苦手な方はご遠慮ください。
昭和20年3月21日、ウラヌスにとって、その日はいつもと変わらぬ朝から始まった。
朝食を食べ、戦場へ赴いたトレーナー、西竹一や教え子の無事を祈り、出勤した。ウラヌスはいつものように騎兵学校に足を運び、教官室へ向かった。
教官室に到着したウラヌスは、どこか異様な雰囲気が漂っていることに気づいた。昨日までならば、教官たちの吸うたばこの煙や話し声が響くのだが、今日はそのどれもが少し控えめに感じられた。
「ウラヌス中尉、おはよう」
少し戸惑っているところに、同僚のアスコットが挨拶してきた。アスコットとは、共にトレーナーの指導を受けてベルリンオリンピックに出場した、良き友人であった。
「おはよう、アスコット中尉。今日、何かあったかしら?」
「僕もまだ知らないんだ。でも、校長閣下が後で話すらしいよ」
「そうなのね。良い話であることを期待するわ」
まったく期待していない口調で話してから、自分の席に着き、朝礼まで今日の訓練の準備や書類整理を行った。しかし、朝礼には校長は出てこず、異様な雰囲気は解消されなかった。
朝礼後、新兵の訓練を開始したが、新兵達も異様な雰囲気を感じ取ったのか、訓練に身が入っていなかった。
「これでは、駄目だと思うのよ、アスコット」
「そうだけど、僕たちだって何も知らないんだから」
あまりにも不甲斐なかったので、訓練を早めに切り上げてアスコットに愚痴りながら、ウラヌスは校庭で昼食を取っていた。
機嫌の悪いウラヌスをなだめながら、アスコットはリンゴをかじり、立ち上がった。
「そろそろ昼のニュース始まるし、教官室戻ろうか」
「それもそうね」
校舎に入り、廊下を歩いていると、既に昼のニュースは始まっているようだった。普段よりも音量は小さく、ウマ娘の聴力でも辛うじて聞き取れる大きさだった。
「もう始まってるのか。君がのんびりご飯食べているから」
アスコットの文句を聞き流しつつ、ウラヌスは扉を開けた。
教官室の雰囲気は、朝よりもさらに悪化していた。ラジオからアナウンサーの声が響くなか、立派な大人である男達がすすり泣く音が混ざっていたのだ。入り口から近い所に座っていた同僚の一人は、机に突っ伏して泣いていた。
その同僚に対して行動を取る前に、ウラヌスの耳へアナウンサーの声が届いた。
『……なり。……繰り返します。硫黄島の我が部隊は敵上陸以来約1 か月にわたり敢闘を継続し、殊に3月13日頃以降、北部落および東山付近の複郭陣地により、凄絶なる奮戦を続行中なりしが、戦局遂に最後の関頭に直面し、「17日夜半を期し、最高指揮官を陣頭に皇国の必勝と安泰とを祈念しつつ、全員壮烈なる総攻撃を敢行す」との打電あり。爾後、通信、絶ゆ。
敵兵同島上陸以来3月16日までに陸上においてこれに与えたる損害、約3 万3千名なり』
「え……」
アナウンサーの言葉が、私の頭の中で何度も反響した。硫黄島、通信絶ゆ――。私の体はその言葉の重みに沈み、冷や汗が背中を伝った。
硫黄島が、堕ちた?。あそこには、西がいるのに……?。
目の前が暗くなり、足の力が抜けていき
「ウラヌス!」
「ア、アスコット……」
倒れそうになったところをアスコットに肩を掴まれた。アスコットの顔を見ると、彼女は目を赤くしていた。
「顔色が悪い。座って」
「だ、大丈夫よ。あなたこそ……」
「駄目だ。今すぐ座れ、ウラヌス中尉」
アスコットは、有無を言わさずに私を無理矢理座らせた。ラジオでは、栗林閣下の辞世の句を詠み上げているようだったが、頭に何も入ってこなかった。
どのくらい時間が経ったのか。気がつくと、とっくにニュースは終わっていた。
周りの教官達は、書類を読んでいた。アスコットは、平坦な声で話しながら、書類を渡してきた。
「校長が参謀本部から貰ってきた。読んで……」
私は無言でそれを受け取り、慎重にページをめくった。報告書に書かれていた内容は、信じたくない現実を突きつけてくるものだった。
……小笠原兵団報告……父島……
……独立歩兵大隊、南地区にて、大隊長自決。残存兵12名司令部へ合流。第101特殊工兵大隊、擂鉢山にて総員玉砕。第……
