【完結】どうしてこうならなかったストラトス   作:家葉 テイク

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第二三話「揺らぐココロ」

 その後、イチカは弾と合流して選手控室に戻らずアリーナ前に向かっていた。

 本来なら選手控室に行って次の試合に備えるところなのだが、イチカはこれ以上の試合は棄権していた。……というのも、ラウラとの戦闘の中で大分消耗させられた(精神的・体力的問わず)のでこれ以上まともに戦闘できなかったのである。流石にISアーマー全解除の上で格闘というのは、かなりの無茶だったらしい。

 それに、個人的にも用事があった。

 

「…………蘭」

「お姉!」

 

 今、弾を伴ったイチカの目の前には蘭が立っている。

 試合でうやむやになっていたが、イチカは蘭に『真実』を話さなくてはならない。……蘭が納得して、五反田家の絆にヒビを入れないような『真実』を。

 

「お姉、どうしていきなりお兄と別れるなんて言ったの?」

 

 最初に言葉を発したのは蘭の方だった。蘭はとても、それこそ泣きそうなくらいに不安な顔をしていた。

 

「……あたしが、お兄との仲をからかったりして一緒にいづらくなったんなら、謝るから……」

「…………違う、そうじゃないんだ」

 

 首を振りながら、イチカは得心がいった。

 弾だけならともかく蘭までIS学園の突撃すると聞いたとき、イチカは確かに疑問に思ったのだ。この話は弾とチカの二人の問題である。そこに言ってみれば『部外者』である蘭が首を突っ込むのは、流石に強引すぎるだろう。だが……だが。

 彼女の目的が、イチカの詰問ではなく……自分のしたことについての謝罪であるとするならば、その強引さにも納得がいく。

 

 それで覚悟が決まった。

 

「…………」

 

 弾が、イチカの方に目くばせをする。

 結局、試合前に良い言い訳は思いつかなかった。だから、弾が主導になって言い訳をする――という意思表示だ。

 

「あのな、蘭……チカは忙しいんだ。見てたら分かると思うけど、コイツ専用機持ちでさ……日本の代表候補生になるかもしれないんだよ」

 

 ……と、言う風に試合中も説明されていた。束はおろか千冬まで話を合わせてくれていた。すべては蘭にイチカ=チカだと気付かせない為の学園側の策略だったが、その甲斐あって蘭がそれを疑う要素は今のところなかった。

 

「これから、どんどん会えなくなるし、今も切ないから、これ以上辛くなる前に……って」

 

 弾の言葉に、イチカは思わず弾の顔を見てしまった。

 それは弾が一番最初に提案し、イチカが『女々しすぎる』といって拒絶していた言い訳だった。だが、弾の目は『これで行く』と言っていた。それが最善の作戦だと、互いに一番うまくいく結末だと言うように。

 

「…………」

 

 イチカは数瞬程そんな弾と視線を躱し、それから俯いた。

 そんなイチカの姿を見て蘭はどう思ったのか、悲しいような安心したような、言葉に出来ない表情を浮かべた。

 

「そ、うだったん…………」

「違う」

 

 そこで終わる話だったはずだが、イチカはそこで蘭の言葉を遮った。

 それから千冬に渡された特別製の制服ではなく、ただのISの制服を身に纏い直す。……つまり、千冬の得体のしれない力の加護がない状態の制服を、だ。

 

「え……?」

 

 当然、蘭もテレビは見る。イチカの姿だって見たことがある。その彼女がイチカの正体に気付けなかったのは、ひとえに千冬の得体のしれない力のお蔭である。イチカも最初は気付いていなかったが、冷静になればすぐ分かる。そして今日わざわざ制服を渡して来たことで確信に変わった。

 それを元の制服にするということはつまり、チカ=イチカを成立させるということだ。

 

「俺は…………織斑イチカだ」

「え? そ、え? そん……」

「おい、イチカ! お前何を……‼」

「俺が悪かったんだ」

 

 イチカは苦笑もせず、目も伏せず、ただ真摯な目で蘭を見据えて言い切った。

 

