【完結】どうしてこうならなかったストラトス   作:家葉 テイク

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第一五話「本編(前編)」

『実は今こっちに来てるから、遊ぼうぜ!』というイチカの誘いに、イチカの友人・五反田弾は二つ返事でOKした。

 

 弾としても、イチカ――否、一夏が女の園であるIS学園に行ったというニュースの後はメールのやりとりしかしていなかった為、どんなことになっているのか気にはなっていたのだ。

 IS学園。女の園。

 女尊男卑になって男が生き辛くなったとは言われていたが、同じ高校に通うはずだった一夏が男の身でそこに放り投げられたと聞いたときは、不覚にも噛み締めた唇から血を流す勢いで嫉妬したものだった。

 しかも、その一夏が女になっているのが中継で流れた時は、不覚にも目から血の涙を流す勢いで嫉妬した。

 何故って、女である。女の姿なのである。思春期男子なら誰しも、女になって女体の神秘を味わってみたいと思うはずだ。おっぱいってホントにきもちいいの? とか女の子のアソコってどんな感じになってんの? とか、そんな童貞をこじらせたような好奇心を誰しも抱えたことがあるはずだ。

 一夏は、否イチカはそれを自分の意思で知ることができる。女体の快楽を味わうことができる。しかも、IS学園の美少女集団からの大声援。あの様子だと、IS学園ではハーレム同然になっているはずだ。TSレズハーレム。女尊男卑の為に男に辛辣な女が増えている現状では、それはこの世で最高の楽園だと言えるのではないだろうか?

 何故、イチカばかりがこの世の春を満喫できるのか。いつもイチカの隣で過ごし、己の妹も含めて周囲の女性すべてをことごとくイチカにかっさらわれて行った弾は、この世の不平等を恨む。

 恨むが――――、

 

「よ。待たせたな、弾」

 

 ――その『天使』を視界に収めた瞬間、そんな気持ちは霧散した。

 

 肩までかかる程度の長さの、黒檀のような輝きの髪。

 この晴天の下で満天の夜空を思わせる、吸い込まれそうな深い漆黒の瞳。

 太陽の輝きを眩しく反射するほど瑞々しく真っ白い肌。

 真っ白いカチューシャは令嬢然とした落ち着きを少女に与え、丈の短いワンピースから覗く太腿が落ち着きと活発さを高度な次元で調和させている。

 中世画家が描いた一級の美術品だと言われても何の抵抗もなく納得してしまいそうなほど純粋な『美』が、そこにあった。

 

「おう。んじゃ俺んち行くか。この間『IS/VS』の新しいDLCが出てさー」

「……新しいデータを買うだけで一〇〇〇円って、ボロい商売だよなぁ」

 

 再起動を果たした弾は、至って自然に自宅への道を進んでいく。

 ちなみに、『IS/VS』というのは、世界で初めてISを題材にした本格3D格闘ゲームだ。正式名称を『インフィニット・ストラトス/ヴァニシング・スカイ』といって、日本で開発された後は世界的に売れている。もっとも、どの国も自分の国の機体が最強でないと納得がいかない(し、国威発揚的な意味でも自国の機体が最強でないと政府的に問題がある)為各国ごとにマイナーチェンジ版が発売されているという稀有なゲームでもあるのだが。

 

「しっかしその格好、どうしたんだよ?」

 

 五反田宅に向かい始めて、数分後。弾はそうイチカに問いかけた。

 イチカの姿があまりにも美しかったのもそうだが、弾としてはイチカが女の姿で活動していることの方が驚いた。メールでイチカは自分が女になることについて忸怩たる思いを書き連ねていたから、てっきり女の姿でいるのはなるべく避けているものと思っていたが……。

 と、そんなことを考えていた弾にイチカは気まずそうに苦笑して、

 

「いや、ちょっとな……色々とあって」

 

 そう言葉を濁した。学園に跋扈している変態の駆除を任せた見返りにイチカの姿でいるなんて、説明しても理解できる話じゃないのは想像に難くない。

 弾の方はそんなに気にしていなかったのか、軽く流して、

 

「ま、別に良いけどな。俺も可愛い女の子と一緒に歩くってのは悪い気しねーし」

「ばっ‼‼ おま、俺男だぞ⁉」

 

 突然の台詞に、イチカは顔を赤らめて反発する。

 

