【完結】どうしてこうならなかったストラトス   作:家葉 テイク

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第一八話「やっぱり国連クソだわ(byイチカ)」

 午前の授業を一通り終えた一夏は変身を解除し、屋上にやって来ていた。

 結局、模擬戦は惨敗だった。

 完璧の布陣、そして完璧の連携を以て挑んだはずの六人は、開始数秒後に何故か一万分の一秒の狂いもなく同時のタイミングで撃墜。もはや次元が違うというか……作品が違う有様だった。

 

「良い天気だなぁ……」

 

 空を見上げた一夏は、のほほんとした心境で呟く。

 一面に配置された花壇は色とりどりの花が咲き乱れ、西ヨーロッパを思わせる石畳が一面に敷き詰められている。中心には円卓と椅子が用意されていて、晴れた日の昼休みになると色んな生徒が此処にやって来るほどだ。今日は一夏たちだけだが。

 

「一夏、お爺ちゃんみたいだからそれやめなって」

「中国次期代表、言っても無駄だと思いますわよ。織斑の老人趣味と女たらしと唐変木は死んでも治りませんし」

「せめてイチカだったらなぁ……」

 

 ただ天気についての感想を漏らしただけなのにこの言いよう。一夏は思わず涙したくなった。

 

「えーと……僕も来て良かったのかな?」

「私もまさか招待されるとは思わなかったが」

「わ、私……も…………」

 

 そして、この日の同席者はいつもの四馬鹿(カルテット)だけではなかった。

 さらに三人の次期代表(ラウラは厳密には違うが、実力的には同じだ)もまた、この場に加わっていた。

 

「まあ良いじゃんか。さっきの授業で共闘したのも何かの縁だしさ。専用機持ち同士親睦を深めようぜ」

 

 というのも、一夏が『転校してきたばかりで二人はなじみが浅いだろうから、仲良くなるきっかけを持とう』と言いだしたのである。世話焼き気質の鈴音は元より、基本的にどっちの状態でも一夏の言うことには好意的な箒、口で何だかんだ言っても面倒見のいいセシリアもそれに付き合い、ついでにクラスで孤立しているらしかった簪も引っ張り込んだ、というわけだ。

 

「私、は……専用機、まだ完成してないけど……」

「……それについては、本当に、申し訳ない……」

「いい……貴方は悪くないから……」

 

 陰気な簪の言葉に一夏はがっくりと頭を下げるが、当の本人に悪意はないようだった。

 

「それに……私にとっては、願ったり叶ったりだよ。……お姉ちゃんの偉業を超えるチャンスを、もらったわけだし……」

「ああ。確か、更識の姉は国家代表操縦者で、自分の手でISを作ったんだったか。お互い出来る姉を持つと困るな」

「そこについては俺も同意だなぁ」

「ふふ……。私は、上等……って思ってるわ。……だって、それだけ、超えた時の私の評価も……上がるし」

 

 簪の声色は陰気そのものだったが、しかしその表情に卑屈さはまるでなかった。むしろ、夏の大空のように清々しい晴れやかな顔だ。まあ、規格外の科学力を持つ束に、常識とか法則とか摂理とか因果とか曲げちゃいけないものまで捻じ曲げる千冬と違い、会長の楯無は『まだ』常識で語れるレベルの強者だから、というのも大いにあるだろうが。

 

「……簪は凄いなぁ」

 

 だが、具体的な『姉を超えるヴィジョン』を持っている簪は、一夏にとっては大きな存在に見える。一夏なんて、姉をどう超えるか、そのヴィジョンすら見えていないのに、だ。今はまだ、同年代の仲間に追いつくことすらできていない。

 

「私がこうなれたのは、……一夏君のお蔭だけどね」

 

 そう言って、簪ははにかんだ。隣にいる鈴音がピクリと反応したが、箒がどうどうと宥めている。

 

「……俺の()()? 俺の()()ではなく?」

「うん。……専用機の完成が遅れて、私が作ることになってなければ、お姉ちゃんを超える機会すらなかったわけだし……それに…………テレビでイチカちゃんの活躍を見てたら、『私だけじゃないんだ』って思えて……」

 

 それはおそらく、五月にあったクラス対抗戦のことだろう。簪は棄権していたが、イチカの試合はしっかり見ていたらしい。

 女体化しただけで、二巻だけでなく七巻の展開まで食いつぶす魔性の女(?)っぷりであった。ちなみに、亡国機業(ファントムタスク)の設定も歪んでいるのでその他の設定もブッ壊れていることは言うまでもない。

