【完結】どうしてこうならなかったストラトス   作:家葉 テイク

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第一二話「唐突な料理回」

「お疲れ様会?」

 

 五月下旬。

 机に向かって課題をやっていた一夏は、一夏の部屋にやって来てゴロゴロしている鈴音へ振り返りながらそう問い返した。

 箒とセシリアはセシリアの方の部屋に移動しており、この部屋には一夏と鈴音の二人きりだ。……が、仮にも幼馴染であり、互いの共通認識として『親友』でもある為、そこに色気は何一つ存在していなかった。鈴音の方は、多少の緊張を覚えていたが。

 鈴音はゴロゴロと箒のベッドの上で転がりながら、そんな緊張を少しも表に出さずに答える。

 

「そーよ。この間言ったでしょ? 今度リーグマッチのお疲れ様会するって。もう忘れたの?」

「ああ……あれな。覚えてるよ。それで、そのお疲れ様会がどうしたんだ?」

「うん。そのお疲れ様会は喫茶店でやるつもりなんだけど、そこに行くときアンタには()()()になってもらいたくて」

「………………やだ」

「そう言うと思った」

 

 突然の宣告に、雰囲気から意味を悟った一夏は渋い顔を作って応える。それでも予想通りでしたという風に表情を変えない鈴音に、一夏はさらに問いかけた。

 

「何でだよ? 別に喫茶店に行くのに女になる必要なんかないじゃんか」

「……あたしは、男のままでも全然良いんだけど……アンタ、男のままで喫茶店入るのとか、駄目でしょ?」

「いや? そんなこと全然ないぜ」

「……本当に? アンタ以外全員多分女の子だけど? 白い目で見られるけど? それでも良いの?」

 

 ……全然良い、などと言っているが、本当は一夏を他の女の前に晒したくない、というのもある。セシリアと箒も連れて行くので、まさか女三人男一人の集団に悪い虫がついてくるとは思えないが、一夏のモテパワーを舐めてはいけない。ちょっと目を離したすきに路地裏にふらっと足を運んで不良に絡まれている女の子を助け出して惚れられるなど、はっきり言って日常茶飯事なのである。

 そうならない為には、鈴音が先回りして町中の不良を駆逐して女の子を助けるか、イチカになってもらうしかない。

 

(……それに、どうせこじゃれた喫茶店に行くんなら、『好きな人』と『お邪魔虫二人』じゃなくて、『女友達三人』と一緒に行きたいし……)

 

 何だかんだ言っておいて、こんなことを打算抜きに本気で考えられるあたりが、鈴音の良い所なのだろう。変態淑女的には『つけ入る隙』でしかないが。

 

「…………それでもやだ」

 

 一方の一夏は女子の集団の中で白い目で見られる自分を想像し、それは相当居心地が悪いだろうなと結論したが、それでも拒否する構えなのだった。

 対抗戦(リーグバトル)で曖昧になっていたが、基本的に一夏の性別は男だ。女として過ごしていたのは少しでも稼働時間を伸ばす為で、描写こそされていなかったが寝ているときはちゃんと男に戻っていたのだ。リーグバトルが終わった以上、あの時のように必死にISを稼働させ続ける必要性も薄い。

 喫茶店に行くのは既に約束したことだし別に一夏としても女の園に男一人なんてもう慣れたことだから(居心地が悪くても我慢できるという意味で)別に良いが、わざわざ女の子になってまで行くのは耐え難かった。一夏はあくまで男の子であり、女の子の姿は仮初の物なのだ。

 

「大体、それなら喫茶店以外のとこに行けば良いじゃないか!」

「そもそも、あたしは女のアンタと行くためにお疲れ様会を考えてたの! 今更撤回は……それはそれでやだ‼」

 

 鈴音的には、イチカと一緒にお疲れ様会をすることに意味があるのであった。

 一夏と一緒に出掛けてしまえば、それはもうデートを意識せざるを得ない。男女の友情は成り立たないというが、そんな感じなのだった。

 