「いや、そんなマジになるなよ。嬉しくなるだろ。あくまでガワの話なー」

 

 弾はあっさりと笑いながらそう返した。イチカは自分ばかりが意識している状況に、少しばかり恥ずかしさを感じる。これではまるで素直になれない乙女である。

 ともあれ気を取り直して、イチカは問いかけてみる。

 

「ガワだけねえ。中身が男って分かってたら、色々と冷めてこないか?」

「いや? 少なくとも俺は、ガワが可愛ければイケるけど?」

 

 それに対し、弾はあっさりと答えた。三年間、目の前で女をかっさらわれる生活を続けて来た弾は、女に飢えまくっていた。それこそ顔が良ければ分かり切った地雷にも飛び込んでいくようなレベルで、である。今さら男の娘だのTS娘だので躊躇するような段階は越えてきているのだ。

 ……自慢になど、ならないが。

 

「っつか、その様子だとイチカ……女の身体とか利用したりしてねーの?」

 

 弾は信じられないものでも見るような目で問いかけて来た。イチカはぼんやりと自分の在り方を思い返して――――それから、苦い顔をして言う。

 

「……いや、ないわけじゃ、ない。昨日も、千冬姉との交渉道具にこの姿使ったし……」

 

 イチカとしては、男なのだから女になるのはなるべく控えるべきだと思っているし、その姿を求められることはあっても、自分から利用するようなことは言語道断だと思っている。思っているのだが、他に方法がなくて使ってしまったのだ。なのでかなりの罪悪感(誰に対してのものかはいまいち不明だが)をおぼえていた。

 ただ、弾が聞きたかったのはそういうことではない。

 

「いや、そうじゃなくて……ほら、女湯に突撃してみたり、一緒の更衣室で着替えてみたり……王道だろそういうの」

「………………………………………………………………………………な、なにいってんのおまえ」

 

 コソコソと男子特有の猥談をするノリで言った弾に、イチカは顔を青褪めさせて完全無欠のドン引きを行っていた。

 

「ば、馬鹿じゃねえの⁉ っていうか変態じゃねえの⁉ そんなことするわけないだろ……そんなことしたら貞操の危機だ!」

「それが望むところなんだろうが‼ お前が馬鹿だろ‼ レズプレイだろうと何だろうと可愛い女の子と一発ヤれる大チャンスだろうがッッ‼‼」

「変態‼ 不潔‼」

「中身男のくせにカマトトぶってんじゃねえぞこのアマ‼‼‼」

 

 かくして、顔を真っ青にさせて相手を罵る美少女とそれに掴みかかる変態不審者という構図が出来上がったのであった。

 その構図を客観視した為か、弾は肩で息をしつつも矛を収める。矛を収めて、しかし先程と同様に猥談のテンションで問いかける。

 

「それで、お前もうやったの?」

「……?」

 

 細かい所を伏せられた問いかけに、イチカは疑問符を浮かべる。

 

「やったって、何を?」

「いやほら、だからアレだよ、アレ」

「…………アレって何だよ」

「はぁ、お前も分かんねえ奴だな……あれだよあれ、マから始まる言葉で……」

 

 弾は言葉を濁したが、イチカは首を傾げるだけだった。仕方がなく、弾は決定的な言葉を言う。

 

「……マスター……ベーションを……だよ」

「ヒエッ」

 

 思わず悲鳴をあげかけるレベルで、イチカはドン引きしたが。

 

「いや、待て‼ 何で俺が引かれるんだ⁉ 違うだろ、お前男だろ⁉ 普通は真っ先に確認するだろ、女になった自分の身体を‼」

「するか馬鹿‼ それは絶対選んじゃダメな選択肢だろ! 選んだ瞬間男としての大事なモノが台無しになっちゃうだろ‼」

「このくらいでルート分岐するわけねーだろどんなマゾゲーだよ最初の選択肢は適当にCG回収できる奴だけ選んどけば良いんだよ‼」

 

 異世界言語で語り出す弾はさておき、イチカはちょっと真面目に考えてみる。

 自分で自分の身体を弄るというのは、イチカにとっては青天の霹靂だった。これまで男としての自分を守る、という意味で女としての自分の身体に対して接触することはなるべく避けていた(風呂に入るときも変身は解除していたし、トイレも新設された男子トイレで済ませていた)が、弾の言う『男としての劣情を持って自分の身体に接する』という考え方も、男としては分からないものではなかった。むしろ、女の状態の自分の裸を一度もまともに見たことがないという自分の状況の方が異端のような気さえしてくる。