「女になった俺のことをからかう弾にやり返したくてさ……誘惑してみたりなんかして、そこで蘭に見つかって……気が動転してたんだと思う。言い訳するつもりはないけど、それから嘘に嘘を重ねちまった。弾は俺の我儘に従ってくれたんだ。コイツ、良い奴だからさ……だから、悪いのは俺だ。……ごめん、蘭。本当に、悪かった」

 

 そう言って、イチカは頭を下げる。

 自分のしていたことが、弱みを見せずに本当のことを黙っていることが間違っていると気付いたイチカにできるのは、これだけだった。

 その結果に待っているのが千冬や会長のような『和解』でなかったとしても――――その結果は、イチカだけが責任を持って受け入れる。

 

***

 

「え…………?」

 

 一息に捲し立てられた事実を受け止める間もなく、目の前で女になった憧れの人が頭を下げていた。

 自分が騙されていたとか、知らなかったとはいえ随分失礼なことしてたよなとか、そんなことに思い至るよりもまず目の前の光景が自分にとって受け入れられないものだと気付けるほど脳の機能が戻るまでに、数秒ほどかかった。

 

「あっ、頭を上げてくださいイチカさん! ええと、あの、あた……私、何て言えば良いのか、ああ……」

「本当に……」

「ああ! そうじゃないんです! そうじゃないんですけど……気持ちの整理が……だって、お姉が……」

「…………、」

 

 姉だと思っていた人物が、実は憧れの人だった。

 彼と会ったのは中学生になってから。兄の弾が中学に上がって仲良くなったと言って家に連れて来たのが、彼だった。最初こそ警戒していた蘭だったが、純朴で鈍感だが決める時は決める性格と……それと()()()()()()()()を経て彼に憧れにも似た恋心を抱くようになったのは、いつの頃だったか。

 その後も彼が兄と遊ぶと言って家に来るときには決まってオシャレをして、精一杯女らしい装いをして彼の前に立った。彼の隣には大体兄と、それから彼に恋している中国出身らしいちんちくりんのツインテールがいたが、それでも退く気はなかった。お蔭でつるぺたのツインテールとは今でも犬猿の仲だが。

 そんな彼が女になってISに乗れる体質で、しかもIS学園に入学することになったと知った時は、それこそ足元がガラガラと崩れ落ちるような感覚になったものだ。何せ、お邪魔虫だった貧乳のツインテールは家庭の事情で中国に帰り(同情したが正直ライバルが減ったという気持ちしかなかった)、彼の周囲に残ったフリーな女性は自分だけ。学校は違うがそこは生徒会長の強権を使っていかようにでもアプローチをかけるつもりだった。つもりだった……のに。

 IS学園なんていう女の園に行き、しかもお誂え向きにIS学園には貧乳のツインテールだけでなくなんか小さい頃離れ離れになった幼馴染とか、傲岸不遜な金髪令嬢とか、銀髪の女軍人とか、可憐な男装女子とか、怜悧な印象の眼鏡才女とか、ちょっと見ただけでもオールスター級の美少女とよろしくやっているのである。蘭的には、もう絶望だった。

 

 そんなある日だった。

 彼女と――小村チカと出会ったのは。

 最初に会ったのは兄の弾が自室で胸を揉もうとしているタイミング。いつものようにプライバシーを無視した行動の結果、最悪の出目を引き当ててしまった蘭は今もこの行動を後悔している。兄に対しては傍若無人を地で行く彼女が今も兄の部屋に入る前にはノックを欠かさなくなったということからもそれが分かるはずだ。

 そんなはれんちな行為を働いているのだから、きっとこの人はとても大人っぽい人なんだろう。兄も案外手玉に取られているだけかも――――そう思って身構えていた蘭だったが、その想像は良い意味で裏切られることとなった。チカは優しく気遣いもできるが自分の事には鈍感で、ちょっとからかってやると面白いくらいに顔を赤くして拗ねる。その様子に何故だか他人とは思えないくらい親しみを感じて――まあ、実際兄の親友なのだから当然だが――本当に姉のように思えた。

 聞けば弾がチカの胸を揉もうとしたのも、そういった『大人なこと』をする為ではなく、子供じみた言い争いの延長だったらしい。そう、本当にまるで子供だった。そこもまた自分の姉みたいで、蘭はこの突然降ってわいた可愛らしい姉のことが本当に好きになってしまっていた。

