【完結】どうしてこうならなかったストラトス   作:家葉 テイク

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第二話「――女につき」

「――くそっ、くそっ、笑いごとじゃねえってんだよ、こっちは本気なんだよ、死活問題なんだよ……」

 

 それから一か月後。

 一夏は半泣きでISの到着を待っていた。

 あれから、色々とあった。一夏専用のISが開発されていることを教えられたり、IS操縦練習用アリーナの予約がとれなかったから箒と剣道の練習を行ってバイト漬けですっかり錆びついていた剣道の腕を取り戻したり、ISの到着が遅れたり、メンタルのケアをしてもらったり、あとISの到着が遅れたり。

 この一か月間、一夏が逃げ出さずにIS学園に留まることができたのは、何だかんだ言って箒のケアが大きかった。

 ちなみにその一環で中学二年生の時の事件の話をしたら、箒から『何でそっちのがトラウマになってないんだおかしいだろ⁉』という至極真っ当なツッコミを受けた一夏である。しかし、一夏的にそこは『自分の不手際は、こっから俺が挽回すれば良いんだ』という超絶ポジティブの範疇なのであった。

 

「まあ落ち着け、一夏。ただ……私はちょっと興味があるぞ。千冬さん、一夏の――は、どんな感じだったんですか?」

「馬鹿! 男が女になったって気持ち悪いだけに決まってんだろ!」

「織斑先生と呼べ、篠ノ之。……そしてそれに関しては『期待しておけ』とだけ言っておく」

 

 試合用アリーナのピットにて、一夏は箒、千冬と共にISの到着を待っている。のだが、どうにも箒は一夏のことをからかうし、千冬も仏頂面をしているもののそれを全く咎めないしで一夏は完全に遊ばれているのであった。一夏が半泣きなのはそんな事情がある。

 ああもう一刻も早くここから消えたいセシリアに負けても全然良いからむしろ()よIS来いさっさとしろ頼むーと呻いていた一夏だったが、その祈りが天の通じたのか、焦った調子のロリ巨乳眼鏡がピットにやってきた。

 

「お、お待たせしました一夏君! これが貴方のIS――――『白式』ですっ‼」

 

 あ、やっぱり前言撤回来てほしくないわ――と心の中で鮮やかな掌返しを決める一夏だったが、もう遅い。背後から感じる千冬の殺気に押し込まれる。

 

「な、なあ千冬姉……やっぱり、アレ装着しないと駄目か?」

「織斑先生、だ。織斑」

 

 意訳すると、『何言ってんだ馬鹿じゃねえのお前』である。殺気はもはや実体化するレベルにまで到達しており、なんか殺気が独立したヴィジョンのようにすら見えてきた。これ以上は色々なアレに抵触しかねないと察した一夏はゆっくりと歩を進めざるを得なくなる。

 その殺気にじりじりと追い込まれ、ISの方に移動させられる。鈍い銀色の輝きを放つソレの目の前に立った一夏はゆっくり、ゆっくりと手を伸ばし……、

 そして、触れる。

 

 瞬間、光が迸った。

 

 着用者と適合したISはその刹那、その武装の一切を一旦量子化させる。それによって生まれた光の渦が一夏の身体に纏われていき、やがて一夏の全身を量子の光が覆われた。……そう、全身だ。顔を含めた全身が覆い隠される。

 異変は、そこから起こった。

 収縮していく量子の渦は、明らかに一夏の元の身体よりも小さく、そして華奢になって行った。そしてその分が胸部や臀部に、押しのけられるように移動していき――部分的に、光が解放される。

 

 手は大きくてごつごつした逞しい形から、白魚のようにほっそりとしていて白く繊細に。

 腕は全体的に丸みと細みを帯び、筋肉よりも柔らかな脂肪が豊富に。

 足は小さく、太腿も大腿筋が浮かび上がるような逞しさではなく、丸みを帯びつつもしなやかなシルエットに。

 臀部は平均よりも多少小さめだが明らかに丸みを帯びた形に。

 腰はうっすらと腹筋こそ浮かび上がっているが、やはりゴツゴツした印象のなく、むしろ滑らかに。

 胸部も臀部と同じく平均を大きく下回っているものの全くないというほどではない、小ぶりな丘に。

 髪は肩甲骨くらいまで伸び、硬かった髪質も柔らかく艶やかな光を放つように。

 最後に顔から量子の光が散り、凛々しい眼差し、形の良い眉、小さい鼻、柔らかな唇、一〇人に聞けば一〇人が美しいと称するような――『女性の顔』が現れた。

 