 女の身体なんてどうせ自分本来の身体ではないのだから、過剰に同一視してしまうのも、それはそれで『自分が女だと認めている』ということになりかねない。

 

(うう……なんか哲学的過ぎてこんがらがってきたぞ……)

 

 要するに『女になったら自分の身体を弄ってみるのが自然なのかもしれない』ということだ。イチカの男友達の代表格である弾が言っているのだし、そう外れた考え方でもないだろう。弾は多少、女に飢えすぎているところこそあるが、基本的にはIS学園の変態と違って常識人だし。

 

「……あー、なんか悪かったな。そういえばお前はそういう奴だった」

 

 ポン、と思い悩むイチカの頭の上に手が置かれる。

 弾の手だった。

 

「……それどういうことだよ」

「ま、女になっても中身が変わるわけじゃねーからなあ」

 

 弾は適当に笑って、イチカの頭を乱暴にわしわしとする。イチカはむず痒そうにそんな弾の両手を押さえていたが、悪い気はしなかった。男の時から弾の方が拳一つ分ほどイチカより大きかったが、女になった今は頭一つ分くらいに身長差は拡大していた。

 こうして頭を撫でられると、今朝千冬に頭を撫でられたのを思い出して、やはり微妙な気分になる。()()()()を嫌ったイチカは、両手で弾の手をどかす。

 別に特別逞しいわけでもないのに、その手は女のイチカの手よりもずっと大きく、そして節くれだっていた。

 

「やめろよ、そういう扱い方」

「悪い悪い。なんかこう、妹みたいな感じがしてな」

「俺はお前の妹じゃない」

「だから悪かったって」

 

 イチカはむくれて先を歩く。

 五反田宅への道筋なら、イチカも何度も行っているから覚えている。わざわざ弾の横を並んで歩く必要などないのだ。

 後を追ってくる弾を振り切るように、イチカは少し足を速めた。

 

***

 

 そんなこんなで、イチカは五反田家にやって来ていた。

 食堂を経営している五反田家の店側ではなく裏口の家族用の玄関から入り、そのまま弾に促されるように弾の自室へ上がり込んだイチカは、弾と共に『IS/VS』をやっている。

 アーケードスティックタイプのコントローラはイチカも中学時代やり込んでいたが、如何せん『IS/VS』は弾の方がやり込んでいる。イチカはISによる操縦者サポートを自ら縛っていたので、負け続きだった。

 

「くそー……ハメ技とか卑怯だぞ。ウチのシマじゃノーカンだから」

「限られたルールの中で勝利条件を満たしただけ」

 

 格ゲー界隈でしか通じないスラングを飛び交わせながら、連敗のスパイラルに嫌気がさしたイチカは弾のベッドに飛び込んだ。

 

「おー、もう降参かー?」

「クッソ、お前経験者なんだからもう少しくらい手心加えてくれても良いだろー」

 

 ベッドに顔を埋めたイチカは、そう言って口をすぼめ言う。弾はそんなイチカのことをせせら笑い、

 

「ハッ、獅子は兎を狩るのにも全力を尽くすものよ。それとも何か? イチカは接待ISで勝って『きゃー嬉しーい』なんて言っちゃう女みたいな奴だったのか?」

「ッッ、この性悪!」

 

 馬鹿にするようなセリフに、イチカは掛布団を頭にかぶって、さらにベッドの奥へ埋もれた。

 ちなみに、上半身をベッドに投げ出したイチカはちょうど弾の方にお尻を突きだしているような形になる。丈の短いワンピースはまくれ上がっていて、その下の黒い短パンが露わになっていた――――だけでなく、その短パンの隙間から見えるパステルカラーのパンツまで開陳していた。

 

「…………」

 

 その様子を見て、弾はだらしなく鼻の下を伸ばしていた。

 この男、最初にイチカの姿を見た時から、その壮絶なまでの美少女具合に参っていた。

 当然だろう。弾はあくまで平凡な男子高校生。しかも、今まで目の前の親友に美少女を奪われ女日照りの毎日だったのだ。そこにこんな無防備な美少女が現れたのだ。健全な思春期男子の劣情はもはや暴発寸前である。

