「あれ、探偵坊主? なにをしてるんですか? 秋庭さんのマンション前で」
「げっ、宏一さん」
秋の爽やかな朝。
コナンは先日の捜査会議にお茶の件とダンプの件の参考人として参加し、怜子が高木刑事に嘘をついていたことを知り、怜子の護衛をしようと考えて怜子の住むマンションに訪れていた。
ついでに、怪しい怜子と宏一の二人組について少しでも調べようと思って。
そう思った矢先に宏一に遭遇したもんだから、コナンはげっと声を漏らしてしまった。
「なんです? その、しまった! って感じの『げっ』ってのは。もしかして秋庭さんのストーカーしてたんですか?」
「ち、違うよ!?」
ストーカー呼ばわりされたコナンは声を荒げる。
年下を虐めて、年下が憤慨する様子を堪能した宏一は、心底愉快そうに笑う。
そんな宏一の服装は上下ともに白のジャージ姿で、手にはコンビニの袋を持っている。中身はお茶とおにぎり。
「宏一、あ、冬森さん。その格好もしかして怜子さんと一緒に森林浴に行くの?」
「宏一呼びで良いですよ、探偵坊主。にしても、良く秋庭さんのルーティンを知っていますね。やっぱりストーカーさんだからですか?」
「だから違うって!?」
「あはっははは! 冗談です。冗談。ついでに君も秋庭さんの部屋に上がりますか?」
面白い反応を堪能して、宏一はわしゃわしゃとコナンの頭を撫でながらそう言った。
宏一からの、願ってもない提案を聞き、コナンは顔を上げてきょとんとした面持ちで宏一を見た。
「え? いいの?」
「かまいませんとも。人数が多い方が賑やかになって、彼女の気晴らしになりますから」
「気晴らし……って?」
「ほら行きますよ、探偵坊主」
♪ ♬ ♪ ♬ ♪ ♬
カーテンの閉められた薄暗い部屋の中。
アメージンググレイスの音源だけが流れる部屋の中に怜子はいた。ベッドの上で膝を抱えて蹲る怜子の顔は昏い。
「光さん、ごめんなさい。私、どうしたら良いかわからないの」
そう言って怜子が、縋るように見つめるのは3人の人物が写った1枚の写真だった。
ある公演が終わった後に撮られた1枚。祝いの品の並べられた壁を背に、リコーダーを持ち凛々しく笑う男性、その男性の右隣で胸を張り誇らしげに笑う怜子、そしてその後ろに立ち男性の肩に手を回してもう片方の手でピースサインをして硬い笑顔で写る宏一。
4年前に3人と一緒に撮った写真を見て、怜子は懺悔するように呟いた。
「どうしたら良いの……光さん、……宏一っ!」
7年前のある日。
小学校5年生に進級する前に突然海外に転校した怜子の幼馴染兼子分は、7年前のある日いきなり帰ってきた。
身なりも何もかもが変わった幼馴染は、昔と変わらない屈託のない笑顔で『貴方の歌を聞きに帰ってきたよ
宏一がマネージャーになってから2年が過ぎたある日、つまり5年前2人の関係は少しだけ変わった。
『初めて貴方の歌声を聴いた日から、僕の心は貴方に奪われたままです。だから怜子さん。どうか僕だけの歌姫になってください』
青天の霹靂だった。
怜子にとって、宏一は子分でマネージャー。それ以上でもそれ以下でもなく、だが大切な幼馴染で自身の半身。
そんな相手から異性愛を向けられていたなど、夢にも思っていなかったのだ。だから怜子は宏一を振ったのだが、宏一の晴れやかな顔を見てその時は大丈夫なのかと根拠もなく思った。
だが宏一は、怜子との距離を改めた。怜子呼びは止めて秋庭呼びを徹して、その日から宏一は誰にでも敬語で話すようになった。
そして、3年前。怜子の婚約者。3人で写った写真で、フルートを持っていた相馬光という男性との関係を宏一に打ち明けた時の、宏一のまるで稲妻が走ったかのような顔は今でも忘れない。
3人で撮った写真に、戸惑った顔で写る宏一。最初は、肩に腕を回すなんて慣れないことをするからだと思っていたのだが、3年経って心境が大きく変わった今の怜子には少し分かる気がする。
宏一は、葛藤に揺れていたのだと。
今も怜子の心は悲しみに揺れている。
3年前のあの日から、大切な婚約者を喪った日から怜子の心は深い悲しみに苛まれている。だが同時に、大きな葛藤と後悔が怜子の中で渦巻いているのだ。
一連の事件。否応なしに婚約者を喪った日のことを思い出させる事件のせいで、余計怜子の心は揺さぶりをかけられていた。
今も怜子は心から相馬光を愛している。だが、同時に……。
「……どうしたらいいのよ」
リズムをつけてインターホンが鳴る。わざわざリズムをつけて鳴らす馬鹿は怜子の知り合いだと宏一しかいない。
