武道館ライブから数週間が経った。Ave Mujicaは仮面を外したことで一夜にして話題の中心となり、SNSは彼らの素顔と音楽で溢れかえった。
ファンの数は爆発的に増え、メディアは「新生Ave Mujica」と称賛し、テレビ出演やインタビュー、雑誌の撮影依頼が殺到した。
一時的な人気の波は、確かに彼らを新たな高みに押し上げた。だが、その裏で、バンドは静かに崩れ始めていた。
睦はホテルの楽屋で膝を抱え、壁にもたれていた。
目の下には濃い隈が刻まれ、指先は震えていた。仮面を外したことで注目が集まり、彼女の静かな存在感が逆に「ミステリアスな魅力」として脚光を浴びた。だが、その視線は彼女を追い詰めた。
毎日のスケジュールは過密で、朝から深夜まで続く取材や撮影に追われ、練習時間はほとんど取れなかった。
「モーティス……モーティス……変わって……早く……変わって」
睦の心はそう呟き、ベースを手に持つ気力すら失っていた。
スタジオでの練習は週に数時間しかなく、睡眠不足と疲労で指が思うように動かない。
ステージに立つたび、観客の期待が重くのしかかり、彼女の呼吸は浅く速くなった。ある夜、ホテルの部屋で一人になると、睦はベッドに倒れ込み、涙が溢れた。
仮面がない今、彼女は自分の弱さを隠せず、ストレスが身体を蝕んでいた。
食欲はなくなり、体重が落ち、鏡に映るやつれた顔にすら目を向けられなかった。
◆
祥子はマネージャーとの電話を切り、苛立ちを隠せずに机を叩いた。スケジュール表にはびっしりと仕事が詰まり、練習の欄は空白のままだった。
仮面を外したことで人気は上がったが、彼女が創ろうとしたAve Mujicaの世界観と音楽はどこかへ消えていた。
「これでは……ただのアイドルですわ」
祥子の声は怒りに震え、胸が締め付けられた。彼女はバンドの魂を守るために戦ってきた。だが、今はライブの準備よりもトーク番組の台本を読む時間の方が長い。
スタジオに集まっても、メンバー全員が揃うことは稀で、練習は中途半端に終わる。睦のやつれた姿を見るたび、祥子の心は責任感と無力感で押し潰された。
「私がみんなを、まとめなくては……でも、どうやって?」
睡眠不足で頭が重く、目がチカチカする。彼女はコーヒーを手に持つが、カフェインすら疲れを癒せなかった。
ストレスが胃を締め付け、吐き気が込み上げる。祥子は睦を守りたいのに、その時間が取れない現実に苛立ち、拳を握り潰した。
◆
にゃむはテレビ局の楽屋でメイクを受けながら、鏡に映る自分を見つめていた。
仮面を外したことで注目が集まり、彼女の明るい性格がファンに愛された。だが、その笑顔は作り物だった。仕事の嵐に追われ、練習ができなくなった今、にゃむの心は虚しさで埋め尽くされていた。
「これでいい……人気出たし……」
そう言い聞かせるが、睦のやつれた顔や祥子の疲れた目を見るたび、罪悪感が胸を刺した。
仮面を外す決断は彼女が押し通したものだ。成功したはずなのに、バンドの音楽が遠ざかっていく。スタジオでギターを手に持っても、指が弦に馴染まず、音が歪む。
「私が間違ってた……?」
その考えが頭を離れず、にゃむの喉が締め付けられた。仕事の合間に仮眠を取るが、悪夢にうなされ、汗で目が覚める。人気という虚栄にすがりながら、彼女は仲間との距離が開くのを止められなかった。
◆
初華は撮影現場のソファで目を閉じていたが、眠れなかった。仮面を外したことで彼女の柔らかな魅力が注目され、ソロの仕事も増えた。だが、バンドとしての時間が削られ、練習不足でライブのクオリティが落ちていく。
「これは、駄目だよ……絶対」
初華の心はそう叫び、涙がこぼれそうになるのを堪えた。過密なスケジュールで身体が悲鳴を上げ、肩が凝り、頭痛が絶えない。
