怜子さんと宏一を、他の劇場版に違和感なく登場させるため、そしてどうしても描きたいシーンを描くにはこうするしかありませんでした……
お通夜みたいな空気。
先頭を歩く怜子は無言で、宏一も無言。重くギスギスした空気を、コナンはどうにか変えようと気の利いた話題を話そうとするもぱっと思い浮かばず。
だから、楽しかったはずの森林浴が、ひたすらに無言の居た堪れない行軍へと様変わりした。
そんなコナンの心情を察してか、あるいは単に怜子の刺すような雰囲気を嫌ってか、ともかく宏一はコナンに助け舟を出した。
「秋庭さんが何故、コンサートの前の日に森の中を歩くのか分かりますか? 探偵坊主くん」
「え? あー、うん。僕わかんない。教えて怜子さん」
コナンは一瞬、真剣に考えようとしたのだが、宏一の意図に気付いて怜子に質問を投げかけた。
怜子は、もうっと言うと顔を上げ自然を仰ぎ見た。彼女の口角も自然と上がる。
「自然を体の中に取り込みたいの。ヨーロッパの音楽は、大自然に囲まれた中から生まれてきたものだから」
怜子が脳裏に思い浮かべるのは北欧の大自然が生み出す絶景だった。
白い雪を冠する霊峰。草木が青々と茂り、小鳥と動物たちが自然を駆ける風景。小川のせせらぎ。
目を閉じながら、自然を一身に感じながら怜子はコナンを見た。
「この意味分かるかしら?」
「うん……分かる気がする」
こんな言葉もありますよ。宏一は、そう言ってから言葉さらに付け足した。
「職人の魂は、雄大な自然の中で磨かれる」
「それって先生の受け売り?」
「良く分かりましたね。僕の格言の一つです」
(大自然の中で、感性を磨けってことか? 中々深いこと言うんだな宏一さんの……ピアノの調律の…………先生?)
「ねぇ宏一さん。宏一さんってピアノの調律始めて――」
コナンの脳内で、何かと何かが線で繋がりそうで、だから宏一のことを聞こうとしたのだが。
パアアァァァン。
乾いた炸裂音に、コナンの声はかき消された。
左側から聞こえた、コナンがそう認識する前に、素早く動く白い影が一つ。
宏一は怜子を軽く押しのけ、怜子を左方から守るように立ち塞がった。
一発の弾丸が宏一の足首を掠り、そのまま飛翔する。宏一は、少しよろけた。
「宏一さん!?」
「カズ――ッ!!」
コナンと怜子は血相を変え宏一に駆け寄るが、宏一は怒号で2人の動きを制す。
「僕は平気だから、2人とも走れェ!」
宏一は素早く立ち上がると、怜子の手を取り、そのまま走り出した。
「坊主! 担ぐぞ!!」
「ちょっ、ちょっと!?」
コナンのことを左腕で抱き上げて担ぐ。コナンがつい先ほどまで立っていた場所に、一発の弾丸が命中する。
明確な殺意に、コナンの顔も歪む。
宏一は視界の左側を警戒しつつ、怜子の手を引きコナンを担ぎながらひたすら走る。犯人と思わしき人影が、並走する様に駆ける姿が、茂みの向こうにばっちし見える。
コナンも宏一も、怜子も追われていることを認識していた。
犯人を振り切るには、なるべく意表を突いて且つ速く走るしかない。にも、拘らず前方に広がっているのは、乗り越えるには些か太い倒木が道を塞いでいる光景。
怜子も、宏一も足を止めるが、しかし。
「坊主! 秋庭さん。太い木の影に、射線から身を隠せ」
と、2人に指示を出し、宏一はコナンを放り投げる。コナンが怜子を引っ張って木の幹の裏へと誘う。
宏一はというと、まったく違う動きをしていた。
ジャージの背中側を捲ると、合成樹脂のホルダーが露わになる。そこに収められていた黒光りする金属製の物体を見てコナンはギョッとする。
SIG SAUER P226なる拳銃を素早く抜き放ち、流れるように安全装置を解除しながら構えると、宏一は躊躇することなく引き金を引いた。
放たれた弾丸は、犯人が背を預ける木の幹に命中する。
続けて2回、発砲。
2発の弾は、今度は犯人の足元付近にある木の根を穿つ。
分が悪いことを理解した犯人は慌てて踵を返す。
その背中に弾が決して当たることがないようにしっかりと狙いながら、弾倉の弾が無くなるまで、宏一は威嚇射撃を続けた。
拳銃の連続した発砲音が、森に大きく木霊する。
完全に危険が去ったと判断すると、宏一は血相を変えて怜子たちの方へと駆け出した。
「大丈夫ですか!? 秋庭さん、坊主!」
唖然とした表情でこちらを見るコナンを尻目に、コナンの体をペタペタ触って怪我がないかをぱぱぱっと確認する。
「う、うん。僕は平気だよ? 宏一さん」
「秋庭さんも怪我は……あり、ま…………せん……」
今にも噴火しそうな激情に震える怜子、怒れる般若と目が合ってから初めて宏一は自分の大きな失態に気がついた。
「宏一、貴方何を考えてるの!!?」
「全員の身の安全を守ろうとして――」
「そうじゃなくって!」