 

「イチカちゃんは、こんなにか弱くて可愛らしいのに……強いお姉ちゃんと比較されながらも、あんなに可愛らしく……それなのに、私がこんなところで腐っていられないって、思ったんだ……」

 

 簪は完全に良い話ムードだったが、可愛らしいを連発された一夏としては果てしなく微妙な気持ちだった。結果として良い方向に向いているので、良かったと言えるかもしれないが……。

 

「……それに、……この間の試合のイチカちゃんは、…………男らしくて格好良かったし……」

「っ!」

 

 男らしい、という称賛に、微妙な顔だった一夏が明るくなる。女体化するようになってからこっち、多分一度も使われたことのない形容だったことだろう。

 

「やっぱり、TS娘はかくあるべき、だよね…………」

 

 ……ただ、その喜びは続いた台詞で全部台無しになってしまったのだが。

 後ろで臨戦態勢に入っていた鈴音が盛大にズッこけたのはご愛嬌だ。

 此処から先、思想のぶつかり合いが続くのでご注意ください。

 

「TS娘っていうのはね……男でもあり女でもあるから素晴らしいのよ。…………可愛らしい女の子なのに、ところどころで男の時の面影を感じさせる。ある時は誰かを守る男気を見せるけど……またある時は守られるか弱さを見せる……そのちぐはぐさが……、TSの最大の魅力……」

「ちょっと待て。良い話だと思ってスルーしていたが、そうなってくると話が変わって来るぞ」

 

 持論を展開しだした簪に、箒が待ったをかける。

 

「大体、お前ら揃いも揃って掛け算ばかりじゃないか。嘆かわしい。お前らにとってのTSとは、関係性でしかないのか? 違うだろう? 女体化していく中で、徐々に胸が大きくなり、背が縮み、月経が始まり、趣味嗜好が女性的になってこそのTSだろうが! 他は好きにすればいいが、大前提は履き違えるなよ!」

「貴様こそ勘違いしているんじゃないか? 世に散らばるTSF作品を見ろ! 他者との関係を排し、フェチ系に重きを置いた作品はもうTSFではない! それはただの変身モノ……『TF(トランスフォーメーション)』と言うのだ‼」

 

 TFとは、人間の肉体が別の何かに変化してしまう性質の現象を題材にした作品のことを言う。人が馬などの生物に変化したり、あるいは無機物になったりする話……文学作品で例を挙げれば――『山月記』などが有名だ。

 もちろん、男の肉体が女に変化するTSFも大枠で言えばTFの一種ということになる為、あまりに好みから外れすぎている……『変化に重きを置きすぎた作品』はTSFではなく『女体化を題材にしたTF作品』だ――と敬遠する者もいないことはない。

 趣味の違いは仕方ないが、理解できない趣向を否定することだけは絶対にしないようにしよう。TSFは、色んな趣向の者がひしめく紳士淑女の社交場なのだから。

 

「それは違う! TSとTFは確かに似た部分もあるが、それは二つの円の一部が重なり合うような関係! 変化に重きを置いたTSFがTSFでないということにはなり得ない! そもそも、お前の提唱する『内面の女性化』だって形の変化を伴わないだけで実質はTFの一種に含まれるということに気付いていないのか!」

「何をこの……ッ‼」

「おやめなさい」

 

 危うくリアルファイトに発展しかけたところで、セシリアが制止を入れる。

 

「箒さんの言うことにも一理あります……しかし、だからといって大前提とするのは視野が狭すぎるのではなくて?」

「何を……」

「TSにも色々ありますわ! 未知の奇病、新薬の副作用、魔術……それらは仰る通り女体化に『過程』が存在します。しかし、中にはイチカさんのような変身というケースがあるのも事実。必ずしも肉体の段階的な変化があるとは限りませんわ! それに、内面が男だからこそ良いという考え方もあります!」

「ぐっ……! 確かに姉さんも『女体化手術』とか『朝おん』とか、唐突な変化を伴うものが大好物だが……!」

 

 突きつけられた現実に、箒は思わず反論に窮する。唐突に自分を引き合いに出された一夏はビクリと身体を震わせた。というか、束は一歩間違えればマジで女体化手術とかやりかねない。今度から不意のトラック事故には気を付けようと思うイチカであった。朝おん(朝起きたら女になってた)をやられた場合は太刀打ちできないのだが。