「……じゃあ、こうしましょう」

 

 このままではらちが明かないと判断した鈴音は、そう言って一夏に提案をする。

 

「これから、一つ勝負をする。それにあたしが勝ったら明日の喫茶店はイチカで行く。アンタが勝ったら一夏のままで良いわ」

「……それ、イマイチイントネーションが分かりづらいんだが……後で良いように解釈したりしないよな?」

「当たり前でしょ! 文章にしたらちゃんと分かるようになってるわよ!」

 

 どうにもメタ的なやりとりを交えつつ、

 

「でも、それじゃあ俺にメリットがないだろ。俺が勝ったら何か特典がないとなぁ~」

 

 そう言って、一夏は横目で鈴音をちらちらと見る。あまりにも露骨な態度だったので鈴音は思わずこめかみに血管を浮かび上がらせるが、主張そのものはいたって真っ当だったので我慢することにした。

 

「良いわ。それじゃあアンタが勝ったら、あたしがISの修行をつけたげる。今はもうイギリス次期代表と特訓してないんでしょ?」

「ああ、セシリアも忙しいからな……。……でも、勝利の特典が修行ってなぁ……」

「もしかして、嫌だった?」

 

 ぼんやりと言う一夏に、鈴音は悪戯っぽい笑みを浮かべて問いかける。

 

「いいや、むしろ大歓迎だ」

 

 一夏もまた、それに挑戦的な笑みで返した。セシリアの教え方は非常に理論的で分かりやすかったが、彼女の基本戦術は遠距離戦。ゆえに近接戦に関しては『如何に距離をとるか』といったところに重点を置かれていて(瞬時加速(イグニッションブースト)もその一環だ)、近接戦の稽古に関しては殆ど箒頼りだった。

 箒は箒で言葉の説明は擬音を使った大雑把なものしかなかったが、『身体に覚え込ませる』タイプの教え方としては優秀だった。ただしやはり彼女の戦い方は『お行儀の良い剣道』が根底にある為、鈴音のようにギリギリのところで刀の柄を間に差し込んで防御してみたり、時には唯一の武器である第三世代兵装すら簡単に盾として消費してしまえるようなダーティさが足りなかった。過日の試合でイチカが鈴音を倒しきれなかったのも、そういう『ギリギリのダーティさ』が関わっているのだと、一夏は分析していた。もちろん、根本的な力量差もあるだろうが。

 箒の『お行儀の良い剣道』が悪いと言う訳ではないが(そもそも『お行儀の良い剣道』を極めた箒はイチカよりよほど強い)、『使えるものは何でも使い、相手を騙し倒す近接戦』のプロである鈴音に教えを乞える――接近戦について別の角度からアプローチできるというのは、願ってもないことだった。

 

「……なんかアンタ、中国の武侠小説の主人公みたいね」

「読んだことない」

「色んな師匠に修行をつけてもらって、色んな技を身に着けつつあるってことよ」

 

 その師匠が揃いも揃って同級生の女子というのが奇妙な話だったが、それはそれで人に好かれやすい一夏ならではだろう。このまま行けば、さらなる強豪たちとも仲良くなって師弟関係を結んでしまうかもしれない。

 

(まあ、惚れられなければあたしは何でも良いけど……)

 

 そうはいかないということは今までの経験上よく分かっていた――のだが、どうにもIS学園に入学してからはそっちの影響がイチカに集中している気がする。そのせいか、鈴音は一夏の女性関係にわりと寛容になりつつあった。

 

「まあそれは良いのよ。それで、勝負はどうするかだけど――」

 

 と、鈴音が言いかけた瞬間。

 

「話は全て聞かせてもらったぞ‼」

「ですわ‼」

 

 バターン! と豪快に扉を開け、変態淑女二人がエントリーする。まるで図ったかのようなタイミングだった。

 

「箒、セシリア……一体どこから……?」

「監視カメラの映像と音声から面白そうな話を聞きつけましたわ」

「俺の部屋が監視されてる⁉」

「安心しろ、録画しているのはベッド付近のみだ」

 