 それらにISスーツが纏わりつき、影が浮かび上がるように純白のISアーマーが次々と生み出されていく。最終的に誕生したのは――『IS操縦者』だった。

 ただし、それが『世界初の男性操縦者』と分かる人間が、この世界にどれほどいようか。それほどまでに、一夏は見事な『美少女』に生まれ変わっていた。

 

「…………う、うぅ」

 

 恥じらうように、一夏――イチカは呟いた。その声は男のものではなく、ハスキーではあるもののやはり少女そのものである。その少女が、恥ずかしさと心細さに身をよじっている。

 瞬間、箒のタガが外れた。

 

「かっ、可愛いっ‼」

 

 ISの絶対防御があることなど完全に無視して、箒はイチカを抱きしめる。そして絶対防御は致命的な攻撃でない限り貫通してしまうので普通にイチカは箒に抱きしめられてしまう。

 

「ちょっ⁉ 箒、や、やめ……」

「やめないぞ、イチカ! 何を恥じらう必要がある! お前のことを馬鹿にしようと思うようなヤツがいても、この姿を見れば考えが変わる! ぶっちゃけ私も今の今まで『一夏が女になるとか(笑)』って思ってたけど一八〇度考え方変わったしな! おそらく全世界がイチカの美少女っぷりに驚愕することだろう‼ これがあのダメ姉の差し金ならマジお姉さまGJ‼」

「箒、キャラがおかしくなってる‼」

 

 悲鳴をあげるイチカだが、箒は全く取り合わなかった。

 箒にとって、『一夏』は初恋の人であり、『憧れ』だった。彼女の実姉・篠ノ之束の研究成果により、政府の要人保護プログラムで各地を転々とする生活を送るようになり、『一夏』とは離れ離れの生活を送ることになってしまった箒だったが――『一夏』との思い出があったから、友人の出来ない幼少時代でも絶望せずに暮らしていけたのだ。

 むしろその思いは会えない間も蓄積され、思い出の中で美化された『一夏』は箒の中で既に『憧れ』を通り越して『信仰』の域に達していたと言っても良いかもしれない。『一夏ならこうする』『一夏がこんなことするはずがない』――……一歩間違えば醜い押しつけになりかねない感情だが、箒の感情はその域にまで達していたのだ。

 しかし、その『一夏』は、傲岸不遜で鼻持ちならないセシリアの挑発にも終始反論せず争いになることをいつまで経っても避けているし、挙句の果てに決闘からも自分からも逃げ出そうとしてしまう始末。以前の負けん気の強さなど見る影もなかった。

 それでも幻滅しないほど箒の『憧れ』は強烈だったが、『それでも一夏がこうするのには何か理由があるに違いない』と思う程度に、箒の『信仰』もまた強かった。だから、箒は何か悩みがあるのであれば聞いて、できれば解決してあげたいと思っていた。

 その理由と言うのが――ISに乗ったら女になってしまうからだ、と説明された瞬間、ぶっちゃけ箒の長年抱いていた『憧れ』や『信仰』、そして胸の奥の奥に潜めていた仄かな恋愛感情は一気に冷めた。

 といっても別に『一夏』に幻滅した訳ではなく、それまで『憧れ』であった『一夏』が、急速に身近に感じられるようになったのだ。そして、冷めた『憧れ』は、『信仰』は、『恋慕』は、熱した鉄を急激に冷やすことで鋼鉄が生まれるように――『親愛』となった。

『一夏』だって、そんな『くだらない』ことで自分の命運を賭けてしまったりするほど、無鉄砲で向う見ずな男の子だったのだ、と。まったく馬鹿で、どうしようもない奴だ――と、新たな親しみと共に、笑ったのだ。

 

 で、そんな『親愛』の対象が、この変貌である。

 なるほど――男の時点でも人を惹きつける魅力にあふれていた(本人に自覚はなかったが、明らかにモテる)『一夏』が少女になったのだから、整った美貌になるのは当然として、元が男だからかガサツながらも凛とした振る舞い、そしてどこか自信なさげな所作、デフォルト装備なのかちょっぴり女々しい内股気味の足、そして今まで気にしていなかったISスーツの微妙な色気――それら全てが化学反応を起こした結果、鉄の理性(生憎錆びきっている)は砕け散り――箒は疾風(かぜ)になった。

 

「そこまでにしておけ」

 