 

「しかし、変身にしても一夏を見れば分かるように変身し続けていくことで男状態で女の挙動が沁みつく、という段階的変化は存在しうる! やはりフェチ要素はTSFには必要不可欠のはずだ! それにシークエンス要素(※段階を踏んで変化していくこと)がなくとも生理や味覚の変化などで徐々に女性化が進行していく例は枚挙にいとまがない‼」

「ぬぐうッ⁉」

 

 それに対する箒の反論に、思わずセシリアが呻く。流れ弾が見事に着弾した一夏は、テーブルに突っ伏さざるを得なかった。

 

「……なんでそこで、内面に変化を求めちゃうかな……」

 

 そこで呟きを漏らしたのは、そこまで静観の構えを崩さなかったシャルルだった。

 

「……何、だって?」

「違うでしょ。()()()()()()()()()()()()()()

「⁉」

 

 突然の宣言に、その場の変態全員が息を呑む。それを一瞥したシャルルは、さらに続けていく。

 

「――――中身が男のまま、男とくっつくから『良い』んじゃあないか」

「ば、馬鹿な、貴様、それでは『BL』に……ッ!」

 

 百戦錬磨のはずのラウラが、動揺を隠せない様子で言う。

 それに対し、シャルルは『マジカルピースのiOS版まだですか』って感じの表情で力強く頷いた。

 

「『BLだからこそ良い』ッ‼」

 

 一夏は、仲間だと思っていた男子のまさかの謀反に口から魂が漏れ出ていた。

 

「もちろん、TS娘同士のBLも良いよね……。内面はお互い男だって分かってる。でも目の前にいるのは可愛い女の子にしか見えない。同じ痛みを共有し合える関係……外面はGL、互いの認識はNL、しかしその実態はBL……可憐な純白の百合の裏側で真紅の薔薇が密かに咲き誇っている奇跡――この複雑な恋愛模様……これが良いんじゃあないか」

「ま、さか…………貴方…………‼‼」

 

 セシリアが、息を呑む。シャルルは微笑を湛えて頷いた。

 

「そうだよ。僕は……『BL系TS』の良さを一夏に教える為に、この学園にやってきた……!」

「よーし分かった。とりあえずアンタら全員歯ぁ食いしばりなさい」

 

 まるで物語の終盤並のテンションで自分の目的を明らかにしちゃった良識派を装っていたBL系TS愛好家シャルルの背後で、一通りの主張を律儀に聞き届けていた鈴音が最終判決を下す。

 

「全員、ブチのめすッッ‼‼」

 

 ……まあ。

 何だかんだ言って、腹を割って話したことでみんな仲良くなれたんじゃないだろうか。

 

***

 

「酷い話だった……」

 

 その後。

 ともすると顔を合わせるたびに戦争を勃発させかねない次期代表連中を鈴音と一緒になだめたり鎮圧したり制圧したりしていた一夏は、何とかその日の授業を全て乗り切った。何だか今日だけで何度も戦争を経験した歴戦の兵士になった気分だ。

 

「しかし、まずいな」

 

 此処まで来れば、察しの悪い一夏でも分かる。

 箒をはじめとした代表級変態連中(ネームド)は――一口に変態と言っても、実際には少しずつ『主義主張の違い』のようなものが存在しているらしい。

 箒は『TS娘の女体変化そのもの』。セシリアは『TS娘と女の子の絡み』。ラウラは『TS娘が女の子として恋愛すること』。シャルルは『TS娘が男として男と恋愛する事』。簪は『TS娘が男女の間を揺れ動く様』。

 そういえば、箒とセシリアをとってみても箒は盗撮などイチカの姿を観察することに重きを置いていたのに対して、セシリアは一〇〇擦り半をはじめボディタッチが過剰だったように思える。予兆はあったわけだ。しょせんどいつも変態だが。

 

「いや、問題はそこじゃない。みんな自分の趣味が一番だと思っているから、他の人と一緒にいると自分の趣味が一番だって主張しちゃって、言い争いが始まっちゃうんだ……」

 

 お互いを高め合う議論なら良いが、鈴音が殴らなければ殴り合いに発展しかねない剣幕の言い争いは、一夏としてもあまり歓迎できない。イチカの状態で止めれば解決できそうだが……流石に、あの五人の前でイチカの姿を晒せば、自分が次の瞬間どうなるかくらいは一夏にも想像ができる。

