【完結】どうしてこうならなかったストラトス   作:家葉 テイク

1 / 39
第一話「その男――」

 少女が、暗がりの中にいた。

 呆然と虚空を見つめているその少女は、『普通の格好』はしていなかった。

 

 肩の上に浮かぶのは武者が肩に身につけるようなそれ――大袖に酷似したパーツ。両手両足のみを覆うような防護パーツの他にあるのは、いまどきは珍しいスクール水着のようなインナーだ。胸を覆うように申し訳程度の防具が備わっているが、それも胸の上と下のみを庇う程度のもので、衝撃から守るというよりは胸の形を整える機能の方が主だろう。

 総じて、武者が身につける鎧――大鎧のうちの特徴的な部分だけを抜き出し、グラビア的方面に突き抜けさせ、誇張したようなモノ。端的に言って何かのSF系アニメのような――という形容が似合うソレを、少女は身に纏っていた。

 

 IS。

 正式名称をインフィニット・ストラトスと言い、もともとは大気圏外での作業を行う為に開発されたパワードスーツという話である。しかし、至近距離での核爆発にも耐え、一機で連合艦隊を()()()()()()()()()()()という凶悪さから、現在は表向き『次世代のスポーツ』、実際は『核に変わるクリーンな抑止力』として各国が所有するに至っている。

 しかし、そんな無敵のISにも一つだけ弱点があった。それは、『女にしか反応しない』という点である。外見が女性に似ている男も、手術によって後天的に女性の臓器を手に入れた男も、その全てが意味をなさず、彼らを探し出すのに使った費用と時間だけが無駄に終わった、と言えばその徹底ぶりの一端くらいは理解できるだろうか。

 

「なん、だよ」

 

 少女は、その可憐な相貌に似つかわしくない粗暴な口調で呟く。

 決定的に不似合いなはずなのに、何故かそれは彼女という人格にこれ以上ないほど馴染んでいた。

 

「なんなんだよ、これ……」

 

 少女の瞳は、不安定に揺れていた。

 そんな少女の心境を表すように、彼女の周囲に半透明の画面(ウィンドウ)が表示されては消えていく。何かのパラメータと思しきもの、アーマーの耐久値を表していると思しきもの。少女の視線は、その中の一つに釘づけだった。

 

「……どう、して……?」

 

 少女は、消え入るような声で呻いた。

 途方に暮れた子供のように、心細さに押し潰されそうになりながら。

 少女の声に答えるものは、誰もいない。

 

***

 

 ――その日は、織斑一夏にとって間違いなく最悪の一日だったと言えるだろう。

 そもそもが、場違いだ。

 織斑一夏は男、そして此処IS学園は女の園である。見渡す限り女、女、女。教壇に立っている副担任のロリ巨乳眼鏡という三倍満も勿論女だ。そして、一夏は別に男の娘とかそういった人種でもない。つまり、完全無欠に浮きまくっていた。その性質上、女性しか乗ることのできないISの操縦技術を教えるIS学園は必然的に全生徒が女性であり、教師もそれに伴い男性比率はほぼゼロに等しいのであった。そんな女の園に、どこからどう見ても完璧に男でしかない織斑一夏がいる理由――――それは、非常にシンプルだ。

 

 世界で初めて、ISに乗ることが出来た男。

 

 それが、現在の織斑一夏に関する最もポピュラーな肩書である。入試の際、何の間違いか倉庫に仕舞われていたはずのISを起動させてしまった織斑一夏の存在は今や全世界中に知れ渡り、善人、凡人、悪人誰でも一定数は織斑一夏の身柄を狙っている、という非常に厄介な状況に追い込まれているのだった。

 それもあって一夏はIS学園に入学することになってしまったのだが、彼は周囲から突き刺さる好奇の視線に早くも心が折れそうになっていた。ただでさえ()()()()()()()()があるというのに、この上この客寄せパンダっぷりである。これまでの人生で彼女いない歴=年齢であり、ロクに女への免疫もない一夏には明らかに荷が勝っている状況だった。

 弱弱しくあたりを見渡すと、女生徒達は一斉に目をそらしてしまう。その向こうに見知った顔――数年前に離れ離れになっていた幼馴染・篠ノ之箒――を見つけたが、こちらもふいっと不機嫌そうに視線を逸らしてしまった。助け舟すら出してくれないというわけらしい。一夏は思わず溜息を吐いた。

