「リコー。今日は天気悪くなるかもだから折り畳み傘でも持っておいた方がいいよ!」
「そうなんだ。ありがとね」
窓から外を見ると確かに薄暗い雲が空を覆っていた。
スマホで今日の天気を確認すると”曇りのち雨”のようだ。
なんだか今日の自分の気分の様だ。学校に行くのも気分が乗らない。
今日の特訓は休みにする。朝にその連絡を受けた。
放課後に街へ出て病院に行ってくるらしい。もうすぐトキワの怪我は完治する。
わかりました、と返事をかえしながら考えるのは昨日のメッセージの相手だった。
怪我が治るまでの特訓という約束だ。もうすぐ一緒に過ごす時間が少なくなってしまうかもしれない。
そしたら、トキワはあのメッセージの相手と過ごすようになるのだろうか。自分とはもうこれっきりになるのだろうか。
想像が何度も頭を巡り、授業はずっとボーっとしてしまった。先生から当てられても気づかない程だ。
アンに何度も後ろから教えてもらったおかげで何とか乗り越えられたが、授業で当てられる度に助けられた。
「リコ、どうしたの? 具合でも悪いの?」
「ううん、そんなことないよ。ただの寝不足」
「ふーん? なんか考え事?」
「違うよ。昨日アンが寝た後もぐるみんの動画を見ちゃってたから」
「……まったく、動画の見過ぎは駄目だよ」
「うん、今日はごめんね。気を付ける」
訝し気な目をしたアンの言葉を何とか交わす。今はトキワの話題になることを避けたかった。
「今日はアン、バトルの練習?」
「そうだよ。リコも頑張ってるし、負けらんないなって思ってさ」
「そっか。今日は先に戻ってるね」
「うん。じゃあ、またあとでね! 疲れてるなら無理しないように!」
「ありがとう。練習頑張って」
元気よくアンは走っていった。また気を遣わせてしまった。何となくだが、意図して離れてくれた様に感じた。
自然と顔が下を向きそうになる。足取りも重い。
帰るのにいつもより時間がかかった。
「……あ、先輩」
男子寮の方から見知った顔が出てきた。トキワだった。
一度寮に戻って着替えたようで私服姿だった。街を歩けば多く着ている人を見かける、綺麗目な黒のジャケット姿だ。
人によっては無難なチョイスだが、トキワらしいと感じるし似合っていると思う。それと同時にある単語が過ぎる。
デートみたい――。
また胸がモヤモヤする。押し隠すように唇を噛んだ。
病院へ行くと言っていたし、それが嘘だとは思わない。だがその後、誰かと会うのかと勘ぐってしまう。
そんな考えを再び巡らせている間に、トキワはすたすたと歩きだし、学園を出ていってしまった。
話しかければよかった。
「……痛い」
唇を強く噛みすぎてしまったようで、ほんの少しの血が滲む。舐めると苦い味がした。胸の内側も味がするなら、今はこんな味だろう。
ため息を吐きながら空を見上げると雨が一粒リコの頬に落ちた。予報通りらしい。
薄暗い雲がリコの蒼い瞳に映った。
*
「それで、本当は何があったのかな」
その日の夜。バトルの練習からアンに直球で聞かれた。昼間と同じ返答をしたが、アンには気づかれていたようだった。
「何か悩んでることくらい、見てたらわかるよ」
友達だもん、と誇らしげに胸を張るアンを見て思う。アンが友達でよかった。
慎重に、しかし真っすぐに踏み込んできてくれることが引っ込み思案なリコには有難かった。
昨日の出来事や思った事を聞いてもらおうと、リコは話し始めた。
「そっか……なるほどねぇ」
「うん」
昨日トキワのスマホからのぞいた名前。アオイはおそらく女性の名前だろう。
ただ女性だからといって恋人であるとは限らないことはリコも承知している。
知人、友人、姉、妹など選択肢は数多くある。だが、何であれトキワにとって大事な人のような気がした。
ただの勘である。まだひと月足らずではあるがその間ずっとトキワのことを見ていたリコは確信気味だった。
たった一瞬だろうと、トキワの表情が嬉しそうに変わったのを見逃さなかった。
「リコ? 大丈夫?」
「え? な、何でもないよ……」
「……いやぁ、やっぱり先輩ってモテるんだね」
「そ、そうなのかな?」
「たまにしか見た事ないけど、カッコいいと思うよ」
「やっぱり」
前々から目つきは険しいが顔立ちは整っていると思っていた。昨日間近で顔を見た時も思った。他には背も高いし、鍛えてるようで胸板も厚くて逞しかった。頼りになる男性像の1つだと思う。
それに話してみれば意外にも親しみやすい所もある。見る人が見れば、好感を得てもまったく不思議ではない。
「ねえ、リコ。今日は特訓お休みって言われたんだよね」
「そうだけど」
「行ってみたら? 先輩はいるかもしれないよ」
「けど、もしいたとしても迷惑じゃ……」
「まあまあ、夜の散歩ってことでいいじゃん。いなかったら帰ってきてさ、明日からどう関わっていくか話そうよ」
引き下がろうとしたが、結局アンに強引に背中を押されてリコはいつもの湖に向かってみることにした。
