シスターリリハ   作:yukirima

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二週間経った。私は、ほぼすべての時間を自室で過ごした。サクラコ様を敵に回してしまったのだから、自室に籠って安全を確保しつつひっそりとトリニティから脱出しようと考えていたのだが、一向に進まない。

私は特別賢くない。バカと言った方がよっぽど正しいおつむの持ち主だ。誰にも面と向かって言われたことはないがテストの点数を見れば分かる。計画性もない。旅程も友人にだいたい立ててもらっていた。そんなやつが亡命と言って差し支えないようなマネを出来るのか。可能性を議論していても仕方ない。必ず成功させなければならないのだ。

「お腹……空いたな」

 腹の虫は、よく落ち着いて考え事をしたい私の心を逆なでする。さっき食べたばかりだろうと語りかけても聞かない。買いこんだ食料を積み上げた棚を見ると、パンやカップ麺は食べつくしてしまっていた。有るのは適当なお菓子と、お菓子と、お菓子だ。もうお菓子しかない。

「……でも」

 外に出るのがすっかり怖くなってしまった。今もドアの向こうで誰かが立っていて、私を奈落まで引っ張っていくかもしれない。友人たちから幾度か連絡があったが無視しているのも、私を嵌める罠かもしれないと僅かでも疑ってしまうからだ。友情よりも自身の命に天秤が傾いている。おこがましいが、心がすり減る感じがする。

 次に部屋を出る時はトリニティを出る時だという初心に帰る。生き延びるために再び机に向かったが、やはり筆は一向に進まない。じりじりした時間を過ごしていると、珍しく戸を叩く音がした。

 覗き窓から見ると、スーツを着た大人が立っていた。先生だ。目がかっと開くも視界が歪み、私の脚から力が抜けていく。ごつりと音が鳴って、私の世界は真っ暗になった。

 私の視界に再び光が差し込んだが、電飾の光であった。とっぷり夜は沈んでいる。辺りを見る限り、どこか自室以外の所で寝かされていたようだ。手足に拘束具の類は無いが助かったと安心するわけにはいかない。部屋から連れ出されてしまったのだから、脱出計画をしたためたノートや、あの部屋の目も当てられない惨状を、大してよく知らない大人に見せてしまった事は確実である。部屋のことはともかくノートはまずかろう。サクラコ様へ計画を暴露されてしまうかもしれないし、暴露したうえでこの状態なのかもしれない。背筋が寒くなった。

“やあ、目が覚めたんだね”

 右を向くと、いつのまにか先生が座っていた。衣擦れと秒針の音がせいぜいのこの部屋では、ほんの少しの物音でも十分な変容だ。気づかないわけがない。そうすると、先生はずっとここにいたことになる。サクラコ様の後ろ盾が、ずっと私の傍にいた。

“気分はどう?”

 今、余計なことは考えてはいけないような気がした。考えるよりも質問に答えて命を繋ごうと口を動かした。

「悪くはありません。まだ少し眠たいですが」

 こう答えると、「またあとで」といって部屋から出て行った。そして入れ替わるように救護騎士団の人が入って来た。ミネが壊して騎士団が治す、だったか。団長の姿は見えないので、噂通りならばあとは治されるだけだ。

「目覚められたようで良かったです」

「ありがとうございます」

 そのまま診察が始まって、適当な会話を交えながら現状を確認した。どうやら私は先生を目にしてから頭を打って気絶してしまったらしい。ドア越しの物音と部屋の状況からそう判断したという。後頭部を何者かに強打されて拉致、などではなかったのか。

「先生、かなり心配されていましたよ」

「そうなんですか?」

「あなたがここに運ばれてから一日と少し経ちますが、その間ほとんどこの部屋に居たくらいですから」

 シャーレの先生は、生徒たちの困りごとを解決するために活動しているのだとか。先生とシャーレに関する連日の報道は、耳にタコができるくらい聞いた。今日は猫を探した、のような些細な事でも取り沙汰されているのも原因ではあるのだろうが、それでもよく耳にした。引き籠っている間中そうだった。激務に浸った生活を送る先生が、大抵のことをそっちのけて私を看ていたというのだ。

「感謝しなければなりませんね」

「また来ると仰っていましたから、その時に伝えればいいんですよ」

「ええ。それに皆さんにも」

 診察は終わり、団員の方は出て行った。またその人と入れ替わるように先生が入って来た。ずっと部屋の前で待っていたのかもしれないし、タイミングが良かっただけかもしれない。とにかく何も心の準備が済まない内に先生が戻って来てしまった。

「先生には、お礼を言わなければなりません。助けていただきありがとうございました」

“どういたしまして。退院はできそうかな?”