 

「……織斑一夏、くん?」

「はっ、はい!」

 

 不意に名前を呼ばれ、一夏は思わず立ち上がった。一夏の席は真ん中の最前列、つまり、副担任のロリ巨乳眼鏡のすぐ目の前ということである。一夏はロリ巨乳眼鏡と目が合い、数瞬ほど気まずい沈黙を味わった。

 

「え、ええと……自己紹介、織斑くんの番、なんですけど……大丈夫……?」

「あっ、はっ、はい! え、ええと、織斑一夏です!」

 

 はっと我に返った一夏は、反射的にそう言った。

 そうだった。今は最初のホームルームで、自己紹介をしている最中なんだった。どうせ男だし孤立するだろうとは思うけど、自己紹介は……最も伝えたいことだけは、伝えておかなくては。

 ――一夏はそう考え、

 

「えっと、世界初の男性操縦者なんて言われていますが――俺、在学中に一度でもISを操縦するつもりはありません」

 

 きっぱりと。

 一息に言い切った。ISを操縦する資格と才能を持ち、その為の環境にいながら、それでもISには触れない、と。

 もちろん、教室は騒然となった。この発言はともすると国を揺るがすスキャンダル――クラス中の生徒がそう認識する程度には、織斑一夏は『期待』されていた。世界で唯一ではなく()()()なんて言い方をするところからも分かるだろう。世界は、織斑一夏をテストケースにして他の男性操縦者を生み出そうとしているのだ。その為に一夏はIS学園へと放り込まれたのである。

 その当の本人が、操縦拒否。それまでの前提を知っている一般人なら驚愕して然るべきだ。事実、目の前にいた副担任のロリ巨乳眼鏡もまたあわあわと狼狽し、そのせいで騒がしくなった教室を鎮めることすらできていなかった。

 ゆえに、教室の喧騒を鎮めたのは、必然的にこの教室にいなかった者――乱入者ということになる。

 

 スパァン‼ という音が鳴り響き、まるで猫だましでもされたみたいに教室は静まり返る。

 

「残念だが、お前のその望みは叶わない」

「……千冬姉」

「織斑先生、だ」

 

 一夏の頭に出席簿を振り下ろすという形ですべての喧騒に決着をつけたその女性は、抜身の刀のように鋭いまなざしで教室を一瞥すると、そのままロリ巨乳眼鏡を脇に移動させ、教壇に立った。それを受けて、一夏は頭を左手で抑えながら着席する。その表情は、やはり納得をしている顔ではなかった。

 

「織斑千冬。これから一年間お前達の担任となる者の名だ。ブリュンヒルデだの元日本代表操縦者だのといったくだらない肩書はあるが、それは今は忘れろ。この一年間、私はお前達の教師として此処に立つ。お前達も、その私に相応しい生徒であれ。――以上だ」

 

 まるで首筋に刀を突きつけるかのような千冬の挨拶に、全ての生徒がごくりと喉を鳴らした。ともあれ、気を引き締めた生徒に次を促し、自己紹介はさらに続いた――。

 

***

 

 二時限目の授業が終わった中休み、一夏は早くもグロッキーになっていた。二時限目の授業から始まったISの理論学習にいきなり圧倒されていたのである。一応最低限の予習はしたつもりだったが、その程度でどうにかなるならばIS学園なんて必要ないのである。授業には全くついていけなかった。

 

「――少し、よろしくて?」

「あ、ああ……?」

 

 不意にかけられた声に視線をあげると、そこには『いかにもお嬢様』といった風貌の少女が佇んでいた。金糸のように滑らかで高貴な輝きの金髪、海の様に深い色合いの碧眼。そして制服越しでも分かるほどのスタイルの良さ。胸はそこまで大きくはないようだが、それでも恵まれたスタイルと言えるだろう。

 

「はぁ、何ですのその態度は……、ふふん、まあ良いでしょう。その分ではとてもではないですが授業に追いつくことすらできていないことでしょうし」

「他の大多数と違って俺は急造だからな……、それで、名前を聞いても良いか?」

「…………貴方、自己紹介を聞いていなかったんですの?」

「この世の理不尽を心の中で嘆いていたら、いつの間にか」

「……まあ良いですわ」

 