 だから、兄からその義姉と別れたと聞かされた時は信じられず、またメールの文面を見ても納得がいかなかった。自分のことを妹のようにかわいがってくれた女性が、こんなにも簡単に兄との絆を捨てられるとはとうてい思えなかったからだ。考えられるとしたら、自分が甘え過ぎてしまったせいで『重い』と思われてしまった可能性くらい。だとするなら……自分のせいで姉が離れてしまうだけでなく兄から大好きな女性を奪ってしまったとしたら、それは絶対にどうにかしなくちゃいけない。

 会話の流れでチカがIS学園の生徒だということは分かっていたので、タッグトーナメントの時に直接会って話を聞くつもりだった。いざトーナメントに行ってみると、姉は良く分からない敵の能力で酷い目に遭いそうになっていた。だから、どうにかしなくちゃという思いも投げ捨てて応援してしまった。

 そして改めて会ったら――――義姉は、兄の親友だった。

 彼女は知らないことだが……それは一か月前にとある少女が体験した気持ちに似通った感覚だった。尤も、蘭は件の少女よりもイチカと接した期間が短く、ゆえに当惑具合も大分やさしくなっていたが。

 

 彼女が冷静に思考を働かせることができたのは、だからだろう。

 

 ちなみに、蘭の『イチカ』に対するスタンスは――『消極的賛成』だ。鈴音のように『一夏が基本!』と言って、照れてコミュニケーションが上手くいかないとしてもなるべく一夏のままでいてほしいと思うのではなく、『一夏さんは好きだけど、イチカさんでもいてもらえると何かと助かるな……』という考え方。

 もし自分がイチカと会ったら、服だけでなく化粧なんかも教えてあげたいな、とテレビを見て思っていた。イチカは顔が良いのでスッピンでも下手な女性より可愛いというフザけたレベルだが、それでも化粧は女の嗜みだ。いや、そういうことを教えるというコミュニケーションを通じて『いちか』との距離を詰めたい――つまり、コミュニケーションの窓口としてイチカを認めているわけだ。

 

 だからだろうか…………チカがイチカだと知った時、蘭の心にはそれほどの拒否感がなかった。彼女の中での『理想のイチカに対する接し方』が、『チカに対する接し方』と近かったのだ。

 もちろんずぼらな一面を見せてしまったこととか、素の口調を見せてしまったこととか、思い返せば顔を赤くしてイチカに逆ギレ(いや、正当な怒りだが)したくなるところもあることはあった。ただそういうのはどうせ親しくなる中でタイミングを見て切り替えようと思っていた部分だったし、何よりチカがイチカだというのを知って……いや、『あの日イチカと弾が話していた内容』を思い返して、蘭の中にある気持ちが芽生えていた。

 

「…………あたし、イチカさんが……一夏さんが好きでした」

「…………!」

「好きっていうのは、愛してるって意味です。男と女という意味で、好きでした。恋人にしてほしいって、思ってました」

 

 朴念仁のイチカでも勘違いしないように、同じ意味の言葉を何度も何度も蘭の捲し立てる言葉に、イチカは一気に顔を真っ赤にさせ、それから青褪めさせた。

 ゴゴッ……! とアリーナ全体が少し揺れた気がしたが、蘭は気にせず続ける。

 

「でも……今は違う」

 

 その言葉を聞いて、イチカは目を伏せた。

 好かれていた少女がそうでなくなったこと――というより、つまり『そうなるほど幻滅した』と言われたと思っているのだろう。それで良い、と蘭は思う。

 

 蘭だって散々振り回されて混乱したのだから、少しくらい思わせぶりな言い方で狼狽させたって、バチは当たらないと思う。そのくらいは、当然の権利だと思う。

 そう思って、蘭は茶目っ気たっぷりにイチカに笑顔を向けて、こういった。

 

「あたし、イチカさんがあたしのお姉さんになってくれたらいいなって、今は思ってるんだ」

 

 それに対し、イチカはまるまる五秒ほど、ポカンと間抜け面(しかしそれも可愛い)を晒して――――、

 