 だが、イチカの性格上それを前面に押し出していけば引かれるのは目に見えている。中継やメールのやりとりから、イチカが変態の蛮行にほとほと参っているのは分かり切っていた。

 だから、からかうことはしても劣情から来る欲求をぶつけたりはしなかった。本当はこうやって突き出されたお尻とか思いっきり掴みたくて仕方がないリビドーに襲われていたが、それをやっちゃったらなんかダメな気がしたので必死にこらえているのだ。

 ちなみに、弾はイチカ個人に対して変態的な感情を抱いたことは一瞬たりともない。イメージとしては、『親友が手に入れた新しい玩具に興味津々』と言ったところか。実際、イチカの姿は仮初のものなので、イチカ自身にとっても玩具みたいなものではある。

 

「おいイチカ、パンツ見えてる」

「えっ!」

 

 鉄の理性で以て自らの劣情を制した弾は、目から血を流す思いでイチカに声をかけた。ベッドの上に突っ伏していたイチカは何故だかぼーっとしていたようだったが、その声に反応して慌ててワンピースの裾をただし、居住まいを整える。

 

「気を付けてくれよな。中身男だって言っても、お前美少女だし。いくらなんでも目に毒だぜ」

「あー、悪い悪い。これからは気を付ける」

 

 と言っているが、急いで直したせいで胸元が若干はだけていることにイチカは気付いていない。弾は心中でイチカのことを拝んだ。『ごっつぁんです』、と。

 

「そういやさ」

 

 十分イチカの胸元を堪能した弾は、話題を切り替えるようにパソコンを起動して専用ブラウザを開く。

 

「この前、こんなスレッドを見つけたんだよ。お前なんか知ってる?」

 

 そう言われて、イチカは弾の後ろに立ってパソコンのモニタを覗き込んだ。ふわりとイチカの髪が揺らめき、(何故か)甘い香りが弾の鼻腔をくすぐる。いちいち男心を刺激してくる奴だな……と半ば呆れつつ、弾はスレッドを表示させる。

 そこには、こんな文言が書いてあった。

 

『IS学園の生徒会長をしてるんだけど、最近妹が反抗期すぎてつらい』。

 

「…………いやあ、知らない……かなあ?」

 

 いっそどっかのラノベみたいなタイトルのスレタイを見て、イチカは内心汗を流しながら首を傾げた。

 ()()()()()()()()と違ってこの世界のイチカは(変態淑女二人+親友からの献身的な授業のお蔭で)IS学園の事情については多少明るい。生徒会長が『更識楯無』という二年生であること、『更識家』の特権である『自由国籍権』を使いロシア国籍に国籍を変更していること、そして国籍を変更したロシアで国家代表操縦者にまでなっていることなども知っている(尚、国籍変更関連で国家間のパワーバランスと日本政府の失政に超厳しいセシリアの愚痴が炸裂していたのは言うまでもない)。

 ただ、こんなネット掲示板にスレッドを建てていることまでは知らなかった。というかこれ、地味に情報漏洩なんじゃないか? とイチカは思うが、よく考えたら生徒会長のプライベートとかは別にバレても良いという判断なのだろう、と思い直した。

 

「そっか。まあイチカもIS学園の生徒とはいえ、いち生徒だしなあ」

 

 そう言いながら、弾は適当にスレッドをスクロールしていく。まったく内容を見せる気のない動きだったが、ISの操縦者サポート機能を使ったイチカにはその文字が追いかけられる。

 読む限りだと、こんなことが書いてあるようだった。

 

 まず、レス番号一にコテハン名『シールドレス』が書き込む。シールドレス=楯無か……安直すぎる……とイチカは心中でツッコむ。

 

『最近、最愛の妹との関係が冷え込み過ぎています。私に何か原因があるのだと思いますが何も分からねえ……ボスケテ』

 

 それに対し、即座にレスがつく。

 

『>>1と妹のスペックうp』

『私→IS学園二年生・生徒会長・ロシア国家代表操縦者・専用機は自分で作った。妹→IS学園一年生・日本次期代表』

 

 さらりと個人が特定できてしまう発言を晒した楯無(特定)に、『エリート姉妹乙』だのといった僻みや『特定した』という笑い混じりのコメントがどんどんとついていく。ひと段落したところで、とあるレスがついた。

