___翌朝。
パーティーでのカイルの立ち振る舞いに大層満足げな様子のメアリは、褒美としてカイルを街の市場に連れて行った。
市場には所狭しと出店が並んでいた。
焼きたてのパンを売る者、陶器の食器を売る者、採れたての野菜を売る者、宗教の勧誘をする者、商品にケチをつけて値引きをする者、雑貨屋からビンテージ物の高価な時計を盗もうとする少年たちなど……多種多様な人々で賑わっている。
「ほら、これでもっと牧場に貢献できるわね」
そう言ってメアリがカイルに買い与えたのは、新しい靴だった。
その靴は底が硬く甲に柔軟性のある、なんとも外仕事向けのそれだ。
「何か一つだけ好きなもん買ってやるから、持ってきな」
気前のいいメアリは、さらにカイルを自由に歩かせたのだ。
カイルが欲しいものを探しながら順に出店を回っていると、狭い路地裏で身を潜める少年たちの姿が目に入った。
つい先ほど時計を盗んでいた少年たちだ。
おそらく、追っ手から逃れようと隠れているつもりなのだろう。
カイルがその様子を眺めていると、少年たちの一人と目が合った。
「おい、なに見てんだ。ガキが!」
「…いえ、何も」
少年の威嚇を落ち着いた声であしらったカイルは、すぐにその路地から顔を逸らす。
またしばらく出店を物色していると、先ほどの路地裏辺りがざわめき出した。
盗人の少年たちが商人に見つかり、捕えられてしまったのだ。
狭い路地の中は、抵抗して暴れまくる少年たちとそれを取り押さえる大人たちで揉みくちゃになっている。
そんないざこざをよそ目に、平然と見て見ぬふりをして通り過ぎていく人々の光景は、異様なものだ。
だが、カイルもまた『触らぬ神に祟りなし』というように、そのいざこざを気に留めはしなかった。
この時、カイルはネフェルの言葉を思い出していたのだ。
(きっとあれが、あの人たちの
カイルがそんなことを考えながらずらりと並んだ美味しそうなパンの山を眺めていると、パン屋の主人が軽い口調で声をかけてきた。
「いらっしゃい、坊主。……お前さんは
「はい、母と一緒に来ていますので」
「うむ、それは結構なことだ。それにしてもお前さん、ずいぶんと小綺麗な格好をしてるな……同じガキでも、あぁいう連中とつるんじゃならねぇよ?」
そう言ってパン屋の主人が指を差したのは、先ほどの路地裏だった。
カイルが顔を向けると、ちょうど商人たちに連れ去られていく少年たちの後ろ姿が見えた。
「あーあ、連れて行かれちまった……ありゃ、ここらを取り仕切ってる“裏商人”さ。奴らに目をつけられれば最後……もう
「それでは、彼らはどこで暮らすのですか?」
「”地下街”だ。地上での居住権を奪われた者が行き着く先はみんな同じさ。あいつらはこの先、一度も日の光を浴びることなく、その生涯を終えるだろうなぁ……やれやれかわいそうに」
「へぇ……地下街。そんなところがあるんですね……では、僕はこれで。ありがとうございました」
「なんだい、買っていかないのか?坊主」
「はい、他に欲しい物があるので。また来ます」
「そうかい……次はよろしくな!」
「えぇ、もちろん!」
カイルはパン屋の主人に軽く手を振ると、お目当ての場所へと向かった。
パン屋の出店があった場所から少し先に行ったところに、建物の影の下でこじんまりと屋台を構える本屋があった。
そう、カイルが欲していたのは“本”だ。
牧場では、仕事の空き時間に
家の中ではなく、外で読む理由は言うまでもないだろう……休息のひと時を
しかし、家にある本はどれも酪農に関する文献ばかりで、そろそろ飽きが来ていた。
そのため、何か心が揺さぶられるような内容の本を求めていたのだ。
本屋に着いたカイルは早速本を物色し始める。
タイトルを指で順に指し示しながらどれにしようかと迷っていると、ある”絵本”で手が止まった。
「あくまの…ささやき?」
「それは、子どもたちに一番人気の絵本じゃよ」
カイルが声のする方を見ると、立派な白髭を蓄えた少し目つきの悪い老人がいた。
屋台の端っこで本を手に持って腰掛けているその老人は、この本屋の主人だった。
「坊や、本を読むのかい?」
「はい、まだ難しい本は読めませんが」
「ほ―ぅ……これはこれは。坊や、ずいぶんと丁寧な言葉を話すんじゃな」
「えぇ、よく言われます」
「ほほっ、えぇことじゃ」
「何か図のようなものが載っている本はありませんか?家にあるのは活字ばかりで……少し飽きました」
「その絵本じゃ物足りないかい?」