 肩を竦めておどけて見せる一夏に少女は呆れて物も言えないようだったが、それはさて置くことにしたらしく――あるいはそれよりも気になることがあるのか――溜息を吐いて渋々ながら再度自己紹介をすることにしたらしい。

 

「わたくしは――セシリア=オルコット。イギリス貴族オルコット家の当主にして、イギリスの代表候補生ですわ。もちろん、代表候補生はご存知ですわよね? 流石に」

「お、おう……勿論だ」

「……、」

 

 嘘を吐くのが下手な正直男一夏に絶対零度の視線を向け、セシリアは何度目とも知れない溜息を吐いた。

 

「ISの世界大会『モンドグロッソ』に出るのが国家代表操縦者。その候補生だから代表候補生。――もっとも、わたくしの実力は全イギリス代表候補生の中でも最強な上に『BT適性』も最高ですので、殆ど『次期国家代表操縦者』と言ってもいいのですが」

「へ、へぇ……」

「何で知らないんですの?」

「し、知ってたって!」

 

 嘘を吐くのが超下手な馬鹿正直男一夏に、またも絶対零度の視線が向けられる。一夏は気まずそうに目を背け、

 

「……ISに嫌な思い出があるんだよ」

 

 一夏は、どこか気まずい表情を作って吐き出すように言う。()()()()()()()()()()、一夏のその言葉は異様な真剣みを持っていた。彼の闇の様に黒い瞳に吸い込まれそうな錯覚をおぼえたセシリアは、思わず一夏を侮るような態度をひっこめた。

 

「だから、ISに関するものは見たくなかった……それだけだ。……俺だって、まさかこんなことになるなんて思ってなかったし……」

「……、……貴方にも、色々あるということですのね。……ですが本当に分かっておりますの?」

 

 セシリアは指をピンと立て、一夏に言う。分からず屋にゆっくりと教え込む、噛んで含めるような口調で。

 

「――現代社会において『国家代表操縦者』とはその国の英雄。貴方のような木端役者がわたくしに話しかけられる栄誉を受けられるのは、本来ならそこらの田舎者が偶然エクスカリバーを引き抜くのに匹敵する奇跡ですのよ? もうちょっと感激しました的なリアクションがないと張り合いがありませんわ」

「(……俺はエクスカリバーなんて抜きたくなかったけどな)」

「何か言いまして?」

「いや、なんでもない」

 

 死んだ魚のような目をしていた一夏だったが、セシリアの鋭い指摘にすっと居住まいを正した。このセシリアという少女は気位が高いらしいので、腑抜けた態度をしていたらいつまでも小言を言われそうだった。そう一夏が考えていたのを悟ったのだろうか、セシリアは少し説教くさくなっていた自分を恥じるように咳払いをして話題を変える。

 

「……わたくしもこんな小言を延々と垂れ流したくて貴方に話しかけたのではないですわ。用件を言いましょう」

「ああ」

「ずばり――先程の発言の真意を。『ISを使うつもりはない』というのは、一体どういうことですの?」

 

 問い掛けるセシリアの瞳の中には、燻る炎のようなものがあった。きっと、彼女にとって譲れない何かに基づいた行動なのだろう。周りの女生徒達も気になっていたことだからか、すうっと教室中が静まり返る感覚があった。それどころか、廊下にいた生徒達まで静まりかえっている始末である。

 

「どうもこうもない。……俺は、ISを動かしたく――いや、ISに()()()()()()()()んだ」

「どうしてですの? 現代においてISとは軍事の枠を超えて普遍的な権力の象徴にすらなりつつある。貴方は――貴方達男性は、それがないから肩身の狭い思いをしていることと聞いていますわ。では、その権利を拡大する為に男性を代表してISの操縦技術を学ぶのは当然の成り行きではありませんこと?」

「――俺は、『摂理』を捻じ曲げてまで幸せになりたいとは思わない」

「…………逃げるんですの?」

「逃げることの、何が悪い?」

 

 セシリアの瞳には怒りすら浮かんでいたが、その気勢は一夏の目を見た瞬間に消え失せた。……一夏の瞳には、セシリアのそれを遥かに凌駕する怒りと、そして悲しみが浮かんでいたからだ。

 

「話は終わりだ。悪いなセシリア、俺は――君の期待には応えられない」

「……ふん、拍子抜けですわ。世界初の男性操縦者と聞いてどんなものかと思えば、この程度だったなんて」

 

 吐き捨てるようにそう言って、セシリアは自分の席に戻って行く。一夏はその後姿を静かに見送り、そして机の上に突っ伏した。

 ――逃げるんですの?