 いつまでもイチカに抱き付き続ける暴走少女こと箒の首根っこを掴んで離した救世主千冬は、イチカの姿をまじまじと見る。……入試の際の起動事件、そしてその後の模擬戦時にイチカの姿は見ていたが、その時よりも体が鍛えられていることに千冬は気付いていた。 一か月間、みっちりと箒に鍛えられたのだからある意味当然なのだが。

 

(どうやら、男の状態での鍛錬が、女の状態にも反映されるようだな。……ん? 逆もまた然りだとしたら、もし仮に処、)

「千冬姉っっ‼‼ それ、アウト‼‼」

「織斑先生だ、馬鹿者」

「それ都合のいい逃げ道じゃねえからな⁉」

 

 電波を受信して水際で危険なボケを阻止してきたイチカのハスキーボイスなツッコミはさておき、もう一回その姿を見てみる。これなら、イチカの潜在能力とセシリアの油断を勘案すれば最初数十秒『それなりにいい勝負になる』だろう。――単純な真剣勝負になれば。

 ……勝てる、とは思わない。イチカが入試の際にロリ巨乳眼鏡を下し『勝利合格』したのは事実だが、アレはイチカが男性である、という事前情報を受けていたロリ巨乳眼鏡が緊張していたところに絶世の美少女が現れてしまったため色々とパニックになり、その結果致命的なミスをおかして自滅した、というのが本当の所だからだ。

 素質はともかく、イチカの能力は一般人に毛が生えた程度だし、セシリアは素質においても経験においてもイチカを数倍上回っている。勝てる道理があるはずもない。

 ……ただまあ、イチカの雄姿が見られるいい機会だし、というのであえて訂正せずに決闘に持ち込ませた千冬も、大概良い性格をしている。

 

「……はぁ、ぐだぐだ言っていてもやるしかねえよな」

 

 イチカは、やはり可憐な声で気怠そうに呟き、肩を回す。グオングオン、と機械音がしてイチカは自分のことながらぎょっとしたが、しかしそれで却って感覚が掴めたらしい。イチカはそれで入場する決心がついたようだ。

 あるいは、これ以上この空間にいたらツッコミ疲れでダウンしてしまうと思ったのかもしれない。

 

「――行ってくる。世界最強の人間の弟として、恥ずかしくない戦いをしてくるよ」

 

 そう言って、イチカはピットを出た。

 あー行っちゃったー、と寂しげな声をあげるダメ少女の横で、千冬は孝行者にフッとニヒルな笑みを浮かべ、誰にも聞こえないくらい小さく呟いた。

 

「――――そう言ってくれるだけで、お前は私にとって最高の妹だよ」

 

 …………なんかもう、色々と駄目だった。

 

***

 

 セシリア=オルコットは苛立っていた。

 既に予定の時刻になっているというのに、一夏は出てこない。何やら訳ありのようだったので、やって来ない可能性すらあるとは一応考えていたが、実際に来ないとなると、分かっていても失望を感じざるを得なくなる。彼の姉は織斑千冬だ。あの勇敢で、セシリアをも超える戦士を姉に持つというのに、一夏に血族としての誇りはないのか? とセシリアは思う。

 それは、自らの血に誇りを持つ貴族オルコット家の当主だからこそ考えられることだ。家を守るために戦い続けたからこそ持てる矜持だ。だが、それを当然の様に備えていたセシリアは、一夏にもそれを要求する。――それが、どれほど厳しい要求であるとも知らずに。

 だが。

 果たして、セシリアがもう待ちくたびれたと言おうと思っていたちょうどその時、向かいのピットのハッチが開き、そして一機のISが現れた。どっっっ‼ と一気に歓声が爆発した。初の男性IS操縦者を前に、全員が興奮しているのだ。オペラグラスのようなものをみなが持って、一夏を一斉に観察しだす。

 セシリアも『そうでなくては』と不敵な笑みを浮かべ直して皮肉を言う。

 

『遅かったですわね。ヒーローは遅れて現れる、とでもいうつもりだったのですか? 私はてっきり貴方が恐れをなして逃げたものと、』

 

 そこで、言いながらも抜け目なくハイパーセンサーで相手の様子を窺っていたセシリアは、異変に気付いた。

 一夏じゃ、ない。

 ハイパーセンサーから伝わる感覚によると、目の前にいるのは完全に『女性』だった。身体のラインがそもそも女性だし、極め付けに小ぶりではあるものの胸もある。サーモグラフィから伝わる体温分布も、完全に女性のそれだ。そのことに気付き始めたのか、段々と観客もざわつき始める。

