ひねくれ高学歴ニートの幼馴染   作:束田せんたっき

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片翼のニート

 鼻水がつまってもティッシュを取るために動くのを大儀がり、鼻をすすって我慢するような女だ。ソフィアの行動範囲は小学生よりも狭い。ましてやかの不労無所得者はこの街に来てから籠城を決め込んでいるので、考えられる行き先は絞られる。

 ほとんど外出しない彼女だが、ずっと同じ部屋にいるのは気詰まりするのか一カ所だけ足繁く通っている場所があった。以前ヘローワークからの帰り道に落ち合った公園だ。野良猫が何匹子猫を産んだとか、公園のどこそこに鳥の巣があったなんていうことを夕食でよく話していた。あとたまに近所の子供を少年呼びして謎のお姉さんムーブをかましていたことも知っている。普通に不審者だし恥ずかしいから切実にやめていただきたい。

 果たして、ソフィアはブランコに一人ぽつんと座っていた。鎖を握ってうつむいている彼女を街灯が照らしている。その顔は濃い影に塗りつぶされていた。

 近寄った俺に対して、彼女は視線を地面に固定したまま呟いた。

 

「何でここがわかったんだい」

「そりゃあお前が行くところなんてこの公園しかないからな」

「ボクのことなんか放っておけば良いじゃないか。キミだって体の良い厄介払いができて清々するんじゃないのかい」

「おいおい、どうしたんだよ。とりあえず腹減ったから帰ろうぜ」

 

 このような状態の彼女のペースに合わせていては夜が明けてしまうのは経験上知っている。俺はソフィアの綺麗な手を取った。しかし彼女は手を振り払い、鋭く俺を睨みつけた。

 

「あの成金女と食べたまえよ。その方が平民同士でお似合いじゃないか」

「リズのことは今関係ないだろ。それより今夜は冷えるぞ。早いとこ身体温めないと風邪引くからさ、な?」

 

 そういって肩にコートをかけようとすると、勢いよく立ち上がったソフィアはヒステリックに叫んだ。

 

「やめろ! やめろよ! やめてくれ! 人の気持ちも知らないで! キミはいつだってボクを甘やかす! そういうのはもううんざりなんだよ。友情も、同情も、温情も…… これ以上ボクに優しくしないでおくれよ…………」

 

 尻すぼみになる語勢。紅潮した彼女の頬の色が、スポットライトに照らされたようにはっきりと見える。小刻みに肩を震わせながらソフィアは言葉を絞り出した。

 

「キミから教えを乞われて舞い上がったのが馬鹿みたいだ。ボクはあの時、確かにキミから必要されていると思った。でも、キミが本当に必要なのは知識だった。それを教えられるのなら誰でも良かったんだ。ボクはまた一人になった」

「おい、落ち着けって」

「ボクはキミから与えられてばかりだ。何も返せていないし、返せたと思ったらこのザマさ。キミにとってソフィア・ペンバリーは拾った猫か、それ以下の存在なんだろうね」

 

 ソフィアはきつく鎖を握りしめ、自嘲した。諦観に満ちたアイスブルーの瞳が、うつろに俺の足元を映していた。

 

 どうやら俺は彼女の屈折した内心を見誤っていたようだった。期待されるとそれを裏切る現状に苦しみ、期待されないとそこまで落ちぶれた自分に傷つく。ソフィアの心は矛盾に満ちていて、自分勝手だ。それこそが、ニートの本質なのかもしれない。

 

 理想が、社会が、家族が、現在のソフィアを否定する。一体誰が彼女の苦しみを顧みてくれるというのだろうか。だからこそ、俺だけは財産も地位も関係なくありのままの彼女を肯定したい。

 

「確かにお前は口を開けばくだらない御託ばっかり並べるクソニートだ。その上、しょーもないプライドが邪魔して何者にもなれずに、思春期のガキみたいな悩みでいつまでも足踏みしているどうしようもないやつだ」

