豊川祥子とモーティスは大・大・大親友   作:あばなたらたやた

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18話:出会いと別れ

 

 祖父の命令によって、祥子、睦、初華はリムジンで送迎されることになった。

 リムジンの車内は、静寂に支配されていた。窓の外を流れる街の灯りが、黒革のシートに淡く反射し、豊川祥子の青白い顔を照らし出す。

 

『初音は別荘へ帰り、祥子は家から出るな』

 

 そう告げられ、二人は混乱のさなかにあった。

 彼女の手は膝の上で固く握られ、爪が掌に食い込むほどだった。隣に座る初華は、言葉を失ったまま、ただ彼女の横顔を見つめていた。

 

「祥子ちゃん……どうして、急にこんな話に?」

 

 初華の声は震え、まるで壊れ物に触れるように慎重だった。

 祥子は目を閉じ、深く息を吸った。リムジンのエンジンの低いうなりが、彼女の沈黙を埋める唯一の音だった。

 

「初華、私、ちゃんと話さなきゃいけない。隠してても、もう意味がないからですわ」

 

 彼女の声は落ち着いていたが、その裏に潜む疲弊は隠しきれなかった。初華が何か言おうと口を開きかけた瞬間、祥子は目を上げ、鋭く遮った。

 

「聞いて。豊川家にはね、女にだけ遺伝する病気があるの。母も、祖母も、みんな早死にしています。私も……その例外じゃありません」

 

 初華の瞳が揺れた。言葉を飲み込み、ただ祥子の次の言葉を待つしかなかった。

 

「骨髄移植が必要だった。でも、適合するドナーが見つからなくて。ずっと探してたけど、もう時間がないって分かりましたの」

 

 祥子は唇を噛み、一瞬だけ目を逸らした。窓の外に広がる夜景が、彼女の視界をぼやけさせる。

 

「だから、これからは自由に動けない。治療に専念するしかないって、タイムリミットが来ましたわ」

「そんな……じゃあ、私がそばにいてあげれば——」

「だめ」

 

 祥子の声が鋭く響き、初華を黙らせた。

 

「初音。あなたをお祖父様が認知したら、豊川の連中が介入してくる。私の生存の可能性を下げるような選択を押し付けてくるかもしれない。だから……離れなきゃなりませんわ」

 

 初華の目から涙が溢れ、頬を伝った。彼女は手を伸ばしかけたが、途中で止まり、力なく膝に落とした。リムジンの車内は再び静寂に包まれ、二人の間に横たわる見えない壁が、冷たく重く感じられた。

 

 初華の家まで辿り着くと、降りるように言われて、初華は下車した。リムジンの扉が静かに閉まり、祥子を乗せた車が夜の闇へと消えていくのを、初華はただ立ち尽くして見送った。

 

 冷たい風が彼女の頬を撫で、涙の跡を乾かしていく。たった数日だった。あの狭いアパートで過ごした、笑い声と温もりに満ちた時間。それが、今、遠い夢のように感じられた。

 

「楽しかった。本当に」

 

 初華は呟き、誰に届くでもない言葉を虚空に投げた。足元のアスファルトに影が伸び、彼女の小さな背中が震えた。

 

「でも、さよならだね」

 

その場に現れた睦が、静かに近づいてきた。彼女の目は鋭く、初華の表情をじっと見つめている。

 

「初華、祥子ちゃんを諦めるの?」

 

 その声は穏やかだが、どこか挑戦的だった。 

 初華は首を振った。髪が乱れ、視界を遮る。

 

「どうしようもないよ。睦ちゃん、私には何もできない。祥子ちゃんの運命を変えられない」

 

 あきらめが言葉に滲み、彼女の声はかすれていた。睦は一歩踏み出し、初華の肩に手を置いた。

 

「初華はどうしたい?」

 

 その問いかけは、静かだが力強かった。

 

「何も……できない」

 

 初華の声は弱々しく、地面に落ちる涙が靴の先を濡らした。

 

「できるかできないかじゃない」

 

 睦は少し声を強め、初華の顔を覗き込む。

 

「初華自身はどうしたいの?」

 

 初華の喉が詰まり、抑えていた感情が堰を切ったように溢れ出した。彼女は両手で顔を覆い、泣きじゃくりながら叫んだ。

 

「祥子ちゃんと一緒にいたい! 生きていてほしい! 私の人生を全部あげてもいいから、生きて、一緒に幸せになりたい!」

 

 涙が止まらず、言葉が途切れ途切れになっても、彼女の心ははっきりとそこにあった。

 睦は一瞬だけ目を細め、初華の言葉を噛み締めるように頷いた。

 

「なら、泣いてる暇はない。動く」

 

 その言葉に迷いはなく、彼女の手が初華の腕を掴んだ。力強く、しかし優しく。

 

 初華は涙に濡れた目で睦を見上げ、かすかに頷いた。夜の冷気が二人の周りを包みながら、新しい決意がその場に生まれていた。

 