 衝撃の事実に一夏は思わず恐れおののく。箒が超どうでも良い注釈をつけていたが、ちっとも安心できる話ではなかった。むしろほかに仕掛けてたら色々な物が終わってしまう。

 

「……っていうかアンタ達、一夏の方はノーマークじゃあ……」

「ええ、そうですわ……。ですが、イチカさんとイチャコラする為であればこそと……歯を食いしばり……」

「苦行だった…………一秒が数千年のように感じられた……」

 

 当然の疑問(半分くらい警戒が入っているのはご愛嬌)を呈する鈴音に、セシリアと箒は歯を食いしばり、沈痛な面持ちで答える。セシリアはともかく箒の方は元々は一夏のことを好きだったんじゃねーの? という真っ当なツッコミをしてくれる者は、今この場には存在しなかった。

 

「それで、本題に入りますが……その勝負、待ったをかけますわ」

「待った? そりゃ何でだ?」

「何よ、良いじゃない! あたしが一夏と何をしようがそんなのあたしと一夏の勝手でしょ!」

 

 何もなかったかのように本題に入ったセシリアに、まず鈴音が噛みつく。しかしセシリアはそんな鈴音の抗議にもいたって冷静に、

 

「ご安心なさいませ。別に勝負に反対というわけではないのですわ。ただし――互いに賭ける物のある勝負である以上、勝負の内容は公正でなくてはなりません。どちらかが勝負を提示したら、自分に都合のいい勝負内容にしようとするかもしれませんからね」

「うむ、セシリアの言う通りだ」

 

 超得意げに語るセシリアに、箒がうんうんと頷く。実際正論なのだが、この変態が正論を吐くときは何か思惑があるものだと一夏は経験で理解していた。

 

「……なんか俺、嫌な予感がしてきたんだけど」

「悪いけど、アンタ達が勝負内容決めるってんならお断りよ。絶対一夏に肩入れするに決まってるもん」

「あら、中国次期代表。舐めないでくださいまし。わたくし達は織斑ではなくイチカさん一筋ですわ。むしろ中国次期代表が勝てば一緒に喫茶店確定である分、判定は貴方寄り寄りなのですわ」

「あー‼ 反対‼ 絶対反対‼ のほほんさんとかにお願いする‼‼」

 

 セシリアがぽろっと不正宣言ともとられかねない失言をした為一夏は即座に逃げ出そうとするが、残念なことに扉は変態淑女二人でふさがれていた。そして当然、自分に有利になる条件を提示されて鈴音がそれに乗っからないわけがなかった。

 

「よし、お願いするわ」

「うむ。満場一致だな」

「満場じゃない‼ 此処に俺がいる‼」

「三対一で賛成多数により可決ですわ」

「何気にお前らを頭数にカウントしてるんじゃねーよ‼‼」

 

 徹底抗戦の構えをとる一夏だったが、しかしこうなってしまってはもう遅いのだった。唯一の味方である鈴音が敵に回った時点で一夏の敗北は決定していた。

 

「勝負内容は明日お伝えします。では、わたくしはこれで」

「あたしも今日は部屋に戻るわ。また明日ね」

 

 一夏の抗議もむなしく、二人の『次期代表』はさっさと退散してしまう。

 二人を制止することができなかった一夏は、箒と二人きりになった部屋の中でしょんぼりとベッドに腰を下ろした。

 

「……何が来るんだろ……今から胃が重い……」

「案ずるな一夏、悪いようにはしない」

 

 説得力は、欠片もなかった。

 

***

 

『というわけで、これより織斑と中国代表の、休日の過ごし方決定権争奪戦を開催するのですわ‼』

 

 次の日。

 授業が全て終わった後、一夏と鈴音は何故か校庭のド真ん中に立たされていた。校庭のど真ん中だけ何故か仮設のステージが建築され、そこにキッチン台が二つほど設置されており、それを取り囲むように大勢のギャラリーが集まっている。尚、セシリアと箒は――、

 