「明日にはと聞きました」

“それはよかった。ところで―――”

 先生は懐からノートを取り出した。脱出計画の書かれた私のものだ。やはり中身を見られてしまったようだ。下手な言い逃れはできまい。

“いま、ちょっといい?”

 ため息が出た。端から逃す気はないだろうに、あくまで話をしたいだけという態度を見せる。卑怯だと思ったが、そういうものなのだろう。

「見ての通り、私は病人ですから逃げたりしませんし、出来ません。煮るなり焼くなりカタコンベに放り込むなり好きにしてください」

“しないからね!?”

「……そうですか。そういうことにしましょう」

“信用が無い……”

 先生がどういう立場にいるのか。連邦生徒会の一組織とは思えない、正しく超法規的な機関の人物。書面ではこの程度だが、キヴォトス各地で活動する性質のために、枝葉を青々と拡げる大木のような人脈を築きあげているのは想像に難くない。きっとサクラコ様もその枝葉の一人だ。私では雲の上の人物であるティーパーティーの面々ともそうなのだろう。そういう人物が目の前に居て、私の事を根ほり葉ほり聞こうとしている。

“とにかく、これのことを聞こうと思って”

「それは、どうしてですか」

“内容もそうだけど”

 パラパラと先生はノートをめくり、お目当ての所を見つけたようで、その指を止めて私に見せてきた。辛うじて字と認識できるものもあるが、ほとんどは歪んだ何かだ。古代文字と言って適当に見せびらかしてもしばらくやり過ごせそうな、そういうもの。ぱさぱさとそれより前のページを見せてくれたが酷いものだ。最近の私はこんな文字を書いていたらしい。なるほど、先生はわざわざ口にしないが、これでは精神に異常を来していると思われても仕方ない。

「それは、その……なんと言いますか」

 トリニティ脱走計画の中身を知られてしまった以上、並大抵のことでは逃げられない。字が汚いことで詰められるのは想定外だったが、救護騎士団に救助されたとあっては、いずれシスターフッドにも連絡が行くだろうし、そうなってしまえば私はサクラコ様の影の中にしまわれてしまうに違いない。明確な死が迫りつつある。いいやすでに手遅れか。

“自覚は無かった?”

「はい」

“君は二週間も部屋に籠りっきりだったみたいだね。サクラコから聞いたよ”

「……はい」

“もしかして、ずっとこれを?”

「そうですね。寝る間を惜しんで作っていました。その割に内容をきちんと覚えてはいません」

 頭を打った影響なのか、立てていた計画の骨子がするりと抜け落ちている。一日経てば学んだことの凡そを忘れてしまうので、いつも通りと言えばその通りだが、頭を打ったが故ということにしたい。まずいと思った。ノートを没収されても頭に入っているから問題ない、なんていつか観た映画の登場人物みたいに私は成れない。

“どうしてトリニティから出て行こうとしたの?”

 どうして、わざわざ聞くのだろう。趣味の悪い大人だ。私を弄びたいのか。

 天啓がひらめいた。そういえば先生がサクラコ様と協力関係にあるとして、それは相互的なものだろうか。つまりサクラコ様からの一方的な依頼である可能性だ。いいや、むしろこの可能性の方がよっぽど高い。先生という立場、存在は生徒に対して中立的だろう。たまたま権力者層にも顔が広いだけで、私のような木っ端の肩を持ってくれることもあるはずだ。

「逃げるためです」

“えっと”

「ああ、そうですね。何から逃げるのかを知りたくなるのは至極当然です。私はシスターフッドから逃れたいのです。ならばトリニティから出なくても良いのでは、と思うかもしれませんが、甘いですよ、先生。ミラクル5000のようです。先生はサクラコ様を甘く見積もっています。彼女に敵対してしまえばトリニティに居場所はありません」

“うーん”

 先生は天井を見上げて唸ってしまった。当然だろう。事態はここまで深刻なのだから。

“……サクラコと喧嘩したの?”