怜子は、玄関の方へと歩き、ドアを開けた。
「おかえりなさい宏一。遅かったわね……って。その子」
「マンションの前をうろちょろ、うろちょろと。とても、怪しかったので拾ってきました」
「えへへへ。拾われちった」
怜子が視線を下げれば、そこにはコナンがいた。コナンはお邪魔しまーすと言いながら勝手に部屋の中に入っていった。
キッと怜子は宏一を睨みつける。アンタわざとでしょ、とその目は語っている。
だが、宏一はわざとすっとぼけて勝手知ったる怜子の台所に向かう。
「今日のお弁当を用意しますので、秋庭さんはコナンくんの相手をしてあげてください」
宏一の一言で、宏一の思惑を察した怜子は、短く息を吐いた。
「まったく、もう」
余計なお世話よ、と怜子の表情は言っていた。
怜子はちょっと君! と、声を荒げて図々しくも部屋をみて回るコナンの方へ歩いていく。
「君、確か音痴くんよね? 一体なんの用なの? 人様の部屋に勝手に入って」
「歌の特訓をしてもらおうと思って。僕、音痴だから」
悪びれることなくニヤッと笑うのは意趣返しのつもりなのだろう。
だがしかし、相手は意地悪のプロ。この程度の意趣返しなんぞ痛痒にも感じない。怜子は、コナンのお願いを一刀両断する。
「駄目。今日は無理」
「森林浴に行くからだよね? コンサートの前の日とか、大事な収録の前には必ず森林浴に行くって雑誌で見たよ」
「知ってたのね。だったら分かるでしょう。君といるとロクな目にあわないから嫌」
怜子はソファに座ると、ツンと澄ました顔で上を向きふんぞり返った。
「それって僕を危険から遠ざけるためだよね?」
断る怜子に、コナンは食い下がる。怜子と宏一に対して思ったことをコナンは述べていく。
「一昨日僕たちと離れて帰ろうとしていたのも、そう。怜子さんと宏一さんは何か知ってるみたいだし、怜子さんが狙われるかもしれないって最初から分かってたんじゃない? だから僕たちを離そうとした、僕たちを巻き込まないために」
「なに馬鹿なこと言ってんのよ」
「ふっはっ、はっはっ!」
台所で弁当の用意をしつつ、しっかり2人の会話に耳を傾けていた宏一は、まるで狙い澄ましたかのような怜子の負け惜しみに、辛抱たまらず吹き出したのだ。
「なに笑ってんのよ」
「いや、だってあの秋庭様が小学生に……きひひっ」
「貴方ねぇー!!」
今なお笑い続ける宏一に文句を言ってやろうと、怜子はソファから立ち上がる。怜子が台所の方へ歩いて行ったのを確認すると、コナンは怜子の寝室を見て回った。
「探偵坊主ー! 純度100パーのオレンジジュースしかないけど飲みますかー?」
うん。コナンは空返事しながら、部屋の観察を続けた。
窓際の壁には楽譜が立て掛けられていて、フルートと3人組が写った写真が窓際に置かれていた。怜子と宏一、それから見知らぬ誰か――
あの写真のあと一人は一体?
と、そこまで考えていたら、怜子の手によってカーテンが閉められた。
怜子は腰に手を当て、割と本気でコナンを叱る。
「こらっ! 女性の寝室に興味を持つのは、10年早いわよ」
「ごめんなさい。ねぇ、怜子さんってフルートもやるの?」
「怜子さんはフルートを吹きませんよ、探偵坊主。ほい、ジュース」
宏一はコナンの目の高さにまでしゃがみ込んで、コナンの手に強引にコップを握らせた。
すると、怜子は踵を返して廊下の奥の方へと歩く。ドアノブに手を掛けると振り返り、
「宏一。その子、ジュースを飲み終わったら追い返して。今日は歌のレッスンはしないし、一緒に森へも行かないから」
バンっと大きな音を立てて力いっぱいドアを閉めた。
急な大きな音に、宏一とコナンは揃って肩を震わせる。
「雷が落ちる前に早く飲んだ方が良いですね。僕まで大目玉を食らいそうです」
「そうだね、そうする」
ごくごくと喉仏を上下させコナンはコップのジュースを一息に飲み干すと、空になったコップを宏一に手渡した。
「ありがとう宏一さん。じゃあ、僕もう行くね」
玄関まで駆け足で行ったコナンは、靴を履くとバイバイと手を降る。そして、そのまま外へ出て行った。
それからしばらくして、今度は更衣室に消えた怜子が姿を現した。
さっきまでの鎖骨のラインのでるゆったりとした襟の服の上から灰色のパーカーを羽織り、下は黒地にピンクのストライプな入ったジャージの姿。
顔バレ対策も兼ねてフードを被った怜子は、室内を見渡して口を開く。
「あの子ちゃんと帰ったみたいね」
