「お母様はすでにこちらにおいでです。私は校長を呼んで来ますので、先に入ってなさい」
「…はい、先生」
マンチェスについて行ったカイルは、職員室の隣にある応接間に通された。
部屋に入ると、すでにソファに腰掛けていたメアリが凄まじい形相で此方を睨みつけてきた。
まるで目つきだけで相手を睨み殺さんばかりの気迫だ。
そんなメアリに気圧されそうになったカイルは、大きく唾を飲み込む。
何か言いたげな様子のメアリが口を開こうとした時、再び応接間の扉が開かれ、神妙な面持ちの校長を引き連れたマンチェスが部屋に入ってきたのだ。
メアリはすぐにまた外向けの取り繕い顔に戻ると、猫撫で声で呼び出しの理由を尋ねる。
「貴校には平素より大変お世話になっておりますわ、ディアマンテ校長。それで……息子のカイルは何か粗相をいたしましたでしょうか?」
「カイル殿は成績も優秀で人当たりも良い。近年稀に見る非常に優秀な生徒ですよ、シャルマン夫人。しかしですなぁ……いくら優秀な生徒であっても学校への申請書類に
校長の『詐称』というキーワードからメアリの脳裏に真っ先によぎったのは、カイルとの“血縁関係”だった。
人攫いから買い取ったカイルは、シャルマン家とはまったく血のつながりのない赤の他人だ。
シャルマン牧場が王室との取引に向けて大台に乗り上げようというこの時期に、裏の組織との繋がりが公になれば一貫の終わり……そんな未来まで想像を巡らせたメアリは、顔面蒼白になりながら恐る恐る言葉を返す。
「さ、詐称とは一体…」
「本日は
「えぇ、もちろんですとも、マンチェス先生。それは本人からも聞いておりましたので…」
「では、尚更問題ですな。カイル殿は
繊細な内容の為か、直接的な表現を避けて遠回しにメアリに詰め寄る教師たち。
メアリはその回りくどい言い方に少し苛立ちつつも、ここまでの会話で教師たちが言わんとすることに察しがつき、ある“疑念”を抱く。
しかし、その疑念は、本来であれば母親であるメアリが
メアリは、さらに言葉を詰まらせる。
「つ、つまり、詐称とおっしゃるのは…」
「他でもない、カイル殿の
「!?……」
メアリはあまりの衝撃に言葉が出なかった。人攫いに要求していたのは、"男児"だったからだ。
今まで平然と男として扱ってきたが、カイル本人からも性別について訂正された試しがなかったため、疑いもしなかった。
メアリはカイルのことを意のままに操れていると慢心していたのだ。
その油断が命取り…メアリは冷や汗が止まらなかった。
そこに、追い打ちをかけるように校長が言葉を重ねる。
「我が校はガルド街でも1、2を争う名門校として名を連ねております。そのため、良識のある生徒の育成に日々励んでおり、子どもたちの将来を思ってこそ、校訓として『品行方正』を掲げております。そんな中、風紀を乱すような生徒がいては他の生徒たちにも影響を与えてしまう……この件に関しては、慎重にこちらで検討させていただきますよ。そして、その結果が出るまでは、カイル殿には登校を控えていただきます」
校長の言葉が痛いほど耳に刺さったメアリは、頭が真っ白になった。
『騙されていた』_メアリの脳裏にはその一言しかなかった。
奴隷のように扱っている相手から一杯食わされたという事実に腸が煮えくり返る思いをしたが、今はそれどころではない……親が子の性別を知らないはずがないからだ。
このままではカイルが退学処分になるどころか、シャルマン牧場の名にも傷がつきかねない。
メアリは何とかこの場を切り抜ける策はないかと必死に頭を動かした。
そして、しばらく黙り込んだのち、何か閃いたのか突然ガクッと頭を俯かせたのだ。
「えぇ、構いません……おっしゃる通り、この子は”女の子”です。そして、貴校の申請書類に男児と記載したことも事実で間違いありません」
メアリはさらに両手で顔を覆いながら涙声で話を続ける。
「…身の上話になりますが、私共夫婦はなかなか子宝に恵まれませんでした。そんな中、ようやく生まれてきてくれたのがこの子です。私共夫婦は大変喜びました。とっても可愛らしい子ですので、
背筋をシャンと伸ばしたメアリは、校長の顔をまっすぐ見つめて話を終えた。
それは、愛する我が子の意志を何よりも尊重したいという『親心』を体現したかのような