 

「どうしようかなぁ……」

 

 こんな時、千冬の金言が脳裏をよぎる。『TSに貴賤はない』。その通りだ。誰もがそんな思いを持っていれば、こんな風に一夏が頭を悩ませることもなかっただろう――――。

 

「…………俺、何でこんなこと真剣に考えてるんだろう……」

 

 我に返ってしまった一夏は、顔を覆うしかなかった。なんで特殊性癖の細かな違いで此処まで争いになるというのか。一般人の一夏には到底理解できない事柄であった。と、

 

「あ、よかった! 織斑さ、くん!」

 

 廊下を歩いていたロリ巨乳眼鏡が、一夏の姿を認めて駆け寄って来る。呼び方がなんか女性仕様っぽくなっていた気がしたが、一夏は気にしないことにした。いちいち考えていたら精神的に死にそうだ。

 

「どうしたんです?」

「いやですね、実は、新しく男性操縦者が見つかったことでこれから男性操縦者が見つかるかもしれない、とIS学園の方で話が進みまして。これまで一夏さんは浴場を利用する為には女性の身体にならないといけませんでしたが、これからは週に男性が入る日を決めることになりましたので、ご連絡をと思いまして!」

 

 その言葉に、一夏は顔をぱあっと明るくさせる。まあ大浴場は利用できなくても良かったのだが、源泉かけ流しらしい浴場を利用できないというのは、風呂好きの一夏としてはかなり残念なことだったのだ。それが利用できるとなれば、喜ぶのも宜なるかなというものである。

 

「ほ、本当ですか⁉ い、いつからです⁉」

「それはもちろん、今日からですよ。私は準備もあるでしょうし明日からにした方がと進言したのですが――」

「馬鹿野郎っ‼ お前は本当に何も分かってない‼」

「ええっ⁉ 織斑君の為を思って言ってたのに……」

 

 全体的に不憫なロリ巨乳眼鏡はさておき、

 

「……でも、また唐突ですね。いったい何で?」

「元々はISの機能を利用した浴場の建設計画が進行していたのですがそれが頓挫したので、対案がそのまま採用という感じになりまして」

「……ISの機能を利用した浴場?」

「はい。何でもIS起動させると浴場が浮遊し、IS学園全体を一望できる機能とかなんとか。他にもISを浴場と接続させることで色々な機能が使えるっていう触れ込みだったらしく、実は予算も上がってたらしいんですが、流石にそこまでは……」

「…………」

 

 ロリ巨乳眼鏡は苦笑していたが、一夏としては一ミリも笑えなかった。

 そんな機能があれば、一夏は絶対使ってしまう。ISを動かすだけで色んな機能を使って温泉を満喫できて、しかも学園を一望できる高層露天風呂とか、男とか女とかそんなのを気にせず使ってしまうに決まっている。そして、一夏が女の状態で浴場を利用すれば得をする人間には、心当たりが両手足では足りないほどある一夏であった。

 

(……でも、ちょっと惜しかったな……鈴と一緒なら変態対策もできただろうし……)

 

 そんなことを本気で考えてしまうから、変態たちに足元を掬われてしまうのだが。そして鈴音は女状態で一緒に入ろうとか言われたら棚ボタやら女じゃ意味ないやらデリカシーないやらの感情に襲われて悶死してしまうに違いないのだった。

 

「ところで、それだけ進んでいた計画がなくなったってことは、誰かが反対したってことですよね。いったい誰が? 千ふ……織斑先生ですか?」

「いえ、織斑先生はこの件については傍観していましたので……」

 

 変態の中でも何気に頂点に位置している(しかも確かアンケート(※四話)のくだりではお金を出してでも実現してほしいとか言っていた)彼女が傍観と言うのは意外だったが、とすると別の人間が計画を阻止したということになる。それほどの『力』を持つ者……なおかつ変態に対抗できる常識力を持っている者となると、一夏としては鈴音以外に心当たりがまったくない。

 クエスチョンマークを並べる一夏に微笑みかけるように、ロリ巨乳眼鏡は言う。

 

「更識さんですよ。更識楯無さん。簪さんのお姉さんで、この学校の生徒会長です」

 

***

 

「はぁー、そうか、浴場解禁かぁー」

 

