Ave Mujicaの練習後、スタジオの片隅で初華がマイクを手に持ったまま、目を輝かせて祥子に近づく。彼女の声には、抑えきれない興奮が滲んでいた。
「祥ちゃん、今日のピキーボード、本当にすごかった! あのメロディーが流れた瞬間、私、鳥肌が立っちゃって……。祥ちゃんの音楽って、なんて言うか、心の奥まで響いてくる。こんな素晴らしい曲を作れるなんて、祥ちゃんは天才だね。 私、祥ちゃんのそばで歌えるのが幸せで……本当に、祥ちゃんって最高!」
初華は一気にまくし立て、頬を紅潮させながら祥子の手を握ろうと一歩踏み出す。彼女の歌声と同じく、言葉にも熱がこもっていて、純粋な賞賛が溢れ出ている。
祥子はキーボードの鍵盤に軽く指を置き、初華の言葉を聞きながら一瞬だけ目を細める。そして、ゆっくりと立ち上がり、優雅に髪をかき上げて初華の方を向く。
「あら、初華。随分と熱心に褒めてくださいますのね。光栄ですわ」
その声は穏やかだが、どこか冷ややかで、初華の熱気をそっと押し返すような響きがある。
「だって、本当にそう思う! 祥ちゃんの曲を歌うたび、私、もっと頑張ろうって気持ちになる、祥ちゃんがいるからAve Mujicaがこんなに素晴らしいバンドなんだって……!」
初華はさらに言葉を重ね、祥子の目をまっすぐに見つめる。彼女の瞳には、恋慕と尊敬が混じった光が宿っている。
祥子は小さく微笑むが、その笑みはどこか事務的で、初華の情熱に寄り添うものではない。彼女は一歩下がり、初華との距離をさりげなく保ちながら口を開く。
「ふふ、ありがとう。初華。けれど、私の曲が輝くのは、あなたの歌声あってのことですし、バンドは皆で作り上げているものですわ。私一人を特別視するのは、少し大袈裟ですわね」
「え、でも…祥ちゃんがいないと、私……!」
初華が食い下がろうとすると、祥子は軽く手を挙げて言葉を遮る。
「初華、あなたの歌は確かに素晴らしいですわ。それを私に頼らずに磨いていくのが、あなたの役目でしょう? 私はただ、Ave Mujicaの一員としてやるべきことをしているだけ」
そう言って、祥子は楽譜を手に取り、さらりと話題を切り替える。
「さて、次回の練習の準備をしましょうか。初華も、喉を休めてくださいね」
初華は一瞬言葉に詰まり、握りかけた手をそっと下ろす。彼女の表情には、祥子の言葉に喜びと寂しさが混じり合っている。
「うん、祥ちゃん」
小さく呟きながら、初華はマイクを胸に抱きしめる。祥子への絶賛は届いたはずなのに、その想いはまたしても軽く躱され、彼女の心に微かな疼きを残した。
祥子は背を向けて楽譜を整理し始める。その横顔はいつも通り気高く、初華の熱い視線をまるで感じていないかのようだった。
そ の様子を、スタジオの隅でドラムを片付けていたにゃむがチラリと見やる。二人は顔を見合わせ、にやりと笑う。
「ねえ、あれ見てよ、またウイコがサキコにデレデレしてる。気持ち悪いくらいベタ惚れじゃん!」
彼女は大きな声でストレートに言い放つ。
にゃむはドラムセットに肘をつき、片眉を上げて冷ややかに続ける。
「ほんとねぇ。毎回毎回『祥ちゃんすごい!』って……ちょっと鳥肌立つわ。愛の告白でもするつもり? 見ててこっちが恥ずかしくなるレベル」
彼女はくすくす笑いながら、スティックでリズムを取るように机を叩く。
初華はにゃむの声に気づき、顔を真っ赤にして振り返る。
「えっ、にゃむちゃん! 何!? 気持ち悪いって……ひどいよっ!」
慌ててマイクを胸に抱き、うろたえる初華。