 セシリアの言葉が、脳内を駆け巡る。何も分かっていない、そう、本当に何も分かっていない言葉だった。あそこまで無邪気になれたらどれほどよかっただろうと、一夏は思う。

 

「……逃げられるんだったら、とっくの昔に逃げてるよ……」

 

 逃げることすら許されない。それでも抗うしかないから、一夏はこんなことになっているのに。

 

***

 

「クラス代表を決める」

 

 三時限目の授業、千冬は開口一番にそう言った。

 自己紹介、二時限目の授業を経て、大体生徒のスペックも分かって来た。生徒同士でも何となく『誰それが優秀』というのが何となく分かって来た頃である。クラス代表を決める要因は、十分にそろった頃だろう。

 ……ちなみに、一夏は当然ながら落ちこぼれの烙印を押されていた。

 

「自薦他薦は問わない。ただし、辞退は認めない」

 

 そう言って、千冬は静かに腕を組んだ。少しの間、互いが互いの様子を伺うような沈黙が教室を支配した。数秒ほどそうしていたが、流石にIS学園というべきか、沈黙はすぐに打ち破られた。

 

「……織斑くんが良いと思いますっ!」

「はぁ⁉」

 

 ただし、斜め上の形で。

 在学中ISに乗るつもりはないって言ったのに――と一夏は驚愕して目を剥いたが、一度うねりだした流れは誰にも止められなかった。

 

「ちょっと待ってくれ、」

「私も賛成っ!」

「ちょっ、待って、」

「織斑君で良いと思います」

「ちょ、待っ、」

「いやむしろおりむーしかいないよね~」

「……、」

 

 などなど、女生徒達は次々に一夏を推薦していく。

 おそらく、世界初の男性操縦者の実力を見たい、というのが総意であろう。『ISを操縦するつもりはない』と一夏は言っていたが千冬はそれを認めないようだったし、むしろそこまで言う一夏の実力の程が見てみたい、という考えもあったはずだ。

 千冬はそんな生徒達を呆れたようなまなざしで見ていたが、結局それ以外の意見が出ることはなかった。首を動かして辺りを見渡し、異見がないことを確認した千冬は、

 

「異論はないな? では、クラス代表は、」

「――――そ、ん、な、選出が認められるかァァぁあああああああああああああッッ‼‼」

 

 瞬間、怒号が轟いた。

 

客寄猫熊(オトコ)が選ばれるのも良い、極東の愚民が選ばれるのも良い、戦う気概もない腑抜けが選ばれるのもまあよしとしましょう。――ですが、納得がいかないのは! そんな三流が選ばれておいて何故! イギリス次期代表の! このセシリア=オルコットが誰からも推薦されないのかということですわ‼‼」

 

 怒号の主――セシリアは、憤怒と軽蔑の目線でクラス中を一瞥する。千冬は溜息こそ吐いたが、セシリアを止めるようなことはしなかった。肩を怒らせたセシリアは、血走った眼で一夏を視界に収め、一旦呼吸を落ち着けてから続ける。

 

「…………クラス代表ともなれば実力者が選ばれるのが当然。そしてこのクラスにおいての最強とは()()()()()()()()わたくしですわ。……ねえ、ミス山田?」

 

 セシリアの言葉に、視線を向けられたロリ巨乳眼鏡はおずおずと頷く。

 機体として洗練された量産機と違い、洗練されていない……バグや弱点の多い性能の不安定な試験機で、セシリアは元代表候補生であり試験官役だったロリ巨乳眼鏡に勝利している。代表候補生なので殆ど合格は決まっており、入学試験といっても軽いエキシビションマッチのような扱い――つまりそれなりに本気――であったにも拘わらず、だ。つまり、教師を含めてもナンバー2。それがセシリア=オルコットの実力である。

 ロリ巨乳眼鏡の肯定に呆然としているクラス一同を一瞥したセシリアは、怒りを通り越して呆れている様子で鼻を鳴らす。

 