硫黄島守備隊司令部、3月17日以降応答なし。通信絶ゆ。栗林大将以下……総攻撃……。西竹一中佐以下第26戦車連隊、玉名山にて、3月17日以降通信絶ゆ。残存……
文字を目で追いながら、私はただ黙ってページをめくり続けた。私の心の中で、激しい波が立ち、言葉にできない感情が込み上げてきた。101工兵、あそこは半年前に私が訓練した騎兵達が所属していて……。あの、優しかった栗林閣下も戦死、した?26連隊、西が、西の部隊が……玉砕したと? 西のあの明るい笑顔、あの頼りがいのある姿が、私の中で急速に色あせていった。
「ウラヌス中尉、無理するな」
背後から、アスコットの声が聞こえる。私は一度、深く息を吐いた。
「大丈夫よ」
その後昼休みは終わり、午後の訓練へ向かい、私は教官として新兵たちの指導に取り掛かった。だが、心の中はいつもと違って上の空だった。訓練中、新兵たちがきちんと指示に従うのを見ながらも、私は彼らの顔を見ることができなかった。頭の中では、西の顔、栗林閣下の顔、そして自分が育ててきた教え子たちの顔が浮かんでは消えていく。
「ウラヌス教官、どうなさいました?」
ウマ娘の新兵が、尻尾を不安げに揺らしながら声をかけてきたが、私は何でも無いと答え、訓練を続けた。
訓練が終わり、夕方に差し掛かって帰宅しようとしたとき、私の体調は再び悪くなった。頭がくらくらし、足元がふらつく。目の前がぼやけて見え、何もかもが遠く感じられた。
「ウラヌス、しっかりしろ!」
アスコットの声が遠くから聞こえた。私はそのまま膝をつき、何とか地面に手をついて支えようとしたが、体が言うことを聞かない。倒れそうになるその瞬間、アスコットが私を支えてくれた。
「ウラヌス!大丈夫か!?」
彼女の腕に支えられて、私はどうにか立ち上がることができたが、体は動かない。アスコットは何も言わず、私を無理に連れて歩いて自宅まで連れ添ってくれた。
アスコットに支えられながら、私は自宅にたどり着いた。彼女は、私の軍服を脱がせて、布団に横たえさせてくれた。私はお礼を言おうとしたが、喉がかすれ、声が出なかった。目を閉じると、西の顔が浮かび、私の心を激しく揺さぶる。
「大丈夫かい?井戸からくんできた、飲んで」
アスコットから湯飲みを受け取り、冷たい水を一気に飲み干した。
少し頭を冷やせと思ったが、西の顔が思い浮かぶのは変わらなかった。
「西……アスコット、西が……」
「ウラヌス、ここには僕しかいないよ。泣いてもいいんだ」
アスコットの言葉で、私は、涙を流していなかったのだと、思い出した。
そして、私は堰を切ったように泣き叫んだ。涙が止まらず、何度も何度も声を上げて泣いた。アスコットはそっと私の手を握り、黙ってその涙を拭いてくれた。
「西、あなたは……戻ると、言ったのに」
翌日、私は寝室の布団に横たわり、庭をぼんやりと眺めていた。今日は体調がひどく悪化して、休ませて貰ったのだ。アスコットはそんな私を心配し、自らも休んで私の看病に当たり、何度も励ましの言葉をかけてくれた。
「ウラヌス、大丈夫か?」
アスコットの声が、どこか優しく響いて、私は少し目を閉じた。これ以上辛い思いをしたくないと感じる一方で、今は自分の力ではどうしようもない。だが、アスコットがそばにいることで、少し心が軽くなる気がした。
「ありがとう、アスコット」
私はそう言って微笑みかけた。アスコットは、少し顔をしかめながらも、私の手をしっかりと握り返した。
「西さんが、私たちのトレーナーが死ぬなんて受け入れられないんだ。僕は、君より西さんとの付き合いは短い。それでもこんな気持ちだ」
アスコットは泣きそうな顔でそう言った。私は静かに口を開いた。
「そうね。あなたとは、ベルリンから一緒だったものね。私は……15年前か。西と出会ったのは」
アスコットは少し沈黙した後、静かに頷いた。
「ロサンゼルスのか。あの金メダルは感動したよ。それ以来、君は僕の憧れさ」
「ありがとう。イタリアにいた時、西が一緒にメダルを取ろうと私を引き取って、欧州を回った後だったわね」