「………………は?」

 

 今度は、イチカの思考が停止する番だった。

 ついでに、弾の思考も停止した。

 

***

 

「ら、蘭…………? えっと、それは……」

「馬鹿、お前っ、蘭‼ 言って良い冗談と悪い冗談があるぞ!」

 

 現状が全く呑み込めず、『罰としてお前は女として生きろと言われているのか?』なんて見当違いの方向に思考を飛ばしていたイチカとは違い、察しの良い弾は蘭の意図が分かっていたようだった。

 顔を赤くして食って掛かる弾に、蘭は冷ややかな眼差しを向けて言う。

 

「冗談なんかで、こんなこと言えると思う? ……あたしは、本気だよ。お兄とイチカさんはお似合いだったし、イチカさんのお兄を見る目、恋()()()()乙女の目だったし、それにお兄とイチカさんがくっつくなら、あたしは義理の姉妹ってことでイチカさんとずっと一緒にいられるし」

「あっ、え、……それって、弾と俺が本当に付き合うって言ってるのか⁉」

 

 そこまで言われて、イチカはやっと蘭の真意に気付いた。

 つまり、蘭は言ってみれば『次善の策』に打って出た訳だ。

 イチカを狙うライバルの女は多い。蘭がIS学園に行っても埋没してしまいかねないし、それまでに誰かがイチカと付き合う可能性だって否定できない。だから弾を、『イチカの親友というステータスを既に持っている』弾をイチカ争奪戦に投入する。その結果弾がイチカを勝ち取れば、その時は蘭は『イチカの妹』という形で、大好きな人とずっと一緒にいられることになる。それはきっと蘭が争奪戦に参加するよりも、ずっと勝算のある作戦だろう。

 その関係性を『次善』と呼べるほどに、妹というポジションが甘美なものだと知った。姉としてのイチカが素敵だと知った。

 幸い、蘭の目から見てイチカはやはり弾に対して『ただの親友以上』の感情をいだきつつある。それが心情面の女性化からくるものか、肉体面の女性化からくるものか、あるいは女である自覚をしたことによって弾を意識しただけなのかは不明だが……このままその感情を育てれば、いずれ恋心に変わるだろうことは想像できる。

 

「そうなってくれたらいいなってこと。……でも、()()だって満更でもないんじゃないの?」

 

 瞳を覗き込むように言われ、イチカは思わず言葉に詰まる。

 違う……とイチカは言いたかったが、しかし断言もできなかった。弾と一緒にいる中で不思議な気分になることは疑いようもない事実だったからだ。それが弾のことを無意識に恋愛対象として意識しているから――であれば、蘭はイチカも気付いていない真意を汲んでいるということになる。

 そしてこの如才ない少女の言うことだし、あながち間違っていないとも考えられ――、

 

「あたしが満更だわ‼」

「あ、鈴」

 

 ズドッ‼‼ と。

 そんな二人の間に、一人の少女が天空より降り立つ。誰かは言うまでもない。イチカ、弾、双方の親友……凰鈴音である。

 どこからやって来たのだろうか? それは誰にも分からない……弾は『ああ、コイツ少し見ないうちに大分はっちゃけてるな』と他人事みたいに思った。イチカはいつものことなので普通にスルーしていたが。

 

「鈴音さん……」

「黙って聞いてればぬけぬけと、思考誘導ばっかりじゃない! コイツは流されやすいんだからそういうこと言ったら本当にそうなのかもとか思っちゃうでしょ!」

「……えぇー。良いじゃないですか。それに誘導だけでもないですよ。本当にそういう風な様子だって……」

「な・が・さ・れ・や・す・い・の‼‼」

 

 ここまで堂々と自分の意志の弱さを指摘されるとイチカも微妙な気持ちになってしまうのだが、正直なところ大分精神的に混乱するやりとりだったので鈴音の乱入は内心有難くもあった。蘭の方もたじたじになって、思わず両手を挙げて降参の意を示す。

 蘭は少し申し訳なさそうにイチカに頭を下げ、

 