「いいえ、そういうワケではありません。私はただ、サクラコ様を敵に回してしまったのです」

“いったい何をしたの?”

「サクラコ様の『計画』に盾ついてしまったのです」

“その計画っていうのは……?”

「サクラコ様がトリニティを掌握するのです!」

 シスターフッドがトリニティの全てを掌握する計画。いつ思い出しても身の毛がよだつ。権力闘争に疎い私でも事の重大さが認識できる。私は、蛇が絡み食らい合うならば気の済むまですればよろしいとも思うが、友人を人質にされてまで靡くような人間ではないし、それを是とする人間を許容しようと思わない。だから、望むべくはサクラコ様の改心だった。

“な、なんだってー……”

「はい。なんと恐ろしいことか!」

 勇んだが、サクラコ様を止めるどころか後押ししてしまう結果になった。頭数が揃えばシスターフッド内で粛清が始まるだろう。私は消される側の人間だ。そうなる前にトリニティから脱出しなければならない。

「先生。私は無事に友人たちと再会するためにも生き延びねばならないのです。どうか、力を貸していただけませんか」

 先生は渋い顔をした。私とサクラコ様で板挟みになっているのだから仕方ない。私はサクラコ様から逃れたい。サクラコ様は私を消したいので先生に協力を仰ぐ。板挟みだ。先生はどちらの味方をするのだろう。

“私がリリハの部屋を訪ねたのは、どうしてだと思う?”

「それはサクラコ様に監視を頼まれたからではないのですか」

“サクラコや君の友達に頼まれたんだ”

 どうして引きこもっているのか、引きこもりだした切掛けが何なのかよく分からない。二週間も連絡の一つも寄越さず、自室にから動いていない事は分かっている。触れるに触れられないので先生に頼ってみた。つまり先生が訪ねてきた理由は私の様子を見るためだった。

“サクラコも、みんなも心配していたよ”

「サクラコ様も、ですか……?」

 先生は首肯した。私は脆い人間だと思い知った。私という人間の脆さは、醜さでもある。ついさっきまで恐ろしいばかりだったサクラコ様が、私の中で温かみを持ち始めた。

「本当に?」

“うん”

「よく分からなくなってしまいました。サクラコ様は、私のことを粛清対象だと考えているのではないのですか?」

“それは違うんじゃないかな。サクラコは純粋に君のことを心配していたよ”

 先生の苦笑を受けつつ私の心は揺らいでいる。サクラコ様には人間的に尊敬できる部分と、影を纏っている部分の二つの精神性があると思っていた。私には今、その影が差し向けられようとしていて、ここに居る先生はその手先だと思っていた。

 少しだけ信じたくなっていた。影などというものは存在せず、サクラコ様はただ優しいだけの人物であると。

“きっと間が悪かっただけなんだよ。だから、出て行くなんて言わないで。ちょっと立ち止まって考えてみてほしい”

「私が考えを改めないとしたら、先生はどうしますか」

“その時は全力で止めるよ”

 それだけ言って、今日はもう遅いからと帰っていった。確かに落ち着いて考える時間は必要だ。

 まずサクラコ様に呼び出された。「お話」が始まってぽつぽつと返事をした。この時、サクラコ様は何と言っていたか。私の近況、私がサクラコ様のことをどう思っているかを聞いてきた。それからシスターフッドを今後どうしていきたいかを語った。接点なんてほとんどない私を何の目的も無く呼び出すことはあり得ないだろうと踏んで、言葉の裏を読んだ。それが、サクラコ様がトリニティを牛耳る計画を進行しているというものだった。