確固たる意志を伝え、敢えて真っ向から処罰を受け入れる姿勢を見せることで、同情の余地を誘い出そうというのがメアリの魂胆だ。
そして、その効果は絶大だった。
母親からの強い訴えに心揺さぶられた校長は、腕を組みながら唸るように言葉を発したのだ。
「確かに……カイル殿ほどの
「ありがたきお言葉……何卒、宜しくお願いいたします!重ねて、本日は貴校に多大なるご迷惑をおかけしてしまったこと、心からお詫び申し上げます」
「いえいえ。こちらこそご多忙の中お呼び出ししてしまい、申し訳ございませんでした。また後日、こちらから審査の結果をご連絡いたします。……では、本日の所はこれで」
「えぇ、承知いたしました。それでは、失礼いたします」
メアリはカイルと共に立ち上がると、深く長くお辞儀をした。
校長の態度の変わり様にマンチェスは少し呆れ顔をしていたが、メアリは気づかない振りをした。
そうして、学校を後にした2人だったが、帰りの馬車の中では互いに口を聞くことはなかったのだ……
___数十分後。
牧場に到着すると、メアリは有無も言わさずカイルを強引に家の中へと連れ込んだ。
窓から外を覗いて周囲に人がいないことを確認したメアリは、いきなりカイルの胸ぐらを掴み上げる。
その力は、それまで抑え込んでいた感情が一気に爆発したかのような凄まじさだった。
息ができずにもがき足掻くカイル……だが、メアリは手を離すどころか、苦しそうにしているカイルに対してさらに怒号を浴びせたのだ。
「どういうことだ!?お前!!…“女”だって?ふざけるのも大概にしろ!!」
「くっ…苦し……」
カイルは何とか抵抗してメアリの腕を叩いたが、それでもメアリは手の力を抜こうとしない。
「そんな重要なことを今まで隠しやがって!!……お前はずっと私を愚弄していたのか!?」
メアリはそこまで怒鳴り散らかすと、掴み上げていたカイルを壁に向かって思い切り投げつけた。
ドン!!
「うっ!!…ゲホッ!…ゲホッ!」
床に倒れ込んだカイルは、大きく咳込んだ。
喉を絞められたことによる窒息と壁で背中を打ちつけた衝撃で脳に影響があったのか、視界がぐらついている。
そのため、立て続けに浴びせられたメアリの詰問には、一切答えることができなかった。
……と言うよりも、
『何故自分は”男”でないのか』_そんなこと、カイルにも知る由がないからだ。
この家に来た時から男として扱われ、ただそれに従ってきただけのカイルにとって、
今更性別をどうこうできる訳もない。
それはとうにわかりきったことだったが、メアリは怒りで自制心を失っていた。
鬼のような形相でカイルを責め立て、殴る蹴るの暴行を加えることでしか”対話”ができない状態だった。
だが、それほどまでの興奮状態であっても、カイルの
カイルはメアリの怒りが収まるまで、とにかく耐えた。
痛みと恐怖で思考回路はぐちゃぐちゃになり、何度も泣き出しそうになった。
だが、その度に力強く奥歯を食いしばり、零れ落ちそうになる涙を堪えたのだ。
そうして耐え続けていると、メアリの怒りの矛先が次第に人攫いの売人たちへと向き出していった。
「…そもそも私は”男児”を所望したのよ!?あんな大金を払ったってのに!あいつら、なんて手の抜いたことを……許せないわ!!お偉方たちには、すでにこいつを見せびらかしちゃったじゃないの!もう取り返しがつかないわ……どうしてくれるのよ!あの
メアリはそう叫びながら行く当てのない怒りをぶつけるように、食卓の椅子を思い切り蹴り飛ばした。
その時、騒動に気づいたネフェルがようやくその場に駆けつけた。
「何の騒ぎだ!……っ!?」
ネフェルは床に倒れ込んでいるカイルを見つけると、慌てて駆け寄った。
そして、カイルの体をそっと抱え起こしながらメアリに状況を尋ねたのだ。
「これは一体……何があった!?外までものすごい音が聞こえてきたぞ!子どもをこんなに殴りつけるなんて……お前、正気か!?」
「……あんたは知ってたのかい?」
「は?知ってたって……何のことだ!?」
「こいつは“女”だ!!今日学校で、それがバレたのよ!!」
「な、何だって!?まさか、そんな…」
「疑うなら今ここで
「いや……その必要はない。お前の反応を見るに、そうなんだろう…」