「最初は、貴族のくせに毎日飲み歩いて、奥さんもいるのに女の人と楽しんでて信用できなかったわ」
「僕と出会ったときと変わらないんだね」
「そうよ、西は相変わらずよ」
アスコットとウラヌスは、西の自由奔放な様子を思い出し、笑った。
「でも、バ術の腕はピカイチだったわ。一緒に練習を重ねて、人バ一体でオリンピックに臨んだのよ。私だけでも、西だけでも駄目だった。2人で一緒に挑んだから取れたのよ」
アスコットは、少し悲しげな顔をしながら頷いた。
「人バ一体か。僕では足りなかったのかな」
アスコットは少し顔をしかめ、続けた。
「競走を引退した僕は、君に憧れてバ術の道に進んだ。必死にやった。でも、ベルリンは12位だった。決していい結果ではなかった。君と西さんがいたというのに……」
「そんなこと言わないで。私は、怪我をして20位だった。連覇して、次の東京でも西とメダルを取りたかった。でも、私は引退を決めたの。あのメダルはもう私には届かない。でもあなたには、東京で西と再挑戦してほしかった」
アスコットは私を見つめ、静かに言った。
「君の嫉妬が凄かったね。東京はすごく楽しみにしてた。でも、戦争がすべてを奪ってしまった」
「本当に残念だわ」
私は声を震わせながら言った。
「あなたがメダルを取るところを、見られなかったのは、本当に悔しい」
アスコットは私の目を見つめて、強い声で言った。
「ほんとは、君が取りたかったんだろ?トレーナーにも自分だけを見て欲しくて」
私はゆっくりとアスコットを見返し、微笑みながら言った。
「そうよ!私が、西の愛馬であるウラヌスが、西の祖国のオリンピックでメダルを取りたかったの」
少し体に触ったのか、めまいがして倒れかけた。すぐさま、アスコットが支えてくれた。
「ウラヌス……」
「でも、戦争ですべてなくなった。オリンピックも、西も……。それに、私も長くないわ」
「そんなことない!」
アスコットは少し強く言うと、私の手をぎゅっと握り締めた。
「君は絶対に死なない。ウラヌスは長生きするんだ。こんな戦争終わったら、僕がメダルを取って、君に見せてやる!」
「アスコット……」
アスコットは私の目を見つめて、強い声で言った。その表情にはどこか必死さが込められていた。私はその言葉に、胸が締め付けられる思いだった。彼女の気持ちはわかる。でも、自分の体のことは一番自分が知っている。
「私の身体は、もう限界に近いの」
私は穏やかに言った。どれだけアスコットが信じようとしても、私の身体はもはやそれに応えてくれないことを感じていたから。
私はため息をついて言った。
「無理がたたって、これ以上は無理ね。でも、アスコットがメダルを取るのを楽しみに待っているわ」
「うん」
アスコットは静かに答えた。
「約束だ。君と西さんにいつか捧げてみせる。たとえ、僕が取れなくても思いは受け継がれる。僕と、ウラヌス、君のように」
ウラヌスは一瞬驚いたような顔をして、笑った。
「そうね。私の思いはアスコットが受け継いでくれた。頼んだわよ」
私はつぶやくように言った。
「……それでも、あなたがメダルを取るところを見たかったわ」
アスコットは少し黙ってから、ゆっくりと口を開いた。
「でも、ウラヌス、君と西さんが教えてくれたことを忘れないよ。君が走り抜けた道は、忘れないから。2人の歩んだ道は、僕にとっても大切なものだから。」
「ありがとう、幸せよ」
私はアスコットへ優しく言った。
あの後、ウラヌスは疲れたのか、寝てしまった。僕は、庭にある桜を眺めながめていた。春の風が吹き、庭の桜の花が静かに揺れていた。花びらが一枚、また一枚と落ちていくのを見て、僕は少しだけ気持ちが落ち着いた。
「君と西さんは、人バ一体で戦ってきたんだ」
僕は、桜の花を見つめながら言った。
「僕の悲しみとは、比べものにならないんだろうな」
落ちていく桜の花びらを掴もうと手を伸ばす。
「置いて行かれたくないなぁ」
そう呟きながら取ろうとした花びらは、僕の手では掴めなかった。
必死に看病を続けたが、日に日にウラヌスの体調は悪化し、ついに彼女は完全に寝たきりになった。