「まったく、事前情報を見れば『勝利合格』が私だけだなんて簡単に分かることですのに。そんなことも分からないほどに日本人というのはオツムがゆるいのかしら? ISの技術流出を指をくわえて見ているだけでなく、そんな簡単な計算もできないんですの?」

「で、でも……噂では、織斑くんも入試試験で勝ったって」

 

 おずおずと、怒り心頭な調子のセシリアに、女生徒の一人が言った。素早くセシリアがそちらの方に視線を向け、言った少女がひっと短い悲鳴を上げる。セシリアはふっと目尻に浮かぶ厳しさを和らげ、女生徒を労わるように目礼した。

 それから、ロリ巨乳眼鏡に視線を向ける。

 

「……ミス山田、それは事実ですの?」

「え、ええと、はい。確かに、見様によっては織斑君が勝った、って言えなくもない、の、かな……?」

「IS学園の公式情報では、『勝利合格』はわたくしだけという話でしたが?」

「……あー、それは、なんというか、はい、色々とあるんです」

 

 歯切れの悪い回答だったが、ロリ巨乳眼鏡の言質はとった。つまり、この場においてナンバー2は二人いる、ということになる。

 織斑一夏と、セシリア=オルコット。

 どちらも、クラス代表になる資格はあるということだ。

 

「――申し訳ありませんでしたわ、クラスの皆さん。先程の暴言は訂正いたしましょう。そしてミス織斑。わたくしは自らを、セシリア=オルコットを自薦いたします」

「受理しよう。そして織斑先生と呼べ、オルコット」

「感謝します。――さて、これでお膳立ては整いました。織斑一夏! わたくしは貴方に決闘を挑みますわ‼」

 

 毅然として人差し指を突きつけ、セシリアはそう言った。一夏はあまりの怒涛の展開に表情筋を引きつらせ――、

 

「ち、ちなみに、辞退は?」

「できんと言ったはずだぞ、馬鹿者」

 

***

 

「何て日だ……」

 

 部屋番号を教えられた一夏は、その足でこれからしばらく――部屋の用意ができるまでは相室で我慢するようロリ巨乳眼鏡に半泣きで頼まれた――住まうことになる自室に向かっていた。ちなみに、生活用品を取る為に一時帰宅させてくれという頼みは防犯上の理由から却下された。代わりに渡されたのはスポーツバッグに入る程度の荷物である。

 

「女の子と相室とか、どうすりゃ良いんだっての……」

 

 此処は女の園。そして女は男に対して高い警戒心を誇る生き物である。一夏は実体験で知っている。女とは、不慮の事故で身体が触れあっただけでも反射的に(グー)が出る生き物なのである。

 

「千冬姉は『よく知っている人物だから大丈夫だ』とか意味深に笑ってたけ、」

「――ああ。同室になった生徒か? こんな格好で済まないな。少し緊張で汗をかいてしまって、」

 

 そんなことを考えながら扉を開けた、その先には。

 ――一糸纏わぬ姿の幼馴染、篠ノ之箒の姿があった。

 幸い、風呂場から漂ってくる湯気と即座に顔をそむけた一夏の努力のお蔭で、(お互いに)致命的な部分については目撃していない。だが、箒からしたらそんなことは分からないし、何より隠れているからと言って風呂上がりの姿を見たことに変わりはないのだ。

 

「ご、ごめん‼」

「ひっ、わっ、ひゃあ‼」

 

 一夏が目を固く瞑ったままそう言った後のタイミングで、箒は再起動を果たした。両手で胸と下半身を隠し、そのまま風呂場の中へ引っ込んで行ってしまう。風呂場の中から、怨嗟にも似た声が聞こえて来る。

 

「な、な、な、な、な、なんでっ、何で此処に」

「此処、俺の部屋でもあるんだ」

 

 まさか箒と相室だったなんて知らなかったけど、と一夏は呟く。まあ普通は部屋割りなんて事前に伝えたりはしないだろうが、それでも一夏は世界初の男性操縦者なわけで、少しくらいそういう方面に融通を利かせてくれてもいいのに、と思った。

 

「す、すまん。……着替えを取りたいんだ。ちょっと部屋から出ていてくれるか」

「あっ……ご、ごめん」

 

