ある日の昼下がり。
とても逃亡している人間とは思えないくらいに、私たちはまったりティータイムを楽しんでいた。
「お金はあるし、仕事はしなくていいし、この生活結構いいかも」などというカスの思考が出てくるくらいには、まったりしていた。
いや、分かってる。
これはただの現実逃避。
私は思考を切り替えて、うずうずしているロックハートに言った。
「そろそろ食べたら?」
「本当にいいんです?こんな高いケーキを私が食べても。リリーは一番安いものを頼んだのに」
「後輩に良いものを食べさせるのが先輩の義務でしょ」
ちなみに、このケーキのお金はちゃんと自腹である。エマが用意してくれた逃走資金からではない。
ロックハートがケーキに手をつけたのを見届けてから──私は、にっこり笑った。
「よし、食べたな。じゃあ等価交換よ。そろそろ教えてくれる?なんで私に着いてきたのか」
「っぐふ、ゲホゴホ!」
ロックハートは咽せた。それから、恨みがましく私を見つめる。
「⋯⋯なんか嫌に優しいなと思ったんですよね。ケーキを餌に、私に答えさせるのが目的だったんですか」
「あはは、騙される方が悪い」
そう、私がロックハートにケーキを奢ったのはほかでもない。
『なぜ、指名手配犯の私に付き従っているのか』、その答えを教えてもらうためだ。
ロックハートはため息をついた。
「ですがね、前にも言ったじゃないですか。私は女の子の味方だから、と」
「うーん、あっさい理由。そんなので騙せると思わないことね」
私はケーキを指差した。
せっかく奮発してやったんだぞ、正直に答えろ────そんな圧を感じ取ったのだろう、ロックハートは再びため息を零す。
「分かりましたよ。ケーキの分だけ話します」
ギルデロイ・ロックハートは、マグルの父と魔女の母から生まれ落ちた。
二人の姉はスクイブで、ロックハートは唯一の魔法使いの子どもだった。
故に、彼は特別だった。
けれどもそれは、所詮井の中の蛙。
『家庭』という狭い世界での話。
ギルデロイ・ロックハートは、ホグワーツでは全く『特別』ではなかった。
レイブンクローに所属する彼はもちろん、平均よりは上だったし、魔法のセンスも悪くはなかった。何より顔も整っていたため、女子からチヤホヤされていた。
だが、それより上の人間がいた。
「ジェームズ・ポッターとシリウス・ブラック⋯⋯。彼らは私の上位互換でした。特にシリウスは、私から恋人を奪っていきましたし」
「ああ⋯⋯それは、なんというか、ごめん」
私の記憶にもある。倫理観ゼロの遊びを止められなかったし。
「決闘クラブの学内ブロックでさえも、たかが三位⋯⋯。それなりに練習は積んだし、自信はあったんですけどねぇ」
「え、三位ってすごいと思うけど」
「でも一位とは全然違う!」
カシャン、と音を立てて、フォークが滑り落ちていく。力みすぎて、手から飛んでいったのだろう。
完全に無意識だったのか、ロックハートははっとして「すみません」と小さく謝った。それからフォークを拾う。
フォークはいびつに歪んでいた。
ロックハートは杖を取り出し、「レパロ」で元に戻した。
「自覚していますよ、私は自己顕示欲が強すぎるって。それでも私は、『特別』になりたかった。何でもいいから、特別な存在になりたい。そう願ってしまうんですよ」
だから、彼はペテン師になったのだろう。
原作のロックハートは、自身の手によって破滅する。ぶっちゃけ自業自得じゃね?とか思ってたので、あまり彼のことを考えたことはなかった。
けれど今、私は同情してしまっている。
「リリーに付いていったのは、世間からの注目を浴びれると思ったからですよ。実際、この顔のおかげでマグルのお茶の間を騒がせてますし。ホグワーツでは特別になれませんでしたが、今は魔法界全体にその名が知られていることでしょう」
つまるところ、ロックハートはホグワーツから逃げたのだ。
自分が特別になれない場所からの逃走を選んだ。