「混乱させちゃったみたいでごめんね。……でも、あたし……お姉は女の子のままでも幸せに暮らせると思う。……今は男でいることにこだわっているみたいだけど、『そういう未来』だって確かに『あり得る』んだからね。……どっちが良いか一回じっくり考えてみて。せっかくお姉には『二つの性別』があるんだから、男が正解なんだって決めつけちゃうのは勿体ないとあたしは思うよ」

 

 そう言って、蘭はすたすたとイチカから離れていく。鈴も蘭を撃退したからか、『本国に報告に行って来る』と言って去って行った(どうやら報告を後回しにしてでも蘭への対応を優先させていたらしい)。

 二人を見送ったイチカは、隣に立つ弾に向き直ってこう問いかけてみた。

 

「で……、どうしよっか」

「ちょっと真面目に考えてるんじゃねーよ、馬鹿」

 

 答えはデコピンだった。

 

***

 

「……で、アンタらは何してんのよ」

 

 イチカと別れた鈴音は、そこからある程度離れたところに屯している変態を見つけてげんなりとした表情を作って言った。

 死屍累々であった。

 シャルロットは何故かエビ反りになって恍惚とした表情を浮かべているし、セシリアは鬼のような形相をして箒に宥められているし、簪は座禅を組んで悟りの境地を開いているし、その前では楯無が礼拝をおこなっているし、ラウラは血だまりの中に転がっていた。

 なお、そのさらに向こうで束が千冬に絶賛折檻中なのはいつものことである。

 そんな様子なので、変態達を代表して比較的正気を保っている箒が鈴音の言葉に応えた。

 

「見ての通り、イチカと……弾、だったか? 彼の妹とのやりとりを見て、各々リビドーが暴発しているのだ」

「認めません、認めませんわぁぁぁ……! 男とくっつく未来など認めませんわ、百歩譲って中国次期代表とのレズカップルですわ……‼」

「何を白昼堂々レズカップル呼ばわりしてんのよッ!」

 

 ツッコミを一閃する気配を感じた箒が拘束を解くと同時、ドッ! とセシリアの顎にコンパクトなアッパーカットが炸裂した。が、セシリアはくるんと空中で宙返りして軽やかに着地する。

 

「おーほほ! パンチ力が足りていませんでしてよ、中国次期代表! どうやらGL扱いでもイチカさんとの仲を認められたのが照れくさいようですわね! ですが甘いですわ! GL扱いならわたくし何でもいいのです! なんならわたくしが直接、」

 

 要らんことを口走ってしまったセシリアにコークスクリュー・ブローを叩き込み、鈴音は他の面子を見渡す。シャルロットは……なんか危なそうなのでスルー。簪は……あ、虚が楯無を処理した。あっちはあっちでボケとツッコミのサイクルが完成しているのでスルー。

 となると……と思い、鈴音は改めてラウラを見下ろした。血だまりの中に倒れ伏しているラウラは、指でダイイングメッセージを残していた。そこに書いてあったのは…………『TSモノの妹って良いよね』の文字。

 

「待って! 起きて! アンタはあれでOKなの⁉」

「OKなのも何も……パーフェクトだ。私は新たな悟りの境地に到達した」

 

 揺さぶる鈴音に、ラウラは普通に起き上がって答える。身体の前面が顔も含めて真っ赤になっていたが、本人はいたって真面目な表情だった。

 

「まあ真面目な話、こういうのは僕達がどうこう言う問題じゃないしねえ」

 

 そこに口を挟んできたのは、先程まで恍惚としていたシャルロットだ。急に真面目なトーンになったので、鈴音も真面目に言い返す。

 

「どうこう言う問題でしょうが! イチカは男なのよ? 男としてこれまで生きて来たのよ? それを女として生きるって……そんなことできるはずないじゃない! こんなの軽はずみにそうしますなんて言える話じゃないでしょ!」

「いや、親友の男との恋愛を経れば可能だ」

 

 断言したラウラの言については、変態達も異論がないようだった。

 

「アンタのその親友の男に対する絶対的な信頼感はいったい何なのよ⁉ 大体イチカと弾のアレは、親友だから気心知れてるってだけの話で恋愛的な要素なんてないに決まってるでしょ!」