 だが、どうだ。サクラコ様の「お話」が言葉以上の意味を含まないのだとしたら、トリニティを牛耳るなんて毛ほども思わないのでは。

 私は甚だしい勘違いをしてしまっていた。情けなさと申し訳なさから乾いた笑いが出た。

始めからサクラコ様を疑ってかかったのは、相手がサクラコ様だったからだろうか。この問いに頷けない。もしもサクラコ様が私の同輩であるとか、シスターフッドを束ねる立場に居なかったとしたら、ここまで疑り深くなることは無かったはずだ。つまり立場ありきで疑いの目を向けただけでなく、さらに全く見当違いの理解で何人も正しく知り得ない他者の精神状態を推し量った。これは罪だ。私が見ていたのはサクラコ様ではなかった。

時計を見ると、そろそろ寝る時間だった。ここも消灯時間のようで、ぱつっと電気が消えた。手探りで付けたベッド脇のライトは、オレンジ色。寝ろと言ってくる色だ。

だが寝られない。この二週間で時間間隔が狂ったのだ。一日寝たくらいで元に戻るわけがない。眠れないから罪悪感と苦しい言い訳が滾々と湧いてくる。私が愚かしいだけなのに、まだ内心で自己弁護したがっている。寝られない。

ライトを消して毛布を深く被った。さっきより暗く何もない世界が見える。もっと暖かいと思っていたが、そうでもない。ずっとそこに浸かっていた足先すら冷たい。

楽になりたくなった。それはずっとそうだが、私の掲げた正統性がすっかり失われて足元のおぼつかない不安がやって来た。不安の種がすり替わった。虚像の恐怖から逃れるのではなく、後始末をつける恐怖から逃れたいのだ。すべてを投げ出したくなった。これまでとは別の理由で出て行きたくなっていた。

私のような人間性を持つものにシスターなんて務まらない。一度湧いた思考は簡単には止まらない。やはり出て行こう。でもどうすればいい。計画は先生に知られてしまった。出て行くのならば全力で止めるとも言っていた。ならば止められるだけの策を用意するはずだ。それこそ正義実現委員会とか、シスターフッドとか、人手を割ける組織に頼むだろう。計画そのものも、ちっとも覚えていない。端的に言って詰みだ。

何度かあくびが出たが一睡もできなかった。ときどきベッドと毛布の隙間から窓を覗いてみると、だんだん青く明るくなっていった。

 曇りだ。思考もそれに近い。私は私という人間の性根を知った。心の底では人を信じられない人間性。そのくせ人間から優しさを見せられた途端、虫のように引き寄せられる。愚図の、視野狭窄の頓珍漢なのに中途半端に人を疑う。こんな人間は、人から手を差し伸べられてはいけない。救われてはいけない。

 遅めの朝食を取り、渡された制服に袖を通した。シスターフッドの装いが懐かしく思えた。退院だ。見送られながら外に出ると先生がいた。

“おはよう。よく眠れた?”

「おはようございます、先生。とてもよく眠れました」

 先生は私の顔をちょっと覗いただけで何も言わなかった。

“無事退院だけど、安心したよ”

「それはどういう意味でしょうか」

“……まあまあ”

 先生の顔色は少し暗い。天気のせいではないとしたら、私のように寝不足なのだろうか。その理由は、私なのか。

“これからどうするの?”

「一度自室に戻ります。サクラコ様やみんなに謝るのは身支度を整えてからです」

“そっか……付き添うよ”

「なぜですか?」

 本当に理由が分からなかったが、先生だからねとそればかりで埒が明かず、結局私が根負けした。

 一日置いて自室の戸を開いた。もう二度と入ることはないと思っていた。改めて見ても中は酷いものだった。積み重ねられたゴミや澱んだ空気が、私の肩を押さえつけた。

「先生、掃除もします」

“手伝うよ”

 急いで掃除をした。バックパックに詰め込んだ服や乾パンなどは一先ずそのままにして、ゴミだけ片付けた。それからあれこれと準備をして、まずサクラコ様のところへ向かった。もともと先生と会う約束があったそうで、先生は私について来れば良いと言ったが、仕組まれているような感じがしなくもないと疑って、やめた。

 




作者以上の人間は書けないと聞きました。その逆はいったいどうなんだろうと思います
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