『実況はこのわたくし、高貴で思慮深く荘厳かつ、威厳があり高貴で誇り高いイギリス次期代表ことセシリア=オルコットが務めさせていただきます』

『解説は篠ノ之箒でお送りする』

 

 何故か特設された実況ステージの上でマイクを握りしめていた。ウオオオオオオオオオオオオオ‼‼‼ と、まるで闘技場に観戦しにきたむさくるしい男かと聞き間違うような歓声が、校庭中に轟く。

 

『ちなみに審査員は一組の担任と副担任である、ミス織斑とロリ巨乳眼鏡ですわ』

『織斑先生、だ』

『せめて名前で呼んでください~~~~っ‼‼』

 

 シリアスの皮を被っていた一話以降名前で呼ばれることがなくなってしまった悲哀の嫁き遅れ(絶賛彼氏募集中)が、涙を誘う。肝心の一夏と鈴音は――校庭に設置された仮設ステージ、その中央に存在するキッチン台の傍らに立っていた。

 

「これは一体なんだよ⁉」

 

 可愛らしいフリルつきのエプロンを身に纏った()()()が、正常な人間であればだれもが思うであろうツッコミを入れる。

 

「無理やり控室に放り込まれたら女物の服しか用意されてねえし! しかも『このコスチューム着ないと不戦敗で強制敗北だぞ』って箒テメェ何の茶番だこれは‼」

 

 華奢な肩を精一杯に怒らせたイチカは、そう言って服の端をつまむ。IS学園の白い制服ではなく、コックが着るような白い、色気の少ない服装だ。だが、その色気のない健全さが逆に変態たちにとってはスパイスになるのを、イチカは知らない。

 気持ち悪いくらいにサイズは一致していたが、そこはもはや問題ではない。この期に及んで、イチカはこの対決が『とりあえず勝敗は脇に置いておいて、イチカのエプロン姿が見たい』という煩悩のみで運営されているであろうことに戦慄を覚えていた。

 

『何と言われても、料理勝負に決まっているだろう』

「知ってる! 聞きたいのはそこじゃない‼」

『やれやれ……イチカは恥ずかしがり屋だな。悪いようにはしないと言っただろう?』

「早速悪いことになってるから俺はこんなに声を荒げてるんだよ‼」

 

 必死にアピールしてみるイチカだったが、しかし箒はもはや『やれやれ』と肩を竦めるだけだった。観客の方も、声を荒げるイチカのことを眼福眼福とばかりに目を細める始末である。

 完全に、動物園にいる可愛い動物みたいな扱いだった。

 

『イチカさん、もう諦めてくださいまし。というか、着てから文句を言うのは遅すぎじゃありませんこと?』

「テメェらがそうなるように仕組んだんだろうが‼‼」

 

 歯を食いしばるイチカであったが、もう此処まで来た以上は引き返すことなどできないのであった。

 イチカの最後の抵抗が終了したのを見て取ると、実況席のセシリアが再度マイクを口元に近づける。

 

『これからお二人には料理勝負をして、雌雄を決していただきます』

『オスメスの別は既に決まっているがな』

『おほほ、これは一本とられましたわ』

 

 実況ステージで繰り広げられる軽快なトークに、観客席から『世の中にはメス男子というジャンルもあるんだぞ!』という野次が飛ぶ。

 必死に今の野次を聞かなかったことにしようと自己暗示を試みるイチカの横で、料理勝負と聞いた鈴音が不満げに実況ステージに抗議した。

 

「全然上手くなんかないわよ! 大体料理勝負って、一夏に分がありすぎじゃないの⁉ コイツの料理スキルの高さ知らないでしょ!」

『ご安心くださいませ。お題は「中華料理」としますわ。これならば中国次期代表の方が有利でしょう』

「おい! 中華料理のレパートリーなんか殆どないぞ俺⁉ おい、こんなの良いのか! 不正じゃないか! 観客!」

 