 部屋に戻った一夏は、お風呂セットの準備に余念がなかった。何せ待ちに待った大浴場である。思いっきり満喫する気満々であった。

 まあ、女に変身する必要性は皆無なので当然お風呂の光景は男のままでお送りする為、しかるのちの地獄絵図は確定的に明らかであるのだが、一夏としてはそこらへんに配慮する必要性は全くない。鼻歌でも歌ってしまいそうなほど清々しい気分でお風呂セットの準備を終えた一夏は、浴衣を着て風呂桶を小脇に抱えるというザ・湯浴みスタイルで学園を闊歩する。

 通りすがりの女生徒が怪訝な表情を浮かべながらこちらを見て来るが、一夏は気にもしなかった。

 

「あ、そう言えばシャルに浴場のこと言ってなかったな……。まあ、大丈夫か。あの先生の様子だと、多分シャルにも伝えるんだろうし」

 

 なんてのんきなことを言いつつ大浴場に足を踏み入れた一夏は、

 

「……あ」

「……すいませんでしたァッッ‼」

 

 コンマ一秒で踵を返した。

 何故か? 答えは簡単だ。浴場に足を踏み入れたら、金髪碧眼で巨乳の見知らぬ女の子が既に着替えていたからだ。

 そしてラッキースケベが日課になってしまった一夏。こういうときの為の対応はもはや遺伝子レベルで刷り込まれていると言っても過言ではなかった。

 

「……あー…………」

 

 それゆえ、一夏は次に聞こえた声に疑問を覚えた。

 何故って、それは見知らぬ女の子の声に聞き覚えがあったからだ。

 

「えーっと……ちょっと良いかな」

 

 ガシッ、と。

 あらぬ方向を向いていた一夏の腕に、ほっそりとした指先が絡みつく。一夏は思わず当惑して、女の子の方を見て……そして目の前いっぱいに広がった谷間が目に入り、振り向いたことを後悔した。

 

「あっあっおっ、あ、お前! ちょっと、こういうのダメだって! それに、えーとなんだっけ、そう、浴場は男が使って良いんじゃなかったのか⁉ あのロリ巨乳眼鏡適当なこと言いやがって‼‼」

 

 ともかく、此処に女子がいるということはつまり浴場の中にも女子がいるわけで、しかもこれからも女子が来るということに違いない。

 そこまで思考を働かせた一夏は、すぐにでも女の子の手を振り払って逃げ、

 

「……あれ?」

 

 ……ようとしたところで、気付く。

 それにしては、あまりにも人気がなさすぎる。もし仮に女子が通常通りに利用しているなら、もっと着替えは散乱しているはずだし、中からは水音が聞こえているはずなのに。更衣室にお湯やシャンプーの匂いが立ち込めていたりもしない。

 

「一夏、僕だよ僕。シャルルだよ」

「え゛っ⁉」

 

 そう言われて、一夏は初めて女の子の顔をまじまじと見る。

 確かに、顔のパーツはシャルルによく似ていた。多少丸みを帯びているように思えるが、このあたりは特殊メイクだのなんだのの得体のしれない技術でカバーできる範囲だ。

 

 ――というか、もういい加減に白々しいので断言してしまうと、ご存じのとおり彼女こそシャルル改めシャルロット=デュノアである。

 

「なん……いや、おま、おと……あれ? え? ええ???」

 

 だが、一夏にとっては理解できないことだ。というか、一夏はシャルロットのシャルル(隠語)を見てしまっているため、よけいにそうなのだろう。混乱の極致に立たされた一夏がそれでも計算を弾いた結果、出た結論は、

 

「あ、そうか。ISを起動してるんだな」

 

 という、当たり前の結論だった。一夏もやるので理屈は分かる。だが、だとしても疑問は残る。

 

「……あれ? でもなんでわざわざISを機動してるんだ? 男しか入らないんだからシャルルが女になる必要はないし、」

 

 そこまで言いかけた一夏の視界に、『あるもの』が入る。

 それは、シャルロットの目の前にあるカゴの中に入っていた。

 ……ふにゃふにゃの皮だけになった、人間の身体……に見えた。

 

「ひっ……⁉⁉」

 

 あまりの出来事に悲鳴を上げかけた一夏の口元を、全裸(描写しないと忘れられそうだった)のシャルロットが塞ぐ。これ以上ないラッキースケベだったが、残念ながら一夏はそれどころではなかった。

 

「……えーとね。一夏、落ち着いてもらえるかな」

 