 一夏は頬を赤らめながら、一旦部屋から出た。ややあって、部屋の中から『入って良いぞ』という声が聞こえて来る。一夏はおそるおそる扉を開け、中に入って行く。

 部屋の中に入って行くと、襦袢を着てベッドに腰掛けた箒の姿があった。湯上りだからか頬が上気しており、妙に色っぽい。襦袢という薄着も、一夏にとっては意識せざるを得ない要素だった。

 目のやり場に困りつつ、一夏はとりあえず、同じように自分のベッドに腰掛けた。

 一瞬、気まずい沈黙が生まれる。

 

「あー、何から話せば良いのか…………剣道の大会、優勝おめでとう」

「っ、……あ、ありがとう…………でも、何で?」

「……何で、って?」

「な、な、何で、知ってるんだってことだっ!」

「あっ、ああ、……し、新聞で見た」

「……なるほど」

「……俺はさ、中学に入ってからバイトやってて剣道やめちゃったけど、箒の剣道してる姿を見れて、何となく嬉しかったよ」

「そ、そうか……」

 

 お見合いのように気まずい雰囲気だった。

 幼馴染と言っても、もう互いに一五。相手の認識は立派な『異性』であり、何が好きなのか、何が嫌いなのかすら曖昧な存在だ。親しい間柄のように話せ、という方が無理だろう。

 

「い、一夏は……」

 

 だから、箒は探り探り話を続けていく。

 

「何で、剣道をやめたんだ……?」

「……家計を助けたかったんだ」

 

 一夏は、その問いを聞いて初めてはにかむように笑った。箒はその無邪気な笑みに思わず見惚れてしまったが、次の瞬間には一夏の表情はまた曇ってしまう。

 

「あの頃は俺、千冬姉がどんな仕事してるのか教えてもらってなかったからさ。でも、女尊男卑な世の中っつったって年功序列は変わってない。高卒の千冬姉が働けるような仕事じゃ、そんなに多くの給料はないって思ってたんだよ」

「それでは……、」

「まあ、現実はこうだったけどな。千冬姉は俺なんかの想像を絶するほどの高給取りで、俺の心配は全部杞憂だったって訳だ」

 

『それでも中学三年間をバイト漬けで過ごして来たことは後悔してないけど』と笑う一夏は、恥ずかしそうだったがどこか清々しい笑みだった。多分、このことは彼の中で既に決着がついているのだろう。一体その結論に至るまで、彼の中でどんな葛藤があったのか、箒には想像もできなかったが。

 そして、また無言になる。もともと口下手な箒に加え、今の一夏は何かに絶望しているようだった。重苦しい空気が立ち込めて、箒の頭の中は『何か話して沈黙を打開せねば』という思いに支配される。……そして、焦った彼女は決定的な『地雷』を踏んだ。

 

「今日の授業、何で、『在学中に一度でもISを操縦するつもりはない』なんて言ったんだ?」

 

 瞬間、箒は部屋の室温が一気に五度は下がったような錯覚を感じた。それくらい、一夏の様子が目に見えて変化した。

 

「――お前には、関係ないだろ」

 

 突き放すような口調で、一夏はそう言った。あまりにも冷たい声色に、箒は思わずたじろぎかけたが――しかし、そこで踏みとどまった。

 

「関係なくはないだろう。私は――その、お前の友人だ! もしもお前が困っているなら、力になりたい!」

「……箒は、俺の力になんかなれないよ」

 

 そう言って、一夏は自分の手を見つめて黙り込んでしまった。箒のことなど最初から問題にすらしていない、という態度だった。自分でどうにかするしかない。一夏はそう思っている。

 箒は、もう我慢ならなかった。他人にそんな態度をとられてもちっとも堪えない箒だったが、他の誰でもない一夏にそんな態度をとられるのだけは、どう頑張っても耐えられなかった。

 

「そ、そんなの、やってみないと分からないだろう‼」

「分かるよッ‼ 分かるからこう言ってんだ‼ もう放っておいてくれ‼」

 

 鬱陶しがるように立ち上がった一夏は、そう言ってベッドから立ち上がり、扉の方へと歩き始める。

 

「どこに行く気だ」

「……夜風に、当たりに行くんだよ。頭を冷やしにな」

「嘘だな」

 