 

『……織……、……斑ァ……‼』

 

 そして、セシリアは、激昂した。

 

『織ッ、斑ッ、一夏ァァァァああああッッ‼‼ ここまで、ここまで私を愚弄するかッ‼ いいですわ、もう許しません。子供だましにもならない影武者は引き下がりなさい‼ あの見下げ果てた臆病者は、決闘に「代理」などを出すクズは、地の果てまで追いかけて二度と日の目を見れないように、』

『おい、勘違いするんじゃねえぜ、セシリア=オルコット』

 

 怒り狂うセシリアを呼び止めたのは、影武者と目されていた少女だった。少女は、その可憐な容姿には似合わない粗暴な口調でセシリアを宥める。あまりに想定外の出来事に、セシリアは一瞬ぽかんとしてしまう。

 それを認めた少女――イチカは、さらに続ける。

 

『俺は影武者なんかじゃない。正真正銘織斑一夏だよ』

 

 その口調は、声色こそ違うものの明らかに一夏のそれで、ゆえにセシリアは怒りも忘れて動揺する。

 

『でッ、ですが、その姿は――』

『……これが、俺がISに乗りたくなかった理由だよ』

 

 イチカは、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。しん、と静まり返った会場を一瞥し、深呼吸し、イチカは意を決して言う。

 

『俺は……ISに乗ると、女になっちまうんだ』

 

 イチカの言葉に――アリーナ中がしん、と静まり返った。その反応を見て、イチカは辛そうに眉根を寄せる。

 箒のメンタルケアによって比較的精神的には安定していたイチカだったが――それでも、やはり不安はあった。箒はISを装備したら女の身体になると知った瞬間大爆笑したし(それは単に拍子抜けしすぎたというだけのことなのだが)、事実イチカもおかしいと思う。

 そして、この模様はIS学園中に知れ渡るのだ。流石にテレビ局の類はいないし録画も禁止されているが、人の口には戸が立てられないと言う。じきにIS学園から情報は世界に知れ渡り、自分が女になってしまう男だと全世界の人間が知ることになる。

 ……普通の男なら、いくら権利回復ができるとはいえ女になりたいとは思うまい。となるとアテが外れた世界中の男はぬか喜びをさせたイチカに悪感情を抱くだろうし、女の方も自分達と同じ性別に変化する男など気持ち悪い存在以外の何物でもないに決まっている。きっと、色んな人がイチカのことを責めたてる。そんなことになったら、自分の居場所なんてなくなってしまうのではないだろうか。

 箒はからかいながらも何だかんだ言ってそこだけは真剣に否定していたし、千冬の態度も気持ち悪がっているところはなかったから、身近な人は大丈夫だろう。そう思うと一応のところは安堵できるイチカだったが……こうして実際に大勢の前で真実を話すと、急速に怖くなってくる気持ちもあった。

 

 静まり返ったアリーナの中で、冷たい目線が自分だけに突き刺さる。侮蔑の言葉が叩きつけられる。イチカの心を削っていく。

 

 ――そんな未来を想像するだけで、イチカは小さく縮こまって震えそうになってしまう。やはり逃げていれば良かったと、後悔さえしたくなってくる。

 

 永劫にも及ぶような沈黙。

 それは、今伝えられた情報をその場にいる全生徒が咀嚼している時間に等しかった。

 

「……ぉ、」

 

 最初に声をあげたのは、一体誰だったか。

 

 

『――――ゥゥうォォおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッッ‼‼‼‼‼‼』

 

 

 瞬間。

 爆撃のような威力を持った歓声が、会場中を席巻した。

 

『うひゃあ⁉ な、何だいきなり‼ ど、どうなってんだ⁉ おい、セシリア!』

 

 いきなりの大音量にひっくり返りそうになりつつ、どこか怯えた仕草を見せてセシリアの方に懇願するような視線を向けるイチカ。

 

 ――性転換、TS、女体化。

 

 それを表す言葉はいくつかあるが……往々にして、それらの『属性』は『非一般的』と形容できる。場合によっては『変態趣味』と揶揄され、認められないどころか迫害され、軽蔑されかねない。ゆえにそれを愛するものはひっそりと、誰にも見られないように自らの『属性』を愛でる。それが正しい『やり方』だ。

 イチカもまた、そうした『属性』に理解のない『一般人』の一人だった。だから、いきなり女になった人間を見たら、気持ち悪がるものだと決めつけていたのだ。

 ただ、イチカは知らなかった。

 ――世界は、実はけっこう愉快にできているということを。

 世の中には、そうやって自らの持つ『属性』を密やかに温めていた者が、意外といるということを。

 