「そ、そんなにいうならボクなんか――」

「それでもソフィアは俺の大切な幼馴染なんだよ。ニートがなんだ。学歴や血筋がどうした。そんなもんでお前の価値を測れるわけがないし、測らせてたまるか。ソフィア・ペンバリーは未来永劫このウィルの幼馴染だ」

 

 一息で長広舌を言い切ると、ソフィアが真っ直ぐにこちらを見つめていた。白銀の重たい前髪から覗く目に光が灯る。

 

「ほんとに本当かい?」

「庭師に二言はない」

「ああ…… ウィル…… ウィルぅ……」

 

 ブランコから飛び降りてソフィアが胸に飛び込んでくる。背に手を回してしがみついてくるソフィアは迷子の幼子のようだ。俺は服が涙で濡れるのも気にせず、彼女の後頭部を撫でた。さらさらとした髪の感触が心地良い。

 

「……帰るか」

「いや、もう少しこのまま……」

「コート着てるお前は暖かいだろうけど、俺は寒いんだよ。晩飯もまだだし」

「むぅ、ウィルのわからずや」

「うるせえ働かずや」

 

 その後、リズが俺に教えていたのではなく教わっていたのだと知ってソフィアの機嫌が天元突破するのはまた別の話だ。

 

 あの日から、ソフィアの俺に対する態度は微妙に変化した。家事も仕事もしないのは相変わらずだが、妙なところで存在感を出そうとしてくるのだ。具体的にいうとボディータッチが多い。仕事から帰ると下手くそなマッサージをしてくれるようになったし、この間なんか背中を流そうと風呂場に押しかけてきたことがあった。後者の方は断固として断ったが、油断も隙もあったものじゃない。

 意図していることはなんとなくわかる。ただ、俺は彼女にもっと自分自身を大事にして欲しい。扶養の対価としてそういった接待を受けても別に俺は嬉しくないし、そのためにソフィアに課金しているわけではない。それに俺にとって彼女は家族同然であり、もっといえば妹のようなものだと思っている。彼女の方が年は1つ上ではあるが。

 したがって、ここ最近は俺たち2人で謎の攻防戦を繰り広げるのが日課になっていた。

 

 その晩も、俺たちは脱衣所の扉を挟んで争っていた。無理矢理押し入ろうとするニートを、俺がドアに体重をかけて防ぐ。

 

「今日という今日は背中を流させてもらうよウィル!」

「ダメに決まってんだろ! 頭沸いてんのか!?」

「ボクは至って冷静だよ!」

「なおのこと悪いわ!」

 

 ピンポーンとチャイムの音が鳴り、俺たちははたと動きを止めた。大急ぎで服を着直し、慌ただしく扉を開けると、そこに立っていたのは純白の美しい髪をサイドテールにした美女だった。

 すらりとした長身と切れ長の目がその女性にクールな印象を与えていた。片手には長大な杖を持ち、羽織っているマントや胸元の紋章は彼女が宮廷魔術師であることを示している。

 

「突然押しかけてすまない。しばらくだな、ウィル」

 

 そういった彼女の表情は硬い。俺は瞠目して叫んだ。

 

「ジェイン!? どうしてここに!?」

 

 彼女こそが、無職王ソフィア・ペンバリーの実姉であるジェイン・ペンバリーその人であった。最難関のロンボーン魔法大学を主席で卒業し、新卒で王室に召し抱えられたエリートの中のエリートだ。予想外の来客に俺が目を白黒させていると、ジェインは苦虫を噛みつぶしたような顔でいった。

 

「ここにうちの愚妹が厄介になっていると聞いてな。この近辺で公務があったので、ついでに引き取りに来た」

「ああ、そういう……」

 

 俺は気が抜けた返事をした。考えてみれば至極当然の流れである。かつて国王の懐刀といわれたペンバリー家の娘が平民の男の家に転がり込んでいるなんて、あらぬ誤解の種だ。本来ならもっと早く迎えが来るべきところではあるが、居場所の特定に手間取ったのが実情であると考えられる。