 一夏はやはり嘘の吐けない男だった。本当は、箒は話している最中から分かっていたのだ。ISに乗りたくない、なのにクラス代表を決める為にISに乗らなくてはいけない。日中の一夏の態度だったら、そんな状況に追い込まれたらどう動こうとするのか。

 

「――逃げるのか? このIS学園から」

 

 箒は追いかけるように自分もベッドから立ち上がりながら、その背中に必死の思いで言葉を投げかけていく。

 

「……ああまで言われて、悔しくはないのか? 私の知っている一夏は、あんな挑発を受ければどんな敵が相手でも立ち向かったぞ」

 

 そんなことを言う箒の言葉には、とある感情の熱が灯っていた。そしてその炎は、箒の中にある『何か』をどんどんと熱していく。

 

「相手がイギリス最強だからって、逃げるのか? 違うだろう? 勝てないからって最初から諦めるのはお前らしくない。一夏、思い出してくれ。あのとき、いじめられていた私を守ってくれたあの時のような勇気を――、」

「お前は、何も分かってない」

 

 一夏は血を吐くような表情でそう言い捨てた。それは、差し伸べた手を振りはらうような取り付く島もない否定だった。並の人間ならば、そこで怯んでしまい、一夏の心に踏み込むことも出来ずに見送ることになっていただろう。だが、箒もそこで留まるような器ではない。

 

「ああ、分からないさ‼ だって、一夏は何も言ってくれない‼ お前がどんなことを想っているのか、私には全く分からないよ……でも! でも、分からないなりに共に立つことはできると思っている! 言えないことなら言わなくて良い。でも、逃げることだけはしないでくれ! どんなことがあっても、何があっても、私は、私だけは一夏の味方でいるから! だから……そんな捨て鉢な態度はやめてくれ……。そんな悲しそうな顔はしないでくれ……」

 

 そう言って、箒は一夏を後ろから抱きしめる。

 一夏は一瞬虚を突かれ、それから背中にあたる二つの柔らかい感触にたじろいだが、やがて箒の言葉の真意に気付き、かたく絡まっていた何かを解きほぐすかのようにゆっくりと、自らを抱きしめる箒の腕に自分の手を添えた。

 

 ――織斑一夏には、実姉である千冬以外には今まで誰にも言っていない過去があった。

 中学二年生の頃。一夏は誘拐されたことがある。千冬のモンドグロッソ二連覇のかかった決勝戦の直前だった。何者かに襲われた一夏は、何もできずに攫われ、倉庫に軟禁された。ドイツ軍からの情報提供によりやってきた千冬によって一夏は救い出されたが、その代償として千冬はモンドグロッソの決勝で反則負けとなった。それだけでなく、情報提供の見返りとして千冬は一年間ドイツで教官をやることになった。それはつまり、彼女のIS選手としてのキャリアの終焉を意味し、事実千冬はそれを機にISの国家代表操縦者を引退した。

 一夏の誇りだった姉の覇道は、他でもない彼自身が潰してしまったのだ。この罪悪感が、『ISに嫌な思い出がある』と語った一夏の真意である。

 

 

 ……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「……本当に」

 

 ゆっくりと、一夏は箒の腕をほぐし、それから振り返ってその目を見る。黒曜石の様に真黒な、潤んだ瞳がただ一夏の顔を映していた。

 

「本当に、俺の悩みを聞いてくれるのか」

 

 一夏の表情には、感情がなかった。それほどのことがあったのか、と箒は思う。覚悟し、それでも一夏は自分の――と思い、頷く。解決できるかどうかは分からない。箒は彼女の姉である万能のデウス・エクス・マキナではない、ただの人間だ。だから、出来ることなんて限られている。だが、それでもやるだけのことはやってみるつもりだった。

 そんな箒の覚悟を見て取ったのか、一夏は小さく微笑み、話を切り出した。

 

「実は、俺は……ISを装着すると――――」

 

 箒は思う。

 どんな真実が告げられようと、決して笑って受け入れると。

 絶対に、一夏の味方でいて見せると。

 

「――――――女になるんだ」

 

 そして、告げられた衝撃の事実に。

 

「……ぶっふぉ⁉」

 

 箒は、笑って受け入れるどころか大爆笑してしまった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。