奥山沙織はアイドルになって声を届けたいようです 作:まきにゃん
音韻とかなるべく押さえてますが、文字化して変になってしまうところは標準語準拠で綴るようにしています。
高校も2学年に進級し、盛夏に差し掛かる頃になって三者面談が行われることとなった。
担任教諭の前で神妙にする母と私。
役者3人以外には時雨のように存在を主張する蝉やこちらの様子を興味津々と窺う蚊がいるだけだ。
「沙織さんは授業は真目に受けていますし、成績も学年で中程から少し上のあたりで落ち着いています。文系教科のほうに好みが偏っているためか、理数がやや弱いよう思われますね」
「あー、んだね。本を読むのが好きなんで計算どが化学式をいじくるのは取っ付きにくいです」
「先生としては苦手教科にも力を入れてくれると嬉しいんだけんどな」
「で、できるだけ善処します」
担任は処置なしとても言いたげに渋い顔をした。
申し訳ない。この灰色の脳細胞においては取りこぼしてしまうモノもあるのだ。化学式は糖代謝で乳酸の体内合成される機序はしっかりと覚えたので、これで勘弁してもらいたい。
「部活動は所属してないけんど、進学するなら何かやっていれば内申点加算できるが?」
「先生、わたす進学考えてません」
「じゃあ就職か」
「アイドル目指します!」
精一杯のドヤ顔を決めた。
「アイドルって、テレビに出たり、歌ったりする、アレか」
「はい」
担任は助けを求めるように私の母に話を振る。
「…娘さんの進路希望は家族の皆さんはご存知で?」
「この子ったら小さい頃からアイドルさなりたいってきかんくて」
愁眉を寄せた母は少し艶めかしく見える。
黙っていれば普通に秋田美人なので当然だが、私もこの遺伝子を半分受け継いでいると思うと誇らしくなる。
「で、言ってやったんですよお。アイドルさ簡単になれるわけねえ。世の中にはあんだよりめんこい娘っ子さ一杯いるんだから、宝くじに当たるよりも難しいんだどって言っても、東京さ行くのもアイドルさなるまでの一切合切じぇにこ自分で稼ぐってごんぼほって」
いや、そこまでバラさなくてもよいではありませんか。
「ですんで、3年経ってもアイドルさなれなかったらこっち戻って花嫁修行さするんだどってことで折り合いました」
「東京で婿捕まえてもいいそうです」
そういう事態にはならないだろうけれど、家族を説得するにはプランBを用意しておいたほうが話が早い。
実家は専業農家であるからには後継ぎの当てさえちらつかせればこのご時世のこと無理を通せば道理が引っ込み、私はアイドルへの道を歩み、家族は家業の先を心配せず、ご先祖さまは安心してお盆に還ってくるだろう。
***
「アイドルかあ。教師さなって初めて進路希望でアイドルっていわれたぞ」
高校教諭となって十余年、僕は多くの学生を観てきたが、ここまでぶっ飛んだ進路希望はなかった。
大抵の子は進学か就職あるいは家業を継ぐというパターンで、中には部活動が高じてプロスポーツ選手、趣味で始めたギターで食っていくといった田分け者もいた。
前者は長年の積み重ねと自分の経験から定型の指導もできるが、後者に関してはそもそも絶対数が少ないうえに個人の技能や感性が物を言うため、助言もあまり効果がないことが多かった。
奥山沙織も後者の類ではないか?
僕はこういう時には、希望職種に対してどのような意識を持っているかを尋ねるようにしている。
「沙織はアイドルさどんな仕事だと思っとるん」
答えがふわふわしているようであれば、人生の先達としては考える直すよう話を持っていくしかない。
どう返してくるだろうか身構えた。
「アイドルは歌って踊って握手してがりっとしてるとこお客さんに見てもらうお仕事です。駐在さんが制服着てしゃきっとしてると安心するし、メジャーリーグに行った日本人選手が活躍してたら嬉しくなります。そういうのと基本的に同じだす」
「芸能人だと技術が必要なんじゃないか?」
「んだすな。芸事ですんでトレーニングを積まないとならんけど、世間で思ってる芸能人って落語家の名跡や熟練俳優みたいにすんげえ人だど思うけんどアイドルさなるだけならそこまで要求されません。オーディションなんか為人ぐれえしか見ないっていいます」
そうなのか。
「就活とおんなじように、わだすをアイドルさしてくれる事務所に当たるまでオーディション受け続けます。流行り廃りあるんで薹が立つまで挑戦できます」
「それで3年か」
「んだ」
話の筋は通っているが、良し悪しを判断するには僕の知識が圧倒的に不足している。
ただ、何となく奥山がアイドルになれば面白いだろうな、と思った。
***
「急にサイン考えて書いてこいだなんて、先生なに考えとるんだろ」
机に向かって、ああでもない、こうでもないと、帳面にサインを書き散らしている。
漢字かなカタカナ、アルファベット。いっそのことキリル文字とか楔形文字で攻めてみるかと考えてみたが、流石に誰も読めないのは論外だろう。
無難にアルファベットで、ワンポイントは自分らしさを形にして…いや、やめておこう。
恥ずかしくなって適当にハートマークを書き込む。
うん、我ながら奇を衒うこともない分かりやすいサイン。
飽きたら別のデザインで作り直せばいいのだ。悩むことなどない。
しかしこのサイン、色紙にして仏壇に供える必要はないと思うのですがお母さま。
どうか考え直してください。