 あからさまに依怙贔屓発言でありこの対決の公平性が疑われるものだったが、この場にいるすべての人間は偶然にも耳にゴミが入っていたらしく、イチカが振り返ってみるとみんなして耳の調子を確認していた。

 

『おっと、失言でしたが偶然にも誰も聞いていなかったようですわね。バレなきゃ不正ではないのです』

「いくらなんでもわざとらしすぎるわ‼‼‼」

 

 イチカは力の限り吠えたが、残念なことに完全アウェーなのであった。まだ気乗りしないイチカをせかすように、セシリアは言う。

 

『制限時間は三〇分。それまでに、おいしい中華料理を作り上げるのです。では――――はじめ‼‼』

 

 そして、唐突な料理バトルが始まった…………。

 

***

 

 イチカが作り始めたのは、チャーハンだった。

 

(俺が中華料理で作れるのは、普通に家庭的なチャーハンだけだ……。下手に中華料理ってカテゴリにこだわるよりも、自分が全力を出せるメニューで勝負するしか、鈴に勝てるチャンスはない‼)

 

 気を取り直してしっかりと手を洗ったイチカは、炊飯ジャーから白飯を、冷蔵庫から長ネギとひき肉、卵を取り出す。

 キッチン台の近くに取り付けられた棚には調味料の類がずらりと並んでいて、およそ調味料と呼べるものは何でも揃っていますと言わんばかりのラインナップだ。イチカはその中から自分が使うものを手早く選んで抜き出していく。

 ここまで、三〇秒とかかっていない。まるで熟練の主婦のように流れるような手さばきだった。

 

『おっとぉ……? イチカさんが此処で選んだのは、塩コショウとごま油、醤油ですわね。しかし、チャーハンに醤油ですの……?』

『香り出しと塩味の調整の為にわりと使われる……とネットには書いてあるな。私は使ったことないが』

『箒さん、料理音痴ですもんねえ』

『お前には言われたくないぞ、イギリス人』

 

 急に殺伐としはじめた実況席はさておき、イチカはまず長ネギを小さく切っていく。みじん切りではなく輪切りだ。細かく鳴り響く包丁の音と、エプロン姿でキッチンに立つイチカの姿はまさしく視覚と聴覚の競演。観客たちはそこにイチカと自分との幸せな家庭を幻視し、あまりの良妻力に震え上がった。

 

「ちょっと! なんであたしの方は完全にスルーなのよ!」

 

 一方、鈴音の方も具材の切り分けに入っていたが、中華包丁で手際良く野菜を切り刻んでいく姿は良妻というより料理人のそれであった。

 中華料理人鈴音の奮闘はさておき、長ネギを切り終えたイチカは中華鍋にごま油を垂らし、熱し始める。

 

『おや! ここでイチカさんが中華鍋を使い始めましたわ! しかしイチカさんあの大きさを使いこなせるのでしょうか……? 心配ですわ……お手伝いしたい……ぺろぺろ……』

『ふぅーむ……イチカのヤツ、ISの操縦者補助機能を使って筋力を底上げしているようだな。あの様子だと五時間は中華鍋を素振りしても疲れることはなかろう』

 

 二人の実況解説をBGMに、十分熱せられた中華鍋にネギと肉を入れていくイチカ。ひき肉は既に成形の過程でばらけているので、イチカはかき回すだけだ。自分の頭よりも大きな中華鍋をいとも簡単に操る姿は、まるで小さな戦士のようですらある。

 

『塩コショウを入れて、味を調える……わたくし、チャーハンの作り方は存じ上げないのですけれど、このあたりは普通なんですの?』

『あ、え? ああ……多分、そうだ。私は塩コショウなんて入れたこともなければごま油を使うという発想すらなかったが……』

 

 料理音痴な二人の実況解説はさておき、イチカはどんどん手早く作業を進めて行く。ネギと肉にほどよく火が通ったところで、イチカはご飯を中華鍋の中に投入し、木のしゃもじを使って細かい粒にしていく。肉の脂やごま油が米に馴染んでみるみるうちにパラパラとした米粒になっていくのは、一種の魔法のようだ。

