幼馴染のソフィア・ペンバリーが訪ねてきたのは、土砂降りの夜だった。
控えめに叩かれたドアを開けてみると、ずぶ濡れの女性が立ち尽くしていた。顔は目深に被ったフードで隠れていてよく見えない。全身のそこかしこから水が滴っている。おまけに手を頻りに組み替えてなにやら落ち着きがなかった。圧倒的不審者だ。
しばらくお互いに無言で立ち尽くしていたが、いつまでもそうしておくわけにはいかなかった。明日も仕事がある。早く床に就かなければならない。俺は口火を切った。
「あの、どちらさまでしょうか」
「あ、えと、その……」
声をかけてみると、途端に挙動不審が加速した。地面を見つめて、言葉にならないか細い声を上げている。このままでは埒が明かない。俺は扉を閉めかけた。
「ご用がないなら帰っていただけますか? もう遅い時間なので」
「ま、待って!」
先ほどのボリュームが嘘のような大きい声を出して、女性はドアを抑えた。その勢いでフードがずり落ちる。突然、間近に現れた昔なじみの顔を前にして、俺は目を丸くした。
「ソ、ソフィア?」
肩で切りそろえられた純白の髪の下から覗く整った顔立ちは、目の前の女性が四年前から疎遠になっていた幼馴染であることを示していた。しかし、印象は最後に会ったときからかなり変わっている。透き通るようなアイスブルーの瞳は、かつての光はなくただ不安げに揺れていた。雰囲気も元々明るい方ではなかったが、今では輪をかけて表情に影が差していた。
面食らって俺が声を出せないでいると、ソフィアは引きつった笑みを浮かべた。
「や、やあ、ウィル。久しぶり」
「どうしたんだよこんな夜更けに。とりあえず入って。そのままだと風邪引くだろ」
「あ、ああ。お邪魔するよ」
幼馴染を狭い自室に招き入れ、俺は積まれた洗濯物を物色した。目当てのタオルを持って振り返る。静かに扉を閉めたソフィアは、俺から背を向けたままその場に立ち尽くしていた。
「そんなとこに突っ立ってないでこっち来いよ。あ、これタオルね。使って」
「あ、ありがとう」
ぎこちなくタオルを受け取り、おずおずと水滴を拭うソフィア。どこか他人行儀なその様子は、俺の知っている彼女とは似ても似つかない。大学という環境が、彼女を変えてしまったのだろうか。
「やっぱりタオルだけじゃ心もとないよな。シャワー浴びてこいよシャワー。このアパート、古いし狭いけど自分用のシャワールームだけはあるから」
「ああ、うん。わかった」
持っていた大きめのバッグの中から、着替えを持ってソフィアは浴室へと向かった。妙に用意周到だ。そのことに首をかしげながら、鍋に火をかける。記憶が正しければ、彼女は紅茶が好きだった。
お茶の準備をしながら考える。久しぶりに再会した旧友は豹変といっていいほど変わっていた。以前のソフィア・ペンバリーは常に自信に満ちあふれ、不敵な冷笑を浮かべていた。しかし、さっきの彼女からはそういった性悪さも、覇気も感じられなかった。人は変わるということだろうか。
俺と彼女の関係の始まりは、物心つき始めた頃まで遡る。ソフィアが属するペンバリー家は、貴族の血を引く由緒正しい家柄だ。封建制が崩壊して久しい現代でも、その威光はこの王国の隅々にまで行き渡っている。そんなペンバリー家の邸宅には、多くの名家の例に漏れず広大で洗練された庭があった。孤児だった俺は、その庭を管理する庭師の頭目に拾われた。
庭師見習いとして庭を出入りしているうちに、偶然出会ったソフィアと仲良くなった。当時の彼女は優秀な姉がいたため、姉に追いつくための努力と周囲からの視線で疲れていた。幼くして母親を亡くした彼女にとって、きっと俺みたいな学も立場もない子供と遊ぶのが息抜きにちょうど良かったのだろう。
ソフィアと俺の友人関係は、ソフィアが魔法大学に進学して実家を出るまで続いた。十年強一緒にいたし、彼女が将来俺のことを側近として召し抱えるなんて冗談をいうくらいには仲が良かった。しかし、特に浮ついた空気になることもなく、別れもあっさりしたものだった。
それから四年。俺はソフィアがペンバリー邸を去ってほどなく庭師として独立し、この新しい街で細々と暮らしている。時たまソフィアのことを思い出すこともあったが、一流の大学を卒業した彼女も新生活で忙しいだろうし、再会するのはずっと先のことだと思っていた。