言いたいことはたくさんあったが、私は黙ってケーキをつついた。
*****
カフェを出て、ホテルに戻る道中。
私たちは今後の計画を練っていた。
「私は指名手配犯として慎ましく生きていくつもり。だからあなたにもそれを強制するわ」
ロックハートは物足りなさそうな顔をした。
「慎ましく、ですか⋯⋯。死喰い人と戦ってみたりしません?」
「死喰い人舐めてる?」
「じゃあ暇ですし、魔法の訓練でもしましょうよ。そしたら戦えますよね」
「とは言ってもあなた、まだにおいが付いてるじゃない。魔法使ったら居場所がバレるでしょ」
とはいえ、あのシステムについては私もよく分からない。
未成年が魔法を使うのを禁止する制度だけど、わりとガバガバだったし。映画ではハリーがルーモスしまくってたし。
「曖昧な以上、使わないに越したことは⋯⋯ない⋯⋯⋯⋯⋯⋯ん?」
私は立ち止まった。
ロックハートが首を傾げる。
「リリー?どうしたんですか?」
「⋯⋯あなたさっき、フォークに『レパロ』、使ってね?」
「え?」
怪訝な顔をしたロックハートは、次の瞬間、だらだらと冷や汗を流した。
私はロックハートの肩を揺らした。
「何やっとんじゃいワレェェェ!いてこますぞ!?」
「すみませんすみません!でもリリーも忘れてたじゃないですか!!」
「それは悪かったわね!!」
いや落ち着け、私。
私は再度変身術を掛け直した。それからロックハートに問う。
「老け薬の効果時間は?」
「⋯⋯残り10分」
「よし、もっかい飲みましょうか。そして、完璧な演技をしましょう」
そう、私たちは日本人観光客と現地在住の友人。魔法なんて知らなーい。
ロックハートに老け薬を差し出した瞬間、後ろでパチン、という姿あらわしの音がした。
咄嗟に薬瓶を鞄に突っ込む。これを見られたら終わりだ。
魔法使いは三人だった。
纏う雰囲気から、闇祓いではないことを悟る。恐らく、こういう事態が起こった場合に派遣される職員だろう。
そして、不自然なほどに周囲に人の気配がないことに気付いた。マグル避けの魔法を行使しているのだ。
「この辺りから魔法の反応がありましたが⋯⋯」
先頭の女性は、私たちを見て首を傾げた。どう見ても未成年ではないからだろう。だが、老け薬の効果はもうじき切れる。それまでに逃げなくては。
不意に、職員は何か閃いたような顔をした。
「フィニート」
杖先から、光が放たれる。
完全にマグルのフリをするつもりだった私たちは、咄嗟に杖を出せなかった。
魔法はロックハートに直撃。
老け薬の効果が消え、化粧も落とされる。
職員は息を呑んだ。
「ギルデロイ・ロックハート⋯⋯!」
「ということは、隣の東洋人はリリー・エバンズ?」
「とりあえず闇祓い!彼らを呼びましょう。ジョン、急いで!」
ジョンと呼ばれた職員が駆け出す。だが、闇祓いを呼ばれるとまずい!
なりふり構わず、私は杖を振った。
「ステューピファイ!」
閃光は、無防備なジョンの背中に直撃した。
続けざまに残りの二人にも失神魔法をぶっ放す。
「ああもう最悪!私の罪が増えたんだけど!」
「またまた新聞の一面を飾りそうですね」
「あなたのせいなんですけど!?」
とりあえず、この場から離れよう。そう思って走り出した私たちだったが、急にロックハートが私の首根っこを掴んだ。
「危ない!」
「うわっ!?」
尻もちをついた私の顔面スレスレに、緑色の光線が通過していった。
冷や汗が垂れる。
私は、その魔法を放った主を見た。
「ハハハハハッ、危機察知能力は高いねぇ!」
豊かな黒髪。
濃いめの化粧。
一目で分かる、戦闘能力の高さ。
映画で見た顔に、私は声を上げた。
「ベラトリックス・レストレンジ⋯⋯!?」
「正解さ!」
ベラトリックスは再び、死の呪いを放った。転がって避けると、ベラトリックスの甲高い笑いが聞こえてきた。
「夏休みは終わったってのに、街で未成年が魔法行使。すぐに分かったよ、穢れた血がここにいるんだってね!」
おいおい、魔法省!?