『セシ、リア……?』

 

 こんな大歓声のなかでセシリアが無言を貫いていることを怪訝に思ったイチカは、そう言って不安そうにセシリアの方を向く。

 そこには――、

 

『わたくしの、負けですわ……』

 

 両手で顔の下半分を覆って、幸せそうな涙を流しているセシリアの姿があった。

 

『えっ』

『ええ。乾杯、いえ完敗ですわ』

『えっなんて?』

『こんなものを見せられて、この上戦うなどと。そんなもの無粋でしかありませんわ。わたくし、そこまで話の分からない女ではありませんもの』

『えっあのっ』

『だからちょっとこう、ISアーマーだけ解除して、こっちに来てくださりませんこと? 一撫で半、一撫で半で良いですから』

『セシリア⁉』

 

『半』がみみっちさを増幅させている変態淑女セシリアの両手の下からは、ぽたぽたと赤い滴が垂れていた。一夏はそれが何なのかあんまり理解したくなかった。

 

『ちょ、ちょっと待てセシリア。決闘は? クラス代表決定戦は?』

『降参いたしますわ。貴女の完全勝利です』

『待て待て待て待て‼ さっきまで真剣勝負がどうのでブチ切れてたのはどこのどいつだ⁉ っつか今「あなた」の漢字が妙じゃなかったか⁉』

『ミス織斑。受領していただけますね』

『織斑先生と呼べ、オルコット。そして降参を受理する。辞退は認めんが降参まで認めんとは言っていないからな』

『屁理屈に過ぎる‼‼』

 

 イチカは精一杯の抗議を申し立てたが、ザ・貴族とザ・世界最強がただのか弱い少女の言い分など聞いてくれるはずもなく――、

 ――こうして、イチカ以外のすべての人間にとって納得の結末を以て、クラス代表決定戦は幕を下ろしたのだった。

 

***

 

「クラス代表決定おめでとーう‼」

 

 その後、一夏のクラス――一年一組ではクラス代表決定記念パーティが開催された。パーティといってもみんなで一緒にご飯を食べるだけの簡単な会だが、クラスが一つにまとまった記念としてきゃあきゃあと各々楽しんでいるようだった。

 当然、男の一夏はそんな輪に入ることも出来ず、一人でちびちびとオレンジジュースを飲んでいる。

 ちなみに、『クラス代表就任記念』ではなく『クラス代表決定記念』なので、別に一夏のことを祝っている訳ではない。頑張ったのは殆ど俺だけみたいなモンなのに現金なもんだよ、と一夏は若干ささくれだった心でそう思った。

 そんな一夏の右手首には、白のブレスレッドが装着されていた。本来ならガントレットだったはずだが、多分女の子には似合わないという理由で変更にでもなったのだろう。

 

「一夏、そんなところで何をしている?」

「そうですわ織斑。貴方は主役なのですから、中心でもてなされるべきですわ」

「……いやね……向こうに行くと、女の子たちが土下座してくるんだよ」

 

 一夏は、微妙な表情のまま箒とセシリアに答えた。

 土下座、という言葉の異常さに、箒とセシリアは一瞬首をかしげるが――ほどなく、『ああなるほど』と納得した表情になった。こんなにすぐ納得できるこの二人もなんかやだ、と一夏は頭を抱えそうになった。

 

「つまり()()()()()が見たい、と」

「気持ちは分からんでもないな、私などは抱き付いてしまったし。あの喜びを味わえないのは不平等だ」

「抱き付いたですってそれは本当ですか箒さん‼」

 

 ぐりん‼ とセシリアが首を箒の方に回転させる。眼光が軌跡を残す程のスピードを叩きだしたセシリアはなんかもうホラー映画のバケモノのような様相を呈していたが、同レベルの変態になりつつある箒は鷹揚に頷くだけだった。一夏は泣きたくなった。

 

「出撃前のピットで、抱きしめた。照れてたのが可愛かった」

「こーなーみーかーんーでーすーわー‼‼」

「日本語を話せよお前ら……」

 

 げんなりとする一夏だったが、女生徒達はそんな騒ぎを聞きつけたらしかった。『え? 篠ノ之さんイチカちゃんを抱きしめたの?』『ガチ? 抜け駆けとかマジファッキン』『なら平等にクラス全員ハグの権利があるってことだよねぇ』『一夏は良い! イチカを出せぇ‼』などなど、好き勝手言いながら迫って行く。