「そう…ですね。もう少し字も欲しいところです」
そう言ってカイルは冗談染みた苦笑いをして見せた。
すると、本屋の主人はカイルの賢さに感心を示すように、かけていた眼鏡を指でくいっと押し上げる。
「ほほっ、なんとも面白い子よ。それならば……ほれ、これなんかどうじゃ?」
本屋の主人が差し出したのは、絵本よりも二回りほど大きな古びた歴史書だった。
表紙の上部に書かれたタイトルの下には、大きな
「【壁と人類の歴史】……面白そうですね」
「その本には、この土地の地図や建造物に関する図説などが載っておる。歴史についての本じゃから字も十分じゃろう」
「へぇ……これにします!ちょっと待ってて下さい!」
カイルは元気な声で本屋の主人に本を一旦返すと、メアリを呼びに戻った。
その頃、アクセサリー屋にいたメアリは、自分への褒美としてバラを型取ったブローチを購入するか吟味している最中だった。
メアリはカイルの声掛けを無視して散々悩んだ挙句、結局そのブローチを購入した。
さらに、その場でブローチを胸元に飾り付けると、それを見せびらかすように胸を張って自慢げに歩き始めたのだ。
そんなメアリの横を歩くのは心底ウンザリだったが、何としても本が欲しかったカイルは、恥を堪えて本屋まで誘導した。
「おじいさん、お待たせしました。先程の本を下さい!」
「はいよ、これじゃったな?」
「はい!ありがとうございます!」
「本とはまた安上がりな物を選んでくれたじゃないか……さすがは、私の
「……」
メアリの嫌味にはいちいち反応しないようにしていたカイルだったが、さすがに『宝物』という表現だけは気に食わなかったようだ。
嫌悪感を訴えるように無表情でメアリを見上げるカイル。だが、メアリはカイルのことなどこれっぽっちも見ていなかった。
それどころか、先ほど購入したばかりのバラのブローチを指先でそっと撫でながらうっとりと眺めていたのだ。
呆れ果てたカイルは、メアリから目線を反らして小さくため息を吐く。
本屋の主人は、母親と思しき人物の様子に違和感を覚えていた。
目の前で繰り広げられたやり取りが、お世辞にも仲睦まじい親子とは言い難いものだったからだ。
そのやり取りから何かを察した本屋の主人は、メアリにお釣りを渡す際に一言添える。
「奥さん……この子はとても賢い子だ。大事になさい」
「えぇ、言われなくてもそうしますわ」
メアリは嫌味たらしく返事をしたが、本屋の主人はそれを無視し、今度はカイルに向かって話し始めた。
「坊や……これはわしの"勘"じゃがな?お前さんには、何か人とは違う
突然のことにカイルは何も言葉を返せずにいた。
ただその場に立ち尽くし、目を丸めながら本屋の主人を見上げている。
そして、本屋の主人もまた、カイルをまっすぐに見つめていた。
「…それからお前さんは、人を惹きつける”魅力”を持っておる。『良い意味』でも『悪い意味』でも……誰を信じ、誰に信じてもらうか、
本屋の主人はそう話しながら右手の人差し指で自分の頭をトントンと叩くと、そのまま右手を握りしめて自分の左胸に当てて見せた。
しかし、尚もカイルは言葉を返せないでいた。
一度だけごくりと唾を飲み込んだだけで、しきりに本屋の主人のことを見つめ続けている。
メアリは目をぱちくりさせながら2人の顔を交互に見た。
目の前で繰り広げられたやり取りに理解が追いつかなかったのだ。
蚊帳の外に放り出されたことに一瞬の苛立ちを見せるも、何かを思い出したメアリはポケットから小さな懐中時計を取り出した。
「あら、もうこんな時間だわ…私はこの後レンダー夫人とお茶会の予定なのよ。カイル、お前は先に帰んな。……あ、それと…台所洗い物を済ませておくんだよ。わかったわね?」
「……」
カイルは珍しくメアリの命令に返事をしなかった。
「さっきからなんなのよ……まぁいいわ」
メアリはそう一言吐き捨ててから、振り返って歩き出した。
…ポロ……ポロ……
その瞬間、カイルの目から大粒の涙が溢れ出す。
本屋の主人はメアリの姿が見えなくるまで待ってから、ズボンのポケットから少しくたびれたハンカチを取り出すと、カイルの涙を優しく拭ってやった。
「君は強い子じゃ。誠に…」
「おじいさん……
「すまんが、明日にはこの街を経つことになっておる。わしは各地を旅しながら本を売っておる身での。こうしてお前さんに巡り会えたというのに、わしも残念でならん…」
「そっか……次は、どこに行くの?」