死喰い人に情報漏れとりますやん!しっかりしてくれよ!!
私は大声で問う。
「でも、わざわざあなたが私を殺す意味は!?」
「聞いてるよ、あんたがアズカバンの仲間にやってきたこと!今度はこっちがあんたをオモチャにするのさ!」
怖すぎるっぴ。
とはいえ死喰い人が指名手配犯を殺しても意味がないのでは、と思ったが、仲間の顔ぶれを見て納得した。
ベラトリックスの隣には、ヴォルデモート派の闇祓いがいたのだ。
多分、私を殺した功績は闇祓いのあの人のものにするつもりだろう。ヴォルデモートの息がかかった闇祓いが出世するのは、彼らにとってもありがたいだろうし。
ここに来た死喰い人は、ベラ含めて五人。過剰戦力すぎるぜ、まったく。
こうなると、魔法行使のにおいとか気にしてられない。
「行くわよロックハート!活躍の時!」
私たちは声を揃えた。
「「エクスペリアームス!」」
二人分の魔力を受けても、ベラトリックスは余裕そうにそれを払った。
下っ端死喰い人が「クルーシオ」と叫ぶ。防御魔法を展開すると、ロックハートが「コンフリンゴ」で地面を爆破させた。
私はというと、ベラトリックスの相手で精一杯だった。
ベラトリックスは死の呪いを連発してきた。地面を盛り上げて壁にしつつ、こちらからも魔法を放つ。
私の得意魔法は、「ペトリフィカス・トタルス」と「レダクト」だ。これは、かつてジェームズたちと決闘クラブに向けて練習していく最中で発見した。今では遠い日のようだ。
詠唱せずに飛ばしまくると、流れ弾で下っ端死喰い人が固まった。すかさずロックハートが武装解除呪文で壁に叩きつける。
ビュンビュン迫ってくる緑色の光を見ながら、私は心を落ち着かせる。
武装解除呪文とか失神呪文とか、そんな魔法は生易しい。ベラトリックスは歴戦のプロだ。簡単に対処できる魔法じゃ駄目。それに、一発で敵を無力化しないと、別の死喰い人にやられる。
「⋯⋯死喰い人に対してのアバダ行使は合法」
私はキッと眦を吊り上げた。
「アバダケダブラ!」
杖先に灯った光は10センチほど伸びて、そして消えた。
大笑いするベラトリックス。
「その魔法使えないのかい、弱いねぇ!」
「うるさい、アバダケダブラ!」
再び挑戦したが、やはり死の呪いは使えなかった。
「可哀想だから教えてあげるよ。アバダケダブラにはねぇ、揺るぎない殺意が必要なんだよ!アバダケダブラ!」
──揺るぎない殺意。
それは、私だって抱いているはずだ。
ベラトリックスはモリソンの娘を殺した。
その怒りは、充分にある。
「⋯⋯ああ、私が殺した娘の父親が、お前の恩人か」
ベラトリックスは心底楽しそうに嗤った。
私の心を読んだとしか思えない発言に、目を丸くする。
否、これは──。
「開心術!?」
私は即座にベラトリックスから目を逸らした。
前世の記憶まで見られてはまずい──!
