祥子は学校帰りに街を歩いていた時、偶然その光景を目撃した。人だかりの中で、睦が頭を抱えてしゃがみ込み、涙を流しながら何かを呟いている。
彼女の声が次々と変わり、モーティスの宥める口調と睦の弱々しい訴えが交錯していた。
通行人が「路上パフォーマンスか?」と笑い、スマホで撮影する中、長崎そよが必死に睦を庇っている姿が目に飛び込んできた。
祥子の息が止まりそうになった。
「睦…!?」
彼女の心臓が激しく鼓動し、足が凍りついた。自分の友人がそんな状態に陥っているなど、知る由もなかった。
入院中だと聞いていた睦が、路上で混乱し、世間の好奇心に晒されている。
祥子は呆然と立ち尽くし、そよが睦を連れて路地に逃げるまで動けなかった。
「わたくし……何も知らなかったのですね……」
胸が締め付けられ、涙が溢れそうになる。お嬢様らしい気品を保とうとしたが、心は乱れていた。学校が終わるや否や、祥子は真っ先に睦に会いに行くことを決めた。
祥子は睦が病院に戻ったと聞き、急いで病室へ向かった。ドアを開けると、睦はベッドに座り、膝を抱えて俯いていた。そよが付き添っており、祥子が入ってきたのを見て小さく頷いた。
「祥子ちゃん……睦ちゃん、落ち着いたよ。でも、さっきは大変だったの」
そよの言葉に、祥子は睦に近づき、優雅な仕草で彼女の隣に腰掛けた。睦の顔は青白く、目は涙で濡れていた。祥子は一瞬言葉を失ったが、深呼吸して口を開いた。
「睦。わたくし、貴女が路上で、あのような目に遭っていたなんて、存じませんでしたわ。息が止まりそうになるほど、驚きましたのよ」
睦は小さく顔を上げ、祥子の声に反応した。彼女の唇が震え、かすかに呟いた。
「……さき……ごめん……私」
だが、祥子はそれを遮り、両手で睦の手を包み込んだ。優しく、しかし力強く宣言した。
「睦、聞いてください。わたくしたちは運命共同体ですわ。絶対に離しません。どんな事があっても、私が貴女を抱きしめますのよ」
睦の目が揺れ、彼女は小さく首を振った。
「どうして……そこまで……?」
その問いかけに、祥子は一瞬目を閉じ、心からの言葉を紡いだ。
「友達だからですわ」
シンプルで、しかし深いその言葉が、病室に静かに響いた。睦の涙が再び溢れ、彼女は嗚咽を漏らした。
祥子は迷わず睦を抱きしめ、その震える身体をしっかりと腕に収めた。
「貴女がどれほど傷ついても、どれほど混乱しても、わたくしはそばにいますわ。世間が貴女を責めようと、私は貴女の味方です。もう一人にはさせません…」
睦は祥子の腕の中で小さく頷き、涙を流しながら呟いた。
「ありがとう……さき……私……謝りたかった。ごめん」
祥子は優しく微笑み、睦の頭を撫でた。
「謝る必要などありませんわ。貴女がこうしてここにいてくれるだけで、私は嬉しいのですから」
そよは二人のやり取りを黙って見守っていた。彼女は小さく笑い、呟いた。
「ねぇ、睦ちゃん。祥子ちゃんが言うなら大丈夫、だよね? 私もいるから」
睦はそよにも小さく頷き、涙を拭った。モーティスの気配は感じられなかったが、彼女の心は祥子の抱擁とそよの支えで少しずつ温かさを取り戻していた。
『友達だからですわ』
その言葉に、睦の閉じ籠もっていた心が、僅かながら開き始めた。
◆
午後の陽光が緩やかに街を包み、春の風が桜の花びらをそっと運んでいた。
花咲川女子学園の制服に身を包んだ椎名立希は、少し緊張した面持ちで駅前の広場に立っていた。
彼女の手には小さな紙袋が握られ、中にはパンダのイラストが描かれたキーホルダーが入っている。立希はそれを手に持つことで落ち着こうとしていたが、時折視線を泳がせて周囲を見回し、誰かを待っている様子がうかがえた。
ドラムを叩くときの力強さとは裏腹に、こういう場面では彼女の内向的な一面が顔を覗かせる。
やがて、遠くから八幡海鈴の姿が現れた。彼女はいつものようにクールな表情を崩さず、制服のブレザーを肩に引っ掛けたまま歩いてくる。ギターケースを背負ったその姿は、どこか気ままな旅人のようだった。
立希が小さく手を振ると、海鈴は軽く頷いて近づいてきた。言葉数は少ないが、その一挙手一投足に独特の落ち着きが漂っている。
「遅刻しないで良かった。時間通りに来るなんて珍しいね、海鈴」
立希が少し意地悪っぽく言うと、海鈴は肩をすくめて応えた。
「予定がなければ、遅れる理由もないですから」
二人は駅前の小さなカフェに向かって歩き始めた。
街路樹の影が地面に揺れ、歩道を行き交う人々のざわめきが遠くに聞こえる。立希は隣を歩く海鈴をチラリと見やり、彼女の無造作に結んだ制服のネクタイが少し緩んでいることに気付いた。几帳面な自分とは正反対のその雰囲気に、なぜか少し安心感を覚える。海鈴の方はと言えば、立希の視線に気付いているのかいないのか、ただ前を向いて歩き続けていた。
カフェに着くと、二人は窓際の席に腰を下ろした。立希はメニューを手に持つと、真剣な顔でドリンクを選び始める。彼女の指が抹茶ラテの欄で止まった瞬間、海鈴が口を開いた。
「また抹茶ですか。要さんの影響でも受けました?」
その言葉に立希は頬を膨らませ、少しムッとした表情で反論する。
「別に野良猫とは関係ないよ。私が好きなだけ」
「そうですか」
海鈴は小さく笑い、自身はブラックコーヒーを注文した。彼女の手元には何も持たず、ただ座っているだけで絵になるような空気があった。
窓の外では、桜並木を歩く人々が穏やかな時間を過ごしている。立希はふと、パンダのキーホルダーを紙袋から取り出してテーブルの上に置いた。海鈴がそれに目を留めると、立希は少し照れくさそうに説明を始めた。
「これ、前に動物園行ったとき買ったやつなんだけど……一個余ってるから、ほら、いる?」
海鈴はキーホルダーを手に取り、じっと見つめた後、静かに言った。
「悪くないですね。貰っておきます」
その言葉に、立希の顔がほんの少し緩む。彼女の緊張が解けた瞬間だった。
コーヒーと抹茶ラテが運ばれてくると、二人はそれぞれのカップを手に取った。立希は一口飲んでから、窓の外を眺めながらぽつりと呟いた。
「こういう時間、悪くないよね」
海鈴はカップを置いて、立希の方を見た。そして、珍しく柔らかい声で答えた。
「そうですね。椎名さんとだと、なおさら」
カフェの中は静かで、時折カップがテーブルに触れる音だけ
が響く。二人の間に流れる空気は、言葉にしなくても通じ合う何かがあった。外では桜の花びらが舞い散り、春の終わりを告げるように地面に落ちていく。
立希と海鈴は、それぞれのペースでその瞬間を味わっていた。デートと呼ぶには少しぎこちないかもしれないが、二人にとってそれは確かに特別な時間だった。
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