___カイルが人攫いに遭ってから数ヶ月後。
ウォール・シーナ西区ガルド街の外れの丘にある『シャルマン牧場』では、額に汗を光らせながらせっせと働くカイルの姿があった。
まだ体が小さく力もないカイルには出来ることが限られていたが、今のうちから体で覚えておけというのがネフェルの意向だ。
ネフェルはカイルに付きっきりで牧場の仕事を教え、とにかく出来る限りのことを覚えさせたのだった。
ここシャルマン牧場では、兵団に献上するために品種改良された馬や、貴族ら上級国民の腹に収めるための牛や羊たちを飼育している。
牧場での仕事は、動物たちの餌やりや飼育環境の手入れ、それから備品・飼料の調達や出入荷の管理など様々だ。
しかし、その大半が重労働でにあたる牧場の仕事が幼いカイルにもたらす負荷は、大人の比ではない。そのため、1日の終わりには気絶するようにベッドに倒れ込むのがカイルの日課だった。
それでも、カイルにとっては牧場の仕事の方がメアリの目が光る家事より幾分もマシに思えていた。
メアリは、ほとんどの家事にうるさく口を出してくる。
そのくせ、当の本人は一切手伝おうとしない。
それどころか、作業にもたついたり、メアリ独自のルールに1つでも従わなかったりしたときには“お仕置き”という名の体罰を喰らわされるのだ。
さらには、涙を流そうもんなら食事を与えんという横暴さまで持ち合わせる始末。
はじめの頃は、泣くなと思っても勝手に涙がこぼれ落ちていたカイルだったが、次第に意識的に涙を堪えられるようになっていった。
『助け合いはなしだ』
これが、ネフェルの口癖だった。
ネフェルとは"メアリの奴隷"という運命を共にする仲であったが、互いに深く干渉し合うことはなかった。それは
カイルにとって唯一心が休まる瞬間は、自然や動物たちと触れ合っている時だ。
動物たちは純粋で、何より穏やか……言葉が話せるわけでもないが、動物たちとは何故か意思疎通ができるような気がしていたのだ。
そんな動物たちを世話する時間は、カイルにとって特別なひと時だった。
日が経つに連れ、少しずつ体も大きくなったカイルは、できる仕事も増えて行く。
だが、やはり幼いカイルには限界があった。
メアリはそれをわかった上で仕事を押し付け、出来なければ暴力を振るう。
ただ日々のストレスを幼い子どもに当たり散らすメアリの姿は、カイルの目にはまるで”悪魔”のように映っていた。
メアリからの八つ当たりは次第にエスカレートしていき、最近では箒の柄の部分で背中や足を殴られることもしばしば……だが、なぜか初日以来、顔だけは殴られることがなかったのだ。
それは、
___ある日の夕方。
カイルが牛舎に飼料を運んでいると、突然メアリに呼び止められた。
「カイル。今日からしばらくは外で夕食を取るから、大人しく着いてきな。粗相したら……わかってるわね?」
「はい……お父さんも一緒に行くの?」
「あの人は連れて行かない。いや、
「…はい、お母さん」
カイルが街に行くことを許されたのは、これが初めてだ。
だが、それがメアリと2人きりというのがどうしても嫌で仕方のなかったカイルは、牛の体を撫でることで心を落ち着かせた。
一息置いてから渋々家に戻ると、メアリがいきなり顔を近づけてきた。
「あんた……汚いわね。それに、家畜臭い。出かける前に体を洗い流してからこれを着な!……10分しか待たないよ!」
「…はい」
カイルは無愛想に返事をすると、メアリから受け取った服を手に、風呂場へと駆け足で向かったのだった。
___数分後。
街へ向かう準備が整った2人は、いよいよ迎えの馬車に乗った。
丘をしばらく降りた辺りで馬車の小窓から外を覗くと、街が見えてきた。建物にはポツポツと明かりが灯り始め、夜を迎え入れようとしている。
カイルは初めて訪れる街に心を躍らせていた。
カイルたちを乗せた馬車が街に入ると、様々な住民とすれ違った。
寒さに首をすぼめながら速足で歩く大人たちや、遊び帰りではしゃぎながら走る子どもたち。
カイルはその街に暮らす人々の様子を興味津々に眺めている。
馬車はしばらくまっすぐ進んでいたが、街の外れまで行くと、突然進路方向を変えて狭い裏路地に入った。
心なしか、次第に
馬車が行き着いた先は、狭い路地に密かに佇む小さなレストランだった。
その店の扉の前には、白い格好をした男が立っている。
そして、カイルたちが馬車から降りると、その男は2人を紳士に出迎えたのだ。