 

 以前の俺だったら喜んでソフィアを差し出しただろう。実家がこのニートの処理をしてくれるのなら、これほど楽なことはない。

 しかし、今の俺にそんな気はない。ソフィアがニートになってしまったのは、彼女自身に原因の大半があるだろうが、環境要因も一概には否定できないだろう。その点において、ペンバリー家にも責任の一端があるといえる。そのようなところに今の彼女を行かせたら、今度こそ修復不可能な精神的ダメージを負わせてしまうかもしれない。

 

 実際、ジェインの名を聞いたソフィアは部屋の隅に立ち尽くしてこちらの様子を伺っている。ジャージの裾を握るのは、不安なときに彼女がする仕草だ。

 

 俺の顔色を見て状況を察したのであろうジェインは、止める間もなく上がり込んでしまった。1年ぶりに妹と対面し、開口一番にいった。

 

「なんだそのだらしない格好は。さっさと着替えて行くぞ。父上がお待ちだ」

「と、父さんが今更何の用? だいたい、ボクを追い出しておいて今度は戻ってこいだなんて虫が良すぎるんじゃないかい?」

「これ以上貴様の我が儘には付き合いきれないということだ。喜べ、父上が2つも選択肢を用意してくださった。1つは縁談だ。ホイスト氏がお前をぜひ妻にといってくださった。貴様も会ったことがあるだろう。あの代議士だ」

「い、嫌だといったら?」

「貴様を新しい職場に連れて行く。カニ漁船だ。流石の貴様も洋上は脱走できまい」

 

 その選択を突きつけられたソフィアの表情は筆舌に尽くしがたかった。どっちに転んでもソフィアにとって地獄なのは変わりない。単なるクソニートのソフィアに議員の妻なんか務まるはずがないし、カニ漁船はいわずもがなである。

 見かねて俺は姉妹の間に割って入った。ソフィアを背に庇う形だ。

 

「ちょ、ちょっと待て。そいつは彼女にとってあまりに酷じゃないか?」

「裏を返せば、愚妹にはこの程度の道しか残されていないということだ」

「で、でも……」

「1年間愚妹の面倒を見てくれたのは感謝する。だが、これは我々ペンバリー家の問題だ。帰るぞソフィア」

 

 ソフィアの手をつかんでジェインは踵を返した。しかし、当の彼女はその手を振り払った。

 

「……貴様、自分が今何をしているのかわかっているのか?」

 

 眉根を寄せて凄むジェイン。美人の彼女がすると迫力が桁違いだ。傍目から見ている俺でさえ心が折れそうになる。

 そんな姉を前にして、ソフィアは気丈に立ち向かっていた。ずっと膝は笑っているし、しっかりと俺のことを盾にしていたが、それでも彼女はジェインを真っ直ぐに睨んでいた。

 

「ボクは行かない。例えそれが父さんの命令だとしても、絶対に」

「それが貴様の答えか」

「……ウン」

 

 蚊の鳴くような声で肯うソフィア。膝の震えはいよいよ肩をつかむ手に達している。くすぐったいったらありゃしない。

 鬼のような形相のジェインが冷ややかに言い放った。

 

「是非もなし、か。良いだろう。父上から勘当の許可は取ってある。貴様はもう私の妹ではない。以上だ。失礼する」

 

 颯爽とマントを翻してジェインは部屋から出て行った。その後ろ姿を呆然と眺めていたソフィアは、宣告の意味を理解したのかへなへなとへたり込んだ。慌てて俺はその後を追った。

 

 ジェインはすぐに見つかった。アパートからそう遠くない橋の上で待ち構えていたのだ。彼女は欄干にもたれかかると、静かにため息をついた。

 

「……姉失格だな、私は」

「それならどうして……」

 

 薄暗がりの中で見えた彼女の横顔は、先ほどの冷徹なペンバリー家の使者ではなかった。自分の発言を後悔している等身大のジェインが、そこにいた。

 