にゃむは肩をすくめて、さらにからかう。
「いやいや、事実でしょ? サキコのこと褒めすぎて、もうストーカーみたいになってるよ。サキコも大変だねぇ、こんな熱烈なファンに付きまとわれてさ!」
彼女は大声で笑いながら、祥子にウインクを飛ばす。
海鈴も同意する。
「まぁ、豊川さんも慣れてるみたいですが。あの冷たい感じ、完璧に三角さんの熱をスルーしていますね。見ていてちょっと痛々しいくらいです、三角さん」
彼女は髪をかき上げ、わざとらしくため息をつく。
祥子はそんな二人を横目で見つつ、楽譜を手に持ったまま冷静に言う。
「にゃむさん、海鈴さん。あまり初華をからかうのもほどほどにしてくださいな。彼女の情熱は、Ave Mujicaの力でもありますもの。」
その言葉は穏やかだが、どこか二人をたしなめるような響きがある。
初華は祥子のフォローに少し救われた表情を見せるが、にゃむと海鈴の視線に耐えきれず、顔を隠すように俯く。
「……もう、二人とも意地悪なんだから」
にゃむは手を振って笑いながらスタジオを出ていく。
「はいはい、ごめんねー。でもさ、ウミコ、次はもうちょっとカッコつけなよ! 気持ち悪いくらいデレデレだと、祥サキコ逃げちゃうかもよ?」
海鈴も立ち上がり、軽く肩を叩いてから続ける。
「まぁ頑張ってください。三角さん。私達には関係ありませんが。あ、豊川さん、次はもっと激しい曲お願いします。三角さんの恋心にくらいのやつを。」
彼女は無表情でドアから出ていく。 スタジオに残された初華は、祥子をチラリと見て小さく呟く。
「気持ち悪いかな、祥ちゃん。だったらごめんなさい」
祥子は楽譜を整理しながら、さらりと返す。
「ええ、そんなこと言いませんわ。初華の歌があれば、それで十分ですもの。」
その言葉に初華は少しだけ笑顔を取り戻すが、にゃむと海鈴の嘲笑が頭に残り、複雑な気持ちでマイクを握り潰していた。
練習終わりの帰り道。夕暮れ時、街灯が点き始めた静かな道を歩きながら。
「……どうしたの」
睦は静かに、初華の様子を気にするように声を掛ける。
「……実は、睦ちゃんに相談したいことがあって」
(初華は少し躊躇いながら話し始める)
「……聞く」
睦は無表情に近いが、穏やかに返す。
「ありがとう祥ちゃんのことなんだけど。私、ずっと祥ちゃんに気持ちを伝えてるよね。好きだって、そばにいたいって。でも最近、それって祥ちゃんにとって重いのかな、辛いのかなって思うようになってきて。」
初華は言葉を選びながら本音を吐露する。
「……さきがそう言った?」
睦は短く、核心をつく。
「ううん、直接は言わないよ。でも、私が気持ちを伝えるたび、ちょっと困った顔するんだよね。笑ってくれる時もあるけど、遠慮してるっていうか……。私、祥ちゃんを追い詰めてるのかなって」
初華の声に不安が混じる。
「……初華の気持ち、強いね。さきは表に出さないだけかも」
睦は淡々と、簡潔に言う。
「うん……。私、祥ちゃんが大好きだから、ずっと一緒にいたいし、気持ちを伝えたい。でも、それが祥ちゃんに負担なら、どうしたらいいのかわからなくて」
初華は目を伏せ、震える声で続ける
「……一度、さきに聞いてみたら」
睦は静かに提案する。
「……うん、そうするよ。私ばっかり話してごめんね。聞いてくれてありがとう、睦ちゃん」
初華は少し笑顔になり、感謝を伝える。
「……うん」
睦は小さく頷き、歩き続ける。
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