豊川の豪邸に、祥子とモーティスはいた。
なんてことはない。理由はないが一緒にいる。それだけだ。紅茶を飲みながら、祥子は怪訝そうな顔を、睦に向ける。
その立ち振舞いから、モーティスではなく、睦であることを見抜いた。そして落ち込んでいるような雰囲気があることも。
「どうしたの? 睦」
「そよ、どうなるのかな」
「苦い思い出になるでしょうが大丈夫です。そよはきっと上手くやりますわ」
「どうにか、できない?」
「今更、私達が出る幕ではありませんわ。私達はもう友達でも仲間でもありません」
睦は静かに下を向く。
「さきはバンドを運命共同体って言った」
「CRYCHICは解散しました」
「残りの人生を欲しいといった。事情があるとしても無責任」
「それを言われると弱いですわね」
「さきが始めた物語でしょ」
睦の言葉に祥子は苦い顔になる。
「燈が、一人でポエムリーディングをやってる」
「一人で? あの燈が?」
「仲間が誰もいない中で、想いを叫んでる……頑張っている昔の仲間を見捨てるのは、本当にさきがやりたいこと?」
「だとしても、私達が関わるべきじゃありません。今のバンドがあるならば、今の仲間と共に乗り越えなければ意味がない」
「それは、そう」
建設的な意見が言えなくて睦は黙る。
ああ、やっぱりモーティスでなければ駄目なのだろう、と睦は思った。
モーティスは人の心に寄り添い、その気持ちを発露させることに長けている。
自分みたいに喋っても人を傷つけたり、悩ませる存在とは違うのだと思う。
(モーティス、変わって)
(分かったよ、睦ちゃん。主導権をこっちに回して)
睦はモーティスへ移行する。
「……はぁ」
「モーティス? どうしましたの?」
「いや、なんでもないよ。今の話って」
「そよ関連の?」
「基本的に、睦ちゃんは祥子ちゃんのことを心配している。そよの話も、祥子ちゃんの心を癒やすためにこういう発言してる」
「余計なお節介ですわ」
「そう言うと思ったけどさ。睦ちゃんはギターを引くことが苦しみに変わっている」
「苦しみ? 何故ですの?」
「才能がないから」
モーティスは前髪をいじりながら言う。
「旧CRYCHICのメンバーがやってる今のバンドには、熱がある。音楽に感情が乗っているといっても良い」
「睦の演奏にはそれがないと?」
「少なくとも本人はそう思ってる。規則のある速弾き。技量としては優秀だけど、音楽は人の感性に語りかける芸術だからね」
モーティスの言葉に、確かに、と祥子は納得する。
「特に野良猫って呼ばれてた子は、感情を震わせる演奏をしている。睦の機械的で上手い演奏とは真反対なんだよね。そして、睦本人は、感情に語りかけるような演奏がしたいと思っている」
「しかしできない。本人の望む才能と、実際にある才能や適性が一致しないのは良く聞く話ですわね」
「楽しめないというのは、大きな足枷になるし、成長速度も遅くなる。詰みだね」
「私は睦の演奏好きですわ」
モーティスは息を吐く。
「もちろん、モーティスの社交性も好きです。それぞれが魅力を持っている。自分と他者を比べて、落ち込む必要はありませんわ」
堂々とした祥子の振る舞いに、モーティスは笑みを浮かべた。
「本当に、祥子ちゃんは格好良くて困るよ」
「褒めても何も出ませんわよ」
ピコン、とモーティスの端末が音を発した。メッセージアプリの通知音だ。
【少し話がしたいんたけど、今日って時間ある?】
それを見て、祥子は問いかける。
「誰からですの?」
「愛音ちゃん」
「また別の女の子を引っ掛けたんですわね。節操のないこと」
「そんなこと言わないでよ。祥子ちゃんが一番好きだから」
「ええ、知っておりますわ。最後に戻ってくるのは私の隣だということも。でも、堂々と他の子と仲良くするのは気分が良くありませんわ」
「埋め合わせするから、許して」
「なら良いですわ、行ってきなさい」
その言葉に、モーティスは驚く。
「何を驚いた顔をしているんですの? 用事ができたのでしょう。貴方はトラブルが起きると左指を隠す癖があるから、すぐわかりますわ」
「なんでそんな事知ってるの。怖いよ」