 そう言って、シャルロットは身体にタオルを巻いて行く。一夏の方も、当惑していたもののやっとの思いでコクコクと頷く。

 

「まず一夏。僕の本来の性別は、女なんだ」

「…………え、」

「一夏、声を出さないで」

 

 手で口元を抑えられ、一夏は夢中でコクコクと頷いた。

 

「……何から話せば良いかな……」

 

 そう言って、シャルロットは虚空に視線を彷徨わせる。

 

「デュノア社って、一夏は知ってるかな」

 

 そう言って一夏の方を向いたシャルロットの表情には、憂いがあるように思えた。

 

「……ああ。IS企業の一つで、フランスじゃ一番のシェアを誇ってるんだろ。ラファール=リバイブだってデュノア社の……」

「そう。まあ、それはしょせん第二世代だけどね。しかも、第三世代機の開発に失敗して経営難に陥っている程度の」

 

 シャルロットは自嘲気味に笑い、

 

「僕はね、一夏。そのデュノア社の社長の、()()()()()()()

「‼」

 

 その告白に、一夏は息を呑む。

 そして、なんとなくシャルロットの話の筋が分かって来た。妾の子だから……道具として使われている。経営難に陥った社を立て直す為、IS学園に企業スパイとして送り込まれてきたのだ。男と偽ったのは、そうすれば一夏と接触できるし、男に飢えているIS学園の生徒から様々な情報を聞けるからか(尤も、()()()こちらの目的は成功していなかったが……)。

 

「シャル、」

「いやまあ、そこは良いんだけどね」

 

 思わず何か言いかけたところで、シャルロットはそれまでの物憂げな空気とか全部吹っ飛ばしてそんなことを言った。

 突然の展開に何も言えなくなっている一夏に対し、シャルロットは畳みかけるように言う。

 

「ほら、僕ってさ。BLもいけるけど親子丼もいけるんだよね」

 

 聞いては、いけないと、本能で感じた。

 

「シャルルその後はもう……、」

「正直、二回しか会ったことないから父親って感じがしなくってさ。それで、お歳は召してるけどまあイケメンでね? せっかく手元に高性能肉襦袢なんてものも用意されてるわけだしさ……まあ、()()()()わけで、今は何だかんだで親子仲は良いよ」

「何でだよ⁉ 何でその流れで親子仲が良くなるんだよ⁉ 絶対途中で何かあったろ!」

「話してほしい?」

「いや! 遠慮しておきます‼」

 

 流石に、これから夕食だというのに食欲をなくすような真似はしたくない一夏であった。

 

「で、でも親子仲がいいなら何故学園に……? 道具として扱われることもなくなったって訳だろう?」

「うん。まあそれはそれとして、僕はBL系TSが好きだからね。ついでに一夏に布教したくって」

「うっがああああああああああああああああああああああああああああああああ‼‼‼‼‼」

 

 許容量を超えた理不尽に、一夏は思わず頭を抱えて絶叫した。

 だが考えてみれば一夏の方も一話で似たようなことをやらかしていたので人のことは言えないかもしれない。

 

「もうやだ……貞操が……やだぁ……」

 

 あまりにもあまりな話に、一夏は思わずその場にへたり込んだ。

 

「大丈夫だよ一夏。流石にノンケでも構わず食っちまうほどじゃないから。R-18は邪道だよ」

「全然信用できないよぉ……」

 

 そう言って、一夏は白いブレスレットがついた右手を掲げる。まばゆい光が放たれ、それが消え去った時には女の子座りでへたり込んでるイチカの姿があった。

 そう。男であることに危機をおぼえたイチカは、本能的に女になることでシャルロットから逃れることを選択したのだった。なお、普段のクセなのかイチカはISスーツ装備ではなく、IS学園の女子制服になっていた。ゲイコマである。

 

「よし‼ このタイミングを待っていましたわ‼」

「更衣室に監視カメラを仕込んでおいた甲斐があったぞ‼」

 

 と。

 

 そのタイミングで、二人の変態が(何故か更衣室内の物陰から)乱入してきた。

 

「ひえっ⁉」

 

 イチカは思わずびくりと震えて、咄嗟に身を庇ってしまう。それを見て、二人の変態は鼻の下を伸ばした。いつもの光景であった。

 あまりのことに呆然としていたイチカだったが、驚愕も一周回れば冷静になるものだ。我に返ったイチカは、近くに立つシャルロットのタオルの裾を引っ張って、

 