スタジオでメンバーと顔を合わせても、疲れ果てた表情しか見えず、彼女の笑顔は消えていた。睦が弱っていく姿に胸が痛み、にゃむを責める気力もない。初華はただ、バンドが元に戻ることを願ったが、その希望は日に日に薄れ、ストレスが彼女を蝕んだ。
◆
仮面を外したことで一時的な人気を手に入れたAve Mujicaだが、仕事の波に飲まれ、練習ができなくなった。
睦は弱り、祥子は疲れ、にゃむは罪悪感に苛まれ、初華は絶望し、海鈴は諦めた。
スタジオに集まっても、誰もが無言で、かつての情熱は消えていた。人気という光は彼らを照らし、焼き焦がしていく。
突然、睦が立ち上がった。
その動きはぎこちなく、まるで操り人形のようだった。
彼女の瞳は虚ろで、いつもの怯えた光は消えていた。メンバーが一斉に彼女を見た瞬間、睦の口から低い声が漏れた。
「睦ちゃん、眠っちゃった」
その声は睦のものではなかった。冷たく、鋭く、どこか嘲るような響き。
祥子が息を呑み、初華が目を丸くした。
睦――いや、モーティスは無表情で続けた。
「私はモーティス。睦の裏にいるもう一人の人格だよ。彼女はもう耐えられない。仮面を失って、視線に晒されて、外に出れなくなっちゃった」
モーティスの言葉が空気を切り裂き、スタジオに冷たい沈黙が広がった。睦の身体は震えていたが、その顔には感情がなく、まるで別人が宿っているようだった。
祥子の心臓が激しく鼓動し、頭が真っ白になった。睦の口から出た言葉が信じられず、彼女は一歩踏み出した。
「どういうことですの? モーティス。説明を」
だが、モーティスは冷たく笑い、祥子を睨んだ。
「仮面を外したのが痛かったね。あそこから睦とモーティスの切り替えができなくなっていった。その上、この労働環境。そりゃあ壊れるよ」
その言葉が祥子の胸を抉り、彼女は息が詰まった。責任感と無力感が再び押し寄せ、ストレスが頭を締め付ける。睦を救いたいのに、モーティスの冷たい瞳に阻まれ、祥子の拳が震えた。
「これから、どうすれば」
声は震え、涙がこぼれそうになるのを堪えた。
にゃむはモーティスの言葉に凍りつき、身体が動かなかった。彼女の決断が睦をここまで追い詰めた。罪悪感が胸を締め付け、喉が詰まる。
「もしかして、私のせい?」
モーティスがにゃむを一瞥し、冷たく言い放った。
「後悔しても遅いよ。にゃむちゃんが仮面を捨てた日から、こうなる運命だった。睦の心はもう戻らない。解散したほうが良いよ」
にゃむの膝が崩れ、彼女は床に座り込んだ。頭を抱え、涙が溢れる。ストレスと後悔が彼女を飲み込み、呼吸が乱れた。解散という言葉が頭を支配し、にゃむは自分が全てを壊した現実から逃げられなかった。
初華はモーティスの言葉に目を丸くし、睦の手を握ろうとしたが、その冷たい視線に怯んで止まった。
「睦ちゃん……そんなこと言わないで……お願い……」
彼女の声は震え、涙が頬を伝った。モーティスが初華を見下ろし、淡々と言った。
「泣いても無駄だよ。このバンドはもう終わり。睦は重荷に耐えきれなかっただけ」
初華の心は絶望に沈み、混乱が頭を埋め尽くした。睦が壊れ、モーティスという存在が現れた事実に、彼女の精神は耐えきれなかった。ストレスが全身を襲い、彼女は震えながら睦を見つめたが、何も言えなかった。
モーティスはメンバーを見渡し、最後にこう告げた。
「これが睦の望みだよ。彼女を解放してあげな。Ave Mujicaはもう終わりだ」
その言葉を残し、睦の身体がふらりと倒れた。祥子が慌てて抱き止め、彼女の意識が薄れるのを感じた。睦の顔は穏やかだったが、モーティスの冷たい声がスタジオに残響し続けた。
モーティスの出現は、Ave Mujicaに終焉を突きつけた。睦の精神が限界に達し、もう一つの人格が解散を告げることで、メンバーはそれぞれのストレスと向き合わざるを得なかった。祥子の抵抗、にゃむの後悔、初華の絶望、バンドは崩壊の淵に立たされていた。睦の弱さが引き起こした波紋は、彼らの絆を切り裂き、終わりへと導いていた
