きっかけは、ほんの些細な出来事だった。
リコは相変わらずトキワとキバの事を考えていた。まだ中々いい考えは浮かばない。放課後に息抜きがてら、ニャオハを撫でながら何とはなしバトルの練習をする生徒たちを眺めていた。
バトルの途中でポケモン同士がヒートアップしてしまったようだった。トレーナーたちの指示を無視して取っ組み合いの喧嘩が始まったのである。
あんまり関わりたくないな。そう考えていたが、ニャオハがいつの間にか喧嘩しているポケモン達の傍に行き香りを振り撒いた。
すると喧嘩していたのが不思議なように、あっという間にポケモン達は落ち着いたのだ。
確かにニャオハの香りは嗅いでいると心が安らぐが、怒りにも効くらしい。
そういえば、トキワも言っていた。
ニャオハといつも一緒だからか、リコの香りは落ち着くと。
思い出したら頬が赤くなってしまいそうだ。だが、もしかしたらこれは試す価値があるのかもしれない。
駄目だったとしても1回や2回の失敗で諦めるつもりもない。試す価値があるなら、そうするべきだ。
リコは、行動へ移すことにした。
*
「今日は怖い思いさせちゃうかもしれないんだよ? いいの?」
出発の前に、ニャオハに確認を取る。
ニャオハがキバの傍にいて恐怖を感じるのであれば、この試みは一旦やめようと思っていたのだ。
だがニャオハは頷いて返した。ニャオハもトキワの力になりたいらしい。
もう慣れてしまった夜間のお忍び外出へ向かうことにした。
今日、トキワはいる気がする。そう思った。
「じゃあ、行ってくるね」
「はーい。気を付けて。……本当に似てるなぁ、トレーナーとポケモン」
アンが呟く。そうかもしれない。
最初上手くいかなかったのが嘘だと思うくらい、今はニャオハとの息がそろってきている。
やっぱり、似てるらしい。ニャオハを見ると、頷きながらこちらを見返していて嬉しくなった。
「いくよ、ニャオハ」
にゃあ、といつもより力強くニャオハが鳴いた。
外に出ると夜のひんやりとした空気が肌を震わせた。まだ少し寒い。
辺りは暗い。だがいつもより明るいなと思い、夜の空を見上げてみる。
「今日は月が明るいなぁ」
月が大きく見える。月光が照らしているから、こんなにも明かるのかと納得した。まるで満月の夜みたいだ。
あと数日で満月になるだろう。そういえば満月の夜、トキワに見つかって何だかんだ特訓を見てもらえるようになった事を思い出す。
満月は約30日周期で見ることが出来る。つまり、トキワと出会ってもう少しで1か月ということになる。
あっという間だった。まさか、たった1月たらずでこんなに自分が変わるなんて思わなかったのだ。
変わりたいのに、変われないのが嫌だったが、今は前より自分を好きになれそうだった。
「ん? どうしたのニャオハ?」
ニャオハが何かを訴えるような目線を向けていた。しゃがんで目線を合わせようとしたときに、ニャオハが震えていることに気づく。
「やっぱり、怖くなっちゃった?」
そうではない、というように鳴きながら首を振る。
首を傾げながら考え込んでいると、月の光とは別に赤い何かがはしった。
「……かえんほうしゃ?」
月を炎が割いているのが見えた。
ざわざわとした感覚がリコをおそった。
*
轟音が鳴り響いていた。
それは身体を竦ませるには十分だった。
鈍くなる身体に鞭を打ち、無理やりに動かす。
「くそったれが……」
折角怪我がなおったばかりだが、また増えそうだ。
悪態を吐きながら、頭をフルに回転させる。ピンチだった。
頭上を見上げれば、竜が月に向かって轟くような咆哮をあげている。
その姿はボーマンダに似ていた。ボーマンダも獰猛だが、その竜はより狂暴だ。
トドロクツキ。
エリアゼロのポケモンである。ボーマンダの古代の姿であろう。
トドロクツキは満月が近づくにつれ狂暴性が増していく習性があるようだった。
月の満ち欠けで攻撃性が高まるポケモンも確かにいるが、トドロクツキのそれは常軌を逸していた。
毎月、満月が近くなると、ボールの中から無理やりにでも出ようとするのだ。
他のポケモンでは考えられない。怪我が絶えないのは、実はこのせいだった。
「ヘルガー! かえんほうしゃ!」
ポケモンの本能を根本から抑えることは難しい。
古来より身に刻まれているのものを、たかが人間が抑えることなどできはしないのだ。
受けとめるしかない。無理に抑えた結果、過去に痛い目を見たことがある。マスターボールでも使わない限り、完璧に制御するのは難しいだろう。
いまそれは自分の手にはない。ないものねだりをしている場合ではなかった。
「回避しろ!」
空から急降下してきたトドロクツキが大きな爪と牙でトキワとヘルガーに襲い掛かる。
ヘルガーは何とか身をかわすが、ただの人間のトキワには限界がある。
叩きつけられる爪を何とか躱したが、地面が割れ石や岩が飛び散り、破片がトキワをおそった。
「……ちっ!」
防ごうとした腕にゴツゴツとした破片の衝撃が伝わる。折れてはいないが打撲にはなったろう。