「(しゃ、シャルル……! やばい、早く男に戻らないと、バレちゃう……!)」

「心配は必要ありませんわ、イチカさん」

「というか、デュノアが女だということを知らないのはイチカだけだからな」

 

 数瞬程。

 イチカは、思考が空白に染まった。

 

「えっなんて?」

「ですから、フランス次期代表が女だという事実は、全世界のTS紳士淑女にとっては公然の秘密なのですわ。TS紳士淑女なら、それが本物のTS娘かどうかなんて簡単に区別できますし」

「…………」

 

 なんかもう全体的に、何もかも間違っていた。この場に鈴音がいないことが本気で悔やまれる有様である。

 

「な、なら……シャルルはこれからどうするんだ? 変態たちが知ってるって言っても、嘘を吐いてたことに変わりはないんだし、このままだとヤバいんじゃ……」

「ああ、そのことなら、僕の方で国連に許可をとってあるんだよ」

 

 もはや殆ど縋るように言うイチカを、シャルルはバッサリと切り捨てた。

 

「ホントは駄目だけど、イチカちゃんに刺激を与えられるんなら、って。ついでに援助金ももらったからデュノア社の経営は持ちなおしたよ」

「連載漫画の打ち切りかよ‼‼」

 

 ダーン! とイチカは床を叩いて渾身のツッコミを叩き込む。が、当然ながら目の前の変態たちがそれを聞き入れてくれるはずもなかった。というか、この二人は本気で何故この場に乱入してきたのか……。

 

「……そうだ! セシリアと箒は、何で此処に来たんだ……? 正体を現したシャルルをとっ捕まえる為って雰囲気でもないし……」

「そんなの決まっているだろう。イチカが変身したからだ」

 

 そう言いながら、箒は流れるようなスピードで服を脱いでいく。セシリアは既に裸一貫だった。

 

「あっ、あわ、あわわ、あわわ……」

「こうでもしないと、イチカと一緒にお風呂に入る機会がなかったからな。おかしいとは思わなかったのか? イチカの全裸を拝むチャンスだというのに、同じ変態であるシャルルを泳がせていたことを」

「答えはこれですわ! フランス次期代表がイチカさんを怯えさせれば、イチカさんは十中八九変身する! そこを狙えば、イチカさんと入浴できる……イチカさんは、この裸の美少女がいる状態で男の姿に戻れまして?」

 

 そう言って、にじり寄るセシリアと箒、そしてシャルロット。

 確かに、セシリアの言うとおりだった。裸の美少女ににじり寄られた状態で男に戻ってしまったら、それは絵的に最悪だ。男としての矜持的に、イチカは男に戻ることができなかった。

 

(こ、このままだと……昇っちゃいけない階段を昇らされる‼)

 

 そう思うが、先程のあまりにも濃厚なBL力にあてられたイチカは完全に腰が抜けていた。そのイチカに、三人の変態の毒牙が――、

 

 

「ええ、その通りよね。でもこうは考えなかったの? あんた達と同じ結論に、このあたしも至ってる……って」

 

 

 背後から聞こえたその声に、イチカは反射的に振り向いた。

 そして、見た。

 

 死屍累々の山を。

 倒れ伏しているラウラ、簪、数々の変態達……そして、その頂点に立つ一人の少女を。

 

「……中国、次期代表…………‼‼」

「……っていうか、こいつら全員同じこと考えて覗きに来てたのか……」

 

 ジャンプ漫画のヒキ並のテンションで慄くセシリアの横で、ご丁寧に山みたいにして積まれている変態達を見て呆れるイチカ。

 ほんとにツッコむべき部分はそこではないのだが、もはや正常な感覚が麻痺してしまったイチカはそんなこと気に出来ないのであった。

 死体の山の頂点に立った鈴音が飛び上がり、変態に襲い掛かって行くのを傍目に、イチカはそろりそろりと浴場の方へ進んで行く。ぎゃーぎゃーですわーですわーと変態たちの断末魔が聞こえて来るが、そこはもうイチカも慣れていた。

 

 かぽーん。

 

「あー……、いい湯だ……」

 

 しかる後。

 大浴場の湯船にたった一人で浸かりながら、イチカはぼんやりとそんなことを呟いた。

 

 ……世の中ひどいことだらけだが、それでもお風呂はあらゆる疲れを洗い流してくれる。

 だから、自分はお風呂が好きなのかもしれない――――と、イチカは最近思うのである。


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