◆
Ave Mujicaの解散は、モーティスの冷たい宣告から数日後に公式発表された。
睦の精神崩壊とバンドの限界が明らかになり、メンバー全員が活動を続ける気力を失った。
ファンは衝撃を受け、メディアは一斉に報道を始めた。だが、その反応は祝福や同情ではなく、苛烈なバッシングへと変わっていった。
解散発表後、SNSはAve Mujicaへの批判で埋め尽くされた。「仮面を外した途端に人気に溺れて解散とか、裏切りだ」「睦の崩壊はメンバーの責任」「にゃむのわがままでバンドが壊れた」と、ファンや評論家が口々に非難した。
ワイドショーではコメンテーターが「プロ意識の欠如」と切り捨て、かつての熱狂的な支持は憎悪と失望に取って代わられた。
「武道館での感動を返せ」「所詮、アイドル崩れだっただけ」と、匿名のアカウントが次々と書き込み、ネットは炎上した。
特に祥子はリーダーとして標的になり、「睦を守れなかった無能なリーダー」「バンドをまとめられない責任者」と名指しで叩かれた。
メディアは彼女の過去のインタビューを掘り起こし、「音楽への情熱」を語った言葉を嘲笑の材料にした。
祥子は自宅のソファに沈み込み、スマホの画面を眺めていた。そこには彼女への罵詈雑言が並び、目を逸らしても頭にこびりついて離れない。
彼女の目は赤く腫れ、睡眠不足でできた隈が顔を覆っていた。
解散を決めたのはメンバー全員の総意だったが、世間は彼女を最大の責任者と見なした。
「私が……私がもっと強ければ……」
その言葉が頭を繰り返し、祥子の胸は締め付けられた。睦の崩壊、モーティスの解散宣告、にゃむの決断を止められなかったこと――全てが彼女の肩にのしかかり、息をするのも辛かった。彼女はコーヒーを手に持ったが、手が震えてカップを落とし、床に黒い染みが広がった。
「何も……守れなかった……」
呟きながら、祥子は膝を抱えた。外からのバッシングに加え、メンバーとの連絡も途絶えていた。にゃむからの謝罪メッセージに返信できず、初華の涙声の留守電を聞く勇気もなかった。
海鈴からは何の音沙汰もなく、睦は入院中だと聞いていた。孤独が彼女を包み、ストレスが胃を締め付け、吐き気が込み上げる。
ある夜、鏡に映る自分を見た祥子は、痩せこけた頬と虚ろな瞳に驚いた。髪はボサボサで、かつての凛とした姿は消えていた。
世間の声が頭の中で響き、彼女は耳を塞いだが、その音は止まらない。
「もう……疲れましたわ」
涙が溢れ、祥子は床に崩れ落ちた。解散の決断は正しかったのか、それとも逃げだったのか。答えのない問いが彼女を蝕み、精神が限界に近づいていた。
にゃむへのバッシングは「仮面を外した元凶」として特に激しく、罪悪感と世間の非難に耐えきれなかった。
世間はメンバー全員を叩き続け、特に祥子に矛先を集中させた。彼女がリーダーとしてバンドを引っ張ってきた過去が、逆に「失敗の象徴」として攻撃の材料になった。
ある日、祥子は外に出る気力もなくなり、カーテンを閉めた部屋で横たわっていた。
スマホの通知音が鳴り続け、バッシングの嵐が止まらない。彼女の心は憔悴し、身体は重く、音楽への情熱すら感じられなくなっていた。
Ave Mujicaの解散は、彼女にとって夢の終わりであり、世間からの非難はそれを永遠に刻み込む刃だった。
「もう……いいですわ……」
祥子は目を閉じ、涙が頬を伝った。武道館の歓声は遠い記憶となり、彼女の耳に残るのはバッシングの残響だけだった。
Ave Mujicaの解散は、世間からの過酷なバッシングを招き、特に祥子を憔悴させた。彼女の責任感とリーダーとしての誇りは、批判の嵐に打ち砕かれ、精神的・身体的な限界に追い込まれた。
他のメンバーもそれぞれの形で傷つき、バンドの終焉は全員に深い傷を残した。人気の絶頂から一転したこの結末は、Ave Mujicaの物語を悲劇として締めくくった。