心を無にしなければ。そう焦れば焦るほど、集中力が乱れていく。こんな状況で閉心術が使えるほど、私は強くない。
自覚はある。
私には、卓越した魔法のスキルなんてない。ただ原作知識というアドバンテージがあるだけで、ベラトリックスと対等に渡り合える実力は兼ね備えていない。そんなのはご都合主義というものだ。
合理的に考えよう。
アバダが使えないなら、ほかの魔法で倒すまでだ。
「オブリビエイト!」
見るからに弱々しい光で、魔法は不発に終わった。
忘却術は、ベラトリックスが放った磔の呪文に飲み込まれた。慌てて防御を作るが、威力が強すぎてじりじりと後ずさってしまう。
そこに容赦なくベラトリックスは魔法を叩き込んだ。体勢を崩しながらも、なんとか杖を振る。
「エクスペリアームス!!」
とその時、宙を舞うロックハートの姿を捉えた。
ロックハートに杖を向ける死喰い人に、私は狙いを定めて全身金縛り術を掛けた。同時に変身術も使い、本物の石にする。
「レダクト!」
死喰い人だった石は、粉々になった。
石化して、粉砕。
単純な魔法なので使う魔力は少ない。
これだ、と思った。
この戦い方なら、勝つ未来が見える!
「はっ、しょうもないやり方だねぇ!小娘!」
「うるさーい!言うなればこれは合法アバダだから!」
アバダケダブラに重きを置くベラトリックスに馬鹿にされたが、知ったことか。
これが私のやり方だ!
その流れで、ほかの死喰い人を片付けていく。
あとに残ったのは、闇祓いとベラトリックスの二名だ。
ロックハートが果敢に魔法を叩き込む。
闇祓いは一瞬で流すと、目にも止まらぬ杖捌きで光線を出した。
閃光は何本にも分かれて、前方から飛来してくる。避けることは不可能だ。
第六感が囁く。
──これは、危険だ。
「ロックハート、下がって!」
「ちょ、リリー!?」
咄嗟の判断でロックハートの前に躍り出ると、私は杖を構えた。
「プロテゴ・マキシマ⋯⋯──っ!?」
防御は意味をなさなかった。
闇祓いの呪いが炸裂する。
「⋯⋯ごふっ!」
私は口から血を吐いた。
なんだ、これは。内臓がやられた?分からない、出血源はどこだ。
全身が、焼かれているかのように熱い。
体から力が抜けたのを、ロックハートが支えてくれた。
一旦退避しなくては。
私はロックハートの腕を掴むと、ありったけの魔法を放ってから近くの建物に逃げ込んだ。
「エピスキー!リリー、しっかりしてください!」
ロックハートが治癒魔法を掛けるが、残念ながら効き目はない。私たちの知らない闇魔法なのだろう。
だったら、あの魔法を試すか。
私は重たい腕を上げた。
「ヴァルネラ・サネントゥール」
セブルス発明の、「セクタムセンプラ」の反対呪文。
じっくりと魔力を注ぐと、体内に血液が戻って循環するのを感じた。
痛みが和らぐ。
ありがとうセブルス、と心の中で呟いた。
遠くで、ベラトリックスの高笑いが響いている。
私はすぐさま立ち上がったが、くらっとよろけて壁に手をついてしまった。
気遣わしげにこちらを見るロックハート。
「もう少し休んだらどうです?」
「いいえ、それは無理。どうせここに隠れてることもすぐにバレるわ」
とはいえ、体は本調子ではない。
さっきの魔法はあくまでセクタムセンプラ用のもので、完璧に治せたとは言い難いからだ。未だに視界は揺れているし、体は鉛のように重い。
私は真っ直ぐにロックハートに顔を向けた。
「さっき言ったわよね、ロックハート。『特別になりたい』って」
「え、ええ⋯⋯」
「その願い、叶えられるかもよ」
怪訝そうに首を傾げるロックハート。
最早状況は、一か八かに賭けるほかない。
「オブリビエイト。それが、あなたを特別にしてくれる魔法よ」
忘却術で、ベラトリックスの記憶を奪う。
歴戦の魔女を倒すのに最適な魔法だ。
次回、『葬送のロックハート』。