルとして高収入の仕事の口があった。それって凄く幸せなことなんじゃねえかな」
持っている技能が異業種でも通用するのなら越したことはない。
アイドルがお仕事。稼いだ金は善意によって寄付に回す。世間的には誉められこそすれ、後ろ指差されるようなことでもあるまいに。
「そういうものでしょうか」
「こういう時は、『よき巡り合わせに感謝します』と言ったほうがクラリスさんにはお似合いだ」
肉じゃがをひとつまみ。
よく味の染みたジャガイモが口の中で崩れていく。
***
産業展示場小ホールを借りて設営された舞踏会会場には、既に機材が運び込まれ、音響スタッフによる調整が行われていた。
客席はおおよそ300人が収容できる規模。
「広いっすな」
明日の本番を控えてアシスタントと下見に訪れた私は会場の広さに驚いた。
346プロのレッスンスタジオのこぢんまりとした空間と比べるとその差は10倍ではきかないだろう。
「幅28m、奥行き17m。346のレッスンスタジオの20倍程度の広さがあります」
舞踏会へようこそシンデレラ。
真名子アシスタントは演台から離れると最前列の椅子に腰掛けた。
「どうですか、気分は」
寒さで脚は震えている。膝は笑っている。回れ右して逃げ出すのは不可能だ。
ああ、気分は最高だと言うしかない。
「撮影スタジオでひとりぼっちのデビューからやっとここまでこれました。明日は観客の前に立って奥山さんがアイドル、するんです」
曲は頭の中に入っている。
ダンスと振り付けは体が覚えた。
「わたす、できます」
くるりと舞って、スカートを摘んでお辞儀をした。
真名子さんの拍手がホールに響く。
「舞踏会自体についてはあまり心配していません。セットリスト通りに演じていれば楽しみながら時間が過ぎてあっという間に舞踏会は終わるでしょう」
でも宿題のことは忘れていませんよねと念を押された。
勿論である。
その為に何遍も歌詞を読み込み、振り付けを変えてまで工夫したのだ。
真名子アシスタントは会場の隅からこっそり見守ってくれるだけで良い。
奥山沙織があなたのシンデレラであることを私が証明しよう。
***
夕方から吹きだした風が部屋の窓を揺らす。
予報では明日は晴れとなるはずだが冷え込みが厳しい。
すでにエアコンと加湿器は稼働させているものの、関東ではありがちな断熱性の甘さゆえかあまり効果が感じられない。
湯たんぽでも仕込もうかと電気ケトルで湯を沸かしていると、扉を叩く音がした。
「はいはい、いまいくからね」
寮に入っている誰かだろうからこんな時間に何の用だろうとワンルームの扉を開けると、寝着姿の智香ちゃんが廊下に立っていた。
「あのお、眠れなくて」
「とりあえず中にどんぞ」
部屋に招き入れてベッドに腰掛けさせる。
「明日はフェスだから早くお風呂に入って寝ようとしたんですけど、横になっても眠れなくって、色々考てたら」
「興奮して眠れなくなったと」
「お恥ずかしながら」
ちょうど湯が沸いたのでお茶を淹れて飲んで貰った。
緑茶のカフェインはこの際あまり気にしなくても良いだろう。
「今湯たんぽ作ってっから、暖まってく?」
智香ちゃんは頷いた。
途中で眠くなったらそのままベッドで寝てどうぞ。
「沙織さんは緊張してないんですね」
「そうでもねえな。わりかし鯱鉾ばってる」
昼間もアシスタントに煽られたし、それなりに不安だ。
ただ、本番までにやれることはやったという意識だけが醜態を晒さないように心を支えてくれる。
湯たんぽができあがるまでとりとめない事を話して、布団の中に湯たんぽと共に入る。
招き入れた智香ちゃんは程なくして寝息を立てはじめた。
私も寝よう。
おやすみなさい。