「こいつは性別を隠してた!私たちは……こいつに
メアリの言葉に、ネフェルは思わず疑いの目をカイルに向けた。
痛みを堪えようと顔をしかめ続けるカイル……すると突然、力尽きたように目を閉じてしまい、ネフェルの腕の中でピクリとも動かなくなってしまったのだ。
そんな姿に胸を痛ませたネフェルは、考えを改める。
そして、カイルの小さな肩を掴む手にぎゅっと力を込めると、決意を固めてメアリへ反意を示したのだ。
「いや…それは違うぞ、メアリ。
「……」
メアリは何も言い返せなかった。
これまで一度たりともネフェルに歯向かわれたことなど無かったからだ。
ネフェルは声色を落ち着かせ、さらに説得するようにメアリへ語りかける。
「もうこの子は、俺たちにとって必要不可欠な存在だろ?シャルマン家の
「フンッ、この街に逃げる当てなんてないだろうけど……まぁ、たまにはあんたの意見を聞き入れてやってもいいわ」
そうして、ネフェルの熱心な訴えに多少の落ち着きを取り戻したメアリは、一言嫌味を吐き捨ててから自分の部屋へと姿を消したのだった。
何とかメアリを宥めることに成功したネフェルは、深く長く息を吐きながら胸を大きく撫で下ろす。
「はぁ、まったく……これはやりすぎだぞ!……おい、カイル!大丈夫か!?」
そう言ってネフェルは抱きかかえていたカイルを少し揺らした。
暴行を受けた小さな体は酷くぐったりとしていて、圧迫された喉元は赤く腫れ上がっている。
カイルはゆっくりと目を開くと、ネフェルの顔を見上げ、蹴られた腹部を手で押さえながらガラガラの声で答えた。
「だい…じょうぶ。……ねぇ、おじさん……『助け合いはなし』じゃ、なかった…の?」
「あぁ、そうだ。俺は
「…?」
カイルはネフェルの言葉の真意をすぐには理解できなかったが、安心したようにまた目を閉じた。
ネフェルはカイルを抱き上げて部屋まで運ぶと、ベッドに寝かせて布団をかけてやった。
カイルは静かな寝息を立てながらぐっすりと眠っている。
そんなカイルの頭を優しく撫でるネフェルの表情は、まさしく父親のそれだった。
それからというもの、メアリの態度は悪化するかと思われたが、むしろ気色が悪いくらいにカイルの機嫌を取るようになった。
カイルにとってそれは、親から子に注がれる愛情ではなく、『絶対に逃がさないぞ』という暗示のように思えたのだった。
___数日後。
学校からシャルマン家に通達があった。
身分の申請を“女児”に訂正することを条件に、カイルの在留が許可されたのだ。
カイルはまた学校に通い始めたが、その騒動における“噂”は瞬く間に広まっていった。
当然、その噂はガルド街の上流階級の耳にも入る。
しかし、メアリはそれに動じるどころか、仕事の取引先や会食の場で噂について聞かれる度に、校長を丸め込んだ時のような
こうして、ガルド街の住民の間では、『シャルマン家の”娘”は親孝行のために
〜後書き〜
『娘に弱いお父さんの背中は、何故か強く見える』
…どうも、著者です(´-ω-`)
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
やはりメアリからの”制裁”は免れられませんでしたね。
正直、フィクションだとしても子どもへの虐待の話を文字に起こすのは、すごく辛かったです…
しかし、非人道的な行いは巡り巡ってより強大な”悪”となり、やがてその身にも降りかかるもの。(と、著者は信じたい)
いずれは、それ相応の天罰がメアリにも下ることでしょう…
気を取り直しまして!
今回特に描きたかったのは、ネフェルおじさんの『心情の変化』です。
世のお父さんって娘にはめっぽう弱い方が多いと思うんです。
でも、そんなお父さんたちが娘を守るために立ち向かう姿って、誰よりもカッコよく見えませんか?
ネフェルは「自分の身は自分で守れ」とカイルのことを突き放しつつも、本当は心のどこかで実の息子のように思っていたんでしょうね。
さて、ここまでの話では、日常生活における”不自由さ”(囚われの日々)を描いてきました。
今後の話は、家の外…主に学校生活における”不自由さ”(被虐の日々)を描いて行きますので、もうしばらくカイルの幼少期の話にお付き合いください!
※これより先は、年単位で物語が進むことが多いです。