舌打ちが出る。やってられない。腕を振り下ろしただけで簡易のストーンエッジが連続で来るようなものだ。
人間には辛い。
「くそったれAIに使われてた頃より強いじゃねぇか」
元の使い手に文句も出る。あれでも抑えられていたということだ。
だが言っても事態は好転しない。いつもなら好きなだけ暴れると、次第に彼は落ち着く。
だが今日は、そうはいかないらしい。ある程度ダメージを与えなければ頭に昇った熱は冷えないようだ。
ヘルガーとともに地道にダメージを与えながら辛抱するしかない。
「お前には苦労をかけっぱなしだ」
相棒に声を掛けると、力強い鳴き声が返ってくる。どうやら今夜も付き合ってくれるらしい。
目をやれば、再びトドロクツキが飛翔していく。また空からの攻撃を仕掛けてくるようだ。
その間に深く呼吸をして、腹に力を入れ直す。ここからが踏ん張りどころだった。
「先輩!」
「なっ……」
耳へ届いた声に、つい動きが止まる。何故という気持ちが胸を占めた。
トドロクツキは牙と爪を光らせ降下を始めていた。
*
月の様な竜が吠えているのを見てから、リコとニャオハは森を駆けていた。
見たことがないポケモンだったし、あの場所にいるのはトキワしか考えられない。
直感だが、今まさにトキワが危機に陥っているような気がした。
そして、その予感は当たる。
「先輩!」
「なっ……」
驚いたような顔で、固まったトキワがこちらに顔を向けた。
先輩の頭上から、あの竜のポケモンが襲い掛かろうとしているのが目に入る。
自分でも驚くくらいと咄嗟に、大きな声でニャオハに指示を出していた。
「このは!!」
にゃあ!!
ニャオハが首元の葉を唸りを上げながら光らせる。確信できた。できる。
次の瞬間、竜の顔めがけて大量の緑の光がニャオハから繰り出された。
「ほ、本当にこのはか? これが?」
呆然としたようにトキワが呟いた。
嬉しいけど、褒めてもらうのはまだだ。
「先輩! ヘルガーを!」
ハッとしたように、トキワはヘルガーへと指示を出した。
「れんごく!」
身体にまとわりついたこのはに炎を纏わせる。
竜は大きく吠えながら燃え盛る炎に焼かれながら地面に落ちた。
炎が少しずつ小さくなり、消えていく。後には気絶したようで、閉眼した竜が横たわった。
*
かなり上空からの急降下だった。あの攻撃をもし喰らっていたら、命はなかっただろう。だご凄まじい勢いのまま落下したことが、この結果になったようだ。
「先輩! 大丈夫ですか? ああ、怪我してる」
「平気だ。……まさか、助けられるとは」
「よかったぁ」
トキワに駆け寄ると、ボロボロになっているのがわかった。
こんなことを繰り返していれば、怪我が絶えないのは想像に難くない。
というか今までよく大怪我せずにいられたものだ。
「俺だけでなんとかするつもりだったんだがな」
「知らないです。私には関係ないですから」
「……はっ、そうかよ」
素直に言わないのはトキワらしかった。
だが確かに彼の顔は穏やかだった。いつもの陰や棘が和らいだような印象だった。
「そうだ、私先輩とキバが仲良くなれるような作戦考えたんです!」
「仲良くか……いや、そうだな。そうなれたら……良い」
「はい! でも、今日は戻りましょう? 私が手当しますから」
「自分で……はぁ、やっぱり頼んだ」
リコの強引な部分を知っているトキワは早々に抵抗するのをやめることにした。
もう彼女に怪我の世話をされるのが違和感なくなってきている。その事に自分でもどんな意味があるかわからないため息をついた。
「さて。その前に、大人しい内にボールへ戻ってもらうか」
ほんの一歩、トキワがトドロクツキへと近付いた。
安堵していた。普段ならもっと警戒していたはずだったのだ。
だから、忘れていたのだ。ボーマンダの古来の姿ならば。
トドロクツキも同様に”あくタイプ”だと。
ずっと閉眼していた竜が、トキワが近づいたことを察知したように開眼する。
危険を察知した時には、すでに竜の口が開いており、炎が喉の奥から今にも吹き出そうだった。
「しまっ……」
油断した。なんという間抜けだ。
こんな狂暴なポケモン相手に気を抜いてしまうなど、あってはならないことだった。
避けられねぇ――。
トキワとトドロクツキの距離は目と鼻の先まで近づいていた。
避けてもポケモンの反射神経の方が高い、回避先に炎を打たれて終わりだ。
後ろにはリコとニャオハがいる。避けられなかった。
トキワは目の前が炎に包まれ、思わず目を閉じた。
ドン! フアアアンド!!
地面が震えるような、そんな叫びが響いた。
立っていられない。それほどの衝撃が身体に伝わった。
「……?」
目を開け、ふらつく身体を何とか立たせる。
そこには、今度こそ完全に気を失ったトドロクツキ。
そして、その前にドッシリとイダイナキバが立っていた。
キバがトキワに振り返る。彼はトキワと目が合うとドン、と鳴いた。
「キバ……」
キバはただ真っ直ぐとトキワを見ていた。
恐ろしく鋭い瞳なのに、それはとても澄んでいて、瞳の中にトキワを映した。