怜子はズンズンと宏一に近付き、宏一の襟首を掴み絞め上げる。自分より頭一つ分は背の低い宏一の目を無理やり自分と合わせて、怜子は怒鳴った。
「なんで人前で銃を撃ったのかって聞いてるの!」
鬼気迫る顔で怜子は、声を荒げ続ける。
「他人の、それも子供が見てる前で銃を抜くなんて! 警察に捕まっちゃうかもしれないでしょ!?」
「この場にいる全員の安全を守るには! どうしても必要な措置でしたッ!!」
襟首を掴む怜子の腕を掴み返し、宏一は迫真の表情で怒鳴り返した。
森林に轟く宏一の声。そこには微塵の嘘はなく、宏一が本心から全員の身の安全を案じての行動だとを物語っている。
宏一の襟首を掴む手は緩み、ゆるゆると怜子の腕が落ちる。
「でも、だからって……貴方までいなくなったら……」
「なら、そこの坊主の口を封じますか?」
片目を閉じて宏一は言った。
乱れた襟首を直しながら、不自然なまでに明るく弾んだ口調で、宏一は口を開いたのだ。
取り乱している怜子を落ち着ける為の、狂言であることが一目瞭然で、だから怜子は目元を拭うと、宏一の手に握られたままの拳銃を指差した。
「馬鹿なこと言ってないで、早くそれをしまいなさい」
言われて宏一は、
「ねー、宏一さん。その拳銃どうしたの?」
場を和ませるため、そしてなんで拳銃を持っているのか知りたくてコナンは、無邪気な声音になるよう意識して宏一に話しかけた。
「護身用です。なにせ最近の米花町は物騒ですから。そのへんのストーカーですら拳銃ぶっ放して、そこかしこで爆破事件が起こる。だから身の安全を完全に守るためには拳銃くらいじゃないと駄目だと思いまして」
「へぇー……。えっと、助けてくれてありがと」
(……ちくしょう、反論できねぇ)
「本当は撃つつもりなんて無かったんですが、……秋庭さんが危ない目に遭うかもしれないと思ったら頭に血が上って」
「脳で考えるより先に脊髄で動く癖、どうにかした方がいいわよ」
「……申し開きのしようがありません」
「ねぇ怜子さんと宏一さん」
確認なんだけど、と前置きしてからコナンは。
「怜子さんが狙われるって何時から知ってたの?」
「最初からよ。四人が亡くなった事件で、河辺さんが巻き込まれたってから、たぶん狙われるって思ったの」
間髪入れずに怜子がバラす。
「なんで河辺さんが巻き込まれたって思ったの?」
「ねぇコナンくん。お願いがあるの」
「お願い?」
「秋庭さん、一体何を?」
コナンにお願いを持ちかける怜子。疑問を抱く宏一を、怜子はひと睨みで制した。
「今日宏一が撃たれたこと、宏一が銃を撃ったことを警察に言わないで欲しいの」
「僕からもお願いします。明日のコンサートのために秋庭さんは必死に練習してきました。せめて、コンサートが終わるまで、どうか!」
真摯な願い。コナンは逡巡した後に、了承した。
「……分かった。けど、その代わり。コンサートが終わったら事情を話してくれるよね?」
隠し事を、隠したままで終わらせない。
強い意思の宿した探求の目を見つめ、2人は誓う。
「約束するわ」
「僕も、僕が知りうる一連の顛末をコンサートが終わったら警察に話すと約束します」
「宏一さんには助けてもらったし、特別だよ?」
♪ ♬ ♪ ♬ ♪ ♬
『相馬光さんのことなんですが? 貴方の婚約者でしたね?』
目暮警部がそう告げた時の、一瞬だけ悲痛に歪んだ宏一の顔が忘れられない。懺悔するような、後悔と苦しみが混じり合ったあの顔。
そして、ちらっと一瞬宏一の顔を心配そうに見た怜子の仕草。
『警部さん。知ってることは全てお話しします。だからコンサートが終わるまで待ってください。それと宏一の前で光さんのことを口にしないでください』
だからコナンには、どうしてもあの2人が犯人だとは思えなかった。
「しかし警部殿。彼女のマネージャーに四人を殺す動機があるからって、=犯人とは限らんでしょう?」
(おいおい。アンタがそれを言うのかよオッチャン)
コナンはジト目で小五郎のことを見た。だが、内心では小五郎と同意見だ。
「マネージャーが、自身のマネージングする相手を憧れて、何が悪いんです? それに彼女の婚約者の不幸な事故を殺しに結び付けるなんて、強引過ぎやしませんか?」
「そうですよ目暮警部! 宏一さん、あんなにすごい頑張ってるんですから。だから、怜子さんだって、宏一さんのことをものすごく頼りにしてるんですよ!!」
お茶を持ってきた蘭も、珍しく声を荒げて宏一=犯人説を否定する。
「まぁまぁ蘭くん。あくまで仮定の話だから、落ち着いて」
毛利探偵事務所で、捜査会議は進み。
コナンは高木刑事の手帳を盗み見て、そこに書かれてあった相馬光氏の生年月日に興味を抱く。
飛び出る毛利の迷推理。
トンチキな推理ショーにつきあわされたコナンは、堂本邸宅で、若かりし頃の堂本一揮の写った写真を見て、事件の真相に一歩近付いた。