「ウォール・シーナ内はあらかた回ったからの……壁を超えることにしたんじゃ。まずは、ヤルケル区へ向かう」
「壁の外に……おじいさんは、どうして旅をしているの?」
「ほほ……実をいうと、わしは
「何十年も!?…おじいさんは、その…そんなに悪いことをしたの?」
「いいや、何もしておらん。この世界には
「も、もしそうだとしても、そんなの……おじいさんには関係ない!」
「そうじゃな……しかし、世界とは"残酷"なものよ。運命からは逃れられん……いくらもがきあがいたところで、その身に流れる血を変えることはできんのじゃ」
それを聞いたカイルは、自分の運命と重ねた。
やはり、自分の不遇な生い立ちに
諦めるように俯くカイル。
だが、本屋の主人の話には続きがあった。
「…じゃがな?自分の“意志”は変えることができる。運命を受け入れるのでも跳ね除けるのでもない……ただ、
その言葉に微かな希望を見出したカイルは、瞳を輝かせながら顔を上げる。
「受け…流す?」
「そうじゃ。人生の道のりは長く果てしない。そして、幾重にも枝分かれしておる。どの道を選択するかは己で決めることができるのじゃ……わしは身を隠さずに
「生き方…か。おじいさんは、辛くないの?」
「辛い時もある。……じゃが、心の拠り所を見つけた」
そう言って本屋の主人は目を細めながら本の上に手を置いた。
「お前さんも何か心を落ち着けるものを見つけるといい」
「僕には……動物たちがいる」
「ほほっ、それはいい。動物は
「僕……おじいさんの言葉を信じて頑張るよ!いつか僕も壁を出て、そしたらおじいさんに会いに行く!だから……どうか気を付けて…」
「ありがとう、坊や。お前さんは誠に優しい子じゃ。これまで長いこと旅をしてきたが、お前さんに出会えたことがわしの人生で一番の収穫と言えよう…」
そう言ってさらに目を細めた本屋の主人は、カイルの頭をそっと撫でた。
その手の感触は、冷たく乱雑なメアリの時とは全く違い、温かく優しかった。
「僕、そろそろ帰らなきゃ……仕事がたくさんあるんだ。どれも大変で……でも、おじいさんの言葉で元気が出た。僕、きっと頑張るよ!最後に、おじいさんの名前……聞いてもいい?」
「表の顔は『本屋のジャック』で通っておる。本当の名はジェイク……ジェイク・
「ジェイクさん……僕はカイル。カイル・シャルマン」
「!?…ほほっ、
「ジェイクさんもお元気で!また、いつか!」
カイルは大きく手を振ると、ジェイクにもらった本を大事そうに抱えながら牧場へ向かって駆け出したのだった。
___それからというもの。
ジェイクとの出会いをきっかけに、将来への希望を見出すようになったカイルは、これまで以上に熱心に仕事に取り組んだ。
カイルの誠実な働きぶりによってメアリからの虐待的支配も快方に向かうかと思われたが、そんなことは一切なかった。
歓迎パーティーで得た人脈を一つも無駄にしまいと方々を駆けまわっていたメアリは、忙しさのあまりよく癇癪を起していたのだ。
その溜まった鬱憤をぶつける矛先は、いつもカイルだった。
だが、それでもカイルはめげなかった。
辛いときには動物たちと触れ合ったり、本を読んだり、時折ジェイクの言葉を思い出したりして、何とか乗り切る術を身につけていったのだった。
___数年後。
カイルは7歳になろうとしていた。
その年、カイルの運命を大きく揺るがす『新たな出会い』と『思い掛けない危機』が待ち受けているのであった。
〜後書き〜
『フランスパンのクープってどうやったら開くの?』
…どうも、著者です(´-ω-`)
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
実はパン作りが趣味の著者ですが、何故かフランスパンは失敗しか経験がありません(笑)
これは裏情報ですが…
カイルに地下街の存在を教えたパン屋の主人が得意とするパンは『ミッシュブロート』です。ライ麦と小麦の配合が絶妙で、いつも焼成時に放たれる香ばしい匂いに多くの客が引き寄せられるそうですよ!
さて、聞き馴染みのある名前が出てきましたね。
みんな大好き "アッカーマン" 一族!
何を隠そう、幼少期の話はアッカーマン一族の新キャラを登場させたかったが故に書いたようなものです。(それは大袈裟)
ジェイク・アッカーマンの再登場はいつになるでしょうか…!?
※名前だけはちょこちょこ出てくるので、頭の片隅に覚えておいてもらえると嬉しいです。