きっと回復してくれると信じていたが、ウラヌスは弱っていった。
アスコットは必死に看病をし、何度も医師を呼び、無力感に苛まれながらもウラヌスに寄り添い続けた。
私は、ただ静かに横たわっていることが多くなった。今の私から、元気だった頃のあの力強い金メダリストウマ娘の姿からを想像することなどできないだろう。
「ウラヌス、無理しないで、少しだけでも食べてくれ」
アスコットは何度もそう言いながら、優しく食事を運び、私を支えようとしたが、食べる気力も体力もなかった。
それでもアスコットは私の手を握りしめ、微笑みながら言った。
「君は絶対に元気を取り戻す。僕は君の側にいるから」
そんなアスコットの姿に返事をしようとしたが、私の口からでたのは違う言葉だった。
意識が朦朧としたまま、何も考えずにふと静かに言った。
「アスコット……。最期に……軍服を着させて……」
彼女の声は、ほとんど聞き取れないほど弱々しかったが、アスコットはすぐに耳を傾けた。
「私、もう……長くない」
その言葉に、アスコットの顔が曇る。言葉にできないほどの悲しみが彼女の胸に押し寄せたが、ウラヌスは続けた。
「アスコット……、お願い。トレーナーに見せたかった……自分の姿を」
アスコットは目を閉じ、深く息を吸い込むと、そっとウラヌスを抱きかかえ、彼女の愛用していた陸軍の軍服を取り出した。
身につけていた着物を脱がし、西と一緒に仕立てた上衣を着せた。そっと優しく、勲章を付け、再びウラヌスを布団に寝かせた。
力なく横たわっているウラヌスに悲しみを覚えるが、それを抑えつけてウマ娘用の黒いスカートを履かせた。
ウラヌスはその服に身を包まれると、少しだけ安心したように感じた。
「待っててね」
それを見たアスコットは書斎に向かった。以前、ウラヌスに案内された記憶を頼りに机の引き出しを空け、目当てのものを持ち、再び寝室に戻った。
「これで最後だ、ウラヌス」
「ありがとう……アスコット」
アスコットは、ウラヌスの首にゆっくりと金メダルをかけた。
ウラヌスは、微かに微笑みかけた。
静かな部屋の中で、ウラヌスは金メダルを胸に抱えて、まるでその輝きを最後の支えにしているかのようだった。その姿は、かつて金メダルを掲げたあの強い ウマ娘の姿と重なり、アスコットの目には涙がこぼれた。
「ウラヌス……」
アスコットは小さな声で呼びかけたが、彼女は最後の力を振り絞るように、微かに言葉を発した。
「……トレーナー、また、一緒に……」
その言葉を最後に、ウラヌスの呼吸は静かに止まり、彼女の体は完全に静寂に包まれた。
アスコットは、涙を流しながら彼女の手を握りしめた。
ひとしきり泣いた後、アスコットは彼女の手をゆっくりと手放した。
アスコットは深く息を吸い込んだ。そして、静かに続けた。
「ウラヌス、君はもう戦わなくていいんだ。ゆっくり休んでいて。でも、僕はまだ戦い続けるよ。君のためにも、僕はメダルを取る。そして、必ず君のところに行く。だから、見守っていてくれ」
「それから西さんに会ったら、よろしく伝えてくれ。僕がメダルを取ったら、すぐに追いかけるよ。だから、それまで2人で待っていてくれ」
エピローグ
『パリオリンピック!総合馬術団体、日本銅メダルです!バロン西とウラヌスのコンビ以来、92年ぶりのメダル獲得です!』
アスコットは、テレビから聞こえるアナウンサーの興奮した声に微笑んだ。
ウラヌスを看取ってから半年もせずに戦争は終わり、軍は解体された。行き場を失ったアスコットは、競走ウマ娘時代の師の助けを借りながら、二人の分もめげずに生き抜こうとがむしゃらに頑張ってきた。
アスコット自身がメダルを取るという約束は果たせなかったが、自身の後輩達がその思いを受け継ぎ、果たしてくれた。
しかも、ウラヌスの生まれ故郷で開催されたオリンピックとは。2人への土産話をたっぷり用意できた。
テレビで、トレーナーと喜びを分かち合っているウマ娘を見つめ、アスコットは呟いた。
「人バ一体、We wonか……」
完
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