夜の街、冷たい風が吹き抜ける橋の上に、豊川祥子は立っていた。
彼女のドレスは乱れ、長い髪が風に揺れていたが、その瞳は虚ろで、生気は消えていた。Ave Mujicaの解散と世間からのバッシングが彼女を追い詰め、心は限界を超えていた。手すりに手をかけ、川の暗い水面を見下ろす。
「私には……もう何も残っておりません。音楽も、仲間も、全て失ったこの身は、ただの抜け殻」
お嬢様らしい優雅な言葉遣いだが、声は震え、涙が頬を伝った。彼女はゆっくりと手すりを握り、身体を前に傾けた。
もう疲れた。この苦しみから解放されるなら、冷たい水の中に沈むのも悪くない。そう思った瞬間――
「や、やめ――!」
たどたどしい叫び声が背後から響き、強い力が祥子を突き飛ばした。彼女はバランスを崩し、コンクリートの地面に倒れ込んだ。
痛みが腕を走り、驚きで息を呑む。見上げると、そこには良く知った少女が立っていた。
MyGO!!!!!の高松燈だった。
祥子は地面に座り込んだまま、燈を睨み上げた。彼女の声は疲れ果てながらも、気品を保とうとする調子で響いた。
「何!? 貴女、何ですの!? 私を邪魔する権利がどこにございますの!?」
彼女の心は混乱と怒りで渦巻いていた。死のうとした瞬間を奪われ、恥ずかしさと苛立ちが胸を締め付ける。だが、燈は目を逸らさず、たどたどしく、しかし真剣に言葉を紡いだ。
「み、見てた……さきちゃん、橋から……飛びそうだった……だ、だめだよ、そんなの…!」
燈の声は震え、言葉が途切れがちだったが、その瞳には強い意志が宿っていた。祥子は一瞬言葉を失い、唇を噛んだ。
「貴女に……私の何が分かると? この苦しみも、絶望も、貴女には関係ありません」
祥子は立ち上がり、再び手すりに近づこうとしたが、燈が彼女の腕を掴んだ。
「は、離さない……!」
燈の手は小さく、震えていたが、驚くほど力強かった。彼女は目を潤ませながら、必死に続けた。
「わ、分かんないよ…さきちゃんのこと、全部は……でも、死ぬなんて…だめだよ……音楽、好きなら……まだ、やれる……!」
たどたどしい言葉が祥子の心に突き刺さった。燈の純粋な眼差しと不器用な訴えが、彼女の凍りついた感情を揺さぶった。祥子は腕を振りほどこうとしたが、力が抜け、その場に膝をついた。
「私に…何が残ってますの? 全て失った私に、何ができますの…?」
声は嗚咽に変わり、涙が溢れた。裏に隠された脆さが露わになり、祥子は顔を覆った。
燈は祥子の隣にしゃがみ込み、ぎこちなく彼女の肩に手を置いた。
「う、うまいこと…言えないけど……さきちゃん、ひとりじゃないよ…。私、MyGOで…音楽やってて……つらいこともあったけど……みんながいたから……」
燈の言葉は拙かったが、その温もりが祥子の冷たい心に染み込んだ。彼女は顔を上げ、燈の真っ直ぐな瞳を見た。
バッシングの残響が頭の中で響き続けていたが、燈の声がそれを少しずつかき消していく。
「燈……何故、私を…?」
祥子がかすかに問うと、燈は少し照れながら答えた。
「た、たまたま……通りかかっただけ…。でも、放っとけないよ……」
その不器用な正直さに、祥子は小さく笑った。涙が止まらず、彼女は初めて誰かにすがるように燈の手を握り返した。
祥子はまだ憔悴しきっていた。世間のバッシングは消えず、Ave Mujicaの終焉は彼女の心に深い傷を残していた。だが、燈の介入は、死へと向かう彼女の足を止めさせた。
「私は……まだ生きねばなりませんのね……」
呟きながら、祥子は燈に支えられて立ち上がった。冷たい風が吹く橋の上に、二人の影が並んだ。燈の不器用な救いが、祥子の憔悴した心に小さな光を灯した瞬間だった。
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