 ここでイチカは二つ目のコンロにフライパンを載せ、火をかけ始める。

 

『……? あれは一体何でしょう?』

『おそらく、卵を炒めようとしているのではないか?』

『卵、ですか? しかし、普通はご飯と絡めるように炒めるものではなくて?わざわざ中華鍋を使っているのですから、ご飯はあちらで炒めるのでしょう?』

『それは黄金炒飯というやつか? いや、私もどっちが主流なのかは分からないな……』

 

 二人の料理素人の疑念をよそに、イチカは流れるような動作で卵をとき、そして油をしいたフライパンに流し込む。

 名残惜しそうに糸を引く卵を菜箸で断ち切ると、手早くかき混ぜて半熟の炒り卵にしてしまう。

 チャーハンの作り方に正解などないが――この作り方はおいしさの秘訣、というよりは織斑家の好みの問題だった。大黒柱である千冬は卵の食感が強い方が好きなので、自然とイチカの作るチャーハンもそうなっていった、というわけだ。

 

『フフ……あの馬鹿め。私の好みをよく分かっている』

 

 気を良くした千冬が、珍しく嬉しそうな言葉を漏らす。それだけでイチカが千冬の好みのチャーハンを作っているということに、観客は愕然とした。

 

「まさか……織斑先生の好みのチャーハンを⁉」

「いや! イチカちゃんにそんなあざとさはない……つまり‼」

「普段から、織斑先生の好みに合わせて行くうちに、自然とその作り方が身についた……」

「長い姉妹の生活の中で、嗜好が織斑先生色に染め上げられていた……?」

「『調教』されていたというのかッ⁉」

「調教‼‼‼」

 

「そこの変態ども、大概にしないとあたしがぶっ飛ばしに行くわよォ‼‼」

 

 ゴオ! とコンロから炎を迸らせつつ、中華鍋片手に鈴音が変態たちに牽制を仕掛ける。自分の頭よりも大きな中華鍋をいとも簡単に操るその姿は、まるで山をも持ち上げる凶悪な巨人のようであった。これにはさしもの百戦錬磨の変態たちも怯えを隠せない。

 ちなみに、イチカの持つ中華鍋はちゃんと持ち手の部分が存在しているフライパンに近いデザインだが、鈴音の持つ中華鍋はコの字型の取っ手がついているきりの本格派だ。

 

『さて! 料理も終盤ですわ……中国次期代表もなんか異次元的なスピードで完成にこぎつけてきていますわよ!』

『だが、危険な部分もあるようだな……。いや料理ではなくて。観客が、先程から額に汗して料理を作っているイチカの良妻具合に我慢の限界を感じているようだぞ』

『おおっと……まずいですわね。一部の観客が柵を取り払おうとしていますわ。尤も、こちらにある解除ボタンを押さない限り柵が外れることはないのですが』

「何でそんな思わせぶりな解除ボタンが用意してあるんだ⁉」

 

 唐突な展開に、イチカは思わず料理の手も止めて

 

『おほほ、自爆スイッチは様式美ですわ』

「自爆って言ったな⁉ 今自爆って言ったな⁉」

 

 数日前に自爆で痛い目を見た人間と同一人物とは思えない言いぐさのセシリアにイチカは精一杯の抗議を行うが、いかんせん距離が遠すぎるのだった。そんなことをしているうちに、

 

『あっ手が滑っちゃったぞ』

 

 ぽちっ、と。

 箒がついうっかり――うっかりとはいったい――解除ボタンを押してしまう。瞬間、今まで変態淑女たちを防いでいた柵が地面に収納され、イチカを守る盾は皆無となった。

 人の津波が、発生する。

 

「ちょっと! 何であたしのところには誰も来ないの⁉ 酢豚よ⁉ おいしい酢豚を作ったのよ⁉ ちゃんとパイナップルも入ってるわよ⁉」

「だから鈴パイナップル入りの酢豚は日本じゃ邪道だって……、……うわああああああああああ⁉⁉」

 