「本当にそう思います?」
「……小生意気な坊やなのね、あの子」
肩を竦めてみせる宏一の横を、怜子は歩いて通り過ぎた。
「さっさと行くわよ宏一」
急かす怜子に苦笑を浮かべて、宏一はランチパックを手に取ってから怜子の部屋を後にした。
「案の定待ち構えていましたか、探偵坊主」
マンションのエントランスを出て直ぐの所。
両手を頭の後ろで組んで、悪びれた様子なくニコニコ笑うコナンに、宏一はそう言った。
だがコナンはニコニコ顔を崩さない。
「えへへっ。僕勝手に付いて行くから気にしないで」
「ったく。迷子になっても知らないから」
怜子は両手をポケットに突っ込んだまま、深い深い溜息を吐いてから、再び歩き初めた。横には宏一を侍らせて。
その後ろをコナンが大丈夫大丈夫と言いながら付いて行くのであった。
♪ ♬ ♪ ♬ ♪ ♬
緑が青々と覆い茂った森。
小鳥たちのさえずりと木々のざわめきが心地良い。
先頭を怜子が歩く。森林を浴びる怜子の顔はとても晴れやかだ。
そのすぐ右斜め後ろを歩くのが宏一だ。彼も怜子と同じ様に森林を堪能していた。
2人の後ろを少し距離を置いて付いて行くコナンも、しゃべりこそしないものの自然の空気を味わって楽しそうにしている。
と、そこで仮面ヤイバーのテーマソングを合唱するキッズ集団が前から歩いて近付いてくる。
宏一はすっと左に避けて、縦1列になってすれ違う。キッズ集団は、元気の良いあいさつをしてくれた。
「「「「こんにちわー!!」」」」
「……こんにちわ」
「やぁ、こんにちわ」
「こんちわっ」
怜子、宏一、コナンの順にキッズたちにあいさつを返す。歩き順も、この順番だ。
だが、大人の男女2人の後ろを離れて歩くコナンの図は、キッズたちの興味かき立てるらしく、キッズたちは面白おかしく怜子たち一行の関係について喋るのであった。
「あの3人、親子かな?」
「全然似てないね」
「なんで皆、離れて歩いてるんだろう?」
「夫婦喧嘩中とか?」
自分たちで言っておいて、それが壺に入ったキッズたちは爆笑する。それを聞いていたコナンは呆れた顔になるのだが――。
「ふふふふ。ねぇ、宏一。私たちって端から見たら夫婦に見えるみたいよ?」
振り返らず怜子は前を向いたまま歩いているが、声は弾んでいた。格好のネタが出来たから上機嫌なのだろうと宏一は捉える。
しかしネタとはいえ、宏一は自分と怜子が夫婦だなんて恐れ多くて同意できない。
「そんな……僕如きが秋庭さんと夫婦だなんて、恐れ多過ぎますって。僕なんかタダのマネージャーですよ?」
「ふん……言ってみただけじゃない」
機嫌が急転直下して、怜子は歩く足を速めてしまった。
良く分からないが、怜子の地雷を踏み抜いてしまったらしい。宏一は困り顔になる。
私不機嫌です、と全身から負のオーラが滲み出ている怜子のことはそっとしておいて、コナンは元凶である宏一に話しかけた。
怒れる猫に触れると大怪我をすることを、コナンは幼馴染や相棒との日頃のやり取りを通じて、重々承知しているからだ。
「ねぇ宏一さん。宏一さんと怜子さんの間で何かあったの?」
コナンの質問に、宏一は困った様な恥ずかしそうな顔になった。
宏一は歩く速度を緩めるとコナンのとなりに並んで歩き、そして囁くような小さな声で語り初める。
「実は昔、愚かにも舞い上がって秋庭さんに告白したことがあって……まぁものの見事に袖に振られましたが。それに秋庭さんの心の中には愛する人がいます」
宏一は、晴れやかな覚悟に満ちた顔で、コナンに宣言した。
「そもそも、僕如きが旦那になろうだなんて思うこと自体があり得ない話なんです。僕はマネージャーとして秋庭さんを支えられればそれで満足ですよ」
「ちょっと、2人とも。聞こえてるんだけど?」
歩くのを止めて怜子は2人を叱責する。表情は怜子が前を向いているから見えないが、叱責する声は怒りで震えていた。
「あー、すみません。耳障りな戯言を」
「ごめんなさい」
コナンはともかく、宏一の態度が気に食わない。
「……馬鹿ね。私って」
3人の詳しい内面の補足
怜子「光さんのことは今でも愛してる。だけど今は宏一も好き……だけど今更どうしたら……」
宏一「前世からの推しに勢い余って告白しちまったけど、振られちまったぜぇ。でも、おかげでふっきれたしマネージャーとして推しを全力で支えてやるぅうぅぅ!(必死に誤魔化す)」
何となく事情を察したコナン「2人とも関係拗らせてんなぁ(自分のこと棚にあげて鼻くそほじほじ)」