「…………それはどうかな、凰。イチカのさっきの目は完璧にメスの色をしてごはァッ‼‼」

「アンタ、ホントに言って良い冗談と悪い冗談考えなさいよ…………」

 

 マジギレ寸前なのであった。

 そんなマジギレ寸前の鈴音に、吹っ飛ばされてから復帰してきたセシリアが舞い戻って来る。

 

「冗談ではなく、真面目な話ですわよ、中国次期代表」

「…………何ですって?」

「わたくしもどちらかと言うと『貴女側』ですが、そのわたくしから見てもイチカさんは五反田弾を『異性として』意識しかけている様子が見受けられます」

 

 その言葉に、鈴音はただ押し黙った。その心中も理解できなくはないのだろう、セシリアはそんな鈴音の顔を見ずに言葉をつづける。

 

「肉体の女性化に伴い、脳構造も女性化している……なんて理屈もつけられますが、おそらく原因は『小村チカ』でしょう。恋人ごっこをしたことで実際に相手をさらに意識してしまう――というのは、古今東西のラブコメでは王道に過ぎますわ」

 

 勿論王道だからといって常にそうなるとは限りませんが、とセシリアは前置きして、一旦鈴音の反応を待った。

 鈴音は――――泣きそうな顔をして、セシリアの話を聞いていた。

 

「でも…………だって。あたし、それじゃ……困る」

「……困る、と来たか……」

「だってそうでしょう! イチカが本当にこのまま女の子になっちゃったら、男を好きになっちゃったら、あたしのこと好きになってもらえなくなるじゃない!」

 

 復唱する箒に、鈴音は噛みつくように返した。

 それは、イチカがこの場にいないからこそ言える本音だった。まあ周知の事実でもあったのだが、鈴音の偽らざる本音を聞いて普段はおちゃらけてばかりの変態達も真顔になる。

 

「まあまあ。中国次期代表の気持ちはわたくし達も分かっていますから」

「私を含めた専用機持ちと篠ノ之箒の望みは『イチカ』を共有財産にして色々すること……だが、それ以上の領域で趣味を過剰に押し付けるつもりはない。セクハラは友人の範囲で出来れば良いと思っている。少なくとも、今ここでお前の敵に回るつもりはない。…………本当だ」

 

 ちょっと前までイチカに女の子としての恋愛の道を歩ませようと暴走していたからか、ラウラは少し気まずそうな表情を浮かべて言い切った。

 

「でも、だからといって弾君の妹……蘭ちゃんの話がまるっきり押し付けとは思えないな。だって、イチカ自身気付いてないけど明らかに女の子としての嗜好を兼ね備えつつあるんだもん。それなら、二つを自覚した上で好きな道を選んでもらうのがフェアでしょ」

 

 それもまた事実。

 選ぶのはイチカであり、そもそも鈴音が現状に対して不満があるのは『イチカに余計な選択肢を与えたくない』という感情論の為だ。理詰めで行けば、正しいのは蘭であり鈴音の考えは自分本位……ということになる。

 ただ、かといって変態達が鈴音を糾弾するかというとそれは違う。基本的に彼女達は鈴音の友達だからだ。

 

「これは…………来月の臨海学校で勝負をかけるしかないんじゃない……?」

 

 そこで、それまで沈黙を保っていた簪がそう言った。

 

「臨海学校? ……ああ、そういえば」

「……来月の七日に、臨海学校がある……。当然、水着とかお風呂とかイベント満載……そこでイチカちゃんにモーションをかけて……鈴ちゃんにメロメロに……」

「…………」

 

 なるだろうか――と一瞬思った鈴音だったが、よくよく考えてみればイチカも性欲がないわけではないのだ。ただおそろしく察しが悪いだけで。だから鈴音が女としてアピールしたら、その時はイチカだって相応のリアクションをするだろう。上手く行けばそこで……告白しちゃったりとか、そういう展開も考えられる。

 

「えぇー……七月七日は私の誕生日だから、それにかこつけてイチカにいっぱいおっぱいねだろうと思ったのに……」

 