「貴方の幼馴染を何年やっていると思って?」
相手は千早愛音。
ピンク色の髪と、八重歯が特徴的な子だ。
性格は明るく、行動的。良くも悪くも物事を加速させる人格性質を持つ。
そんな子が、助けを求めてメッセージを飛ばすのは珍しい。つまり状況的に切羽詰まっている、という可能性が非常に高い。
だからモーティスは動く。
モーティスは睦のストレスの受け皿である。嫌なものは全てモーティスに押し付けられている。
逆に言えば、睦が受けたストレスの大きさや、それを持ち続けた場合の苦しさも理解できる、ということだ。
誰もがその種類や敏感さこそ違えど、ストレスを受け続けると、苦しい、ということを知っている。
目に映る人全てを救うなんて不可能だし、やろうとも思わないが、友達がストレスによって壊れる前に助けたいと思う感性は存在していた。
故に、モーティスは過小評価をしない。周りから見ればたったそれだけと言う不幸で、人はおかしくなると知っている。
若葉睦は、親の七光りというレッテルを受け続けたことで、そのストレスから逃げるために外交的で社交的なモーティスが産み落として、盾としている。
千早愛音とはカラオケで合流することになった。
「久しぶり、愛音ちゃん」
「急に呼び出してごめん。来てくれてありがとう」
「いいよ、友達だからね。辛い時があるなら、それに寄り添える人でありたいと思っているんだ」
「優しいね、睦ちゃんは」
「本当に事言わないでよ、照れちゃうじゃん」
モーティスは千早愛音に相応しい態度で、会話を続ける。テンションや、ボディランゲージを駆使して、印象の微調整をしていく。
「それで、何があったの?」
「私、みんなとバンドやってたんだ。でも、みんなは私を必要としてなくて。昔のバンドのことばっかりで」
「そうなんだ。昔のバンドばっかり気にしてたんだ。それで愛音ちゃんはどう思った?」
「何してるんだろうって。下手なのはしょうがないけど、いつも怒鳴って、文句しか言われなくて」
愛音は下を向いたまま、ポツポツと語りだす。
「頑張ったんだ。本当に。いつも逃げてばかりだったけど、本当に一生懸命頑張ったんだ。人生で一番、真剣にやったんだ」
「うん……頑張ったんだね」
「でも、何も認めてくれなかった。誰も、何も。みんな、私なんて使い捨ての道具みたいに思ってたんだ。穴埋めですらなくて、昔のバンド復活させるための……ただの都合の良い女」
「そっか……都合の良い女って思ったんだ。それは誰かに言われたの?」
ポロポロ、と愛音の瞳から涙が落ちる。
「そよさんが言ったみたい。りっきーがそよさんと話して、私の事はCRYCHICを復活させるために利用してたって」
「利用……CRYCHICの復活させるための利用。それを言ったってことは、もうCRYCHICや今のバンドはどうでも良いってみんな思ったのかな? 話を聞く限り、そんなことを言ってしまえばバラバラになると思うけど」
「知らないって。もう全部、何も知らないって言ってたらしい。確かに私も見栄で始めたことだけど、こんな扱いを受けるほどかなぁ? 誰も、私のことを望んでくれていなかった」
モーティスは静かに愛音のそばに近寄り、抱きしめた。
そして、強い口調で言う。
「私は、愛音ちゃんの努力を知っている」
びくり、と愛音の肩が震えた。
「硬くなっていない指や、技量を見れば始めたばかりだっていうのは想像がつく。それでも懸命に弾いていた。私はそれを美しいと思った」
「睦……ちゃん」
「私は愛音ちゃんのことを尊敬する。それは上手い下手でもなくて、懸命に頑張る姿に感銘を受けた。見栄で始めた? そうかもしれない。でも、その見栄を本物にしようとした精神を、私は凄いと思う」
「うぅ、う」
「私は、千早愛音の素晴らしさを知っている。だから、大丈夫。誰も望んでいないなんてことはない。ここにいる。私がいる。私が望む。千早愛音のことを強く望む」
泣き出した愛音のことを抱きしめながら、モーティスは静かにそばにいた。
優しく背中を叩きながら、何も言わず、静かにそばにいるのだった。
高評価お願いします