「お待ちしておりました。シャルマン夫人」
「急な頼みですまないわね……メンデス」
「いえ……いつも当レストランをご贔屓いただき、感謝致します」
「ふふ、こちらこそいつも
「えぇ、お構いなく」
「行くわよ、カイル」
「…はい、お母さん」
普段は荒々しくキツい口調のメアリだが、その男の前では物腰柔らかく上品に言葉を話した。
その様子に不快感を覚えたカイルは、眉間にしわを寄せる。
メアリの後ろをついて歩いて行くと、レストランに入る直前で“メンデス”と呼ばれていた男と目が合った。
カイルが軽く会釈をすると、その男は少し薄気味悪い笑顔を見せたのだ。
その不気味な表情に背筋が凍るのを感じたカイルは、少しだけ速足でレストランの中に入って行った。
個室に案内されたメアリとカイルは、机に向かい合わせで腰掛ける。
2人だけの空間になった途端、いつもの口調に戻ったメアリが真剣な顔つきで語り出した。
「よく聞きな。1ヶ月後、この街に王族御用達のシェフが新しく越してくるそうだ。それに伴い、『歓迎パーティー』が開かれることになっている。幸運なことに、私たちもそのパーティーに招待されたのよ!こんな絶好のを逃すわけにはいかないわ!!……だから、お前にはテーブルマナーをみっちり叩き込んでやる。いいわね?」
「はい。えっと……“シェフ”って何?」
「はぁ……阿呆みたいに『何?』じゃないよ!まったく……シェフってのは、いわゆるコックさんのことだ。料理を作って人に振る舞うのさ。その人のことは『〇〇シェフ』と呼ぶんだ。……どうやらお前にはテーブルマナーの前に、敬語の使い方から教える必要があるようね」
「ケーゴ?」
「丁寧な言葉で話すことだ。そんなことも知らないのかい?呆れるね……敬語ってのは、例えば……~~~~」
こうして、メアリによる厳しいマナー教室が開かれたのである。
カイルたちは毎日のようにレストランの個室に出向いては、テーブルマナーや敬語のレッスンを繰り返した。
身の振り方からナイフとフォークの扱い方、丁寧な話し方からセレブたちの機嫌の伺い方まで……とにかく細かく叩き込まれた。
カイルは物覚えが非常に良く、一度手本を見せればすぐにそのまま再現してみせるほどだった。
メアリはその飲み込みの速さに少し感心しつつも、家での横暴さは相も変わらない。
それでも、カイルが不満を口にすることは一切なく、マナー教室は順調に進められていったのだった。
___歓迎パーティーの前夜。
メアリは最後のレッスンを終えると、明日への意気込みと共に持論の"処世術"をカイルに押し付けた。
「いよいよ明日ね……カイル、覚えときなさい。お偉方に取り入るためには、とにかく
「はい、お母さん」
いつの間にかカイルは、メアリの命令に瞬時に返事ができるようになっていた。
自分の命令に従順な”我が子”に、メアリは大層ご満悦の様子だった。
___パーティー当日。
綺麗なコートに身を包んだメアリとカイルは、ガルド街で一番大きなレストランの前に降り立った。
「心の準備はいいかしら?」
「えぇ、いつでも」
「フンッ、上出来な返事ね。掴みに行くわよ……王都への進出権を!」
そう言って強く意気込んだメアリは、カイルを引き連れて“戦場”へと足を踏み入れたのであった。
〜後書き〜
『電話に出る時だけ急に声色が変わるの、うちの母だけですか?』
…どうも、著者です(´-ω-`)
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
初手あるある話をふっかけました(笑)
大人になった今では特に気にならなくなりましたが、小さい頃は電話に出る時だけ母親の声色が変わることに違和感があったのを覚えています。
そんな世の女性(特に母なる方々)の特徴の一つである『隠れ演技派』という一面をメアリに持たせたのには、ちょっとした意図があります。
上手く回収できるかわかりませんが、今後の物語でもカイルの人物像に良い意味でも悪い意味でも影響を与えていくものとなります。
さて、メアリの思惑通りに事は運ぶのか……
次回の話もお楽しみください!
〜おまけ〜
【メンデスの本名】
怪しげなレストランの主人の名前はイェッケです。
なのでフルネームは、
『イェッケ・メンデス』
…となります。
親父か!って言いたくなりますが、こういうダジャレ染みたネーミングを考えてるしょうもない時間が楽しいんですよね(´-ω-`)