奥山沙織はアイドルになって声を届けたいようです 作:まきにゃん
ご査収ください。
高校を無事に卒業して3ヶ月が経った。
同級生の大半は進学を機に地元を離れ都会へと移り住み、日常でたまに顔を合わせてるのは就職組ばかりだ。
誰も彼もが庇護の下から出て一端の大人の顔をするようになった。
家業を手伝う以外には市役所や農協といった勤め先しか無いような田舎だ、ここで暮らしていく覚悟を固めているのだ尊敬すら覚える。
私はかねてより計画したとおり、当座の資金を得るために親の伝手で食堂で短期アルバイトとして職を得て、大過なく勤め上げた。
食堂の主人と女将さんにはとても良くしてもらい、常連のお客さんにも顔を覚えてもらったが、実家の田植えが始まる前までの約束なので、引き続きアルバイトをお願いされてもそれに応えられない。
勤めの最終日には客も交えての慰労会を開いてもらい、不覚にも涙を浮かべてしまった。
アイドルになれなくてもここで働いて食べていけばいいなどと言うのは反則だろう。
そして今、私は無職である。
明日は田植え。
祖父祖母が幼い頃には田植えは一家どころか親類縁者総がかりで行う一大事であったが、戦後の農地解放で所有する田畑の規模が減ったことに併せて、農業機械が開発されたことで係るマンパワーが要らなくなったことで、一族総出から一家の大事程度まで規模が格下げになった。
なお、仏壇に飾られている写真でしか見たことのない曾祖父は農業機械を大々的に導入したのを契機にして、元々は在地地主だった頃以上の水田を耕作する、今で言う農業法人を立ち上げたそうである。
祖父が妙に地元社会で顔が広かったりするのも、家柄百姓は寄合でも上席に坐る杯の如く、有り体にいえば奥山家は豪農と見られているのだろう。
奥山沙織がアイドルになれる素地には太い実家もあるのかと思うと、ゲームでは良いところのお嬢さんたちがアイドルとして事務所にごろごろ居たのはあながち間違いでなかったのだ。
でも、財閥家のご令嬢をアイドルに仕立て上げるのは何か違うのではないか?
とめどなく浮かんでくる思いを受け流しつつ、納屋と呼ぶには少しモダンな離れに近づく。
コンクリート床には田植機が3台。自前のものとリースしてきたものも合わせて、3柱の機械仕掛けの神々が御座しになっていた。
神々は胃袋にガソリンという名の酒を鱈腹になるまで飲み、どうやら機嫌は悪くないらしい。
それぞれが備える8本の腕が泥田に祝福を与えてくれるだろう。
私は祈る。
どうか事故もなく、田植えが終わりますように。
稲がひとつも根腐れなく健やかに育ちますように。
***
田植え当日は早朝から起きて朝食の準備を手伝う。
メニューは白米に味噌汁、沢庵にほうれん草のお浸し、そして納豆の一汁三菜。
祖父に父、弟、手伝いに来てくれた伯父さん、作業に加わる男衆(農地を貸し出している古くからのお付き合いがあるご近所さまや農業法人に籍を置いている人など)に休憩時に食べてもらう茶と饅頭を持たせて送り出すと、そこからは女衆の仕事が本格化する。
昼飯と午後のおやつの支度をはじめとして、田植えが終わった後の宴会で出す酒や肴は予め注文しているものを受け取り、続きの和室の襖を取り払って大広間にして軽く掃除、手足を拭ってもらうためのタオルの準備などなど、やることは多い。
私は祖母と一緒に握り飯を拵える。
炊き上がった白飯をおひつにあけてしゃもじで掻き混ぜ、粗熱をとってから濃い塩水を手にを浸してただひたすらに握るだけの塩むすびだ。
「ばっちゃと一緒に握り飯こさえんのも次はいつになるかわかんねえな」
「しかたあんめえ。こげな田舎さいても沙織の夢さ叶うわけでねし、テレビ電話だってあんだ、握り飯食べたくなったらいつでも帰ってこい。ばっちゃが汽車賃出してやっから」
「ん、わりいな」
胸が熱くなって、何も言えなくなる。
アイドルになってデビュー曲貰ったら祖母に歌って聴かせたい。そしてまた一緒に握り飯を作ろう。
私は機械仕掛けのように手を動かすのだった。
及川乳業には及ばずとも実家が豪農説をぶち上げときます。
生産から小規模な卸までやっているような感じで。
念の為独自設定タグも追加しておきますです。