 その悲鳴を最後に、イチカの周囲へ変態たちが殺到していく。

 当然ながら、もう――料理勝負どころではなかった。

 

***

 

「……フム……やはり、イチカの料理は美味いな」

 

 そんな生徒達の乱痴気騒ぎを眺めながら。

 織斑千冬は、満足そうにれんげを動かしていた。

 

 誰かによそってもらったわけではないのに、その皿にはチャーハンと酢豚が盛られていた。

 ちなみに、酢豚にパイナップルは一つも入れられていなかった。

 

「……あれ? 織斑先生、一体どうやってそれを……」

「ん? いや、なに。空間をちょっとこう、くいっと、捻じ曲げて」

「いやちょっとこうで済む話じゃないですからねそれ⁉」

 

***

 

「はぁ、はぁ……くそ、セシリアと箒のせいで酷い目に遭った」

 

 変態たちの波が引いた後。

 すっかり疲弊しきったイチカは、そう言って選手控室に備え付けてあった長椅子にどっかりと座り込む。何故こんなお遊びの為にこれほどの設備が使われているのか、ということについては気にしてはいけない。

 

「全くよ……。変態どもを千切っては投げ千切っては投げてやっとイチカを助け出したと思ったら、なんかもう作った料理は全部なくなってたし」

「多分、千冬姉がなんかして全部よそったんだろうな……」

 

 相変わらず、チート街道まっしぐらな姉だ、とイチカは思う。あれでたまに乱数調整とかしてるから、本当にチートなのかもしれない。

 

「それで、結局勝負の結果はどうなったのよ?」

 

 そう言って、鈴音は後ろを振り返る。

 そこには、全身を縄でぐるぐる巻きにされた上に天井からぶら下げられたセシリアと箒の姿があった。あの後、変態たちを『鎮圧』した鈴音は、まず実況席に乗り込んで余計な真似をした変態淑女二人を粛清、捕獲してこうして拷問にかけていたのだった。

 

「うぶ……しょ、勝負は、中止ですわ」

「ち、千冬さんが我慢しきれずに作っている途中の料理を全部よそってロリ巨乳眼鏡を分けてしまったからな……」

 

 とのことだ。

 

「じゃあ、あたしとイチカの賭けはどうなるのよ! アンタたちのっ! せいでっ!」

「やめろ鈴! それ以上やったら死んじゃう!」

 

 ゲシゲシとなじりながら二人を蹴り続ける鈴音を、イチカは急いで止める。

 

「うげぶ……今回は中止ということで、引き分けにするのはどうでしょう?」

「イチカは女の子として喫茶店に行く代わりに、凰に修行をつけてもらう……うぐ、それで良いだろう?」

「釈然としない……」

 

 だが、もう一度何か勝負をするほどの気力は、もうイチカにも鈴音にも残っていなかった。勝負の結果が引き分けというのなら、そうするしかない。

 

「なんか、うまいこと誘導されたような気がしないでもないけど……」

「そんなことはありませんわ。イチカさんの為にも修行の機会を用意したいけど一緒にお出かけする機会も欲しいというわたくし達の願いが反映されていたわけでは毛頭ありません」

「…………、」

 

 もはや自白しているようなものだったが、一応自分のことを思ってくれているようなので心優しいイチカはツッコみづらい。そういうノリはやめてほしい、とイチカは思った。

 何より、吊るされた状態でドヤ顔をかまされてもそれはただ滑稽なイメージしか感じさせない。

 

「さ。話が決まったんなら帰るわよイチカ。なんかそうこうしてるうちにもう六時すぎてるし。早く部屋で着替えた方が良いわ」

「え、でもアイツらは……」

「イチカ、いい加減学習しなさい。あの変態どもはこのくらいじゃへこたれないわ」

「そ、そうじゃなくて……」

 

 イチカは二人を気遣うようにちらちら見ていたが、鈴音は無視してイチカを伴い控室から出て行く。

 その日、イチカは一人で平和な夜を過ごした。


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