「父上も私も、ソフィアにどう接して良いのかわからないのだ。なぜ働かずにのうのうと惰眠を貪っていられるのか理解に苦しむ。なぜ誇りはあるのに行動が伴わないのだ。結局、私は機会や罰は与えられたが、ソフィアの虚しさを埋めることはできなかった」

 

 確かに、一本気のジェインにひねくれたあいつの気持ちを汲み取るのは難しかったのだろう。

 

「勘当なぞ、ソフィアから向き合うことを逃げたようなものだ。つくづく、己の不甲斐なさに嫌気がさす」

 

 悔しさを滲ませて心情を吐露するジェインからは、確かな妹への愛情を感じ取ることができた。彼女は彼女なりにソフィアをどうにかしようと頑張っていたのだ。不器用なのは2人が姉妹だからか。

 疲れたような笑みを浮かべ、ジェインはこちらを見つめた。アイスブルーの瞳が夜闇によく映えた。

 

「すまない、ウィル。またしてもお前に頼ってしまうことになりそうだ」

「気にすんなよ。俺だってほっとけないから勝手にやってるだけだし」

「そうか…… 大した額じゃないが持ってきた。受け取ってくれ」

 

 そういってずっしりと重そうな革袋を差し出すジェイン。少なくとも俺の年収の倍が入っている。

 

「いやいやいや、受け取れないってそんな大金」

「何をいうか。受けた恩を返さないのはペンバリーの名折れだ。それに、失礼だがウィルの稼ぎでは経済的に苦しいのではないか?」

「別に金を貰うためにあいつの面倒を見てたわけじゃないし、今は何とかやれてるから!」

 

 ずいと顔を寄せるジェイン。しばらく俺のことをじろじろと観察すると、またしてもため息をついた。

 

「やはり無理をしているな。隈が酷いし、顔色も悪い。大方、碌な休息もせずに働きづめなのだろう」

「な、なぜそれを……」

「私にも似たような経験の1つくらいあるさ。この金があれば、少しは楽になるだろう。ちゃんと休めよ」

 

 ジェインは俺に革袋を押しつけ、風のように去ってしまった。普段のクールな外見で忘れそうになるが、彼女は義理堅く熱い性格なのだ。

 しかし、受け取った金を使うことはおそらくないだろう。この事態は俺が自分で選択した末に起きたことだ。ジェインの援助を受けるのは俺の信条に反する。いつか返そう。

 

 そんな決心を新たに帰宅する。勘当されたショックで絶望モードに入っているであろう旧友を慰める文句を考えながら部屋に入ると、彼女は奇妙な格好をして鏡の前で珍妙なポーズを取っていた。いつものジャージの上に古式ゆかしいマントを羽織り、頭にはとんがった三角帽子までしている。

 

「おいおいどうした? お前の年でコスプレは流石にキツいぞ」

「こ、コスプレじゃないわい! これはロンボーン魔法大学指定のアカデミックドレス、いわば叡智の証さ。それにまだボクは24歳だしブツブツ……」

 

 コスプレよりも24歳で学生服を着ている方がキツいのでは?

 だが、考えてみればソフィアは自分の血筋と学歴を何よりも誇りにしていた。勘当された現在、彼女には学歴しか残っていないのである。いわば片翼をもがれた形になる。今までは両翼で飛んでいたプライドの高度を維持するために、もう一方の翼を強化するのは必然だった。

 

 ソフィアが虚ろな瞳で鏡越しにこちらを見つめてくる。

 

「ウィルはどんなボクでも認めてくれるよね。だってウィルはボクの幼馴染だもんね。ふへっ、ふへへへへ……」 

 

 俺はそれ以上彼女のコスプレをいじることはせずに、今しばらく見守ることにした。文字通り天涯孤独になってしまったソフィアの味方でいられるのは、自分しかいないのだ。

 胸奥でわだかまるジェインの忠告に目を背けて、俺は魔女っ子の相手に専念するのだった。

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