 いっぱいおっぱいという新種の韻を踏む箒だったが、それは見事に黙殺された。メインヒロイン要素を潰された箒は静かに涙を流す。やっぱりモッピーはモッピーなのである。

 

「しかし、簪ちゃんはよく提案しようと思ったね。僕的には今の状況、簪ちゃんが一番楽しんでると思ってたんだけど」

「『女になって欲しい』って働きかける側があるなら…………『男になって欲しい』って働きかける側があっても良い……私にとっては、それが『フェア』……」

 

 現状を一番楽しんでいるという発言に対して否定はなかった。

 よく分からない価値観だが、とにかく簪としては中立を貫き通す所存のようだ。

 全体の意志が鈴音びいきということが分かった時点で、セシリアは手を叩きながら話を纏める。

 

「そうと決まれば、早速臨海学校に向けて準備ですわね……。水着購入からおそらくUVカットという概念すら知らないであろうイチカさんに対する日焼け対策講習、イベントは作ろうと思えばいくらでも作れますわ。そこに中国次期代表、貴女をねじ込めば自然とイチカさんも『男である自分』を意識するというものです」

「協力……してくれるの?」

 

 にわかに信じられない話の流れに思わず弱弱しく問いかけてしまう鈴音に、五人は一様に頷いて返した。多分内心ではそれにかこつけて色々と自分達好みのセクハラを炸裂させようとか画策している部分はあるのだろうが、それでも大枠は鈴音の為という考えはみな同じだろう。そんな五人を少しだけ見つめていた鈴音だったが、五人の意思を感じ取ると、鈴音もまた力強く頷いた。

 

「ありがとう皆。…………と、()()()()

「礼には及びませんわ、()()()

 

***

 

 ――――そうして、タッグトーナメントは終了した。

 一夏・鈴音ペアが途中棄権してしまった為、優勝争いはセシリア・箒ペアと簪・本音ペアの一騎打ちとなり、最終的に本音の実力不足でセシリア・箒ペアが優勝を獲得した。優勝したセシリアが凄まじくご満悦だったのは此処に記しておこう。

 件の一夏はというと、弾と別れてから色々と蘭に言われたことについて考えていたものの結局答えは出ず――試合の疲労もあったので――結論を先送りにする形でベッドに倒れ込むように寝てしまった。

 

 そして、その翌日。

 いつも通り夜が明けたくらいの時間に目を覚ましたイチカは目覚ましのアラーム機能を切り、んぅ……と小さく可愛らしい声を出しながら上体を起こした。

 目をこすりながらベッドから這い出たイチカはそのままいつものように洗面所に行き、顔を洗って目を覚まさせる。

 鏡に映っていたのは、ここ数か月で随分と見慣れた顔だった。黒曜石のような輝きを秘めた深い黒、小さく形の良い鼻、桜色の唇。頬は寝起きだからか赤く色づいていて、顎へのラインは童女のように柔らかい曲線を描いている。我ながら相変わらずの美少女っぷりだった。これほどの美少女に出会っていれば、『一夏』もきっと少しは反応していたはずだ。

 

 

 ――――待て?

 

 

 そこで、覚醒してきた()()()の意識が現実を認識した。

 手首に視線を落とす。

 そこにはISが待機中であることを示す白式の化身、白いブレスレットがあった。

 つまり今、イチカはISを起動していない。

 

「……待て、よ」

 

 胸に手をやる。

 自分も知っている通り、小ぶりな『丘』がそこにある。

 

 股間に手をやる。

 やはり知っている通り、そこに膨らみは一切ない。

 

「嘘、だろ……おい」

 

 尻に手をやる。腕、太腿、腰、肩、そして顔。

 やはり、()()()()()()()()()()()身体だ。

 ――ISは、起動していないのに。そのはずなのに。

 

「…………じゃあ、なんで……」

 

 此処数か月で初めて、本当の本当に途方に暮れた調子でイチカは呟く。

 

「何で、女になってるんだ…………?」




これにて二巻分完結。当SSは短期集中連載なのでしばらく休載期間を挟みます。
三巻分開始時は事前に活動報告にて連絡をしますので、その時までしばしお待ちください。
……三巻分は隔日ではなく毎日更新になる予定。

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