 

『で、どんな風に冷え込んでるんだ? 説明してくれなきゃ分かんないんだが』

 

 というご尤もな意見だった。妙に高圧的なのは、ネットではよくあることだ。

 それに対し、楯無は即座にレスを返していた。

 

『私は基本的に毎日朝・昼・晩と挨拶のメールと電話を入れて、意図的に一日に何回も廊下をすれ違うルートを通ってるんだけど、妹はメールの返事もなければ挨拶も返してくれなくて……それどころか私のことを煙たがるみたいに……反抗期なのかもしれない……』

 

 どう考えても構いすぎが原因のように思われたが、そういう旨のツッコミをされても楯無は挫けなかった。

 

『でも‼ 昔はもっと甘えてくれてたし……妹がIS学園に来る前はここまではしてなかったけど、それでもなんかよそよそしかったし……私は妹のことが大好きなのに…………何故だ…………』

『日本次期代表の話は聞いたことあるけど、確か世界初の男性IS操縦者の専用機を作る為に専用機開発が中止になったって話じゃなかったっけ?』

『ああ、それ中止じゃなくて、妹が差し止めたのね。研究所がいつまで経っても開発を再開しないから、自分で作るーって』

『それ進んでるの?』

『超難航してる。助け舟を出そうと何回か試みたけど全部突っぱねられてしまいました』

 

 それじゃん……とイチカは加速した思考の中で頭を抱えたくなった。姉に対してもともとコンプレックスがあった妹が、自分は悪くないのに専用機開発が中断され、それなら自分で作るとなったものの上手くいかない。……それはもうコンプレックスを刺激されまくるだろう。姉妹仲が悪くなるのも頷けるというものである。

 しかも、その原因の一端を担っているのがイチカの存在と言うのがさらに頭の痛い話だった。多分弾がそれとなく探りを入れてみたり、その割にスレッドの内容を見られないように速くスクロールしていたりしているのも、そのあたりを気遣ってのことだろう。

 

(でも……この妹さんの気持ち、俺なんかに言う資格はないと思うけど、分かる気がするな)

 

 スレッドの内容は、『どうやって妹の機嫌をとれば良いんだろう』という話し合いが紛糾しているところで止まっていた。

 だが、そうではないのだ――――とイチカは思う。

 イチカも、世界最強の姉という巨大すぎる存在をコンプレックスに思っていた時期はあった。恥ずかしい話だが、IS学園に入学する直前、千冬がIS学園の教師をやっていて、イチカの中学時代のバイトなど全て無駄だった――というか、千冬に渡していたバイト代は全て『イチカの為の貯金』に回されていた――と知った時は、イチカも本気で怒った。生まれて初めて、姉に対して声を荒げて激情をあらわにした。

 千冬はイチカの為を想って、何一つ過ちなんて犯さずに、最大限の努力をしてくれていたにも拘わらず、である。

 

(そうじゃないんだ。自分のことを想ってくれているとか、優しい姉でいてくれるとか、そういうことも確かに重要だし嬉しいけど、弟妹(オレたち)が求めてるのはそういうことじゃないんだよ……)

 

 似ている、とイチカは思う。

 こんなネット掲示板の断片的な情報を見ただけだが、薄っぺらいスペックシートを見たような上っ面の情報だけだが、それでも、更識楯無と織斑千冬は、家族との関わり方という一点において似ている――。

 

「……イチカ、当たってる」

 

 と、そんなことを考えていたイチカに、弾の声がかかる。イチカは思わず首を傾げた。

 

 ここで簡単な位置関係の提示をすると。

 弾はノートパソコンを取り出し、スレッドを開いていた。そして、イチカはその後ろからモニタを眺めていたという形になる。それこそ、ISのサポートを使って一言一句逃さないようなレベルで、食い入るように見ていたのだ。

 当然の帰結として、イチカは前のめりになる。

 そうなると、両者の位置関係は、体勢は、どうなるだろうか?