特訓じゃなくても会ったっていいじゃん、とアンが言う。明日は休みだから、帰ってくるのは朝でも良いとも言われた。
「バトルの練習に付き合ってもらった上級生に聞いたんだ! 先輩ってルームメイトがいないから、部屋一人で使ってるんだって」
相談したのは間違いだったのだろうか、と顔を赤らめながら寮を出た。
「頑張れー……リコ」
*
外は昼間からの雨がまだ降っていた。
傘の外から降ってくる雨が肌に当たって冷たい。
寒いと思ってコートを羽織ってきたが正解だった。
すっかり夜に出歩くのにも慣れてしまっていた。まっすぐ湖への道を歩く。この道も慣れた道になったものだが、雨でぬかるみいつもより歩きづらい。
「いない……」
湖に着くが、見慣れた背中はいなかった。
ほとりに立つが、雨風のせいでいつも綺麗な景色は表情を変えていた。吹き付ける風が帰れと言っているようだった。
「でも」
いるかもしれない。来るかもしれない。
まだ雨はそこまで強くないから、木の影で雨宿りしてみようと大きめの木の下に身を寄せた。
枝につく葉が雨を遮り、リコはひとつ息をはく。
「寂しいなぁ……」
隣にいて欲しい人がいないのは、とても寂しい。
濡れてしまった前髪をなんとはなしに弄る。意味はない。上からポタリと雫が鼻の上に落ちた。
ついビクッと身を竦ませると、次の瞬間ドシンと音がして葉についた雨粒が多めに落ちてくる。
「び、びっくりした……」
ドシンと音が何度も鳴り響く。大きなポケモンが足を踏み鳴らす様な音だ。
もし野生ポケモンだったら、とても危険だが、リコの足は音の鳴る方へ進んだ。この先に求めてる人がいる。何か確信の様なものがあった。
トキワはいつもの湖から少し離れた場所に立っていた。そこは木が少なく、開けた場所である。バトルコートが2面ほどは並ぶだろうか。
よく見れば、辺りの岩や地面にはヒビが入っていたり抉られたような跡がある。
肩で息をしながら、しばらく息を整えている。
あんな姿は見たことがなかった。
「……今日はここまでだな」
……――。
そこにはドンファンに似たポケモンがいた。だが、すぐにドンファンではないことがわかった。
大きさはドンファンの倍はあるだろう。巨大な体躯と曲がりくねった長く大きな牙。四肢は赤い体毛、黒い背中にウロコと赤い棘が並び鎧の様だ。幼い頃に見たことがある映画の中の恐竜のようだ。あれは、本当にポケモンなのだろうか。
「あ、あれって」
リコはそのポケモンの姿を見て、ぞくりとした。皮膚は鳥肌を立て、心臓がバクバクと鳴る。喉は乾いて、手足は震えすくむ。
知っている。調べたから。実際に見たことはなくても、間近で見て、それがこのような姿をしているのだろうと理解することは出来た。
あの時の記事が頭に思い浮かぶ。
エリアゼロの怪物。
エリアゼロには不思議なポケモンが生息している。下に行くにつれてポケモンかどうかもわからないような巨大で狂暴な生物が姿を見せ始める。
彼らの猛攻を受けたことで隊員が致命傷を負い、一時退却することとなった。
観測隊のひとりが、偶然撮影した写真が載っている。
ドンファンというポケモンに似ているような気がするが、身体の大きさや背中の形など、生物的にまったく異なる。
なんと偉大な牙だろうか。
「最近は相手できなくて悪かったな」
……――。
イダイナキバは鳴き声1つ上げることなくじっと佇み、トキワの声を聴いているようだった。
不思議な光景だ。いかにも狂暴な姿、威圧感にも関わらずトキワは普段の調子と変わらず接しているように見えた。
だが、何かがいつもの様子と違う。違和感があった。
「ちょっとドジをしちまってな。それに……ここ最近は柄でもねぇこともやってるんだよ。聞いてくれるか」
……――。
それから、しばらくの間トキワは話を続けた。話題もいくつか変えながら。
それをイダイナキバは静かに聞いている。それもまた違和感があった。
にゃあ……――。
「ニャオハも気づいた?」
何故だかは分からない。しかし、リコの目にはお互いが困っているように見えた。距離は数メートル程しか離れていない。だが、距離以上に離れているように見えてならなかった。
ヘルガーとであれば、その距離など無いに等しい。お互いがお互いを信頼し、離れていてもすぐ近くにいるような、そんな気さえする。
しかし、トキワとイダイナキバとの距離には違和感しか感じられなかった。どこかギクシャクしているような、そんな風に感じた。
もっとよく聞きたいとほんの少し、身を前に乗り出した時だった。
ドン!――。
ほんの小さな音だったが、イダイナキバの耳はそれを捉える。鋭い目がリコとニャオハの方へと向いた。
驚いてしまった事と、鋭すぎた目が恐ろしくリコは思わず声をあげた。
「きゃっ!」
「キバ、止まれ! お前……リコか」
トキワもその声で気づき、目を向ける。
呆れたような、それでいてトキワもこちらを見る目が鋭くリコは身を竦ませるしかなかった。
「こ、こんばんは。先輩」
まだ雨が止まない空の下で、リコは小さく返した。