「上がったよ」
そんなことを考えていると、頬を上気させたソフィアが戻ってきた。彼女へ椅子を勧め、淹れたての紅茶を置いて対面に座る。肩をこわばらせ、じっと赤茶色の水面を見つめている幼馴染に、俺は声をかけた。
「悪いな。家に安い茶葉しかなかったんだ」
「ああ、いや、急に押しかけたのはこっちだし。お、お構いなく」
そういって、控えめに礼を述べて紅茶を飲むソフィア。やっぱり変だ。こうしおらしいと、こっちの調子まで狂いそうになる。少し髪が伸びてはいるが、見た目はあの頃とほとんど変わっていないからなおさらだ。
「そ、そういえばソフィアは大学卒業したんだよな? エリートのお前なら引く手数多だろ? 羨ましいったらありゃしないな。ほら、俺は未だにこんな片田舎で庭師やってるからさ」
「……ちた」
「え?」
ますます聞き取れない声量で何かを呟いたかと思えば、やにわに勢いよく顔を上げた。目いっぱいに涙を溜めて、今にも泣き出しそうだ。
「ぜ、全部落ちちゃった。姉さんと同じ宮廷魔術師は愚か、王都のまともな仕事には1つも……」
「そ、そうか……」
再びうつむいて、服の裾をぎゅっと握るソフィア。そんな彼女に対して、俺は二の句を継げずにいた。性格に多少難ありといっても、誰よりも外面を気にしていたソフィアがまさか就活全落ちとは思いもしなかった。
訥々と、彼女は大学で過ごした四年間を語っていった。その断片的で、必要以上に婉曲的な言葉を一言でまとめるとこうだ。
彼女は、家柄と学歴にあぐらをかいて四年間無為に過ごしていただけだった。
俗にいう燃え尽き症候群というやつかもしれないし、大学という自由な環境で彼女の生来の怠け癖が解き放たれてしまったのかもしれないし、あるいはその両方かもしれない。とにかく、ソフィアは勉学に励むわけでもなく、かといって何か学外の活動に勤しむこともせず、ただいたずらに人生最後のモラトリアムを食い潰したのだった。
四年間研鑽を積んできた学生とソフィアとの間には取り返しがつかない歴然とした差が広がっていた。そのくせ生来のプライドの高さから、彼女は超一流と目される職場しか就活で応募せず、順当に自宅警備員に就任してしまったのである。
当然、厳格な彼女の父親はこの体たらくを良しとはしなかった。コネでソフィアを知人の商会に預け、働かせようとしたこともあったという。しかし、すぐに彼女は弱音を吐いて実家に逃走。同様のことを7回繰り返した末、ついに親の七光りと堪忍袋の尾が切れ、家を追い出されてしまったらしい。
大学で無気力に生きてきた彼女に頼れる同性の友人なぞいるはずもなく、大学入学直後に一度だけした手紙にあったこの住所を頼りにやって来たというのがことの顛末である。
「だからお願い! 少しの間ボクをここに置いてください!」
珍しく頭を下げて懇願してくるソフィア。その形の良いつむじを見ながら、俺は返事をしあぐねていた。
まず、年頃の交際もしていない男女がこんな狭い部屋で暮らすなんていかれている。ソフィアは俺のことを信用しているから頼んでいるのだろうが、はっきりいって彼女は美人だ。もっと危機感を持った方が良い。
それに、今の俺はやっと庭師業が軌道に乗り始めたものの、まだまだ業界ではひよっこも良いところだ。とてもじゃないがソフィアの面倒を見ている余裕はない。最悪共倒れだ。
角が立たない断り方を思案していると、淡い水色の瞳を真っ直ぐこちらに向けてソフィアがいった。
「ボクの仕事が見つかるまでで良いから! ボク一生懸命がんばるから! なんなら今晩! 今晩だけでも!」
泣きそうになりながら必死に頼み込んでくる彼女が、なんだか気の毒になってきた。手入れを欠かさなかった昔と違って若干くすんでしまった白い髪や、あまり外に出ていないためか病的に白い肌も相まって、ひどく儚く見えた。
「ああもうわかった! ここで良ければ好きなだけいろ! だからもう泣くな!」
「ありがとうウィル! この恩は一生忘れないよ!」
涙を拭いた彼女の笑顔は、とても可憐で。
だからだろうか。こんな馬鹿げた願いを聞き届けてしまったのは。
こうして、俺は