 奇跡は静かに訪れた。絶望の淵で打ちひしがれていた初華に、医師からの知らせが届いた瞬間、彼女は耳を疑った。

 

「あなたがドナーとして適合するんです」

 

 その言葉が現実とは思えず、初華はただ呆然と立ち尽くした。豊川家の遺伝病という重い呪縛が、初華の存在によって解かれる可能性が現れたのだ。

 

 手術は驚くほどスムーズに進んだ。祥子の体に潜んでいた病は、初華の骨髄が与えられたことで、あっけなくその影を消した。

 

 医師たちでさえ、「こんな回復は稀だ」と首をかしげるほどだった。長い闘病の果てに訪れた平穏は、まるで長い夢から覚めたような感覚を二人にもたらした。

 

 病室の窓から柔らかな陽光が差し込む午後。祥子はベッドに横たわり、初華はその傍らに寄り添っていた。初華の手が、祥子の腹部に残る小さな手術跡をそっと撫でる。薄い傷跡は、彼女たちの絆を象徴するようにそこにあった。

 

「初華……私の中に、あなたがいるんですわね」

 

 祥子の声は弱々しかったが、穏やかな笑みがその顔に浮かんでいた。

 初華は目を潤ませながら、そっと頷いた。

 

「うん。私と祥子ちゃん、ひとつになったんだ」

 

 彼女の指先が傷跡をなぞるたび、胸の奥に温かい波が広がっていく。自分が祥子を生かし、祥子が自分を必要としてくれた。その事実に、初華は言いようのない恍惚を感じていた。

 

 祥子は初華の手を握り返し、かすかに力を込めた。

 

「ありがとう。生きてるよ、私」その言葉に、初華の涙がぽろりとこぼれ、祥子の手に落ちた。

 

「ずっと一緒にいようね」

 

 初華の声は震えていたが、確かな決意が込められていた。祥子は小さく笑い、目を閉じてその温もりに身を委ねた。

 

 病室に満ちる静寂は、もう二人を脅かすものではなく、ただ幸福な未来を約束するものだった。

 

 病室の隅に差し込む夕陽が、薄いカーテンをオレンジに染めていた。  

 

 祥子はベッドに凭れ、目の前に立つ睦——いや、その中に潜むモーティスと対峙していた。

 

 睦の瞳は普段より深く、どこか冷たく鋭い光を宿していたが、祥子にはそれが誰なのかすぐに分かった。

 

「モーティスですわね」

 

 祥子は静かに呟き、口元に微かな笑みを浮かべた。

 

「久しぶり」

 

 モーティスは睦の体を借りて小さく頷き、彼女らしい皮肉な口調で応じた。

 

「祥子ちゃんが生き延びるとは。運がいいのか、初華ちゃんが頑張ったのか」

「どっちもですわ」

 

 祥子は笑い、咳き込むように肩を揺らした。

 

「で、貴方はどうなんですの? 睦とモーティスの人格の切り替え問題は」

 

 モーティスの表情が一瞬曇り、やがて静かに語り始めた。

 

「いや、もう終わり。私は睦ちゃんに吸収される。『人格の統合』ってやつだね」

 

 祥子は目を細め、モーティスの言葉をじっと聞いた。

 

「統合? つまり、貴方がいなくなるってことですの?」

「そう」

 

 モーティスは肩をすくめ、どこか投げやりな仕草を見せた。

 

「でも、死ぬわけじゃない。睦ちゃんが生きていくための成長だよ。私の過激さも、衝動も、全部睦の一部になって落ち着く。祥子ちゃんと初華ちゃんみたいに劇的じゃないが、まあ、そんな感じ」

 

 祥子はしばらく黙り込み、モーティスの言葉を噛み締めた。長い付き合いの中で、モーティスとは喧嘩も笑いも共有してきた。

 

 睦の中の「もう一人の悪友」が消えることに、寂しさを感じずにはいられなかった。

 

「貴方らしい終わり方ですわね」

 

 祥子は小さく笑い、目を伏せた。

 

「悪友としては、最後に何か言っておくべき?」

 

 モーティスも口の端を上げ、睦の声で軽く笑った。

 

「そうだね。『祥子ちゃん、死ぬなよ』ってところかな。私がいなくなっても、睦ちゃんが時々お前をからかいに来るだろうけど」

「上等ですわ」

 

 祥子は目を上げ、モーティスと視線を合わせた。

 

「モーティスも、睦の中でちゃんと生きてください。消えるなんて言っても、どこかで睦を支えてるんてしょう?」

「まあね」

 

 モーティスは一瞬だけ柔らかい表情を見せ、すぐに背を向けた。

 

「じゃあね、祥子ちゃん。一緒に過ごした時間、悪くなかった」

「私も、同意見ですわ」

 

 祥子の声が小さく響き、モーティスの背中が夕陽の中に溶けていく。

 

 睦の体が一瞬震え、瞳から鋭さが消えたとき、そこにはただの睦が立っていた。モーティスはもういなかったが、その存在は確かに睦の中で生き続けていた。

 

 

 

 

 




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