登場人物
・ウラヌス
身長:180cm 髪色:栗毛
階級:陸軍中尉(相当)
役職:陸軍騎兵学校 教官(1936年~没年まで)
フランス生まれのウマ娘。イタリアで燻っていたところで西と出会う。
以降は高貴なる者としての振る舞いを心掛け、馬術競技大会に参加する。
初めて会ったときに西から貰ったカステラが好物。
西については、騎兵としての腕前や軍人としては認めているが、彼の自由奔放さには呆れつつ、小言を言うこともあった。
西と共に教官を務めた頃、陸軍省で騎兵局にいた栗林と親しくなっている。
徴兵されたウマ娘たちが戦場に行くのを内心は複雑に思いながら、戦場で生き残れるように厳しい訓練を課す。
ベルリンオリンピックで勝てなかったことを悔やんでおり、1940年の東京オリンピックで西と再びメダルを取りたいと考えていた。
昭和20年春に病死した。
・西竹一
身長:175cm
階級:陸軍中佐
役職:陸軍騎兵学校教官→第26戦車連隊
華族である西家に生まれる。幼くして父や兄が亡くなったために当主となり、男爵となる。その後、陸軍へ入り、騎兵となる。オリンピックへ出場するために欧州へ相棒を探しに行き、ウラヌスに運命の出会いをする。最初は反発し合いながらも、人バ一体で奮闘し1932年ロサンゼルスオリンピックで金メダルを獲得した。その後は、アスコットも加えた3人でベルリンオリンピックへ向けて努力したが、結果は振るわなかった。
華族・陸軍将校でありながら、毎晩のように飲み歩いたり、高級車を乗り回したりしてウラヌスに小言を言われていた。
軍人としては非常に優秀で、上官や部下から尊敬されていた。ベルリンオリンピック後、満州へ異動。対米英開戦後も満州に滞在し、ウラヌスに会ったのは昭和19年に一度であった。その後第26戦車連隊指揮官として、硫黄島へ。指揮能力が高く、戦場では冷静な判断を下し、部隊の士気を保つために尽力した。
硫黄島では、ウマ娘兵から声をかけられても深く関わらず、常にウラヌスとの写真と尻尾の毛を持ち歩いていたとされる。昭和20年、硫黄島で玉砕。
・アスコット
身長:165cm 髪色:栗毛
階級:陸軍中尉(相当)
役職:陸軍騎兵学校 教官(昭和11年~20年まで)
日本生まれのウマ娘。元競走ウマ娘で、トップクラスのトレーナーの指導を受け、重賞を勝利した。引退後にさる皇族の推薦もあり、ウラヌスに続いてのメダル獲得を期待され、1936年ベルリンオリンピック出場のためにウラヌス・西のコンビに指導を受けた。残念ながら結果は振るわなかった。その後も陸軍に残り、ウラヌスと一緒に働いている。
ウラヌス・西のコンビを尊敬している。戦後は、馬術・競走の復興に尽力した。
・栗林忠道
階級:陸軍中将
役職:小笠原兵団指揮官
下級藩士出身の陸軍将校。陸軍に入り、騎兵の道へ進む。騎兵学校では誰もが相棒になるのを遠慮した気性の荒いウマ娘と良い関係を構築したと言われる。
学校では次席となり、在米武官となるなど出世街道を進む。陸軍省にいた際に騎兵の宣伝として「愛バ進軍歌」の選定に関わった。
この頃に騎兵学校教官であったウラヌスや西と知り合い仲を深めている。
昭和19年、小笠原方面守備隊の最高指揮官に就任。硫黄島の戦いではゲリラ戦を展開し、米軍を苦しめたが、昭和20年3月21日に玉砕した。
・第101特殊工兵大隊(架空の部隊)
機械の不足を補うために、ウマ娘を中心に構成された工兵部隊。硫黄島地下陣地構築に貢献した。米軍上陸後は、陣地の修理を行いつつ応戦したが、2月22日擂鉢山にて玉砕した。生存者は他の部隊に合流したが、最終的な生存者は数名であった。
参考文献など
防衛庁防衛研修所戦史室編纂『戦史叢書 中部太平洋陸軍作戦<2>』13巻(朝雲新聞社、1968年)
武市銀治郎『富国強馬: ウマからみた近代日本』(講談社、1999年)
シリーズ 戦争とラジオ 〈第7回〉 敗戦への道
https://www.jstage.jst.go.jp/article/bunken/71/3/71_58/_article/-char/ja/
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E7%AB%B9%E4%B8%80
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%A9%E3%83%8C%E3%82%B9_(%E7%AB%B6%E6%8A%80%E9%A6%AC)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%84%E3%83%88
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