 

「だから、胸が当たってるんだっつってんだろ」

 

 当然、胸が背中に押し付けられる形になる。

 イチカの胸は小さいが、鈴音ほど絶無という訳でもない。押し付けられれば、嫌でもその感覚を意識せざるを得ないと言う訳だ。

 

「いい加減にしないと揉むぞオイ」

「ひゃあ!」

 

 突然のセクハラ勧告に、イチカは慌てて弾から身体を離す。そんなイチカの様子を見て、弾は呆れたように続ける。

 

「ったく。気にしすぎるのもアレだが、無防備すぎるのも考えものだぜ。さっきも目に毒っつったろ……」

 

 相手がイチカとはいえ、弾は恋人いない歴=年齢(原因はモテない言動というより、近くに女吸引機である一夏がいたせいだが)の女子免疫ゼロ少年である。中身が親友だから同じ部屋にいてもキョドらなかったわけであって、こんなに頻繁にボディタッチの機会があったら流石に自制心にもヒビが入って来てしまう。

 

「……ふぅーん」

 

 初めて困ったような表情を見せた弾に、それまで散々からかわれていたイチカが、にんまりとした表情を浮かべる。

 この時のイチカの心情を表すなら――――『魔が差した』、というべきだろう。

 これまで弾はイチカに対して散々なからかいようだったが、しかし直接的なセクハラには及ばなかった。だから、無意識に心の中の防御ラインを下げてしまっていたのだ。弾にとっては願ったりだったが、これは偶発的なことである。

 そして、イチカは決定的な言葉を口にする。

 

「じゃあ、揉んでみる?」

 

 そう言って、イチカはベッドに腰掛けて、しなをつくってみる。

 いっそ笑えてしまうほどぎこちない動作だったが、しかしそれは妙な淫靡さを醸し出していた。言っておきながら自分で恥ずかしいのか、頬を若干赤く染めているのも、非常にポイントが高かった。

 そんなイチカに対して、弾の回答は分かり切っていた。

 

「え? イイの???」

「……う、あ、……まあ……べ、別に、減るもんでもないしな…………」

 

 ほんとはちょっとした冗談のつもりだった。弾のことを惑わせられたら、女の身体であるのを良いことに小馬鹿にする弾をからかえたら、という思いだったのだが、なんか弾の目が血走ってしまっていて、いまさら『冗談でした』などと言おうものなら弾が爆発するのは想像に難くないので、頷くしかなかった。

 それに、イチカも男なのでこういう場面で『いや、やっぱ冗談だから駄目』と言われることの残酷さについては理解があるつもりだ。いや、イチカは今までそんな状況まで行ったことなどないのだが。

 それに、別に揉ませるだけならいつものことだしいっか、という謎の感覚の麻痺もあった。

 

 イチカは気付いていない。

 女の子同士の絡みならともかく、同意の上で男が女の胸を揉む展開は、どう考えてもギャグエロの範疇を大幅に超えてしまっているということに。

『度を超えた行為』をしたとき、世界の修正力がどう愉快に作用するかということに。

 

 そして、()()()()()()()()で、六月頭に五反田家を来訪したイチカに、どんなイベントが振りかかったかということに。

 

「じゃ、じゃあ揉むぞ……」

 

 そう言って、弾はベッドに腰掛けたイチカの前に跪く。それから、ゆっくりとイチカの胸に――僅かに膨らんだ、控えめな丘に手を伸ばす。イチカは思わずごくりと生唾を呑んで、その様子を見守っていた。

 そして、その手がイチカの胸に触れる、と言ったところで。

 

 弾の脳裏に、『はい、サービスタイム終了ー』という声が聞こえたような気がした。

 

「お兄! さっきからお昼出来たから下降りてってお母さんが、」

 

 ドカン! とドアを蹴り開ける音。

 弾の妹、五反田蘭は、その光景をモロに見てしまった。

 

 自らの兄が、見知らぬ清楚な感じの女の人の胸を、今まさに揉もうとしている姿。

 

「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………」

 

 思春期の、多感な時期の少女が見てしまえばトラウマ行きは免れないであろう光景を見て、しかし蘭は冷静に、最善の行動を選択した。

 

「……ごめんお兄さん、お母さんにはお兄出かけたって言っておくから……」

 

 ばだむ。

 開けた時とは裏腹に、扉を閉める音は非常に丁寧だった。

 弾は勿論、この時ばかりは鈍感そのもののイチカも自分が置かれている状況に気付いた。二人の選択は、一つしかなかった。

 

「うわああああああああああああああああああああああああああああ待って待って待って待って待ってえええええええええええええええええええええええええええええええ‼‼‼」


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