 一夏は怯えながら一歩ずつ下がって行くが、やがて背後にあった何かにぶつかって足を止めた。振り向くとそこには、

 

「げえっ千冬姉!」

「織斑先生だ、愚弟」

「義姉さん!」

「お義姉さま!」

「織斑先生だ、色ボケ二匹」

 

 世界最強の姉、織斑千冬が仁王立ちしていた。

 

「ちょっと変身してハグしてやるくらい別に良いだろう。むしろ役得だぞ」

「や、役得て……。っていうか、ISの無断展開は違法でしょ、織斑先生」

「安心しろ、今しがた特例条約が国連で可決された」

「クソったれこの世界の立法制度はどうかしてやがる‼」

 

 一夏は血の涙を流しながら頭を抱えた。

 

「何で、何でこんなことに……」

「せっかくのパーティだからな。教師として、生徒のガス抜きの場を設けてやるのも悪くない」

「ガス抜きの餌に弟を使うのかよ……」

「まあそう言うな」

「……で、実際の所は?」

「イチカを餌にして今後あの連中を制御する。このクラスは少しばかりじゃじゃ馬が多すぎるからな」

 

 あまりに酷すぎる台詞に、一夏はもうツッコむ気力すら起きなかった。というか、そういう狙いがある時点で逃げるのは不可能である。きっとISを展開して逃げようとしても生身のままISアーマーをバラバラに打ち砕かれてシールドエネルギーも全部削られた上で放り込まれるのである。

 

「それじゃ、みんな危ないからちょっと離れててくれ……」

 

 一夏は、自分の貞操がこの夜が終わっても残っていることを祈ってISを装着した。光の粒子が一夏を覆い、それが消え去った時には純白のISアーマーを纏ったイチカの姿があった。

 イチカは恥ずかしそうに身を捩りながら、ISアーマーの解除を念じる。一瞬にして強固な防具が仄かな光と変わり、後にはISスーツのみ――つまりスク水ニーハイ姿のイチカが残る。世界最強の兵器の一切を喪った少女はいかにも頼りなさそうに、内股気味になりながら俯いていた。頬を僅かに赤く染め、手持無沙汰気味に手を体の前でもじもじとさせている姿は、どこか背徳的な色気すら伴っていた。

 その姿を見た瞬間、クラスの女子から黄色い悲鳴の洪水がイチカに叩き付けられる。

 

「きゃー‼ 可愛い! 可愛いわ‼ ちょっとロリなのが良い‼」

「ぺろ……ぺろ……」

「おりむー……脱ぐと凄かったんだね……」

「イチカちゃん、このくまさんを持って、上目づかいで私を見て『おねえちゃん、だぁいすきっ』って言ってくれないかな……?」

「ツインテールにしよう‼ 絶対似合うから‼‼」

「イチカさん! 撫でさせてくださいまし! 三擦り半、三擦り半で良いですので‼‼」

「イチカぁぁああああ私はもうハグしたし我慢しようと思ってたがやっぱり無理だったぞぉぉおおおおお」

「やめてくれえええええっ⁉⁉」

 

 ――当然、人の津波が発生した。

 イチカが必死に懇願しても、誰もそんなことは聞いてくれない。もみくちゃにされながらもボディタッチそのものは優しいのが彼女達変態淑女の慎み深さを感じさせるが、冷静になって考えてみればタッチしてる時点で慎み深さという言葉の奥深さを考えさせられる事態である。

 髪を優しく梳かれ、どこからともなく持ち出された熊のぬいぐるみを抱かされ、頬を三〇擦り半撫でられ、同時に八方向からベアハッグされ、二の腕だのお腹だの太腿だのとあらゆる場所を撫でられまくった。

 ……五分。

 流石にそれ以上はヤバい――自制できなくなる――と判断したのか、変態淑女の津波はそれだけの時間が経つと文字通り波が引くようにイチカを解放した。後にはもみくちゃにされていたはずなのに頬が紅潮しどことなく汗ばんでいることを除けば普通そのものなイチカが椅子に腰かけた状態で残っていた。

 もはや首を据わらせる余裕すらないのか、かくんと首を横に傾けた状態で、死んだ目をしたイチカは乾いた笑いをもらして呟く。

 

「俺、これから大丈夫かな……」

 

 ………………この状況を見て大丈夫などと嘯ける者がいたら、そいつはきっと頭のネジが何本か外れているだろう。


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